ファスランとヘンデル

44*もうあの時とは違う




 帝都ガンディンベルク。国務庁特殊研究所。


 定時を過ぎてからすでに数時間が経過していたが、研究所内は作業を続ける研究員達で慌ただしかった。そんな中、ファスランとヘンデルはまるでコソ泥のように忍足で白い廊下を歩いていた。事実、コソ泥のようなことをしようとしているのだが。


「おいファス、マジでやめようぜ」


 ヘンデルが小声で言った。


「ダメだよ。この世界の命運がかかってるかもしれない、そんな疑問を僕は放ってはおけない」


「絶対考え過ぎだって」


 エレベーターに乗り、地下37階で降りる。地下37階フロアは上階とは違い、静まり返っていた。静か過ぎて、足音が響いてしまう。ヘンデルは足音を立てないように背を丸め、爪先立ちになって進んだ。


「ヘンデル、傍から見ると物凄く怪しいよ」


「うるせぇ! お前に言われたくねぇよ」


「あ、ここだ」


 ファスランが指差したのは、『副所長室』と書かれた銀のプレートが掲げてある部屋の前だった。


「国務庁所属の官僚研究員、ここで言うと所長と副所長だ。彼らのPCからなら、ラオム・アルプトのデータベースへアクセス出来る」


「だからって無断で進入するのはマズいぜ。監視カメラにバッチリ見られてるしぜってぇバレるし!」


「大丈夫、監視カメラの映像は他のに切り替えておいたから」


「準備がよろしいことで。お前、今度飲み代奢れよ」


「世界の危険が取り除かれたらね。さぁ、頼むよヘンデル」


「ちっ!」


 ヘンデルは、ポケットからスマホを取り出すと、ドアの横の壁に埋め込まれている虹彩認証システムのパネルにスマホをかざした。すると、パネルの照明が赤から緑に変わった。ロックが解除されたのだ。


「やっばりすごいね、ヘンデル。ここのセキュリティは世界でもトップクラスなんだよ。それをいとも簡単に。君は研究員より怪盗の方が向いてるんじゃないかい?」


「世界でもトップクラスの監視カメラの映像を切り替えちゃう奴に言われたくねぇ」


 ドアが自動で開くと、ファスランとヘンデルは素早く部屋の中へ身を滑りこませた。


 中は真っ暗だった。


 ファスランとヘンデルは暗視眼鏡をかけて視界を確保する。副所長室は、ファスランの研究室よりも広いスペースに、高級そうなソファーの応接セットと、同じく高級そうなデスクが置いてあるだけだった。そのデスクの上には、PCが置かれてある。


 ファスランとヘンデルは忍足でデスクに向かい、PCを起動させた。デスクの上に空中ディスプレイが浮かび上がる。ディスプレイには、ログインの為のパスワード入力が要求されている。


「さぁ、君の出番だよ」


「お前なぁ、そんなUNOの順番みたいに軽々しく言うなよ」


 文句を言いつつ、ヘンデルはデスクの上のタッチパネルに触れる。常に寝ぼけ眼のようなチャラチャラした瞳が、鋭い光を見せた。そして次の瞬間、突然、若い女性の声が真っ暗な副所長室に響いた。


「問題。次の3つの選択肢のうち、お前達に課せられる罰は何でしょう? 1、極刑。2、極刑。3、極刑。3秒以内に答えよ。はい、いぃち——」


「だぁぁぁぁ! 俺のイケメンぶりに免じて無罪! 4番! 4番! 4番!」


「バカなの?」


 副所長室が一気に明るくなり、入り口のドアの横に1人の女性が姿を現した。


 白い肌にアイシャドウを塗りたくったパンダの様な目元、黒リップを塗った真っ黒な唇。前髪を眉毛で揃え、ツインテールにしている黒髪の上には真っ黒なリボンのヘッドドレスが乗せられている。白衣を着ているが、その下には黒いひらひらのついたゴシック・ドレスを身にまとっている。彫刻の様な首元や、触れたら折れてしまいそうな手首、雪に包まれた細い枝のような指にはジャスティン・デイビスのアクセサリーが怪しい光を放っている。


