第11話:修行③~魔窟の口~

初めて投影を成功させてからというもの、流王の助言の下、僕は更なる練習に励んだ。


「実は、草切れに樹木のイメージを投影させるのって、結構難しいんだ。同じ自然物とはいえ、硬さが全然違うしね。だからこそ、それを成功させた丈嗣君なら、応用だって比較的簡単に利かせられる筈だよ」


実際彼の言葉は正鵠を射ていた。

僕は樹に鉄を、石に樹を、草に石をと、次々にイメージ投影を成功させていった。これには流王だけでなく、他のメンバーも驚いていた。茜などは、自分にもコツを教えて欲しいとこっそり相談に来たくらいだ。


力を使いこなせるようになるにつれて、あの妙な“酔い”も徐々に軽減されていった。

これも流王に教えてもらったことだが、僕たち“サンプル”はこうして能力を習得することにより、TCKとの親和性を高めることが出来るのだと言う。


「これはあくまで推測だけど、力を使えば使うほど、脳のゲームへの適応率が高まるんだと思う。現実世界と同じように、練習して修行することで、このTCKでも強くなることができるんだ。

だからって、身の丈に合わない力の行使は禁物だよ。チートっていうのは、ゲーム上に設定された法則を超える力だ。無理したら脳に負荷がかかって、最悪の場合死に至る可能性だってある」

「……過去に、誰か亡くなった人がいるんですか」


流王は目元を細めたが、それ以上は何も言わなかった。

ただ、無理な力の行使は避けるよう何度も念押しされたことから想像するに、それは実際に起きた出来事だったのだろう。時が経てば、いつかは話してくれるのだろうか。


******


そして遂に、僕の修行は最終段階を迎えようとしていた。

流王の部屋に入ると、既に阿羅と宇羅が椅子に座ってこちらを見ている。


「この課題をクリアすれば、丈嗣君も晴れて半人前――いや、四分の一人前だ!」

「何言ってるんですか、良くて十分の一人前でしょ。……というか、何で私ここに呼ばれたの、流王さん」

「何言ってるんだ、阿羅。丈嗣君のサポートに決まってるだろ」

「えええええ!何で私が」

「不安なのは分かる。確かに、三分の一人前の君だけでは、もしもの時に丈嗣君を守り切れないものな」

「え……私まだそんなに頼りないですかね」


珍しく落ち込んだ顔をしている阿羅の肩を、宇羅が優しく叩く。


「大丈夫だよ、阿羅。私がいれば百人力だから」

「宇羅さん……ちゃんもいるなら心強いよ」

「おい丈嗣、何しれっと宇羅にタメ口きいてんだよ、お前」


阿羅が怒気のこもった視線を寄越したが、素知らぬふりをしてやり過ごす。彼女に「シカト」が有効であることは、宇羅からこっそりと聞いていた。ただし、用法・用量に気をつけないと、とても面倒な「拗ねモード」に突入するため注意、とのことだ。1度くらいは彼女の拗ねた姿も見てみたいが、それは次の機会に取っておくことにする。


場が収まったところで、流王が課題の内容を説明した。


内容は至ってシンプルで、街を出た先にある「始まりの魔窟」の最奥にあるアイテム、「老退竜の尾鱗」を取ってくるというものだった。希少性の高いアイテムではないが、流王に見せてもらったそれは、サファイアのように美しい澄んだ紺碧色をしていた。


いよいよ、この力を使って魔物を倒す時が来たのだ。早くも腰を浮かしかけている僕を見て、阿羅と宇羅は顔を見あわせて苦笑している。

流王もやれやれといった調子で首を振ったが、直後に僕を見据えた瞳は真剣そのもので、僕は思わず生唾を飲み込んだ。


「最後に1つ、言っておかなきゃいけないことがある」

「分かってますよ。身の丈を超えた力の行使は控えよ、でしょ?」

「いや、そっちじゃない」


流王はいつになく神妙な面持ちをしている。先ほどまでは陽気に見えた阿羅と宇羅も、心なしか緊張しているようだ。


「死ぬな」

「……はい?」

「死ぬなよ、丈嗣君」


死んだら、課題クリアならず、ということだろうか。確かに、制限時間はないようだし、それくらいの縛りはあっても良いかもしれない。

そういえば、僕はこのTCKに来てから、幸運にも1度もゲームオーバーになっていない。安原は、ゲームオーバーになったらペナルティがあると言っていた。一体どんなペナルティが課されるのだろう。


