第7話

 見間違えるはずもない、あの黒髪が風に揺れながら迷うことなくこちらに向かって走ってくる。

 忌まわしき、この国にある唯一の黒髪。愛する父の首を討ち、国を奪った悪魔の使者。自分から何もかもを奪っていったあの憎むべきシルヴィアの血に連なるもの。名はリグルと言ったか──顔立ちなどは義妹に似たのかどことなく線が細かったが、こちらを睨めつける漆黒の双眸だけはシルヴィアの生き写しだった。

 白いマントをたなびかせながら疾走するリグル・シルヴィアは白い真空の刃のようだった。それを避けることもせず玉座の前に立ち尽くし、女王もまた黒髪の騎士を睨み返した。

「ここは通さぬ!」

 まっすぐにぶつかりあっていたふたりの視線を遮ったのは、銀色の壁。短い銀髪に銀の鎧を纏った騎士団長ラスフィールの後姿は銀の壁そのものだった。何ものをも通すことは無い、絶対の守護の壁。ロゼーヌという王城を守る城壁そのもの。銀の騎士に絶対の信頼を置く女王は、悠然と玉座に掛けたのだった。


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「うおおおおお!!」

 豪快な叫びとともに、ディーンの真上に剣が降ってきた。副団長イグナの剣は幅広の両手剣だ。その重量をまともに受け止めればこちらの剣ごとまっぷたつにされてしまう。ディーンはそれをひらりとかわし、片足を軸に身体を回転させ加速をつけて斬り込んだ。剣に重量がある分大振りが目立つイグナは、攻撃をかわされたときに一瞬の隙を狙われ易い。それは訓練などで自覚していたから、例えディーンに切り込まれようともそれは容易に読むことができた。かなり苦しい体勢ながらもかろうじてディーンの一撃を避け、すばやく体勢を立て直す。

 ディーンの剣は細身の片手剣だ。まともにイグナの剣と打ち合えば数合で刃が欠けるか、悪ければ剣そのものが折れてしまう。何とか向こうの攻撃を避けつつ、一撃で直接イグナに刃を立てねばならない。機会はイグナの一撃をかわした後に、その隙を衝くしかないのだが……それさえも容易には許してはくれないようだ。

 背中に冷たい汗が流れる。

 イグナは自らの弱点をよく知っていた。豪剣の彼の訓練の相手を務められるのは騎士団長しかいない。ラスフィールの剣はイグナほどの重さはないがその速度、剣技のバランスにおいてジルベール国内に適う者はいない。いつだったか自らの剣の重さゆえに最初の一撃で仕留めなければ、その隙を衝かれるだろうと忠告されたことがある。以来その点を考慮しての特訓を重ねてきた。それも王国最強の剣士を相手に。弱点を克服したと自負してはいたが、もし……もしもラスフィールよりも素早く動ける者と剣を交えることになったら。

 そして、対峙する男は、わずかながら騎士団長よりも早い。

 互いが互いに牽制し合い、また隙を窺い剣を構えたまま睨みあう。周囲の混乱からふたりの周りだけが隔絶されているかのように、金色の髪の剣士たちには己の鼓動しか聞こえない。その一帯だけが静寂に支配されていた。

 激しく視線をぶつけ合いながら、ふとディーンはイグナに見知った顔が重なった。どこか捨て身を思わせるような気性の激しさと睨みつける茶色の瞳が、反乱軍の仲間──アレクに重なるのだ。

 ……アレクも放っておけばこんなふうにリグルに突進するのだろうか。

 この非常時にそんな他愛も無いことを考えている自分がおかしかった。

「ディーン・アープ、覚悟!!」

 ほんの一瞬だった。

 ディーンが他事を考えていたほんの一瞬、その瞬間を見逃すイグナではなかった。勢いよく、ディーンの胴体めがけて剣を薙ぎ払……おうとして。

 ヒュォオッ!

