5-2

 人造人間は眠らない。

 魔女も狼男も、吸血鬼だって眠るのに、人造人間は眠らない。眠らずに生産性を求める。睡眠時間を有効に活用するのは、次世代の人類、を追求する人造人間の成果である。

 魔女も狼男も吸血鬼も旧世代、それも十世紀は昔の歴史的遺物だ。人造人間は違う。同じモンスターでも、未来に生きる。人間たちを越えていく。置き去りにして先へいく。遠くない未来、人造人間は人類を押しのけて、地球の主になるはずだ。人間は、人造人間の素材となるだろう。人造人間にパーツを提供する家畜に成り下がる。

 しかし今は。

 今はまだ、人類の作り出した経済制度を克服できずにいる。マリリンもスーザンも、人造人間コミュニティーの財政に寄与すべく作り出された、ただの品物だ。販売目的で製造された、手抜きスペックの商品だ。買い手は、奴隷を欲しがっている金持ちのモンスター。

 カナダの寒村で製造されたマリリンとスーザンは、解体されて箱づめされ、船で日本に運ばれてきた。組み立ては簡単で、外科手術の心得がある医師なら、一体三時間ほどで完成する。

 マリリンとスーザンを発注したのは、遠野香澄という魔女だった。

 初めて会った時は、物静かで上品なお婆さんという印象だった。遠野香澄はマリリンとスーザンを娘たちと呼び、自分のことは『ばぁば』と呼ぶよう命じた。優しそうな人に見えた。

 それから五年だ。

 今はもう、いろいろなことを知った。ばぁばの正体が残忍で強欲な魔女だということや、マリリンたちに向けるべき最低限の敬意を、ばぁばは持ちあわせていないこと、などだ。

 ばぁばの命令を受け、スーちゃんはカスタマイズ手術を受けさせられた。電気ウナギの細胞で作った器官をお腹に埋めこまれたし、口のあるべき場所に電源プラグを設置させられた。ばぁばは、なんの遠慮もしなかった。

 マリリンは左目にウェブカメラを搭載する手術を受けさせられた。これはうまくいかなかった。手術失敗と聞いて、ばぁばは舌打ちをひとつしてマリリンへの報いとした。

 マリリンの肚は決まった。ばぁばの心臓が動いているうちに、ばぁばに罰を受けてもらう。怒りや憎しみはない。人造人間の感情は、知性と別の回路に置かれており、時たま参照されるにすぎない。ばぁばに後悔させるのはあくまで、自衛のためだ。

 今、マリリンとスーザンは、窓辺に立って、夜明けを見ている。

 悪魔の予兆として発生する大きな雲は、すぐにたなびく筋になってしまった。その筋も徐々に散り別れて消えていった。二人は空を見つめ続けた。

 長い時間がすぎてから、マリリンとスーザンは、手のひらをあわせた。

『スーちゃん、わたしは朝食の準備をするです。それと、雲のことは誰にも知られないように気をつけるです。きっとなにか起こるですよ』

 スーちゃんが後ろを振り返り、マリリンもつられて背後を見た。

 ツインテールの少女が恨めし気にこちらを見ていた。

 足元に積み木が散らばっている。一緒に遊んで欲しいのだ。

 ゴジラみたいな無自覚な破壊力があるのに、ツインテールの少女の知能は犬並みだ。

 この少女も、眠りを知らない。

 いつまでも、どこまでもマリリンたちの後についてくる、名前をつけてもらえない犬である。邪魔なことこの上なかった。


 ばぁばは金持ちのたしなみとしての吝嗇りんしょくさに欠けていた。数字に強くなかった。バブル紳士だった、亡き夫の遺産を相続した老婆にすぎない。さまざま違法業種への出資は、マリリンがばぁばの名前を借りて切り回したようなものだった。