だが、流王の言葉は比喩ではなかった。続いて放たれた彼の言葉は、氷柱のように冷たく鋭利な刃となって、僕の心に突き刺さった。


「死んだら、君の人生も終わる。ゲーム内の死は、肉体の死に直結している。俺たちに、復活なんて温い救済措置はない。脳の機能は止まり、現実の肉体は魂の抜けた肉塊へと変わる。

だから……死ぬなよ」


最後の言葉は耳に入らなかった。僕は口をあんぐりと開けて、流王と柊姉妹を代わる代わるに見つめた。


しかし誰も、冗談だと笑いはしなかった。


******


部屋から出ようとしたところで、僕だけが流王に引き留められた。何故か声を潜めて、耳元で囁くように尋ねられる。


「ちなみに、丈嗣君は何番なんだ?」

「はい?」

「TCKに接続される時に、現実世界でベッドのある部屋に入っただろう。その部屋の番号だ」

「ええと、すいません、全く覚えてないんです」

「そうか……もし思い出したら、まずは俺に教えてくれよ。ちょっと気になることがあるからさ」


生返事をして、部屋を辞去する。

部屋番号?そんなものはどうだって良かった。そんなことより、ゲーム内で死んだらもう復活できないってどういうことだ。そんな話、今の今まで聞いたことがない。


あれほど楽しみだった魔物との闘いが、急に恐ろしいものに思えてくる。今まで見ていた景色が反転して、裏側に張り付いてた醜い蟲たちが動き出す。


屋敷から出ても、悪寒は消えなかった。

「始まりの魔窟」までは少し距離がある。当然、道中で魔物と遭遇する可能性だってある。

そこで万一、ゲームオーバーになってしまったら。いや、「始まりの魔窟」についても同じこと。視界に映るこの体力バー表示が0になった時、僕は――


死ぬ。


足取りは次第に重くなり、やがて道半ばで僕は完全に立ち止まった。先を行く阿羅と宇羅が心配そうに振り返る。


「丈嗣君、どうしたの」

「こんな調子で歩いてたら、日が暮れちまうぞ」

「……嫌だ」

「なに」

「死にたくない。怖いんだ。闘いたくない」


情けなく叫び声をあげる僕を、宇羅は哀しそうに、阿羅は苛立った表情で見つめている。2人の視線を受け止めかねて、僕は力なく俯いた。


「気持ちは分かるけど、大丈夫だよ。もしもの時は私たちが守るから」

「2人が死んだら?」

「……え?」

「阿羅も宇羅ちゃんも勝てないような魔物が現れたら?」

「そんなこと、絶対にない」

「じゃあ、罠に引っかかったら?崖から落ちたら?奇襲を受けて、助けられる間もなくこの体力が底をついたら?」

「丈嗣君……」

「いや、もう良いんだ。所詮僕には、覚悟がなかった。宇羅ちゃんも、阿羅も、もう帰って良いよ。僕はこのまま、次の街を目指す。

そこで静かに暮らすよ。いつか、現実に戻れる日を夢見て」


ああ、最低だ。きっと2人にも嫌われた。僕が阿羅や宇羅の立場だったら、こんなヘタレなど放っておこうと思う。

でも、良いんだ。現実と同じように、毎日引き籠って過ごそう。

目的もなく、徒に時間だけを費やして。


「ふざけんな」


その通りだ、阿羅。僕はふざけたやつだ。期待に応えられず、ただ逃げ回るだけの臆病者だ。


しかし顔を上げたところで、僕は驚きに目を見張った。横に立つ宇羅も、口をポカンと開けている。


阿羅は泣いていた。切れ長の目の淵から、次々に滴が頬を伝っていく。頬は引き攣り、唇は固く引き絞られている。形の良い眉が、苦し気に顰められた。


「私だって怖いんだよっ。1年経った今だって、この辺りにいる雑魚を相手にする時でも、心臓が猛り狂って、呼吸ができなくなりそうになる。豪や路唯は馬鹿にしてくるけど、死ぬのが怖くないなんて方が、私にとっちゃ狂ってる」

「阿羅……」

「でも、私は逃げたりしない。部屋に閉じこもって、ドアの隙間から外を窺うような生活はしない。

私は帰らなくちゃいけない。この世界は嫌いじゃないけど、それでも、私が生まれた世界は向こうにあって、だから、帰る方法があるのなら、私は自分の心を奮い立たせて前へ進むの」


阿羅は鼻をすすると、僕を指さして叫んだ。


「あんた男だろう!いつまでもメソメソしてんなよ!

