真相の一部

 アマテラスでの2日目は、予想通り何も起きなかった。おそらく今後も何も起きないだろう。やはりあの攻撃には『サクの情報を取りにこい』という意味しかないのだ。例のサイトを開いた。今度は別の部屋が赤く点滅している。契約時間が終わり、スマホを見ながらその場所へ向かった。


 前とは違う場所だが、あまり時間はかからなかった。色とりどりのケーブルが至るところを這っていて、その合間に腰くらいの高さの機器が列を作っている。藪こぎの気分で抜けて、ドアに向かった。


 灰色のペンキで塗られたドアの取っ手をつかんで、奥に向けて力を込める。ガタンという大きな手ごたえに続いて大きく開く。一歩踏み込むと天井の蛍光灯が点灯したが、中には誰もいなかった。狭いスペースに大量のコンピュータと、その間を埋めるパーツの山がひしめいていた。廃熱音の中央に椅子がある。そこから見えるモニターに何かの映像が停止していた。マウスを操作すると、それは再生された。


 白い壁を背に、一人の外国人の男性が映っている。年齢は50歳位だろうか。短く揃えた髪は真っ白で、皴が目立つ浅黒い肌とは対照的だ。そいつは英語で話し始めた。


「おはよう、 私の友人よ」


 一方的に見たことも無い奴の友達にされた。しかも今は夕方だ。


「君がこの動画を再生したのは、君が我々の技術を使用する資格があるからに他ならない。私はイライジャ・マアムーン。サク・キサラヅの事について話したい」


「なに……」


 思わず声が出たが、驚きは画面の向こうに届かない。


「自己紹介から始めよう。私は人工知能を扱うシャダイ・コンピューティングの技術者だ。セキュリティを専門としている。生まれはヨルダン・ハシミテ王国だが、その後アイルランド共和国ダブリンでプログラマをやっている。いや、やっていた。


 話の発端は、ルーグ・セキュリティという企業がシャダイへの共同研究開発を打診してきたことだ。コンピュータは果てしなく人間に近づき続け、ついに衣服や食事のように利用できる社会が来た。10年前は夢だったVRやIoTも、いたるところに見られるようになった。その時代に備え、新しい反撃型のセキュリティ製品、フェルディアという名前のソフトウェアを作ろうという話だ」


 そんなことは知ってるが、こいつの顔は見たことがないな……俺は背もたれに体重をあずけて独り言を聞き続けた。


「ところがフェルディアが実用工程に乗り出せる設計が見え、メンバーも徐々に増えてきたころ。サク・キサラヅは途中からその反撃ツールを攻撃ツールに作り変えていった。最後の設計では、フェルディアはセキュリティツールではなくハッキングツールになっていた。そのうえ彼は、我々が作ったモジュールを渡せと言い始めたのだ」


 新しい情報が出てきた。俺とハサウェイがアメリカに行っていたころの話だ。サクはあれだけやりたいと言っていたシャダイとの提携をやめて、フェルディアを持ち去ろうとした。なぜだ?


「ばかりか、彼はハッカー組織にその情報を流していた。『ナイアルラトホテップ』を名乗る反社会勢力だ。政治的思想を実現するため、ハッキング技術を用いて脅迫する犯罪者だ。我々の目的である平和な世界を作ることと真逆の行為だ。私たちは彼の暴挙を食い止めようとした。しかし、彼は……」


 男の言葉に、かすかな怒気が加わっていく。急に、ビデオの映像が引きになった。男の前には机があり、その上にはノートパソコンと拳銃が置かれていた。


「爆発物で我々の研究所を吹き飛ばし、複数の人間の命を奪ったのだ」


 動画を停止させた。シークバーをドラッグして、同じ部分を再生する。男は同じ言葉を繰り返した。そのまなざしは真剣な者だけが持つ色のまま、変わらなかった。英語を聞き取れていないのかと思い、次に比喩か皮肉なのかと考え直したが、言ったとおりの意味にしか取れない。再生をクリックした。