 ばぁばのお金をかすめ取るのは簡単だった。そのお金で長野県に土地と家を買った。原野商法かなにかの被害にあって、手放そうにも買い手のいなかった土地である。めちゃくちゃに安かった。金がかかったのは、登記やら代理人やら、モンスターならではの費用だ。

 あと必要なのは多額の現金だけだ。持ち逃げするためにばぁばの資産を増やしてあげたのだ。決行の日がきたらお金を奪い、スーちゃんと白い家で幸せに暮らすはずだった。

 それが頓挫した。

 今から思えば、眠り男を逃したのが痛かった。あの牝狼どもの邪魔がなければ、マリリンは悪魔を手に入れていた。悪魔と、長野の白い家に隠した手紙のコピー。あのコピーは、ばぁばの陰謀の中核を射ぬく証拠になったろう。悪魔とコピーを持って伯爵の元に走れば、どうなったか。

 ばぁばも銀蔵爺さんも、今ごろ生きていられなかった。伯爵が話のわかる吸血鬼なら、マリリンとスーちゃんはばぁばの事業を乗っ取れていたかもしれない。

 それに、小悪魔も存在していなかったはずだ。

 ばぁばの魔女としのて位はなかなか高い、と聞いてはいたものの、まさか、悪魔の亜種を呼び出すとは。

 しかもこの小悪魔が強い。

 火器の攻撃を跳ね返すほど強い。このツインテールなら、人間の軍隊だって相手にできるかもしれない。

 こんなやつがいると人間たちが察知したらどうなるか。

 人間どもは決死の排除を試みるだろう。大量の警官がこの町に動員される。付近のモンスターの掃滅にかかるはずだ。火器の通用しない相手に、旧人類たる人間が勝てるだろうか。勝てる。人間はありとあらゆる手段でモンスターに勝つ。人類は怪物を退治し、闇をうちはらうことでこの地上の覇者として君臨してきた。

 ばぁばも、マリリンもスーザンも、きっと警官に殺される。その他大勢のモンスターとともに殺される。

 そうなる前に逃げたかった。ストーカーみたいについてくるツインテールをごまかして、金を奪い、消えてしまわなければならない。

 朝のうち、スーちゃんは唸り声をあげて、ツインテールをあやしていた。

 小悪魔はスーちゃんには心を許している気配がある。

 マリリンは一人で朝食を準備し、ばぁばを起こした。銀蔵爺さんは昼まで寝る習慣なので、そのままにしておく。

「現金が少なくなってきたです」

 サラダの鉢をテーブルに置きながら、マリリンはいった。

「ずいぶん配ったものね」ばぁばの顔に疲れがある。

「午前中、銀行へいって卸してくるです。現金を準備するよう連絡はしてあるです」

「そうね」

 と、いったきり、ばぁばは食事を続けた。

 昨日のことだ。

 犬目組いぬめぐみの若頭で、門馬という人狼がお屋敷にきた。今後の話し合いである。親分さんはどうした、と銀蔵爺さんが威嚇すると、門馬は薄ら笑いを浮かべた。

『ゴルフですよ。どうしても外せなくてね。大神会の会長との約束ですから』

 伯爵をどうするか。話はそれに尽きた。伯爵の扱いをはっきりさせない限り、なにも進められない、と門馬は宣言したものの、ばぁばの支配に協力することにやぶさかでない、という感触も器用に残していた。

 門馬のいいたいことを要約すれば、「大金を用意しろ、おれらがすべてうまくやってやる」といったところだろう。悪い話じゃない。

「ばぁば、見せ金だけでも準備しておくです」

 マリリンは紅茶を注ぎながら提案した。

「深沢も同じことをいってましたし、いいでしょう」ばぁばの背筋が伸びてきた。脳が覚醒してきたのだろう。「実は、伯爵はさほど脅威じゃないの。魔女と悪魔なのよ、本当に怖いのは」

