そして僕は目覚める

 ディスプレイの前でミス・ウィットフォードが先日読んだという地球の本のことを楽しげに話している。僕はこうやって彼女の話を聞いている時間が何よりも好きだった。


 彼女は僕の『文通』相手だ。僕らの宇宙船は、冷凍睡眠を使って何十年も眠っては少しの間だけ起きるというサイクルを繰り返し、何十光年という宇宙空間を気の遠くなるような時間を掛けてのろのろと進む。

 そして、僕らの船から遙か離れた彼女の移民船でも冷凍睡眠の実験が行われていて、彼女もちょうど僕らと似たようなサイクルで眠ったり目覚めたりを繰り返している。

 そして僕らは冷凍睡眠から目覚める度にお互いの『手紙』が届くようになっているのだ。


 ミス・ウィットフォードは地球文化に憧れる十代半ばの女の子だ。と言っても僕らに生まれてからの実年数というのは最早意味をなさないので肉体的にそのくらいという意味でしかないのだが、とにかく僕と同年代の女の子だ。

 そして、銀色の髪と灰色の目を持つ彼女は一目ではっとするほどの美少女で、どこか儚げでありながら知的で好奇心豊かに目を輝かせる彼女は、初めて手紙――光通信で送られるビデオレター――が届いたその日から僕の興味を鷲づかみにした。


 僕は地球生まれではあったが地球文化に詳しいかというとそうでもなかった。というよりも――恥ずかしい限りではあるが――地球文化に興味を持ったのはミス・ウィットフォードの影響だ。

 ただ、彼女は地球の古い恋愛文学にたいそうご執心だったのに対して、僕はどちらかというと冒険小説の方が好みだった。

 いや、もっとはっきり言おう。彼女が少女向けの恋愛小説つまり主人公の少女が複数の男性と恋を繰り広げるストーリーを楽しそうに話す度に、僕は彼女が自らの移民船でどういう生活をしているのか気が気でなかった。

 もちろん、そんなみっともない内心は気づかれないよう細心の注意を払っていたのだが、心許ない。


 僕らの船は少しずつ彼女達の船に近づいている。元より百年以上も掛けて彼女達の船に追いつく計画なのだ。

 ああ、彼女と直接会える日が来たら何を話そう。というよりも、僕は彼女を前にしてちゃんと話せるのだろうか。それはそれで自信がない。


「ライルさん……」


 ふと、どこか遠くから僕のことを呼ぶ声が聞こえた。

 ミス・ウィットフォードの柔らかい声ではない。少しだけ高くて、少しだけ舌足らずな感じのする声だ。そしてそれは聞き慣れた声だった。

 誰の声だっただろうか……。


 ざざ……


 視覚と聴覚の全てが乱れる。

 ああ、そうか。なんだ。

 これは、夢だったんだ。

 瞼と身体がひどく重い。

 いつもそうだ、冷凍睡眠から目覚めるときというのは。


「ライルさん……ご気分はどうですか……」


 僕は重い瞼を無理矢理こじ開けようとして、そして僅かに開いたまぶたの間から飛び込む白い光に顔をしかめる。僕の目が明るさに慣れるまでそれから三分くらいは掛かったのではないかと思う。

 ようやく明るさに慣れてきたあたりで僕は目を細めつつ周囲に視線をやった。自分の身体が半透明のポッドの中に寝かされているのが分かる。

 そして、ああ、なんてことだろう、僕は冷凍睡眠に入る前のことを色々と思い出してきた。僕の主観時間ではついさっきの、つまり、あの忌まわしい事故のことなどを。


「……リザ」


 僕はポッドの外側にいるであろう存在に対して、肺から絞り出すように小さく呼びかけた。

 R・エリザベス、通称リザ。この宇宙船エオースの管理システムであり、僕の……僕らの仲間だ。


「ライルさん、バイタルは安定しているですが、おかしなとこはないですか?」


 この童女のような舌足らずな声がリザだ。

 なんというか、機械にしては随分とあざとい声と、それから口調なのだが、これはベイカー船長の純粋に個人的な趣味による。あの実に有能な船長は最後の最後まで変人だった。

 僕はゆっくりと手を握ったり開いたりしながら、彼女の言葉を脳内で繰り返す。

 冷凍睡眠から起きるときに特に不具合が発生しやすいのは神経系だ。現代の冷凍睡眠技術は十分の成熟したものとはいえ、それでも使用の度に多かれ少なかれ人体にダメージを与える。

