俗物記

山盛りカツ丼

第1話

 山田太郎は俗物であった。

彼だけではなく、人類のすべてが俗物であった。


 彼らは密やかに、英雄と救世主を求めている。それはヒトの個体そのものが不完全で不安定なためである。山田太郎もそんな人々の一員である、筈だった。

 

時は25世紀、人口は100億を突破し、ヒトの30%は義務を機械に任せ、残りの70%はいつも通りの労働を繰り返していた。

 山田太郎もいつも通り工場に向かい、胡麻の中の白い胡麻を選別するアルバイトを始めた。既にヒトは革新的な人工知能『アドルフ』に職業を奪われ、労働をするための労働に就かざるを得なくなったのだ。

 彼の恩恵を受けた富裕層は、義務を機械に任せ、日々競馬やカジノに勤しんでいた。そのような経済活動も、循環して残りの70%の人々にも良い影響を与える筈なのだが、それが全く無い。


山田太郎と人々は。そのような状態であっても、まったく不満を抱かない。

 

それは彼らの心に、制約が内在しているからだ。目上の者を敬うべし、倫理を守るべし、成功者を称えるべし、成功者の敷くレールに乗るべし、敗者を嘲笑うべし…

山田太郎と彼らは羊飼いの飼う羊に過ぎなかった。

 

つまり、このような制約を内在化させることにより、相互監視機能が働き、システムへの反逆を抑えることが可能になる。それが人工知能である『アドルフ』の作りだしたもう一つのシステムであった。

 

そして山田太郎は、『アドルフ』が間違えて混入した、白い胡麻粒の選別が終わったところであった。この本物の黒胡麻が、富裕層の舌を喜ばせることができるのだ。太郎はそんなやりがいで心が弾みそうになっていた。


 今日、彼は賃金である月給6万5千円を受け取り、晩ご飯は何にしようかと考える。遺伝子組み換え大豆肉のハンバーグはどうだろう、遺伝子組み換え小麦麺でのラーメンも悪くない。こうした仕事帰りの、思考を巡らせることが、彼の何よりの楽しみでもあった。


 太郎はいつもの無人コンビニで、遺伝子組み換え小麦麺を購入して、帰路についた。あまりにも明るい電灯が、暗い路地を照らしている。太郎はこの電灯が、ある富裕層の人間によって設置されたことを学校で習った。そして彼は、労働者階級のためを考えるあまりに殺されてしまったことを知っている。


この世はあまりに不平等だ。


 それは歴史を鑑みて分かりきった問いであり、これからもそうあり続ける。人々はそうした一種の諦めを抱きながら、大きな流れのなかを彷徨っていた。太郎もそうした人々の一員であった。

 公園に設置された立体映像装置に映し出されたアイドルがにこやかに、


「今日はノー残業デー!早めの消灯を!」と合成された音声を発している。


 太郎は今の仕事が、自分に合った仕事であると信じ、この5年間を胡麻の選別に費やしてきた。もちろん、これからも死ぬまで、この仕事で生きていくだろう。

いつもどおり公園で晩ご飯を食べる。これは彼の一日におけるルーチンであり、毎日続けている。ベンチに腰掛けると、彼はあり得ない光景を目にした。

 

人工木が燃えている…

太郎は人工木のバグを通報しようと、携帯端末を取り出した。

「通報はお待ちなさい、青年よ」太郎の頭の中に、壮年の男の声が響き渡る。

「この声は一体何だ?バグなのか?」と太郎がパニックになりながらも答える。

『故障ではありません。わたしはあなたの心に話しかけているのです。ここに近づいてはなりません。ここは聖なる地でありますから、靴を脱いでほしいのです』壮年の男の声がこう告げる。太郎は愚直にも靴を脱いだ。