 今朝の不気味な小台風を思い出した。「悪魔が壁から出てくる気づかいはないです。真田たちが壁を破壊したですよ」

「星谷家の魔女を全員、殺すべきだった」

 ばぁばは立ち上がって、肩越しにマリリンを振り返った。

「午前中、深沢のシマを見てきます。銀行へはわたしがいきますから。あなたは骨休めしてらっしゃい。ああ、スーザンに車を回しておくよう伝えて」

 マリリンはおじぎをした。

 スーちゃんを運転手に使うらしかった。

 スーちゃんがいなければ、誰があの怪物美少女の相手をするというのか。骨休めなどできるはずがない。


 スーちゃんがばぁばと出かけた後、白のワンピースを着たツインテールの少女はマリリンを無視して、ひとりで積み木で遊んでいた。

 意外に骨休めできそうだった。

 一階の廊下をしずしず歩いていると、誰かが外から窓を叩く音がした。

 窓の外に人影はない。用心しながら窓に近づき、怖々、窓の下のほうをのぞいた。眼下に、男がいた。

 植えこみと壁の間にかがんで、背中を丸めている。

 眠り男だ。

 ネジ締まり錠を擬したセキュリティのスイッチをひねり、マリリンは窓をあけて顔を出した。

「お前、なにしてるですか」

 呆れながらいった。

 と、黒髪の、セーラー服姿の女が植えこみの影から立ち上がった。

「ちょっとごめん、ちょっとごめん」

 二度いいながら、マリリンの鼻先に杖の先端を突きつけてきた。

「眠り男、背中貸して。そのまま動かないで」

 眠り男の背中を踏みつけて、古森町の魔女が窓枠に手をかけてよじ登る。不器用に体をねじこんでいる。

「大声出さないでね。なにもしないから」

 若い魔女はあせった口調でいった。

「手を貸すですよ」

 マリリンは魔女の手を引っ張ってあげた。

 黒髪の魔女は怪訝そうな表情を浮かべた。

「マリリンさん、だよね?」侵入に成功すると、魔女はセーラー服のしわを叩いて直した。「古森町の星谷姫里ほしやひさとです。確かめたいことがあって」

「待ってたですよ。予想より遅かったくらいです。契約、したですね」

「契約? 眠り男と? してないよ」

「おとぼけは結構です。あの封印は、悪魔と契約しないかぎり破れないはず。違うですか?」

「封印って、あの緑の扉のことだよね。そういえば、わたしがあの緑色の光のなかに入ってたの見てたんだよね。それとも、誰かに聞いたとか?」

「こっちの質問に答えるです。契約したから、封印を破れた。そうですよね?」

「契約してないよ。あの異空間では、眠り男の力が解放されてた。眠り男が自分で封印を壊したの。でしょ?」

 ホシヤヒサト、と名乗った魔女は窓のほうへ目をやった。

 眠り男が窓枠から廊下の床に降り立ったところだった。

「そうだよ」眠り男はいった。「きみら、まだ香澄のところにいたんだ。スーちゃんは元気?」

「うるせぇですよ、眠り男。契約、したですよね?」

「まだしてない」

 マリリンはしばし、絶句した。

「契約もしてないくせに、なにしにきたですか? お前ら、あの子に見つかったら殺されるですよ?」

「あの子って、ツインテールの子? まだいるの?」

「もちろんいるです」

 ホシヤヒサトと、眠り男は顔を見あわせた。

「あー、なるほど」マリリンは気づいた。「眠り男を復活させれば、あの子が消滅すると思ったですね」

 実をいえば、マリリンも同じ予想は持っていた。ただし、単なる予想でしかない、とも思っていた。どんな原理でツインテールがボウリング場の地面から現れたのか、知っているのは、ばぁばだけだ。

「力を貸してやってもいいですよ」

「小悪魔を消す方法を知ってるの?」

「手はあるです」マリリンはいった。「ばぁばを、遠野香澄を殺すですよ。ばぁばが死ねば小悪魔との契約は終了。眠り男が復活した今、小悪魔がこの地上にいる理由はきっとなくなるです」

