序章

 1869年3月6日

 ロシア

「以上の点が示す通り、四大元素の理論には化学的な根拠がないことになります。」

 化学学会にて、その男は世界の根源である概念を真っ向から否定した。

「これだから、科学者という者は・・・信仰心がまるで無い。」

 あるケイケンな宗教家はそう苦言を漏らす。

 信仰の対象となりうる領域にまで足を踏み込んでくる科学は、元来、宗教と仲が悪いものである。宗教が強大な力を持つ地域では、特にその傾向が強く見られる。

「万物の摂理に宗教など一切関係ありません。」

「貴様、偉大なる教えを否定するのか?!」

「偉大なる教え?何を言うのです。

人類の信仰する宗教という思想は地域や身分、人種によって異なる。それに対して科学がもたらすものはただ一つの真理そのものである。これは人間の思想によって左右されることなどなく、この星に住まう者たち全てにおいて絶対的に平等なものだ。」

 顔色一つ変えず、まっすぐに言い放つ男に対して、宗教家たちは怒りや哀れみに満ちた様々な表情を見せた。

「教えに根底から背くなど、なんと不信心な物言いだ!」

「賢者といえども、背信者として裁きを受けることもあるのだぞ。」

 事実、男は行政官庁から追われる同僚の生物学者をかくまっている。生物分野よりも監視の甘い化学分野ではあるが科学というくくりで対応されれば自分も例外ではない。そんな宗教側からの警告であるとも取れる発言が飛び交う構内だったが、男の主張は変わらない。むしろ語気を強めたようにこう言った。

「信仰心で真理は変わらない!この世界には火、水、土、空気で構成される四元素理論は適応されないのです。様々な実験結果はそれを物語っている。ただ単に認めて、歩み寄るということがなぜ出来ないのですか?」

「貴様。・・・」

 この国において、男は世間から天才と言われる有名人であった。しかし、賢者といえども男の年齢はまだ三十五歳。勢いや人気はあるが、民衆を納得させるための威厳というものがいささか不足していた。

 熱を帯びた弁論は一旦その様相を潜め、ある宗教家が一拍置いてこう言う。

「否定をすることなど簡単なことだ。」

 歳の割に大きくてハリのある声。その一言が、構内のざわつきを一気に沈め皆の視線を男に向けて突き刺した。

「・・・・・・確かに。」

「その昔にも四元素を否定した科学者というものはいたが、否定の根拠を並べるばかりで肝心の真理はわからないと言った。」

 この時代、四元素理論の否定証明は実は科学者の間では通説となって久しい。だが、否定をした場合、それに変わるモノが現れない以上、民衆は認識を改めない。

 支持をする民衆の数が多いこと、例え間違っていたとしても安定した概念が定着している土壌がある。それが宗教の強みであり、また弱さであった。


「それではあらためて聞くが、物質を構成する要素とはなんなのだ?」

 たかだか三十五歳の学者に信仰の根底を崩されるわけにはいかない。宗教家は己の持つ信仰の有用性とロジックを組み立て、これまで幾人もの科学者を説き伏せてきた手法、いわば伝家の宝刀を取り出したというわけだ。

「・・・。」

 しかし、男はその言葉を待っていたかのようにニヤリと笑い、背後の黒板を覆っていた暗幕を開いてこう言った。

「ならばお教えしよう。」

「何?!」

「世界に存在しうる物質の最小単位、元素は四つどころではない。鉄なら鉄、金なら金、それぞれに元素は存在し、その組み合わせで物質を構成しているのです。そして、私たち科学者が発見したこれらの元素もおそらくほんの一部でしかない。」

「なっ?!」

 予想だにしないその結論に講堂内はまたもどよめいた。

「元素のもつ特性でグループを作り、配列順に並べるとなるとこちらの表のようになります。」

 男の持ち出した表にはこれまでの科学者、錬金術師たち発見した元素が書き込まれていた。

 しかし、

「空欄だらけじゃないか。」

 その理論に基づいて書かれた表はあまりにも異彩を放ち、空想の産物であるようにも見える。事実、これは男が昨晩、夢で見たものをそのまま書き写したものである。

「物質を構成する元素が四つであるなどという単純明快なものならさぞかし民衆も喜ぶだろうが、残念ながら真理はそう簡単なものではない。

 この世の中にはおそらく百近くの元素が存在するでしょう。私の記した表の空白は未知の元素を探し出す未来の科学者への布石です。」

 科学的な裏付けや根拠といったものはまだ無い。しかし、それでも男はその結論に確信めいたものを持ってそう言った。

「貴様は先人の賢者たちを愚弄している。」

「いいえ、私は過去の宗教家や錬金術師の行ってきた経験を冒涜しているのではない!むしろ感謝している。彼らの礎(いしずえ)の元にこの崇高なる系譜、【周期表】は生み出されたのです!」

「何が周期表だ?!このペテン師が!」

「そのような仕組み、どこの神話、経典にも書かれておらぬわ!」

「・・・。」

「静粛に、静粛に!これは法廷ではありません。争いごとはやめなさい!」

 議長が静止を促すが講堂内にはあちこちで怒号が飛び交った。その光景を我関せずとばかりにただ静観していた男は、胸ポケットに忍ばせた懐中時計を取り出し時間を確認する。

「・・・時間だ。」

 そして、まだざわついている講堂内の宗教家たちを一瞥すると、

「以上で、質疑応答は終了とさせていただく。興味のある方は私の研究室へどうぞ。」

 手持ちのノートをパタンと閉じて壇上を立ち去った。


 科学は人の心を救わない。あるのはただ、真理だけ。

 ノートにはそう書き込まれている。


 物質を構成する基本単位の元素を周期律によって配列した表、【周期表】を作った人物。男の名は、ドミトリ=メンデレーエフ。

 ヨーロッパで通説とされていた火、水、土、空気が全ての物質を構成しているとする四元素理論がアイルランドの科学者ロバート=ボイルの実験によって崩されてから実に二百五十年。

 近現代の科学技術の進歩は、まさにこの瞬間、始まったとも言えるだろう。

 そんな近代化学の登場によって錬金術と呼ばれる石を金に変える魔法のような技術は実を結ぶことなく、幻「マボロシ」となって霧散した。メンデレーエフのこの発表は世界中の金持ちを落胆させたのだが・・・では、この証明で魔法は存在しないことになるのだろうか?いや、そうとは言い切れない。

 アメリカの物理学者ベンジャミン=フランクリンは雷が強力な静電気であると証明した。

 ドイツの気象学者アルフレッド=ウェゲナーは火山、地震の発生原因である大陸プレートを発見した。

 イギリスの生物学者チャールズ=ダーウィンは全ての生物種が共通の祖先から長い年月、世代を重ね派生して生まれてきたという進化の道筋を示した。

 このように、人々が神のチカラと信じてきたすべての自然現象にも理由があり、科学によって証明できる。それはサイエンス(科学)であって必ずしもケミストリー(化学)だけではないかもしれないが、人類は既にすべての科学を解明した!なんてそんな“おこがましいこと”は誰も主張はしないだろう。だから案外、ホンモノの魔法も科学という理論によって解明される日が訪れるのかもしれない。

 そんな『いつか』を夢見て・・・

 これはその中にある一つの可能性と化学と女子大生と魔法使いの物語。

 最後まで楽しんでいただけたら幸いです。


 この物語はフィクションです。

 設定等はすべて架空のものであり、実在する人物、団体名とはいっさい関わりはありません。

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