第20話 対立

 自宅にたどり着くと僕は自分の日記を漁った。事件が起こったのは二年前の六月二二日。その日、もしくはそれ以前の記憶を呼び戻し、何かしら、先生と関わったことをキャンセルすれば彼女が死んでしまった過去を書き換えることが出来るかもしれない。


「これならどうだ……」


 日記を見て思い出した。僕は事件の日、先生に相談しておきたいことがあったが、結局別の用事があってそちらを優先してしまっている。その用事をキャンセルしてしまえばみぞれの死の運命も変わるかもしれない。


 その時、二階に上ってくる足音が聞こえてきた。部屋の扉がノックされ顔を出したのは予想通り母さんだった。


「ハジメ、あなたにお客さんよ」


 しかしその用事は僕の予想外のものだった。なんだか嫌な予感がする。


「え……お客さんって誰……?」


「あなたのクラスメイトだって言ってたわ。随分かわいい子だったけど」


 間違いない。優奈が僕を追ってきたのだ。僕のキャンセルを阻止するために。


 それにしてもなぜ彼女は僕の家を知っている。そうか、そういえば以前彼女は僕のことを監視していたとか言っていた。その時に知ったのだろう。


「志堵瀬くーん! いるんでしょ!?」


 意外にもすぐ近くで優奈の声がした。玄関先で待たせているんじゃないのか。


「え……ちょっとあなた、勝手にあがってくるなんて」


 母さんが部屋を出て廊下の先を見て答えた。どうやら勝手に家にあがり階段を上ってきたらしい。


「すいません、どうしても彼と今すぐ話さなきゃならないんです!」


「ちょ、ちょっと!」


 母さんを押しのけて、部屋のドアから優奈が姿を現した。


「はぁ、はぁ、はぁ……志堵瀬くん。何で私のいうことが聞けないの」


「もう遅いよ」


 もうすでにキャンセルする内容は決まっている。これでさらに世界は大きく変わってしまうかもしれない。でも、もはやそんなことは彼女が生きているか死んでいるかに比べれば些細な問題だ。


「ま、待ってってば!」


 次の瞬間彼女が僕に手を伸ばしてきた。


「キャンセル!」


 僕がそう叫んだ瞬間、僕は自分の部屋で見た事もない小説を読んでいた。目の前からは母さんの姿も優奈の姿もない。静かなものだった。


 首に手を回すとマフラーは消えていた。これでもしかして彼女は復活したということだろうか? いや、分からない。彼女は今も死んだままで僕があの倉庫に行った事実がなくなっているだけかもしれない。


 一体何が変わって、何が変わっていないのか。どうやって確かめればいい。


 僕はとりあえず携帯に目を通してみた。だが、みぞれとのやりとりもなければ連絡先すら登録されていなかった。駄目なのか。いや、復活しているが連絡先は交換していないという可能性は十分にあり得る話だ。僕は盗撮していなければ彼女との接点なんてなかったのだから。


「……そうだ、誰かクラスメイトに聞けばいいんだ」


 もし同じクラスに現在彼女が通っているのならば当然そのことを他のクラスメイトは知っているはずだ。


 僕はさっそく田中に電話してみることにした。しかし、その瞬間に気付いた。田中は今僕のクラスメイトなのだろうか。まぁ、電話帳に入っている時点でその可能性は高そうだ。


『おう、どうした?』


 そして田中との電話でみぞれの生存が確認された。


「よし……!」


 生きている。彼女は生き返ったのだ。気付けば僕は左拳を握り締めガッツポーズをしていた。


 それで、生きていることは確認できたが、どうする。正直今すぐにでも彼女に会いに行きたいところだが。


「でもなぁ……」


 連絡先も知らないクラスメイトがいきなり家に押し掛けてくるなんて、相手からしたらワケが分からないだろう。そうだ、僕と彼女はこの世界では大した関わりなんてたぶんないのだ。関係を始めるとしたら、またゼロから始めなくてはならない。


「仕方がない……明日からまた始めよう」




 次の日の朝、みぞれが学校にやってきた。彼女が生き返るのはこれで二回目になるのか。なかなか稀有な人生を送っている人だ。本人にその自覚はないだろうが。


 僕は彼女にずっと目を向けていたせいか、彼女もまたこちらに目を向けてきた。しかし以前とは目つきが違ってしまっていた。なんだかつまらないゴミでも見るような目で僕を見ている。やはり僕と過ごした記憶を全て失ってしまっているようだ。