 これこそが、マリリンの策だ。

 マリリンは魔女が緑の扉のなかに吸いこまれるのを見た。ばぁばは気づいていなかった。そこにつけ目がある。

 魔女と悪魔が、同じ場所に一緒にいるのである。いつかは契約する。まして、結界は巨大な魔力がなければ破れないのだ。契約せざるを得ないはず。

 契約を果たした魔女は、復讐にやってくるだろう。

 その魔女に、ばぁばを殺させる。

 それが無理なら、せめてツインテールと対決させる。契約した魔女なら、小悪魔に勝てるだろうか。難しいところだが、いい勝負にはなるだろう。お屋敷は混乱する。その隙を突いて、金を奪いスーちゃんと逃げてしまえばいい。

「今ならまだ間に合う。眠り男と契約して、ばぁばを殺すです」

 ホシヤヒサトは腕組みして考えこんでしまった。

「いや、遠野香澄は殺さない」やがて、いった。「わたしはツインテールを殺す」

「今のお前じゃ歯が立たねーですよ。契約するです」

「契約なんかしない」

「姫里、そいつはどうかな。約束したろ?」

 眠り男が口を挟んだ。

 魔女は額に手をあてて、うつむいた。「そうだった。契約はする。でも、まだしない。早すぎる」

「早いほうがいいに決まってるです」

「それより気になってることがあるんだ。ヤモリ女はここにいるの?」

「……とっくに死んだですよ。今さらなにいってるです。見てたはずです。もうお前が、自分で決めるしかないです。契約するですよ。それしかないです」

「今、嘘ついたでしょ? なんか考える顔してた」魔女はいった。「わたしが緑の扉に入ったこと、ヤモリ女から聞き出したんだよね?」

「どうだっていいです。仮に生きてたとしても、契約しない限り、誰も助けられないです」

「つまり、ヤモリ女はまだ生きてるんだよね?」

 マリリンは人差し指を立てて、魔女を黙らせた。

 耳が足音を捕えている。四足が奏でる足音だった。階段を降りてくる。

 マリリンはヒサトの杖の先をつかむと、自分のほうを向けさせた。

 双手を上げて、

「わー、なにをするですー、やめるですー」

 いってから、廊下の西方面に目をやった。

 怪獣じみた大きさの灰色の狼が、たてがみを逆立てて悠々と歩いてくる。

 若い魔女の反応は素早かった。

 魔法を、立て続けに四発放った。

 巨大な灰色狼は後退することなく、最初の一発を伏せて避け、残りの三発は肩のあたりで受けた。さすがに銀蔵は、ばぁばの信頼を受けるだけある。魔女の魔法を受けきって、悠揚たる足取りで近づいてくる。

 マリリンは両手を上げたまま壁際のほうへ退がった。

 眠り男も、足を震わせながら両手を挙げている。

 魔女だけが動かなかった。力を溜めていた。

「姫里!」眠り男が叫ぶ。

「耳をふさいで!」

 マリリンはいわれた通りにした。

 魔女が力を放つ時、工場のような音がした。機械でしか制御できない力が解放される音だ。

 廊下の窓がきしみ、白いヒビが入った。何枚かが砕け散り、割れなかった窓は蜘蛛の巣模様になる。灰色狼は、きゃんと鳴いて飛びのいた。銀蔵もきゃんと鳴くのだ。灰色狼は姿勢を崩していた。