 風さえも引き裂きながら飛来した矢が、イグナの右肩に命中した。銀の鎧に阻まれて貫通することはなかったが、それでも肩当を破壊してイグナの右肩にその刃を沈めたのだ。焼けるような痛みが肩から全身に駆け巡ったが、イグナは歯を食いしばってそのまま剣を払った。

 イグナが刺さった矢に怯んだのもまた一瞬であった。そしてまた、その一瞬を見逃すディーンでもなかったのだ。剣を払うため大きく腕を伸ばしていたイグナの懐に潜り込み、細身の剣を彼の腹部に突き立てた。だが激痛に苛まれながら、危うい体勢ながらもほんのわずかイグナが身体を傾けたために、ディーンの一撃はイグナの脇腹を掠めたにとどまった。致命傷を与えられなかったことを瞬時に理解したディーンは、傷口の上から勢いよくイグナを突き飛ばした。

「ぐあ……っ」

 肩と脇腹に傷を負いながらもイグナが漏らした呻き声は、突き飛ばされた勢いで膝をついたその時だけだった。それは傷の痛みよりも膝をつかされた屈辱に対するものであったのかもしれない。膝をついたままで再び剣を構えるが、両腕で支えなければならないイグナの剣は、右肩に傷を負った状態で通常の威力を発揮するものではなかった。ディーンが彼の前に剣を構えようとしたとき、一般兵数人が駆けつけてきた。

「イグナ卿!」

「邪魔をするな!」

 右肩には矢が深々と突き刺さったまま血が滝のように流れ、また脇腹からはじっとりと血が滲んでいる。イグナの不屈の闘志だけでまともな勝負になるとは、兵士たちの誰も思いはしなかった。ひとりがイグナを担ぎ避難させようとし、残る兵士たちがディーンと対峙する。

 ヒュン!

 兵士の一人が背から腹にかけて矢を貫通させて、倒れた。その兵士の鎧は鋼ではなく皮革だったが、その弓勢はとても筆舌に尽くせなかった。

 ……まさか。

「矢が飛んできた方角にある建物の屋根かどこかに仲間がいるはずだ! 探せ! 必ず息の根を止めろ!!」

 イグナの怒号に付近にいた兵士たちが一斉に駆け出した。

 イグナがいる場所は大通りの東側。矢が飛んできた方角は西。その距離をこれだけの勢いを保ったまま矢をここまで届かせるとは……その弓勢もさることながら、これだけの混乱の中、標的に命中させるだけの者が反乱軍にいるとは。

 歯を食いしばり、目を怒らせながらも、イグナはディーンを部下に任せてその場を離れた。

(アレク……!)

 仲間が無事逃げおおせることを祈りながら、ディーンは剣を構えた。


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 ギィィィン!!

 リグルとラスフィールの剣が真っ向からぶつかり合った。火花を飛び散らせるほどの重く激しい打ち合いは二合、三合と続いたが、五合目にして鍔迫り合いになり、激しく押し合いながら、相手の体温が伝わってきそうな至近距離で睨みあった。

「……ラス」

 冷たく燃える炎のような青い瞳をまっすぐに見つめながら、リグルは押し殺した声で呟いた。

「どうして……」

 押し合う剣に一層の力を込めて、リグルは振り絞るように呟いた。

「どうして父上を殺したんだ……!」

 怒りに震えながらもその漆黒の瞳は何物にも染まることはないのだろうな、とぼんやりと考えながえながら翡翠団長ラスフィールは剣を押し返す。

 ラスフィールはリグルよりも十ほど年上だ。先の戦が終ってからの国の再建を幼いながらも手伝い、また騎士に憧れてよく三英雄のひとりウュリア・シルヴィアに剣の指南を乞うたものだった。再建当時の彼は幼かったから真剣でとはいかなかったが、木の棒での素振りやら剣の型やらを多忙の合間を縫うようにして習っていた。ウュリアも剣の筋がいい少年をかわいがっていたし、まとわりつかれても決して邪険に扱うことはなく、人手が足りなかった城内の手伝いなどもさせていた。

 大きくなって騎士見習いとして登城するまでのわずかな間ではあるが、幼いリグルの剣の相手などもしたことがある。ウュリアが家でラスフィールのことをよく話したのか、単に父が信頼する者を息子も感じ取ったのかは解らなかったが、リグルはラスフィールによく懐いていた。ラスフィールもまた尊敬する英雄の息子をかわいがっていたし、剣を教えてくれとねだる幼いリグルがかつての自分に重なって見えたこともあり、幾度となく剣を交えた(もちろん訓練用のなまくらだったが)。

