第4話

 父が殺された──。

 リグル・シルヴィアのその発言は場を重苦しい沈黙のどん底に叩き落した。

 リグルの父ウュリアは三英雄のひとり。魔法をも操る剣豪で、一騎当千でモルタヴィア軍勢を倒したという。そのウュリア・シルヴィアが殺されたとは尋常ではない。その上に、連れ去られた母を助けたい、とも言った。ウュリアを倒し、ベルティーナを攫うだけの者がいる。しかも、このジルベールに。

「助けたいってことは……あんたはそいつが誰だか解ってるのか」

「……多分」

 一息おいてからリグルは続けた。

「多分、女王軍の者だ。母を殺さずに連れ去ったということは、近いうちに公開処刑をするはずだ。それを何としても阻止したい。だから力を貸してくれないか?」

 ベルティーナは前王の妹。反乱軍の中に否を唱える者がいようはずもなかった。

「ベルティーナ様のためなら」

 ベルティーナはともかくシルヴィアが許せないアレクとしては、彼女をダシにうまくリグルが反乱軍に取り入ったように思えて不愉快極まりなかったが、その場は何も発言しなかった。

 ひとまずは近くあるであろう女王側の動きを待つということで、会議は解散となった。リグルが二階に戻るのを見届けてから、アレクはディーンに耳打ちした。

「信用できるのか?ベルティーナ様が攫われたってのも、あの三英雄のひとりが殺されたってのも、俺たちには確認のしようがないんだぜ」

「アレク、リグルはそんな男じゃない」

 断言されてはアレクも何も言い返せない。

「それより、さっきは助かった。アレクがリグルを認めてくれたおかげで大事にならずにすんだ」

 ディーンが反乱軍のリーダーとはいえ、リグルの幼馴染である以上、どんなに彼を弁護したとしても、仮にアレクと同じことを発言したとしてもまるで説得力がない。恐らくは仲間内で一番シルヴィアに反感を抱いているであろうアレクが言ったからこそ説得力があったのだ。

「……けど、俺はあいつが嫌いだ」

「ああ、わかってるよ」

 現実は現実と受け止めながらも、感情は別物だと言い切るアレクに苦笑しながら、最後に退室した彼を見送ってディーンは二階に上がった。


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 かすかに開いたままの扉をそっと開けると、エリスはベッドの傍らにぼんやりと座り込んでいた。

「エリス?」

 リグルの呼び掛けに、とてもゆっくりと顔を上げ、エリスはかすれる声で呟いた。

「おじ様が……ウュリアおじ様が……本当なの?」

「ああ、本当だよ」

 先刻の階下での話を聞いていたのだろう、震えるエリスに嘘の言い訳のひとつも言えず、事務的に肯定した。

「嘘っ、嘘……!」

 取り乱すエリスを落ち着かせようとしたが、気の利いた言葉のひとつも思い浮かばず、無言のまま抱きしめた。

 嘘であってほしかった。けれどかつて英雄と謳われた雄々しき父の胸に刻まれた深紅の花が、まだリグルの脳裏に生々しく甦ってくる。血の匂い、冷たくなっていく大きな手、光を失った瞳。泣くことも叫ぶこともできないまま、森の中で一番の巨木の根元に穴を掘り、動かない父を横たわらせた。土を戻している間中、森の中が騒がしかった。森が泣き叫んでいた。自分も一緒に泣きたかったのに、結局最後まで泣くことはできなかった。

 だから、こんなふうに感情のままに取り乱せるエリスが、心のどこかで羨ましかったのかもしれない。自分の腕の中で暴れる彼女の髪を何度も撫でながらも、何も伝えることができなかった。

「落ち着け、エリス」

 後から入ってきたディーンがエリスをたしなめる。

「辛いのはお前だけじゃないだろう」

 兄の言葉に我を取り戻したエリスが、慌ててリグルから身体を離した。

 そうだ、一番辛いのは……。

「ご、ごめんなさい……」

 なんて無神経なことをしたのだろう。エリスは紅潮させていた頬を蒼ざめさせて、震えながら謝罪した。リグルはやはり無言のまま、自分を責めるなと訴えるように優しく首を横に振る。

「相手は誰か見当はついてるのか?」

「ああ……多分間違いない」

 ディーンの問いに、拳を固く握り締めた。父を殺せるだけの実力を持った者などそうはいない。まして母を──否、『ベルティーナ』を攫っていかねばならない者など、ひとりしかいない。


『ジルベールに戻れ!そして…、……護れ──!』


 それが三英雄ウュリア・シルヴィアの最期の言葉だった。

 そこで血を吐いて永遠に言葉を失ってしまった父が、何を護れと言いたかったのかは解らない。だがここへ帰れば解る気がした。

 母だったのか、乱れてしまったこの国だったのか。

 答えはもう、返ることはない。


「今夜はもう遅い。階下に部屋を用意するから、明日に備えて寝ておいたほうがいい」

 ディーンは現実だけを淡々と述べて、ふと幼馴染の顔をじっと見つめた。

「仮にだが反乱軍として認められた。倒すべき相手は解っている。……だが、何か忘れてないか?」

 リグルはディーンの空色の瞳を見つめ返したが、その忘れ物を思い出せない。

 しかたないなあとばかりに苦笑して、ディーンがリグルを抱きしめた。

「私だって……会いたかったんだぞ、ずっと」

 誰にも言わなかった言葉。反乱軍のリーダーとして戦い始めたその日から、もし隣にいてくれたらどんなに心強いと思っただろう。弱音のひとつも吐けない立場で、彼もまた彼自身と戦ってきたのだ。

 誰にも言えなかった言葉を、今ようやく伝えて、目頭が熱くなるのを止められなかった。

「すまない……ディーン」

「『ただいま』だろう、バカ」

「そうだな……ただいま、ディーン」


 ようやく幼馴染たちは再会を果たしたのである。

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