 そんなことを思い出しながら念入りに確認するが、とりあえず手足にしびれなどは無い。ポッドの中で身体を小さく動かしてみても、筋肉がこわばってやや動きがぎこちない程度で支障はないようだ。


「……問題無い……と思う」


 何か気の利いた冗談でも言ってみようかと思ったが、せっかく待っていてくれたリザをからかうのも悪いのでやめておく。まあ僕自身があまり冗談が上手い方ではないというのもある。

 口の中がべたついて酷い有様だったが、それ以外は特に問題無いように思われる。

 僕がそう言うと、ポッドの外で少しほっとしたような気配がした気がした。もちろん、人工知能であるリザがそんな気配をしたりはしないはずではあったが、それでもそんな気がしたのだ。


「良かったのです」

「……大丈夫だよ、リザ。ポッドを開けてくれる?」


 僕はそう言うと、ぷしゅんと小さく空気の抜ける音を立ててポッドがゆっくりと開いた。

 ポッドから這い出すとそこは無味乾燥で真っ白な小部屋だ。肌にぴったりとフィットする白いインナーウェアが用意されていたのでそれ着込むと、僕はようやく一息つく。

 すると、ポッドのそばにいた小さな人影が、僕の方にストローの付いたボトルを差し出してくれた。


「ありがとう、リザ」

「どういたしましてなのです」


 身長一三〇センチほどの小さな、一見するとまだ幼いと言ってもいい女の子がそこにいる。見た目はごく普通の可愛らしい幼女に見えるそれは、実際には金属製の骨格と樹脂製の人工筋肉で作られた人ならざるモノだ。ふわりと緩やかに波打つ金色の髪はセルロースを基にした人工繊維でできている。

 宇宙船エオースの管理システムであるリザは様々な対人インターフェースを持つ。それは原始的なカメラであったりスピーカーであったりもしたが、その一つとしてこの遠隔操作型ヒューマノイドボディも存在していた。

 このようなボディはミッション上どうしても必要というものではなかったが、乗員の緊張感を緩和することを目的として用意されているのだ。

 ちなみに外見に関しては完全に船長の趣味である。


 僕はリザから受け取ったドリンクを一口飲むと、首の筋肉をほぐしつつリザに訊ねる。


「状況を説明してくれる?」

「はいです」


 状況は深刻であったが、僕が冷凍睡眠に入っていた五十年以上の間に、リザは恐ろしく困難なミッションを見事にやり遂げていた。


 このエオースは外宇宙調査を目的とした中型の宇宙船だ。

 本来の予定では、途中でスペースコロニーを内蔵したアストリアという大型の移民船を経由し、更にその先の宙域を調査することになっている。

 問題が発生したのは今から五十年ほど前になる。サブのロケットエンジンが爆発事故を起こし、その影響で船内の生命維持システムに致命的な損傷を受けたのだ。それにより船内は乗員全滅寸前というべき状態まで追い込まれた。

 僕が生存出来たのは、他の仲間達の自己犠牲というべき対応と、そして多大な奇跡であったと言っても良いだろう。

 リザによって何とか応急的に復旧された冷凍睡眠ポッドに入るとき、僕はもうこれで二度と目覚めないのだと覚悟した。事故によるダメージはいつ船体がバラバラになってもおかしくないほどのものだった。

 だが、それからリザは執念に近い勤勉さで船を修理し、軌道を修正し、ボロボロのロケットエンジンをかき集めて光速の数パーセントという気の遠くなるような減速を行い、移民船アストリアとのランデブーに成功していたのだ。五十年以上の時間を掛けて。


 僕はリザの方にちらりと視線を投げかける。彼女の作り物の瞳がこちらを見つめている。

 こういうときに彼女のマスターであったベイカー船長はどう言ったのだったか。僕は首をひねって何とか彼女のための褒め言葉を思い出す。


「素晴らしいよ、リザ。君こそ我々の女神だ」

「……ありがとうございますです」


 彼女は俯きながら小さな声でそう言った。

 リザはプログラムによって動く機械ではある。彼女はあくまでロボット工学の第一原則に従って『僕を傷つけない』ために死者を悼むような態度を取っているに過ぎない。少なくともロボット工学的観点からはそう説明される。

