第16話「勇者を憎む者達」

 リーアムから、そしてジャンヌからどれくらい遅れただろうか?

 全力疾走で飛ぶようにせれば、アーケンでも肺腑はいふを出入りする空気が熱い。まるで熱風のような呼吸は、のどくようだ。

 港町ガレーメンがようやく見えてきて、彼はさらなる加速で身をきしませる。

 黒煙を巻き上げる町並みが、アーケンに人間ならざる力を振り絞らせた。


「クソッ、俺のミスだ! やはり、町に残るべきだった!」


 昨日、人混みの中で遭遇した勇者だ。

 アーケンの直感は、あの危険な殺意を覚えている。

 周囲の民をも巻き込んで、アーケンとリーアムに今にも襲いかからん勢いの、無貌むぼうの勇者。顔も姿も、そして刻印こくいんも隠した男は、かなりの手練てだれだと感じた。


「ジャンヌに近付くな……その言葉を鵜呑うのみにし過ぎたか」


 いても仕方がないのに、後悔ばかりのがつのる。

 確かに謎の勇者は言っていた。

 ――俺のジャンヌに近付くな、と。

 ならばとアーケンは、リーアムと一計を案じたのだ。近付くなというからには、ジャンヌと特務勇殺機関とくむゆうさつきかん派遣執行官はけんしっこうかんが一緒だと不都合らしい。ならば……あえて行動を共にし、町から離れたモンスター討伐の現場におびき出せるかもしれない。

 その考えは今、的確な判断ではなかったと振り返るしかない。

 すぐに町の門をくぐる、阿鼻叫喚あびきょうかん地獄絵図じごくえずが広がっていた。


「い、痛ぇ……助けてくれ、ジャンヌ様!」

「クソッ、ジャンヌ様の留守るすを狙うなんて……」

「勇者め、俺の、俺の娘を! たった一人の娘を!」


 町の民は皆、悲観にくれてなげきを連鎖させていた。

 これだけの惨劇が、一人の勇者によって演出されたのである。

 中規模の港町であるガレーメンを、たった一人で壊滅寸前に陥れた。それは間違いなく、神より超常の力を与えられた勇者の仕業に違いない。

 驚きに言葉を失いつつも、アーケンは焦げ臭い臭いの中を歩く。

 呼吸を整え、全力全開で加熱した筋肉を休めながら。


「なんてことだ……」

「ダーリン! 油断しないで。勇者はまだ、近くにいるかもしれないわ」

「ああ。ならば、殺す。これ以上誰も殺せぬよう……その、死んだ勇気をブチ殺す!」


 激昂げきこうはやるアーケンに、腰の魔鞘ましょうダレクセイドが自重をうながしてくる。

 だが、上手く言葉にできない苛立いらだちが胸を焦がした。

 そして、油断なく町を進むアーケンは、背後に突然気配が立つのを感じた。次の瞬間、腰の剣を握って抜刀の構えで振り向く。


「おっと! やめてください、アーケン派遣執行官。私は敵ではないと申し上げたはずですよ? それに……振り向かないで、とお願いしたんですがねえ」

「……お前がスエインか」


 そこには、白い顔の細長い男が立っている。

 異様に細い目をさらに細めて、薄笑いを浮かべていた。

 そして、その手に抱かれた少女を見て、アーケンは構えを解かずに気迫を解放する。


「……リーアムを放せ」

「どうしましょうかねえ? 顔を見られてしまった以上は……あ、申し忘れましたが私は特務勇殺機関ブレイブレイカーズの、極秘監察官ごくひかんさつかんなんかをやってまして」

「極秘監察官?」

「ええ、ええ。言うなれば、勇者を狩る者の監視者……みたいなものです」


 スエインの両手には、リーアムが抱かれていた。

 気を失っているようだが、太腿ふとももから激しく出血している。そして、スエインが応急処置をした様子は見られない。

 油断のならぬ男が、かなりの戦闘力を持っていることは明らかだ。

 では、何故? どうして気絶したリーアムだけが負傷を?


「……勇者が暴れていると聞いて、古城から飛んできたところだ」

「ええ。先程ジャンヌも来ましたよ? もっとも、少し遅かったみたいですが。……逃げられましたね、勇者に」

「リーアムはその勇者と、戦ったのか?」

勿論もちろん! そのための戦力ですから。しかし……流石さすが勇者を狩る勇者ザ・ブレイブスレイヤーも、今回ばかりは太刀打たちうちできなかったみたいですねえ。負けちゃいましたよ、彼女」