 でも、またここから始めればいい。何かしらの弱みを見せればきっと彼女はそこに食いついてくるはずなのだから。


「志堵瀬君」


「……!」


 その時僕は声を掛けられた。振り向くと机の横に優奈が立っていた。どうやら今登校してきたらしい。なんだか目を赤くしている。その理由はなんとなく想像がついた。


「……今からちょっと顔貸してくれないかな」


「今からって……もうすぐホームルーム始まるけど」


「そんなこと、関係ある?」


「……」


 僕達は二人教室を出ていつもの体育館裏まで移動した。


 踵を返した優奈は眉をひそめ歯を食いしばって僕を睨みつけた。


「なんてことしてくれたの! またお兄ちゃんが死んじゃったじゃない!」


「そ、そうなんだ……」


 彼女は涙を流し始めた。手の甲でそれを拭いている。まぁあの赤い目からしてその予想はついていたが。


「そうなんだって、他人事な!」


「……ごめん」


 もはや謝るほかなかった。別に僕は彼女の兄を死なせたいわけではなかったのだが。ただみぞれを助けたかっただけだ。彼女もこんな気持ちで兄を復活させたのかもしれない。


 それにしても二回も過去を変えたのにそんな結果になるなんて。これがただの事故ならこんな事にはきっとならないだろう。きっとこうなってしまったのは死因が殺人だからだ。やはり誰かが誰かを殺そうとする時、誰かしらが犠牲になってしまうまで事はなかなか終わらないのかもしれない。当たり前だが、宮野先生も誰かを殺すまでは捕まる理由がないのだから。


 もし過去に戻って宮野先生を止めにいけるようなことが出来れば二人とも助けられるのかもしれないが……これがキャンセルの能力の限界なのか。


「でも……これが元々の運命じゃないか」


 そうだ。先にキャンセルしたのは優奈のほうだ。今の状態は元に戻った状態だといえる。


「元々の運命? そんなこと言ったら、志堵瀬くんだって自分の運命捻じ曲げてここにいるんでしょ? 蒼井さんを殺したくせに!」


 僕はその言葉に口ごもった。確かにそうだ。そう言われると反論しようがなかった。


「……とにかく、一度キャンセルしたことはキャンセル出来ないんだ。もう僕にはどうしようもないよ。授業始まっちゃってる。行かなきゃ」


 僕は踵を返し教室に向かって歩き出した。


「……キャンセル」


 その時、僕の後ろからそんな声がぼそりと聞こえた。


「え……?」


 その瞬間、僕は教室に瞬間的に移動していた。また優奈にキャンセルされてしまったのか。席を立ち、周りを見渡す。


 よかった……。席は変わっていたが、教室の隅にみぞれの姿があった。彼女は今回のキャンセルで死ぬことはなかったようだ。


 それにしても、クラスの半分ほどが別の人物に入れ替わってしまっている。どんどん変化の具合が強くなってきている。


「……何をしている志都瀬、今は授業中だぞー」


 みぞれの確認は終わった。もう一人気になる人物がいる。僕はそんな先生の言葉を無視して優奈の姿を探した。


 窓際に優奈の姿があった。堂々と自分の携帯を机の上に出し弄っているようだった。僕は彼女の元に向かっていった。


「倉木さん」


 僕が話しかけてみても彼女は自身の携帯から目を離さない。


「駄目……! お兄ちゃんとの連絡がない!」


 駄目だったのか。みぞれが生き残っている時点でその可能性は高いとは思ったが。


「またやらなきゃ! キャンセルしなきゃ!」


「ま、待てよ!」


 僕はとっさに彼女の胸倉を掴んで持ち上げた。しかしこんな事をしたって彼女が止まるわけがなかったのだ。彼女は冷たく暗い目をして僕を見つめながら言った。


「……キャンセル」




「はッ……!」


 気づくと、僕はまた椅子に座っていた。しかし、座っている位置が違う。自分の席が替わってしまっている。


 辺りを見回す。みぞれの姿が見当たらない。それだけじゃない。優奈の姿さえも見当たらなかった。教室にいる過半数が入れ替わってしまっている。


 みぞれはどうなってしまった。まさかまた死んでしまった? いや、しかし、これだけクラスのメンバーが入れ替わってしまっているのだ。彼女も別のクラスに飛ばされてしまっただけという可能性は高いはず。