 それが、まさかこんな形で再び剣を交えることになろうとは。

「父はあなたを信じていたのに……」

 森で生活していたとき、聞かされる思い出話によくラスフィールの名があった。それはリグルと共有できる思い出だったからかもしれないが、どれだけ銀髪の少年をかわいがり、また期待していたのかが言葉の端々に覗えて、まだ幼かった頃のリグルは口にはしなかったものの嫉妬したものだった。

「ラスはなあ、きっと騎士団長になる器だぞ」

 そう言って笑った父が、まさかその騎士団長に殺されるだなんて。

 確たる証拠がある訳ではない。ただリグルの勘が激しく訴えるのだ。剣を構えさせることもないまま正面から父を斬れる者、或いは剣を構える必要がないとまで信頼されている者で、なおかつ一撃の下に父に致命傷を負わせることができる者。

 見知らぬ相手に剣が届く範囲への侵入を許す父ではない。まして無抵抗のままで殺されるなど、決してあり得ない。そんな条件を満たすことができる者を、ラスフィールの他にリグルは知らなかった。

「どうして、だと?」

 ややうわずった声でラスフィールが囁いた。青い目がどこか異様な光を帯びる。

「そんなもの……女王陛下の望みとあれば、如何なることでも遂行するのが我ら騎士の務め!」

 渾身の力をこめて、ラスフィールはリグルを突き飛ばした。リグルが数歩よろめいて体勢を立て直すまでの間、不思議と斬り込む気にはなれなかった。

「違う! 俺が聞きたいのはそんなことじゃない!」

 主君の命令であれば、どんなに過酷な試練でも遂行するのが騎士。主君を護るためならばその身を盾に命を捨てることも惜しまない、誇り高き剣士。翡翠騎士の団長となったラスフィールが、女王の命令を実行したからといって責めるつもりはない。だが国を出た者を、わざわざ追ってまで……それも国を出てから十年も経っているというのに、それを探し出して殺させた上に女王にとっては義理の妹にあたる、ベルティーナまで誘拐させるとは。その意図も理由もさっぱり理解できない。私怨にしてはあまりにも時が経ちすぎているし、他に理由も見当たらない。そんな理不尽な命令を、何故ウュリアの信頼を裏切ってまで遂行しなければならなかったというのか。

 リグルにとってラスフィールはウュリアを師匠にもつ兄弟弟子で、また師匠で、大好きなお兄さんで、いつか追い越したいと思っていた目標の人だった。過ごした時間はわずかだったけれど、いつか語り合える日が来るんじゃないかと、思っていた。

 来たらいいなと、思っていたのに。

「ラス……ッ!!」

 叫びながら、剣を撃った。ラスフィールもまた、剣で応えた。

「その名で呼ぶな」

 お互いに、剣でしか語り合うことは許されないのだろうか。

「その名で呼んでいいのは──!!」

 続きを飲み込んで、更に激しく撃ち合った。


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「おば様、しっかりなさって」

 混乱の中、ひとりではベルティーナを担いで運ぶこともできないエリスは、まず治癒の魔法で衰弱しきった彼女を回復させた。傷などは治ったのだが、精神的な衝撃が大きかったのか、かろうじて歩くことはできるがふらふらとしたままだった。

 公開処刑の場は反乱軍と女王軍、ついに怒りを爆発させた民衆が入り乱れての乱闘の場と化していた。炎の壁に向かって矢を射かけ、石を投じ、女王への怒りが牙になって襲い掛かった。自分の風の魔法がわずかながらでも役に立ったかと、どこか晴れがましかったが、騒乱には背を向けて、よろめきながらではあるが西の裏通りを目指してひたすらに歩いた。

 大通り沿いの西側にある建物の屋根にアレクがいるはずだ。彼の役割は処刑執行人を射ることと、乱闘になったときの味方の援護だ。女王その人を射ることができればよかったのだが、それには翡翠騎士と一般兵の壁は厚かった。