「なんだ、アンナかよ。ビビらせんなって」


 そう言って、ヘンデルはエンターキーを小指で押そうとしたその時——


「その小指動かしたら去勢」


 その言葉を聞いた瞬間、ヘンデルの右手小指に激痛が走った。


「いてててて、小指つった小指つった! いててて!」


 小指を握って苦しむヘンデルをよそに、ファスランはデスクの前に出た。


「アンナ、頼みがあるんだ」


「無理」


 アンナは即答した。


「あなた達が今している行為は、とっくに極刑に値する行為なの。これ以上罪を重ねてもそれ以上の苦痛は得られないわよ?」


「いたたたたた。おいアンナ、俺たち同級生のよしみじゃないか! 見逃してくれよぉ!」


 ヘンデルは小指を立てた右腕を頭の上に掲げて言った。


「アンナ、僕はエリア69が崩壊した日の大気エーテル観測で、未知のエーテル波形を観測したんだ」


「で?」


「そのエーテルが、ラオム・アルプトのエーテルである可能性がある。だとしたら、これは世界の危機だ。君の持つ権限で照合させて欲しい」


「そんなの無理に決まってるでしょ。RA案件は最高レベルの国家機密として管理されてるの。私でも自由に触れられるものじゃない。それなりの手続きを踏んでから私の所に持ってくること。でなきゃ無理」


「ちゃんとした手続きなんて踏めっこない。エリア69を破壊したのがコダマ達だと断言したのは軍備部だよ? それがラオム・アルプトの仕業だって分かったらどうなる? 軍備部は全力でその事実を踏み潰すだろう。僕が規定通り報告書を出しところで絶対に君のところまで回って来ない。国務庁に渡る事もないだろう。途中で軍備部の耳に入り踏み潰されるさ。分かっているだろう、アンナ。君なら分かってくれる」


 ファスランは、ポケットにしまっておいた小型記憶媒体を取り出して見せた。


「バカなの?」


 アンナは、黒いマニキュアが塗ってある細い指でファスランが持つマイクロチップを奪い取った。


「私は今、管理する側にいるの。もうあの時とは違う。楽しかった大学生の時とはね。そこのチャラ男が言う通り、今回は同級生のよしみで見逃してあげるわ。帰って」


「アンナ……」


 ファスランが手を差し伸ばそうとすると、アンナは厳しい眼差しで睨んだ。ファスランは、その手を引っ込めた。しかし、ファスランは諦めきれなかった。


 アンナは分かってくれる。


 そして、もう一度声を発しようとした瞬間、アンナのスマホが着信を告げた。着信メロディは、なんだかよく分からない男性の叫び声と激しいビートだった。


「出て行って」


 アンナはファスランとヘンデルを睨み、スマホを取り出して着信に応じる。


 行こうぜ、という風にヘンデルはファスランの肩を叩いてドアの方に向かった。


「……え?」


 アンナの少し戸惑った声に、ファスランとヘンデルは振り返った。


「分かりました、すぐ向かいます」


 通話が終了する。


「早く自分の研究室に帰った方がいいわよ。モヒカンが戦死した」


「え……?」

「は……? モヒカンって、軍備部総司令官のゴリラのことか?」


「えぇ。やったのはコダマ。ゴルバスとボンの街を壊滅させて逃亡中」


「そんな……。アンナ、ボンの街へ行かせてくれないか? 調べたい事があるんだ!」


「は? 許可できるわけない。あなた達全員コダマの消息をつかむ為にモニターに張り付けにされるわよ。さぁ、早く自分の研究室に戻りなさい」


「ちょ、ちょ、ちょっと!」


 アンナはファスランとヘンデルの背中を押して、部屋の外へ追い出した。


「これ以上バカな事は考えないように」


 さもなければ地獄に落とすわよ、というようにアンナは立てた親指を真下に向けた。そして、副所長室のドアは閉まった。



 ヘンデルはパーマのかかった頭を掻いた。


「ファスさ、もうこの辺で——」


「ヘンデル、僕はボンに行く。だから、暫くの間僕の研究室を頼む。この借りは必ず返すから、ありがとう」


「おい、ちょっと待て、俺はまだオッケーって言ってねぇ——おいおいおい!」


 ファスランはヘンデルが話すのも聞かずに走り出した。ヘンデルは、その場でへたり込み、冷たい廊下の上で四つん這いになった。


「頼むぜおぃぃぃ!」



 青白い照明が照らす白い廊下に、ファスランの足音とヘンデルの叫びがこだましていた。

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