第10話

「陛下──こちらが『覇皇剣』です。くれぐれもお手を触れられませぬよう」

 シルヴィアたちを封じの塔に閉じ込めてから着替えを済ませた女王は、再び謁見の間の玉座に掛けて正面にひとり立つ翡翠騎士団長、ラスフィール・アルシオーネの差し出す剣を眺めた。一点の曇りさえない刀身を包む銀色の鞘は、起毛の布にくるまれて今はラスフィール騎士団長の手の内にある。処刑の時の混乱後、その場でリグル・シルヴィアから兵士が奪ったのだが、どういう訳か剣を持つ手を火傷してしまい、王宮に運び込むことができなかった。他の一般兵士たちも同様で、何らかの呪術でもかけてあるのではないかと疑ったほどだった。

 報告を受けてその場に駆けつけたラスフィールが剣に触れると、それまで鞘や柄からほとばしっていた炎のような熱は急に冷め、彼に害を為すことはなかった。それで仕方なく彼が銀色の剣を保管することになったのである。

「ラスフィール卿、その剣を……抜いてくれるか」

「御意」

 剣を包んでいた布を床に落とし、ラスフィールは柄に手を掛けた。一般兵が触れただけで発熱した剣が、鞘から抜いたときにどうなるのかと緊張しながら、そろりと銀色の鞘から引き抜いた。音もなくすらりと身を現した刃は冷たく銀色の輝きを放ち、見るものを圧倒する。

「それが……」

 玉座の肘掛を強く掴んで一息ついて、

「その刃がモルタヴィア国王、ファリウスⅦ世の……我が父の首を落としたのだな」

 念を押すように女王が吐き出した。

「……御意」

 その時まだ幼かったラスフィールは詳しくは覚えていないのだが、城を攻め落とし直接モルタヴィア王を討ったのは騎士シルヴィアだったと聞いている。果たしてどういった状況だったのかは解らない。まだ少女だったロゼーヌがその光景を見たのかどうか、病に伏していた独裁王がどんなふうに討たれたのか。

 覇皇剣の冷たい銀の輝きを女王はしばらく睨みつけるように見つめていたが、やがて視線を騎士団長に戻した。

「それをその場に突き立てられるか?」

「……ここに、ですか」

「そうだ」

 数歩下がり、謁見の間のほぼ中央に立ち、ラスフィールは剣を下向きに構えて息を吸った。目を閉じ銀の鎧を纏い銀の刃を手にする銀髪の彼は、銀色の月の雫を受けた騎士のようであった。そこだけが一枚の絵のようで、女王は知らずため息をつく。

「……ッ!!」

 鋭く息を吐くと同時にラスフィールは剣を床に垂直に突き立てた。カシィィン……と音を立てたきり、剣は揺らぐこともない。柄からそっと手を離し、主君に一礼した。

「……うむ」

 鞘をどうするべきか女王に問いかけようとしたとき、扉が開き副団長のイグナが敬礼して入ってきた。

「陛下、すべての準備は滞りなく整いました」

 着替えを済ませた女王の姿を見て一瞬息を飲んだが、イグナは務めて事務的に報告した。

「ご苦労」

 先の混乱で右肩を負傷したイグナはいつもの翡翠騎士の鎧ではなく訓練用の鎧を纏っていた。見栄えはかなり落ちるのだが、強度はさほど変わらない。そして佩いている剣はいつもの幅広の剣ではなく、普通の長剣だった。やはり傷ついた右肩ではあの重量のある剣を思うように振るえないのだろう。それでもイグナの眼は闘志に満ちて燃え盛っているのだ。反乱軍のリーダーとの着けられなかった決着のためか、右肩の傷の仇のためなのかはわからない。

 王国ジルベールの財産のひとつ、翡翠騎士。その強さ、忠誠心、何をとっても揺らぐことの無いもの。

 女王は誇り高き騎士団長と副団長を交互に見やり、

「今までよくぞ仕えてきてくれた。心より礼を言う」

 驚くべきことに、玉座に掛けたままではあったがわずかに頭を下げたのだった。

「陛下!?」

「今宵が恐らく反乱軍との最後の戦いとなる。我が翡翠騎士の力、存分に見せてやるがよい」

「……陛下」

 主君に頭を下げられるなど思ってもみなかった騎士たちは、しばらく言葉を失って立ち尽くしていたが、先にラスフィールが口を開いた。

「私は……陛下のものです。陛下亡き後まで生き長らえるつもりはございませぬゆえ」

「わ、私も陛下に命を捧げます!」

 呆然としていたイグナがラスフィールに遅れを取ってはならぬとばかりに叫んだ。

 この期に及んで礼など言われては、まるで永の別れを告げるようではないか、と言葉の裏に優しい刺を含ませてふたりの騎士は誓いを立てた。己の『騎士』を見つめていた女王は自嘲するかのように笑った。