この課題クリアして、エムワンとかいうやつ見つけて、この世界から帰る方法を聞き出して、そんで一緒に戻るんだよっ。皆で、一緒にっ」


彼女の言葉から溢れた熱気が、僕の心を覆った不安を溶かしていく。

突き刺さった氷柱が小さくなっていく。

膝の震えが止まった。

肺一杯に空気を吸い込むと、頭の中に巣くっていた黴が取り払われて、磨き上げられた石のような落ち着きが、すとんと身体の中心に落ちた。


僕だけじゃない。

阿羅だって、宇羅だって、それに他の皆も――同じように闘っているのだ。


「自分の道は、自分で拓かなくてはな」


流王の言葉が蘇る。彼の言葉は力強く、灯台のように胸の内を照らした。


まだ恐ろしさは胸の内に残っている。ふとすればその弱さに足を取られ、躓いてしまいそうになる。

それでも僕は前を向くのだ。帰るために。現実世界へと戻るために。


「さ、いこっか。本当に日が暮れちゃうよ」


宇羅が差し出したハンカチを乱暴に取り上げると、阿羅は再び歩き出した。


******


「魔窟」の名に恥じず、崖にぽっかりと空いたその穴からは、禍々しい瘴気が絶えることなく吐き出され続けている。牙のように垂れ下がった鍾乳石は、思わず立ち入ることを躊躇させるような迫力があった。


「じゃ、ここからは先に行って」

「え?!」

「当たり前でしょ。あんたの試験なんだから、あんたがクリアしなくてどうすんの」

「安心して。ちょっと離れて後ろからついていくから。でも、基本的に助太刀はできないことになってるから、期待しちゃ駄目だよ」


2人に促され、嫌々洞穴の中へと足を踏み出す。洞窟の中はひやりと冷たく、足音を立てると、何倍にも増幅された反響音が辺りを跳ね回る。


事前に聞いた説明では、この「始まりの魔窟」は一本道だから迷う心配はない。「老退竜の尾鱗」に辿り着くまで、ひたすら進むしかないわけだ。


「ま、逃げ腰の僕には丁度良いな」


独り呟いてから、思い出したように地面から生えていた鍾乳石に手を伸ばした。先端をもって力を入れると、比較的簡単に折ることができた。

左手に鍾乳石の欠片を握りしめて、僕は意識を集中する。その肌触り、硬さ、比重――自分の身体に、その質感を余すことなく染み込ませるのだ。


接敵する前に、なるべく周りのモノを触っておくこと。事前にモノの質感を掴んでおけば、イメージ投影がスムーズにできる。

ここ数日の練習の中で、自分なりに導き出した1つのヒントだ。


手の内で鍾乳石を弄びながら尚も進んでいくと、やがて暗闇の中から獣の唸り声が聞こえてきた。野性味を帯びた黄色い瞳が、壁面に設置された篝火に反射している。


魔犬ライラプス。どんな獲物も決して逃がさないと言われる神の猟犬。


僕は腰に差していた木剣を抜き、背負っていた木の盾を構える。デフォルトの装備品で、最初に安原と買った「初心者騎士セット」と比べてもステータスは段違いに低い。勿論そのまま使えば、ライラプスにダメージは通るべくもなく、僕の身体には無数の歯形と爪痕が残ることになるだろう。


そのまま使えば、の話だが。


この木剣と木の盾の利点は1つだけ。

軽く、扱いやすい。


魔犬は遠吠えを上げると、逞しい四肢で地を蹴った。動きに集中していないと、すぐさま視線を外される。ライラプスは風のように疾く、獲物との距離を詰めた。


呼吸が荒くなる。手汗が、じっとりと木剣の柄の色を変えていく。


怖くないと言ったら噓になる。

だがそれでも、前に進むんだ。自分の道を拓くんだ。

己の手で、この難局を乗り越える。


ライラプスの牙が迫る。ギラリと光るそれはてらてらと濡れていて、まるで鍾乳石のようだ。


ぎりぎりまで引き付ける。

その牙が。爪が。あと一跳びで、この身体に突き刺さるという、まさにその瞬間。


僕は手の内の木剣に、嫌というほど触ってきた剣の感触を投影した。

毎日毎日、休むことなく触り続けた鋼の手触り。ポケットの中に入れた破片を、修行の合間も常に弄り続けてきた。寝る前には必ず、充分な時間をかけてその刀身の質感を記憶した。

身体に、脳に刻み付けられた、そのイメージ。


眼球の裏で、火花が散る。


「おおおおおおおお」


叫び声を上げながら、僕は鋼と化した木剣を、魔犬目掛けて突き出した。

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