 だが僕はそれでもリザが失った船長達のことを思い出して感傷を抱いているのだと信じたかった。

 最早この船がミッションを継続することが可能かどうか、僕には分からない。アストリアの協力を受けて船を修理出来たとしても、三十人もいた乗員は今や最年少の僕一人になってしまった。


「まあ僕だけでもアストリアの人達に挨拶しようか」

「それなのですがライルさん、良くない知らせがあるのです」

「……リザ、そういうときは良い知らせから言っちゃう前に『良い知らせと、良くない知らせがある』って言うんじゃないかな」

「それを船長に言うと、どうせ毎回良い知らせからしか聞かないのです」


 ああ、そうだった。「悪い知らせは後回しだ」がベイカー船長の口癖だった。冗談めかしてそう言う船長のことをリザは懐かしんでいるのだろうか。いやもちろんそんなはずはないのだが、そうであって欲しいとは思う。


「そうだったね。それで、良くない知らせってのは何?」

「ライルさん、落ち着いて聞くのです」


 リザが真っ直ぐにこちらを見据える。彼女の目は真剣なものだった。

 彼女はもちろんいつだって――冗談めかして言うときですら――真剣そのものであるはずだが、わざわざこんな目をするのはそうしなければ僕の気分を害したり僕を傷つけたりするような話であることを意味する。

 僕は頷いてリザに続きを促した。


「現在停泊中のコロニー内蔵型移民船アストリアには、既に生きた本物の人間は一人もおらずロボットだけを残し全滅しているのです」

「……?」


 僕がリザの言葉を理解するのには結構な時間を要した。その間もちろんリザは辛抱強く僕を待ってくれたが、そのことは何の慰めにもならない。

 全滅した?

 彼女は全滅したと言ったのか?

 何万人もの人口を擁する都市を丸ごと詰め込んだ巨大な移民船が?

 ……一人残らず?


「……ごめん、聞き間違ったかもしれない。もう一度言って……?」

「アストリアに居住していた人間は全滅して既に一人もいないのです。ここにいるのは――」


 リザはそこで僕の理解を待つように一呼吸置いてから、そして続けた。


「――ロボットだけなのです」

「……そんなバカなこと……」

「アストリアの管理システム『アイラ』によると、最初に起こったのはエンジン事故だったようなのです――」


 アストリアで最初の事故が起こったのが一五七年前。事故を起こしたのはエオースで爆発したものと同型のロケットエンジンだ。

 この地球で設計された量産型のロケットエンジンはとんでもない欠陥品で、エオースやアストリア以外でも複数の事故を起こしているらしく、地球からも近年ようやく使用している全ての船に対して現地で実行可能な改修プランが提示されている。

 もっともそれはエオースにとってもアストリアにとっても決定的な事象が発生した後の、完全に遅きに失した対応だった。


 だがそれだけでこれほどの大規模な移民船が全滅したというわけではない。

 その後政治的な混乱が起き、あろうことか船内で内戦が発生してしまったのだ。

 そして、彼らは愚かにも宇宙船という脆弱なプラットフォームに重大なダメージを与え、しかもその深刻さに気づいても争いを止めなかった。その結果がこれだ。


 破滅の後もアストリアの管理システム『アイラ』は、僕らのリザがそうしたように、懸命に復旧作業を行った。船殻を修復し、環境システムを復旧させ、可能な限り船内を清浄な空気で満たそうとした。

 だが数十年掛けて彼女が全てをやり遂げたときには、最早それを享受する人間は一人も残されていなかったのだ。


「それは、つまり、その……」


 僕はリザの述べたことから一つの深刻な事実を自明に類推していた。してしまっていた。

 そしてもちろん、それは僕の想像した通りなのだろう。

 リザは言葉にする勇気が出るまで僕を待ってくれている。たっぷり時間を掛けて迷った後、僕は全身で大きく息を吐き出して、そしてその口にしたくなかった言葉を続けた。


「……ミス・ウィットフォードも、死んでしまったということだね……?」

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