「……好きにするがいい」

「陛下、この鞘はどのように──」

 思い出したかのようにラスフィールは手に持ったままの銀色の鞘の処置を問うた。収めるべき剣は床に突き立てたままだし、他の誰かに預けるにしても彼以外には触れることができない。どこかに保管するならするで、場所は何処に──。

「その件についてラスフィール卿に頼みがある」

「では私はこれより配置に戻ります」

 イグナは敬礼して御武運を、と付け加えた。踵を返し、振り返ることなく謁見の間を退出する。

 ……解っているのだ、かなわないことは。

 あのふたりの絆の前に、入り込む余地などないことは。

 どうせ届かぬ想いなら、秘めたまま散るのもまた一興か。

 翡翠騎士副団長イグナ・レイは気を引き締めて長い廊下を歩き出した。

 かなわないと解っていたのだ、もうずっと前から……。


 すべての指示を終えた女王は深く玉座に掛け直して、そっと眼を閉じた。あとは来るべき時を待てばいい。

「……陛下」

 すべての指示を受けた騎士団長は、うつむいたまま呟いた。

 初めてこの敗国の王女を見たのは、ジルベール三代目国王ルークとの婚礼の儀だった。派手さには欠けたが国を挙げての祝い事にラスフィール少年も紛れ込んでいたのだ。永に渡る戦いのため両国ともに財が潤っていた訳でもなく、婚礼の衣装は地味ではあったが当時そろえられるだけのありったけの上等なもので誂えられた。その時の王妃ロゼーヌの婚礼衣装は純白の絹製で、すらりとしたシルエットに何重にもかけられた透けるショールが白い肌をうっすらと見せていた。豊かな栗色の髪を編み、黄金の冠を戴いていた。少年が見たのは王宮のテラスから顔を出した国王夫妻であったが、遠目からでも王妃の美しさにはため息が出るほどだった。他の者の目に王妃がどう映ったのかはわからない。ただ少年の瞳にはその美しさは陶器の人形のそれのように見えたのだ。

 もともとモルタヴィアの親ジルベール派貴族の出で、幼い頃から剣の訓練を受けていたラスフィール少年は、当時最強と謳われたウュリア・シルヴィアに少年独特の憧憬を抱いていた。事故に巻き込まれかけたラスフィール少年をウュリアが偶然助けたことから、少年は英雄につきまとったのである。剣の筋を認められ、ウュリアの推薦もあり騎士見習いとしてラスフィールは登城した。剣の鍛錬の他にさまざまな雑用をこなしたが、その内のひとつに王宮の一角の警備があった。

 警備という名を借りた、監視だったけれど。

 王宮内の一番奥、そこは常に誰かが監視していた。世間から隔離されるかのように守られているその部屋には、ルーク王の妃がいた。

 たったひとり、行動の規制以外の不自由もないが、何一つ表情を浮かべることなく部屋に佇んでいる王妃は、やはり陶器の人形のようだった。笑うこともないが涙を流すこともない、完全に心を閉ざしてしまったかのように、王妃はただそこに『存在』しているだけだった。

 騎士見習いラスフィールの仕事は王妃の『警護』と簡単な身の回りの世話だった。部屋の掃除などは専属の侍女が行っていたから、彼のすることといえば食事の運搬くらいなものだったけれど。

 王妃は簡単には少年に心を開いたりはしなかった。それでも時折食事と一緒に花壇に咲いていた花を手渡すと、そっと微笑んでくれた。それが少年にとってどれだけ眩しかったことか。