 マリリンも髪の毛を引き回されるような風を受けて、思わずしゃがんでいた。

「眠り男!」

 魔女は玄関のほうへ走ろうとした。

 息を飲む声が聞こえた。

 彼女のいこうとした先に、ツインテールの少女が立っている。

 相変わらず恨めしそうな目だ。というより、歯を剥き出して怒っている。両手を拳にして震わせていた。ここまで感情的になるのを初めて見た。

 魔女は動けずにいる。おびえているらしい。

「ここはぼくに任せて」

 と、両手を下ろして歩き出した眠り男に、魔女は杖を向けた。

「動いちゃ駄目だよ、眠り男。あいつはあなただって殺す」

「ちょっと話すだけだよ」

 セーラー服姿の魔女は、悪魔から目を離して、小悪魔に向き直った。「いいからそこにいて」

「姫里、サッコ・ディ・ローマだ」眠り男がいった。

「なにそれ」

「ローマ劫略ごうりゃく、一五二七年。その杖のこと、ミサさんから少しは聞いてるだろ?」

 廊下の奥で、ツインテールがうなった。

 ツインテールは体勢を低くして、一拍溜めた後、飛んだ。水平に向かってくる。立ち幅飛びみたいに胸をそらせて、お腹を突き出して。

「サッコ・ディ・ローマ!」

 ヒサトはびっくりしたのか、悲鳴のように叫ぶ。魔法の杖が細かく振動した。

 なにか巨大な力が放たれたのだ。地震みたいだった。建物が揺れるようだ。

 空気の還流が激しすぎて、マリリンは天井に頭を打った後、床に叩きつけられた。そのまま絨毯にしがみついた。荒れ狂う空気の激流はマリリンを何度も舞い上げようとした。頭上を、ちぎれたドアがかすめて飛んでいく。かろうじて目を開けた。

 小悪魔が、まとめた髪を二本の棒のようになびかせて、空中に静止していた。こさせまい、という魔女の力と、ツインテールの飛翔力が釣り合ったのだ。

 魔女の魔力が先に尽きて、ツインテールは床に、片膝をつく姿勢で着地した。

 割れて、空中に舞い散っていたガラスの破片が廊下の奥のほうへ吹き溜まる。

 ツインテールは、かすり傷ひとつとてない。

 口のなかに溜めていたらしい、唾を床に吐き捨てた。キラキラ光るガラスを含んだ唾だった。

 マリリンは身体を起こした。

「っらぁッ、ワッパがぁ!」

 背後からの大声に驚いて振り返る。

 裸の老人と眠り男が、廊下の奥で重なりあって倒れていた。

「マリリン! こいつどかせぇ! ガウン持ってこいぃ!」

 人狼社会ではまだ強い影響力を持っているものの、銀蔵じいさんは耄碌した、ただの頑固者だ。放っておいて問題ない。

 それより、ここで姫里を死なせたくなかった。

 ツインテールは、笑いを浮かべている。下弦の月みたいに口の端を歪ませている。いつも不満そうな顔だけど、こんな風に笑う時もある。新しい玩具を見つけた時だ。ヒサトと眠り男に、遊んでほしいのだ。自分を置いて屋敷から出ていくとわかれば、怒り狂うだろう。

「落ち着くです!」

 マリリンは立ち上がった。

「落ち着くです、馬鹿野郎」と、ツインテールに駆けよろうとした。

 ヒサトの腕が水平に伸びて、マリリンの行く手をふさぐ。

「あのツインテールを殺してあげる。力を貸して」魔女は小声でいった。

「どうやるです?」

 若い魔女は手のひらを、マリリンのほうへ向けて見せた。迷っている時間はない。マリリンはその手に自分の手をあわせた。

 ヒサトは、感電したように震えている。

 同期になれていないと、情報の侵入に身体が反応するのだ。

 三秒に満たない時間で、マリリンは必要な情報を入手した。手を離して同期を終了する。

 ヒサトは後ろを振り返った。眠り男は仰向けになっていて、魔女の様子に気づいていない。荒い呼吸で胸を上下させながら、黒髪の魔女はマリリンを見下ろし、開いた瞳孔を小さくした。