 アレクは予定通りに執行人を仕留め、また混乱の最中に幾人かの兵士を射殺した。彼のいる場所は大通りからは死角になっていたのだが、翡翠騎士副団長イグナにその所在を悟られてすみやかに建物から下りて弓矢を隠し、混乱の中に身を投じた。あとはエリスとベルティーナを安全な場所まで保護すれば、アレクはその役割を全うしたことになる。

 人が入り乱れる中を、細いとはいえ弱りきった大人の女性を運ぶには、エリスはあまりにも非力すぎた。転移の魔法を使うにはこの混乱では集中できない。それでも懸命に兵士の目をかいくぐりながら裏通りのすぐ近くまでは逃げおおせた。

「エリス!」

「アレクさん、おば様を……」

 よろめきながらもなんとかベルティーナをアレクに託したエリスは、はあと大きく息を吐いた。自分の役目はひとまずこれで終わりだ。あとは戦いが終ったあとに、みんなの治療をしなければならないが、今はひとつの仕事をやりおおせたという安堵感で一杯だった。

「エリス、ベルティーナ様は俺に任せて先に戻れ、ここはまだ危ない」

 アレクは自分を探してやってくるであろう兵士たちを危惧して先にエリスだけでもと思ったのだが、どうやらそれは一足遅かったようだった。

「逃がす訳には行かぬ」

 その兵士たちがアレクを射手と認めたかどうかは解らないが、ここにベルティーナがいる以上、死刑囚を連れ去ろうとしている以上、兵士たちが見逃すはずはなかった。

「くそ……っ」

 アレクは今ベルティーナを連れている。自由の利かない彼女を放り出して戦うことも逃げることもできない。まして数人の兵士に囲まれて抜き身の剣を突きつけられている現状では、例え単身であったとしても如何ともしがたい状況である。

 ベルティーナを預け両手が自由になったエリスは、とっさに風の魔法を唱えた。大した威力がある訳でもないのだが、兵士数人を吹き飛ばすだけの自信はある。

「風よ、その怒りに身を任せ吹き荒れよ!」

 突風がエリスたちを中心に吹き荒れた。どれだけか吹き飛ばされた者、尻餅をついただけの者もいたが、怯ませるには充分だった。

「アレクさん、早く……」

「逃がすか!!」

 幸運にも風の威力の弱いところにいた兵士がアレクの喉元に剣を当てた。もはやこれまでか、とアレクが観念したときだった。


 アレクさん、早くおば様を連れて逃げて……ここは私が何とかするから……。

 エリスは、そう言いたかったのだ。それが途中で途切れたのはアレクが窮地に陥ったからではない。言いながらアレクたちに背を向けていたエリスはその光景を見ていなかったのだ。裏通りに逃げるであろうアレクたちを守るために、兵士たちが駆けてきた方──公開処刑の行われていた中央に向き直っていた。その瞬間目に映ったのは、騎士団長との激しい打ち合いによろめいたのか、転倒しかけたリグルと追い討ちをかけようとする騎士団長の姿だった。

 その瞬間、エリスの頭は真っ白になって、何も考えられなくなった。考えられないながらも、リグルを助けようと何かの魔法を唱えた、ような気がした。

 カッと熱くなって、うかされるように、何を唱えたのかは解らない。

 だが、その瞬間に、地が揺れた。


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 突然の地震に兵士も反乱軍も民衆も、慌てふためいて逃げ出した。この地方は地震がめったにないため慣れておらず、しかも立っていられないほどの揺れだった。鍛えられた兵士といえども、みっともなく叫びながら這って逃げるほどだったから、民衆たちは混乱の極みだった。立って逃げることもできず、波打つ赤いレンガの上を、誰もが這いずって回った。


 ぐらりと大地が揺れたとき、ディーンは素早く剣を収めて自分を囲む兵士たちに蹴りをお見舞いした。転倒したまま今度は揺れのために立ち上がれない兵士たちは、這って王宮へ戻ろうとした。ディーンもすでに追うのをあきらめ、よろめきつつもなんとかバランスを保って大通りの西側へ歩き始めた。この地震では満足に戦うこともできない。