「私は自らの権利と命が、法律と世論によって守られるものと信じていた。しかし、それは真実では無かった。シャダイは政治的ハッカーハクティビストとの衝突を恐れ、その殺人は事故として扱われ、我々は切り捨てられた」


 穏やかな口調の中に、悲しみと怒りが混じっていく。男は銃把を取った。その撃鉄をあげ、コンピュータに銃口を向けた。


「その後も執拗に犯罪組織はダークウェブの情報を駆使して私を追ってくる。この高性能コンピュータワークステーションは、ダブリン研究所で使っていたものだ。この機器だけがフェルディアを動かせる。私はこれを持ってヨルダンへ飛んだ。そして今、この偉大な技術が悪漢の駒とならないよう、終焉を与えようと決意したわけだ」


 目を細める。男が話しながら引き金に手を掛けた。乾いた複数の音。机上のコンピュータは画面の外に吹っ飛んで消えた。ゴトゴトと弾む音がやむと、彼は銃を手にしたまま話を続けた。


「これで、フェルディアの完成は当面防ぐことができる。だが、サク・キサラヅはいずれこのツールを独力で作り上げてしまうだろう。そこで私はルーグが誇るもう1つの製品クー・フーリンに、独自のモジュールを追加した。フェルディアの攻撃を防ぐためだけに設計した、私イライジャ謹製のモジュールだ。英雄クー・フーリンが持つ槍という意味の『ゲイ・ボルグ』と名付けた。サク・キサラヅはこの部分を開発していないから、すぐに対策はできないはずだ」


 朴訥な風貌の男は話を続けた。


「君が私たちの考え方に共感してくれるならば、彼を食い止めてくれ。平和を……いや、そんな言葉は一介の技術者には大きすぎるな」


 彼が顔を上げた。


「話はここまでだ。ありがとう、我々の言葉を聞いてくれた者よ。私は私のゲイ・ボルグが君の役に立つよう、心から望んでいる。君が誰なのか、私にはわからない。知るすべも無い。賢明か愚鈍か、良識ある人間か悪意に満ちた人間か、若いか年老いているか、女か男か。ただ私は、君が来るべき時代、新しい時代を作る者であって欲しいと祈るだけだ」


 男は銃を握り直し、再び撃鉄を起こした。


「私の一生はあまりいい一生では無かった。できることなら裕福で、自分の功績を認められ、余生はこの故郷で家族と一緒に、本でも読みながら過ごしたかった。だが、それは見果てぬ夢だったようだ」


 男が、銃口を自分のこめかみへと持っていった。


「おい!」


 画面に飛びついてその縁を握りしめた。ぱっと画面に赤い液体が飛び散った。動画とはいえ、人が死ぬ瞬間を見たのは初めてだった。画面が暗転した。


「私からご静聴を感謝するわ」


 ゆっくりと後ろを見た。


「あんた……」

「こんにちは」


 あの女がいた。右手が真っ黒な髪を揺らす。奇妙に黒い瞳の気配が、殺風景な部屋に沈黙を満たした。車椅子の向きを変えた。


「私はイーマ・オハラ」


 仮面の後ろで唇が言葉を作り、それから女の目がわずかに動く。微笑んだのだろうか。しかしその異様な容貌にも関わらず、なぜか嫌悪感は感じなかった。


「どうして俺をここに?」

「一つはそれを見せるため。もう一つはそれを理解してもらうため。最後の一つは、そのあとで話すわ」


「じゃあどうして俺を選んだ」

「どうしてもなにも、これは必然よ。あなたは、わたしに会って、わたしの言うことを聞くことになっているの。イライジャ氏が説明していた爆発事件の時。わたしは全身を負傷したけれど生き残った。そしてその動画を持って日本へ逃げたのよ。退院後、わたしはアマテラスの障碍者雇用枠で入社して、仕事をしながらこの秘密を託す相手を待っていたの」


