ワルツを眺めていたいだけ

この国は、王侯制度であり、貴族というものにあらゆる事が縛られている。

私は、その縛りを少しばかり緩められた男爵家の一人娘だった。男爵とは言っても父が武功を挙げての一代限りのものである。


娘の私にできることは、両親が安心できるように早く嫁にいってあげる事くらいだった。

だから、頑張って王立学院を小等部から高等部まで通い切り、なんだったらさらに2年淑女専門院に進んだ。全ては、良い縁に巡り合うための学歴、というのが虚しかった。

なので、私は、就活を頑張り、なんとか末端部署ではあるが王宮の文官として就職できた。


高級取りの仲間入りを果たした私に、もはやお見合いなど必要なかった。

なぜなら、自分で食っていける(自立)とは、この国では、結婚より重んじられるのだ。

この国に貴族の矜持(金を稼ぐことができる)、それはどんな形であれ尊ばれた(穀潰しは必要ない、を綺麗な言い方しただけのように思う)

そんな大義名分を得た私の婚期は、外聞的にも猶予が設けられたと言えるだろう。


話を結婚に戻すが、この国の上位貴族は、政が絡む職についている人が多いため、その子息子女は少なくない数が10歳になるまでに、婚約させられる。

しかし、下位貴族はそれに準じない。

理由は上にある通り、政が絡まない人間の集まりだからだ。ゆえに、食い扶持に必死。

その野心から、玉の輿という一発逆転が起きやすい。ハニトラ要員とも言われているが、あながち嘘とも言えない。


私には、あいにく玉の輿を狙えるような運も無ければ、頭ひとつ抜けるほど人目を引く容姿を持っていたわけでもなかった為、結果的に上で説明したような実直かつ無難な人生になったと言える。

ただし、私には人には言えない秘密がある。



※※



その日、急ぎの書簡を後宮付きの侍女長に回す為、後宮裏庭側に続く廊下を早足で歩いていた。


「はぁッ!」


勇ましい掛け声と共に、嫌に聞き慣れた乾いた気持ちの良い音が辺りに響いた。そして、それを始まりに、リズム良く掛け声と共に音が続き始めた。

歩みを止めずに、音の方へ視線だけ走らせる。やはり、誰かが木剣で乱雑に打ち立てられた丸太の一本を相手取り、一心に打ち込みをしていた。

後ろ姿から、大体160前後くらいの体つきはまだ未発達で、時折り乱れる足捌きや腕の動きに青さが見えた。声からしても、よくて15.6歳くらいの少年に見える。

まだ握力が打ち込んだ力に対して弱かったために、反動で戻った木剣が彼の手からスポ抜けた。


「あぶない!!」


この時、初めて青年と視線が合った。

やはり、第一皇子であるステファン様であり、彼の印象的な空色の瞳にヘーゼルナッツのような軽やかな髪色が精悍な顔立ちを引き立てていた。

片手に持っていた重要な書簡入りの鍵付き鞄を気にしながらも、私目掛けて飛んできた木剣を、一瞥して、回転しながら近づいてきたソレの持ち手を難なく掴み取る。

クルリと手のひらの中で木剣を回転させて、持ち手の方を殿下へ向け直し、配下の礼を整えた。


「…何者だ?」


「ツバァイスワー男爵家のアスターにございます。中央庁監査室にて書簡管理兼配達人として勤務しております。」


「ツバァイスワー卿の…なるほどな…差し詰め、我が国の古い慣習により女であるが故に騎士になれなかったか。」


「…」


答え難いことを聞いてすまない。

そう笑って、礼を解くように殿下が仰った。この国の王族は、思っているよりも礼にうるさくなく、気安い。公式の場以外では、必要最低限の礼節しか求めてはこないのである。目の前の方に関して言えば、月に2回お忍びで市井に降りて、その辺りで遊んでいる平民の子ども達と鬼ごっこをしているくらいだ。


「ツバァイスワー男爵令嬢から見て、私の太刀筋はどうだ。」


「配達人止まりの私には、言える言葉がございません。」


「建前は良い。私の未熟さで、貴女が怪我を負うところを助けてもらったんだ。ありがとう。」


第一皇子が、一介のそれも末端の文官を傷物にしたとあっては、とんでもない醜聞になるのは確かだった。

気安いがゆえに、些細な醜聞が命取りになることを、彼らは知っているのだ。それは、私もである。

だからこそ、誰にもバレないようにしてきた秘密を晒すことを躊躇わなかった。


「…ハニーラバー卿を師に仰いでみては、いかがでしょうか。あの方は、体の使い方に長けております。今の殿下にあったトレーニングを提案なさるかと。察しまするに、今の師は、バーニントン卿でありましょう。大柄で強肩であり剛胆な彼の力強い踏込みを師事するには、殿下はまだ体が出来上がっておりません。バーニントン卿を師事するのは、一年後でも遅くはないはずです。」


そう進言すれば、殿下は楽しそうに笑った。


「人目見ただけで、そこまで分かるのか。」


「ツバァイスワーとは、そういう者の集まりでございます。」


正直、淑女の礼を習うより、愛馬に跨り兄や弟と木剣を交えている方が、楽しい。

だが、そうもいかなかったから、私はここにいるのだ。


「貴女には、紅茶の銘柄より騎士の名の方が、身近なようだな。」


「ご冗談を。こう見えてオレンジペコーには、こだわるタチにございます。」


「洒落た言い方を…差し詰め私は、まだ産毛がとれそうにないようだ。」


フワリと微笑めば、殿下も笑った。

第二騎士団団長である父にかけて、なけなしの知識で考えた返しに、心の中で安堵の息を吐いた。


「引き止めて悪かった。侍女長に配達途中だったのだろう?下がって良い。」


再度、配下の礼を取り、下がった。

殿下が無闇矢鱈にこの事を口外しないだろうことを、私は分かっていた。



※※※※※




「殿下…私には、騎士である兄も弟もおります。」


「聞けば、ツバァイスワー男爵令嬢に現役の騎士で勝てる者の方が少ないと言われてだな。」


「だからって、こんな無理矢理な肩書きはあんまりです。」


中央庁監査室書簡管理兼配達人及び第一皇子付き剣技指南役


「法律を変えるより、貴女の肩書きを変える方が早かったんだ。」


「…殿下」



22歳の誕生日に出た辞令が、これほど嬉しくないとは。手渡された辞令と、騎士が身に纏う制服を手渡され時の、なんとも言えない気持ち。

憂鬱なまま騎士服を身に纏い、早急に呼び出された後宮の裏庭には、殿下の他に何人か見知った顔が並んでいた。


「ツバァイスワー男爵令嬢、堅苦しいことは無しにして、名で呼び合おう。」


「殿下、ご冗談が過ぎます。」


恨めしく睨め付ければ、楽しそうな空色の瞳が煌めいた。

殿下、私の婚期がとてつもなく遅れます。

そんな言葉、言えるわけも無かった。




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