 成長して正式に騎士として認められたラスフィールは、何があっても彼女を守ろうと密かに誓ったのだ。

 あの笑顔を守ろうと。

 やがてルーク王が崩御して、ロゼーヌが女王として即位した。

 彼女のためならば、どんなことでもした。手が血に染まることなど厭いもしなかった。

 それが彼女の望みなら。それであの笑顔が返ってくるなら。

 ……どんなことだって、するというのに。

「あなたは……どこまで残酷な方だ」

 絞り出すような騎士団長の声にそっと眼を開き、女王はうつむいたままの彼を見つめた。

「結局……最後まで迷惑のかけ通しだな」

「最初から、今日という日を待ち望んでおられたのではありませぬか……?」

「さあ、な」

 自嘲気味に、女王が笑った。

 しかし、騎士は笑えなかった。

 苦しいような、寂しいような、不思議な沈黙が支配する中で時の流れを感じていたが、不意に女王が呼びかけた。

「もう名前では呼んではくれぬのか」

「我が君をご尊名でお呼びするなど──」


 ドォォ……ン


 地響きのような爆音が謁見の間に鳴り響いた。同時に、かすかだが天井のシャンデリアが揺れていた。

「封じの塔が!?」

「……始まったか」

 何者かによって封じの塔が爆破されたようだった。反乱軍の者だろうが、あれを爆破するということは、監禁してある者たちは無事逃げおおせたということか。

 ……黒髪の魔法剣士も──!

 女王に敬礼して、翡翠騎士団長ラスフィール・アルシオーネは主君に背を向けて駆け出した。謁見の間の扉を開き、一歩廊下に出たところで、

「……ラス!」

 呼び止められ、振り返った。

 女王が玉座から立ち上がって、こちらを見ていた。

 ラスフィールは無言のまま笑顔で応えて、その扉を閉じた。


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「みんな、どいて!」

 王宮の入口を固めている一般兵と対峙した反乱軍は、一斉に各々の武器を構えたのだが、先頭に踊り出たエリスの姿に女王軍も反乱軍も一瞬度肝を抜かれた。しかしそのまま突進するのをためらったのは反乱軍のみで、女王軍は構わずにこちらに向かって駆け出してきた。

「あなたたちには用はないのよ!」

 髪を乱したまま大声で叫ぶエリスの姿は、反乱軍の者には異様に見えた。普段から大声を出したりしない彼女がこんな暴走をするなんて、実の兄のディーンさえ想像もつかなかったに違いない。そして女王軍にしてみれば、愚かな女としか映らなかったであろう。まさか、彼女が魔法を操るなどとは思いもよらなかったに違いない。

「風よ! その怒りに身を任せ吹き荒れよ!!」

 それは先の混乱の時に使った魔法と同じであったのだが、その威力は比べ物にならないほどだった。エリスから凄まじい暴風が吹き荒れ、兵士たちが軒並み吹き飛ばされたのだ。何メートルも飛ばされた者、王宮の壁にしたたかに身を打ちつけた者、何とか持ちこたえたが耐え切れずに地に伏した者とさまざまだったが、戦意を喪失させるのには充分だった。

「エリス……いつからこんな……?」

「今のうちよ。急いで!」

 仲間たちが一瞬怯んだが、エリスの声に駆け出した。彼女はそんなに強い魔法は使えないはずではなかったか。だが今はそれを考えている場合ではない、ただちに戦いに赴かねばならないのだ。

 仲間たちが訝しがるのも無理はないのだが、どういう訳だかエリスの内側から凄まじい魔力がほとばしってくるのだ。尽きることなく溢れ出してくる魔力が抑えきれないほどだった。因果関係がはっきりしている訳ではないが、なんとなく……父が力を貸してくれているような、そんな気がした。

 だが、これで戦える。役に立てる。みんなの足を引っ張ることなく、戦えるのだ。

 顔を引き締め仲間たちと駆け出すエリスの横顔をそっと見守りながら、リグルもまた剣を構えて駆け出した。

 王宮に入ったら、騎士や残る兵士たちが駆けつけるよりも早く、女王がいるであろう謁見の間にたどり着かなければならない。それが一番手っ取り早く戦いを終らせる手段なのだ。リグルが持っていた地図を元に反乱軍の全員に作戦を伝えることができたため、その最短ルートは解っている。

「……先手を打てればいいんだが」

 先頭を駆けるディーンが、隣を走るリグルにそっと呟いた。一歩遅れて走るエリスが、いつでも魔法を唱えられるように集中する。

「そう簡単には進ませてくれる気はないらしいけどな」

 リグルが睨みつけるその先に、銀の鎧を纏った騎士と兵士数十人がいた。

「王宮に汚い土足で入り込みおって……生きて返すなとの女王陛下の命令だ」

 戦いの火蓋は、切って落とされたのである。

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