「ヤモリ女を捜さないと」

「真田の動きを調べてお前の携帯に電話するです。ウチの番号は——」

「大丈夫、同期した」

「ならとっとといけです」と、マリリンは低い声でいった。「悪魔に注意するですよ」

「ありがと」ヒサトは蒼褪あおざめた顔で微笑んだ。「今夜またくるですよ。スーちゃんとも同期しておくです。眠り男!」

 眠り男が頼りない足取りで立ち上がるのが見えた。

「若造が! 謝らんか! タマの上に乗りおって!」

 銀蔵が宙を蹴り上げた。起きられないらしい。腰を痛めたのかもしれない。

 放っておくことにして、マリリンはツインテールの少女に近づいた。

「落ち着くですよ」と、優しく語りかける。「こんな朝っぱらからドカドカやってたら通報されちゃうです。いっしょにご飯作るですよ?」

 ツインテールは、ガラスのなくなった窓のほうに目を向けていた。

 魔女と悪魔が、庭を走っていく後ろ姿を見つめている。

 ヒサトが走りながら、黒髪を振り乱してこちらを見た。

 小悪魔がその動きに反応し、短くうなった。

 マリリンは少女の肩に手を置いた。「銀蔵じいさんをベッドに運ぶですよ。きっと、ばぁばに褒めてもらえるです」

 小悪魔はようやくマリリンのほうを向いて、長くて濃い睫毛を動かした。穏かな美しい顔に戻っている。口の端のヨダレを袖で拭いてやると、にわかに落ち着いてきた。

 返ってマリリンのほうが平静を失っている。

 今夜、片がつくかもしれないのだ。

 正門の警備をしていた狼男の二人組が、よたよたと庭を走ってきた。

「なにかあったかね」

 二人とも銀蔵じいさんの元部下だ。昔、大暴れしたことが自慢の老人たちである。魔女がきたことをマリリンは伝えた。

「敵は手強いです。怪我したらいけないので追うなです。ばぁばには連絡しておくです」

 老人たちを警備に戻し、埒もないことをわめく銀蔵じいさんを二人でベッドに寝かせたあと、小悪魔とともにキッチンへいった。少女のためにバレンシアオレンジを切ってあげた。お気に入りなのだ。

 吸血鬼の屍肉をむさぼったくらいだから、小悪魔は肉が好きなのかと思ったら、そんなことはない。お屋敷にきてからは、熱帯のオオコウモリみたいに、フルーツしか食べていない。皮ごと食べるので、意外に食べ方は汚くない。

 お腹が空いて吸血鬼を食べてたわけじゃないのだ。モンスターの妖力みたいなものを補給していた。

 ——こいつは、きた所へ戻るのが一番幸せです。

 同情は少しもしていなかったけれど、マリリンには自分に対する言い訳が必要だった。

 そしてばぁばが銀行から持ち帰る大金も。

 ——あとはあの魔女。

 同期した印象では、ほとんどなんの経験もない。とはいえ、あの魔女のたくらみしか、今は頼りにできないのも事実だった。


 誰に見られることもなく高原台のお屋敷に侵入できたのは、眠り男の手引きのおかげだ。

 眠り男は、姫里の知らない道を知っていた。高原台と国道を結ぶ森の小道である。本当は立入禁止なんだ、と眠り男はいった。私有地らしい。

「じゃ、駄目じゃん」

「平気だよ」

 こだわるのも馬鹿馬鹿しい。眠り男にしたがって小道を登った。眠り男は、お屋敷の勝手口の存在も知っていた。要塞みたいな塀の東側に、小さい扉がある。その扉の鍵さえ持っていた。

「伯爵と仲良しだったころ、もらった鍵なんだ」

「それ、ずっと持ってたの?」

「捨てるきっかけもなかったしね」

 帰りも森の小道である。道を覆う枯葉は湿っていて、下草は生えはじめたばかりだった。狼が追ってくるかもしれないので、姫里も眠り男も黙って道を下った。人心地ついたのは、国道に出てからだ。