 優奈はどこだ、一体何をキャンセルした? いや、そんなことはどうでもいい。とにかく確認しなくてはならないのはみぞれの安否だ。


 僕は自分の携帯から連絡先を探した。とりあえず自分の携帯には連絡先が入っていない。まぁ、これにはあまり期待していなかった。


 僕は席を立ち、教室を出た。


「お、おいちょっと、どうしたぁ?」


 授業中だが関係ない。僕は各教室を回ってみぞれの姿を探した。


 しかし移動教室のクラスも全部見て回ったが、彼女の姿は結局見かけることは出来なかった。


「くそ……」


 とりあえず見つからなかったが、まだ可能性は残されている。偶然見つけられなかったのかもしれないし、今日は偶然休みだったのかもしれない。僕は学校から出ると彼女の家に向かった。生きているかどうかは彼女の親に聞いてみればはっきりするはずだ。


 何度か目にした彼女のこぢんまりとした家。その家を前にして僕はあることに気付いた。


「よく考えてみれば今の時間誰もいない可能性もあるのか……」


 彼女の親がいつ働いているかなんて知らない。しかしそんなこと考えていても仕方が無い。僕は門を開け、息を呑みながらチャイムを押した。


「はーい?」


 すると、インターホンから女性の声が聞こえた。みぞれの声ではない。おそらく彼女の母ではないだろうか。


「えっと……僕はみぞれさんの友達なんですけど……」


「みぞれの友達……ですか?」


「え、えぇ……昔からの友達なんです。今彼女は学校ですか?」


 少しの間沈黙が訪れた。今は平日の昼間だし、そんな時間に友達が尋ねてくるなんて色々とおかしなことだったかもしれない。


「そうなの……残念だけど、みぞれはもう二年前に亡くなってしまったのよ」


 僕はその言葉を聞き、時間の感覚が急激に遅くなったように感じられた。


「そんな……」


 またみぞれが死んでしまった。先ほどから優奈によるキャンセルが起こらなかったのはそれと同時に兄が生き返ったせいということか。


「えっと、よかったら線香でもあげていく……?」


「線香を……?」


 僕は一瞬迷ったが、


「い、いえ……いいです。彼女はまだ死んでないですから」


「え……?」


 それを断りその場から立ち去ることにした。線香なんて上げてしまえば、もう彼女は一生帰ってこない気がしたからだ。彼女が死んだなんて認めるわけにはいかない。僕が存在する限り、彼女の死は確定じゃない。チャンスはまだ残されているはずだ。


「やっぱりここに来てたの……」


「……!」


 その時後方からボソリと呟く声が聞こえた。ふり向くと、後ろには優奈が立っていた。


「倉木さん……」


 彼女は僕とは違う制服を着ていた。たしかこのセーラー服は中崎駅の近くにある女子高の制服だったはず。彼女はまさかキャンセルによって自分の通う学校まで変えてしまったということなのか。


「お兄ちゃんは復活したみたい。私、お兄ちゃんとメールしてる」


「よ、よくもみぞれさんを……!」


 彼女の兄が生きていてよかったとかそんな感情はもはやまったく浮かばなかった。僕は彼女の元に迫った。しかし彼女も負けじと顔を向けてきた。


「それはこっちの台詞よ! よくもお兄ちゃんを消してくれたわね! あんな女に執着しちゃってさぁ、キモいのよ!」


「……まだ終わりじゃない」


 僕は彼女から離れ、バス亭に向かって歩き出した。


「ま、まだキャンセルするつもりなの? もう本当にやめて! これ以上キャンセルしていったら、そんなの私の人生じゃなくなっちゃう! 誰も知り合いがいなくなっちゃう!」


「知るか!」


「待ってってば!」


 彼女は僕の腕をつかんで引き留めようとした。


「そっちが先にやめろ!」


 僕は彼女の手を振りほどき、その肩をドンと押した。


「キャッ!」


 すると彼女はその場に倒れてしまった。


「つぅ……」


 僕は倒れた彼女をその場に放置してその場から走り去った。




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