 アレクは揺れに怯んだ兵士にまず肘鉄を食らわせて沈めた。なんとかして裏通りに逃げ込もうかとも思ったのだが、建物が倒れてくるといけないと、一旦その場を離れて大通りの内側に避難した。レンガは波打ち揺れも収まる気配はないのだが、この状態では女王軍も易々とは動けまい。ベルティーナをかばいながら半ば這うようにして、アレクは揺れの中をできるだけすみやかに移動した。

 突然の揺れにとどめを刺す為に振り上げた剣を下げて、ラスフィールは周囲を窺った。よろめいていたところへの揺れでリグルはたまらず転倒したが、揺れが収まり次第すぐ立ち上がれるように体勢を整える。

「陛下……陛下!!」

 ラスフィールは剣を収めるが早いか、転倒しそうになりながらもバランスを保ったまま玉座にしがみついている女王に寄り添った。

「ま、待て……ラス」

 収まることのない揺れにラスフィールを追うことをあきらめたリグルは、皆はどうなったのかと周囲を見渡して、信じられないものを、見た。

「エリス……?」

 母を連れて逃げたはずのエリスが、こちらに向かって走ってくる。この、揺れの中を!!

 誰もが立つこともままならず這って逃げ惑うこの地震で、エリスだけが揺れに足を取られることもなく走ってくる。

「エリス、どうして……」

「リグルさん、早く逃げて! おば様はもう大丈夫だから」

 事態を理解していないエリスはこの場においておよそ不釣合いなことを言った。この揺れで大丈夫な者がいるはずもないのだが、エリスはそもそも地震が起きていること自体に気が付いていないのではないだろうか。

「早く!」

「あ、ああ」

 呆然としてリグルは差し伸べられた手を取って立ち上が……った。不思議なことに、何の苦もなく、立てた。こっちよと、導かれるままに走り出す。

 これはリグルの想像でしかないが、エリスが地震の魔法を使ったのではないだろうか。これだけの大掛かりな魔法を彼女が習得しているとは考え難かったが、あの三英雄の大魔道士アープの娘なのだ。何かの奇跡が起きてもおかしくはないのではないか。

「アレクさん!?」

「何だったんだ……今の揺れは」

 いつのまにか揺れは収まり、アレクはベルティーナを立ち上がらせた。そして愛しい仲間の声に驚愕しながら、安堵した。

「エリス! ……、シルヴィアもか」

「早く逃げましょう、今のうちに」

「ああ、俺はディーンを探す」

 兄なら大丈夫だとエリスは言いかけたが、アレクがベルティーナをリグルに預けて走り出す方が早かった。そこまでリグルを──否、シルヴィアを嫌悪しているのかとも思ったが、今は安全な場所まで逃げるほうが先である。踵を返して足早にその場を去ろうとした、時。


 ドス。


 鈍い音が、すぐ近くでした。

 まさか。

 恐る恐る振り返ったリグルとエリスは、できればその光景を認識したく、なかった。

 玉座の前に立つ女王が、こちらに向けてクロス・ボウを構えていた。放たれた矢は、ベルティーナの背に刺さって、いた。

「母上……っ」

「おば様!!」

「逃すな……! 絶対に!!」

 ベルティーナをうつ伏せにレンガの上に寝かせ、リグルは強引に矢を引き抜いた。

「エリス、早く治療を」

 言うが早いか剣を引き抜き、改めて剣を構えた。地震に怯えて王宮に逃げようとしていた兵士たちが、一斉にこちらに向かってきた。リグル自身の魔法では、これだけの人数を相手にはできない。

 ふたりを守りながら、どこまで戦える!?

「きゃあっ!!」

 思いもよらぬ悲鳴にリグルは全身の血が音を立てて引いていくのを感じずにはいられなかった。

「ここまでのようだな、シルヴィア」

 揺れで王宮まで逃げることができなかった兵士数人が、エリスとベルティーナの首筋に剣先を向けていた。

 リグルは、駆けつけた兵士たちにおとなしく剣を奪われるしか、なかった。

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