「これから、どうするわけ?」

 眠り男がいう。

「ヤモリ女を捜す」

「あの人造人間の子は、死んだっていってたけど」

「マリリンは嘘をついてる」

「どうして?」

「どうもこうもないよ。マリリンなんか関係ない。仲間の安否あんぴだよ? 自分で確認しなきゃ納得できない。わたしも聞きたいことあるんだけど」

「なにかな」

 カジモドのことだ。

 この杖にはいくつかの魔法がパッケージされている。カジモドを使った歴戦の猛者たちは、新しい魔法を発明しては、それを杖に登録してきた。そう聞いている。

 魔法の管理に、数字と言葉を用いている。登録番号、そして見出しだ。そのふたつで、使う魔法を指定するらしい。

 例えば「ローマ劫略」の魔法なら、見出しはサッコ・ディ・ローマ。登録番号は一五二七。数字を思い浮かべながらキーワードを唱えれば、杖が勝手に使用者の魔力を消費して魔法を放つ。

『って話なんだけどね』

 小学六年生の冬休みの宿題に追われていた年末のある日、母親のミサは姫里に教えてくれた。

『でもおばあちゃん、キーワードと番号の表を処分しちゃったんだよね』

 もしそうだとしたら、祖母は本気で魔女の血を絶とうとしていた、ということだろう。

 カジモドの秘めた歴史を、わずかでも復元できるかもしれない。眠り男がキーワードと番号を覚えているなら。

「もちろん、教えるよ」眠り男は、抜け目なかった「契約した後でね」

「わたしたち、約束を交わしてるんだよ?」

「魔女の味方になれるのは悪魔だけだっていったよね。きみはまだ、その点をわかってない。まぁかまわない。いずれわかってもらえる」

 眠り男の口調に自信がうかがえる。と、

「姫里!」眠り男が大声を出した。「タクシーきた、止めよう。すみませーん!」

 眠り男は歩道で飛び跳ねた。

「お金あるの?」

「あるわけないよ」眠り男は笑った。「でも、きみは持ってるじゃん」

 タクシーの後部座席に乗りこみ、姫里はしかたなく運転手に、行き先を告げた。

「古森町へ。とりあえず狐窪きつねくぼ交差点までいってください」


 姫里が真っ先にいったのは自宅である。

 ヤモリ女は市内にいるはず。

 ひとりで伊豆へいったりしない。姫里と眠り男の消息を確かめない限り、伯爵の前には出られないはずだ。

 ——ひょっとしたら。

 姫里の家にひそんでいる、かもしれない。姫里はそう思っていた。人狼と吸血鬼の侵入を拒む、星谷家の結界は強力だからだ。

 眠り男とともに、タクシーを降りて家に入った。無人のソファを見た時はがっかりした。

 冷凍庫を開けてみた。アイスは減っていない。

「姫里」

 眠り男が窓辺から外を見ている。

「車がきた」

 居間の窓に近づいて、外の様子をうかがった。黒塗りの車がある。

「いこう、眠り男。裏口があるから」

 家の北側に勝手口がある。靴を持ちに玄関へいこうとした時、リビングの電話が鳴った。姫里は一瞬の躊躇のあと、受話器を取った。

「もしもし」

「どうかしら。気に入った? 吸血鬼を全員、追い払ってやったわ」

 遠野香澄だ。声に聞き覚えがある。

「なんの用です?」

「眠り男を連れてらっしゃい」香澄は穏やかにいった。「あなたに手を出さない。あなたはお母さんと、この町で今まで通り暮らしていけばいい」

「信じられません」

「そうなの? なら死ぬしかないわよ?」

 姫里は電話を切った。玄関の靴を持って勝手口から、裏の道へ出る。眠り男をともなって、しばらくは走った。

 黒塗りの車は追ってこない。まだ姫里の家に張りついているのかもしれない。

 とにかくコンビニを探して、なかに飛びこんだ。香澄の一味がどんな連中でも、人間の目のあるところで無茶はしないだろう。

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