 まるでへびのような冷たい笑いだ。

 そして、笑えない現状のリーアムの、そのほおめるように顔を近付けるスエイン。

 露骨ろこつな挑発だとわかったが、アーケンは自分を律する自信がどんどんなくなっていった。


「……お前は何をしていた。リーアムが戦っている時、お前は」

「まさか、私に加勢しろなんて言いませんよねえ?」

「お前に力があるのはわかる。俺達と同等か、それ以上か」

「同等ということはないですねえ、たかが派遣執行官風情ふぜいと」

「改めて聞くぞ……お前は何をしていた。何をしたぁ!」


 アーケンの叫びに、クックックとスエインが喉を鳴らす。

 そして、予想通りの答が返ってきた。


「勿論、 ちゃーんと隠れて、見てました」

「貴様っ! リーアムを見殺しにしたのか!」

「大きな声を出さないでくださいよう。だってほら、彼女……。我々が殺すべき勇者なんですよ? その勇銘ブレイブタグは、勇者を狩る勇者。勇者同士潰し合うなら、高みの見物じゃないですか」

「……リーアムは、俺の相棒だ」

「便利でしょ? 彼女の力。勇者を狩るのに、これほど使えるコマはありまあせん」


 瞬間、アーケンは剣を抜いた。

 ダレクセイドの力で、氷の刃が一瞬にして現れる。

 だが、リーアムを放り出したスエインは、紙一重かみひとえで避けた。

 あわててリーアムを拾い抱くアーケンは、耳元に冷たい声を聴いた。


「また、新しい情報が入り次第お伝えしますねえ……それまで、その勇者狩り用の道具、ちゃんと手入れしてあげてください。今回は全くの役立たずでしたから」


 それだけ言うと、不意に気配が消えた。

 片手でリーアムの細い腰を抱きつつ、剣を構えて振り枯れる。

 だが、もう白面の紳士は姿も形も見当たらない。

 そうこうしていると、小さく唸ってリーアムが薄っすらと目を開けた。


「んっ、ぁ……アー、ケン? あ、あの、あたし」

「すまん、俺のミスだ。やはり、町を空けるのは危険だったな。……傷は痛むか? 今、止血を」

「アーケン……あたし、あたしっ!」

「いいんだ。殺す気で、死ぬ気で戦って……お前はまだ、生きている。戦いは終わっていない。お前はまだ、負けてなどいない」


 珍しく涙ぐんだリーアムの、弱気な表情をアーケンは初めて見る。

 同時に、彼女の敗北は恐るべき事実を告げていた。

 勇者を狩る勇者、リーアム……その力は、。完全に相手の能力を黙らせることで、物理的な近接戦闘を押し付けることができる。そして、全身凶器とも言える無手の格闘術は最強の武器なのだ。


「ううん。あたし、負けたの……」

「わかった、もう言うな」

「あの勇者の、刻印の力……封じることが、できなかった」

「! ……どんな力だった?」

「何てことは、ないわ……水よ。高圧縮の水鉄砲。ただ、その力は」


 たかが水とはいえ、水圧をかけてやれば鉄や岩石をも両断する。

 太腿を撃ち抜かれたリーアムの傷も、刺さった矢や刀剣がないのがその証拠だ。

 だが、違和感が残る。

 派手な火炎や雷撃と違って、水圧というのは対人戦闘においては絶対的な力を発揮するだろう。水を無限に呼び寄せ、好きに操る。

 その気になれば、敵の口と鼻を塞ぐだけで殺せるのだ。

 だが、周囲には明らかに大規模な破壊の跡がある。

 町を焼き、人々を短時間で死傷させるには、水の力は向いていない気もするのだ。


「……しかし、お前の刻印で封じることができない力とはな」

「さっきの、スエイン? あの、やな奴」

「起きていたのか?」

「薄っすらと、聴こえてた……あたしもやっぱり、勇者なんだ。暴れる勇者と同じ、ブレイブレイカーズが殺すべき、勇者、なのかな」

「全然違う。お前はジャンヌと同じ、正義の勇者だ」


 往来でアーケンは、急いでリーアムの太腿を止血する。

 一瞬で貫通した傷は、骨まで達していた。

 応急処置をしながら、今にも泣き出しそうなリーアムをアーケンははげましたかった。だが、言葉がみつからない。リーアムがこのガレーメンへ駆けつけて、勇者と戦っている間……古城の地下でジャンヌと二人っきりだったのだ。

 そのことに安らぎさえ感じていた、そんな自分が許せなかった。

 そして、同じ気持ちを共有する声が駆けつける。


「アーケン! リーアムは無事でしたか! ……こ、これは」


 ジャンヌもまた、顔面蒼白がんめんそうはくくちびるを噛んでいる。

 自警団の長である彼女にとっても、今回の事件は痛恨の極みだろう。しかし、町の脅威となるモンスターも放置できない。アーケンとリーアムの力が狩りられれば、短時間で討伐して戻れると決断したのだ。

 そしてそれは、裏目に出た。

 やはり、アーケンとリーアムは残るべきだった。あるいはその、どちらかが。

 だが、二人は謎の男とジャンヌの繋がりを、疑ってしまったのだ。


「すまん、ジャンヌ。俺のせきだ」

「いえ……それより、今はリーアムを」


 優しいジャンヌの言葉に、とうとうリーアムは涙腺るいせんを決壊させた。あの強気で勝気な少女が、何度も謝罪を口にしながら涙に濡れている。

 そんな姿をアーケンは、見たくなかった。

 そして、現実にしてしまったのは自分だった。

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