 女の何もかも知っているという目つきといい、口の利き方といい、息のつまりそうなこの部屋といい、不愉快なことだらけだ。それでもなぜか逃げだそうという気にならなかった。この女の片方しかない目が、俺に視線を動かすことを許さなかった。


「サクがフェルディアの技術をテロ組織……ナイアルラトホテップに渡したってことらしいがな。そんなことを俺に信じろってのか」


「イライジャ氏は一つだけ間違っているわ。ナイアルラトホテップなんてハッカー集団はいない。フェルディアに関する一連の事件は木更津朔、個人の犯罪。彼だけが黒の帽子を取ったのよ」


「サクのことは良く知ってる。言わせてもらうがな、奴はただの技術屋さ。そんな話をたくらむ奴じゃねえよ」


 イーマが視線を外す。銀色の仮面が光を反射させた。


「彼は今、東京に攻撃を仕掛けようとしているわ。大規模な攻撃を。個人による、初の天災級の犯罪が起きるかもしれないわ」


 下を向いて、逆立った赤毛を握る。腹を動かして、くくくくっ、と出したことのない笑い声を出した。


「信じられないのね?」

「当たり前じゃねえか。でたらめもそこまで言えれば立派だよ。あんたな。冗談にしてももう少し遠慮しろよ」


「あなたを騙しても私には利益がない。事実を言えば利益がある。あなたはサクを探しているんでしょう。私は情報を持っているわ」


 俺の嘲笑は女にはまるで届いていないようだ。こちらのふてぶてしい姿勢にも彼女は動じていない。


「あんた、俺の何を当てにしてる?」

「お金よ。アマテラスへ入ったまでは良かったけれど、保護を受けての生活ではこの複雑な義手や義足を維持するだけのお金が作れない。わたしは生きるためにお金をもらう。あなたはサクに会うためにお金を払う」


「俺は一文無しだ」

「わたしが仕掛けたアマテラスへの攻撃対策で、あなたはいくらもらうことになっている?」


 この事件は、やっぱりこいつのせいか。


「一応言っとくがな、あんた犯罪者だぞ」


 乾いた笑いを混ぜながら、女を指さして言った。


「そうでしょうね。法に従って訴えられたらわたしは負けるわ。でも、より大きな災害が目の前にある。あなたは法律よりもそれを食い止める方を選ぶわ」


 女が息をついた。かすれた喘鳴のような呼吸が、絶え間なく動くファンの音に溶けた。


「いいか」


 俺は椅子に座りなおし、女に視線の高さをそろえて皮肉な笑みを浮かべた。


「あんたなんかにわかるわけがねえんだよ」


 サクの顔を思い浮かべた。俺はあいつとは違う。生まれた世界も、見てきたものも違う。それでも出会ってから、奴と一緒に、奴の目指すものを見ようとしてきた。奴も同じだった。俺とサクは自分の中にあると信じた軸を確かに共有していたのだ。それをこんな奴に言いくるめられてたまるか。心の底でそう叫んだ。


 ただ、それでも。


 それでもこの女が、俺の知らないことを知っているのは間違いない。


「信用できないなら利益だけを考えればいいわ。あなたにとって、悪い話ではないはずよ。サクに会いたいんでしょう。あなたはルーグを辞めてから過ごした時間を、なんのために使っていたの?」


 奥歯をきしらせながら答えを考えた。俺が今必死になっているたった1つの事に、こいつだけが関わっている。ラクシュもハサウェイも捨てろと言った問いの答えが。


 もう、こいつしかいないのだ。


「あんたの義手と義足、どこならメンテできるんだ」

「さあ? これから調べるわよ。あなたのお金を使って」


 くそ、と吐き捨ててiPhoneを取り出した。


「おい、ヤブ」

「なにが起こったというんだい、愛しき僕のショウ君?」


「義足と義手の美女がいる。すぐ来い」

「ヒャッホーイ!」

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