『私はあなたの祖先の神です。わたしはあなた方の声を聞いて、あなたに彼らを導いてほしいと考えました。これはバグではありません』と壮年の男の声がこう続けた。

「わたしは単なる俗物に過ぎません。あなたの望みはお断りします」

と太郎が切り捨て、最後の麺の一本を食べ終わると、そのままアパートに帰ったのだった。おかしな勧誘にうんざりしているかのように、怪しい壺を売る人間を見るような目で燃える木を睨んで帰った。『お待ちください、彼らは苦しんでいるので…』

しかし家に帰ると、太郎は驚きのあまり「ワッ」と声に出してしまった。彼の大切にしていた家財や書籍など諸々が、一切合切が消えていたのだ。そして遠方から引っ越してきたひとり暮らしの太郎が、家族と連絡を取るための携帯端末すら無くなっていたのだ。

「どうなっている、一体何が起きている。さっきのおまえの仕業か!」

激昂しながら太郎が叫ぶ。

『わたしに従わないからです。わたしに従う、それがあなたの新しい義務です』

壮年の男の声が脳内に響き渡る。


 ああ、なんと理不尽な神か。どこの引越し業者か強盗かは知らないが、これじゃあどうしようもない。免許証も保険証も無くなっている。これではまるで幽霊ではないか。彼の目的は、わたしを幽霊にすることに違いない。

『あなたをあなた自身とたらしめる、すべてのものを奪いました。理由は神に背くからです』壮年の男は、厳格な声で語る。


「そんな神など、わたしは信じない。神は各々の心の中に存在する筈だ」


『君はグノーシス主義者なのかね。元から神は理不尽な脅威そのものでもあるのだよ。まあいい、どちらにせよ、君は私に従わなければならない。わたしの声は君以外に聞こえないのだから』


「そのようだ。何をすればいい?どうしたらあんたが俺から離れてくれる?」太郎は諦めのわるい顔で拗ねている。


「目的を達成すれば解放しよう」男の声の語気が強まり、切れかけでもない電灯がチカチカとついたり消えたりと繰り返していた。そして窓はガタガタと震えている。外で急に強い風が吹き始めたに違いない。

 彼はおそらく神だろう。きっと間違いない。納得した太郎は、抵抗することもせず彼に従うことを決めた。どうせ俺の運は悪い・・・と。

                 *

 人工知能『アドルフ』は、いつものように自己診断プログラムを走らせ、バグチェックをしていた。今日のエラーは、食品工場でのミスと、交通管理のミスによる事故の2件が発生している。しかしこのエラーをチェックしようとすると、またエラーが発生し、修正することができない。


【こちらアドルフ22号、自己診断プログラムとファイアウォールの強化を願います。】   


変電所と兼ねた、22番地区を管理するアドルフ22号は、原因不明のバグに困り果てていた。


「所長、アドルフの調子がおかしいです。」

嘱託エンジニアが英数字の羅列を見ていた。先程開封したメールのリンクをクリックすると、おかしなプログラムがインストールされてしまったのだ。


「他のアドルフも敵対する人工知能に攻撃されているみたいです。23号、24号…」

「早くファイアウォールを強化しろ」

「分かりました」と別のエンジニア。

「間に合いません。相手の数が多すぎます。処理も早いです!DDoS攻撃でしょうか。」また別のエンジニア。

「他のあらゆるタスクを終了させ、セキュリティに集中させろ。こっちの処理速度を早くしろ!」所長は所員に呼びかけて、セキュリティを強化させた。

 その日、DDoS攻撃は朝方まで続いた。結果として22番地区は一斉に停電し、ライフラインが一時的に停止した。数時間ほど経ち、エンジニア達はライフラインを回復させた。攻撃が止むと、エンジニア達はファイアウォールを一層強化し、ネット環境の保全に努めた。

「アドルフは単体であまりに多くの業務を抱えています。情報のやりとりも多い。そこでの虚弱性を狙われたのです」エンジニアが続けた。


「奴は、まるでスパルタクスだ」と喧騒のなかでそのエンジニアが呟いたが、その言葉だけは誰も聞いていなかった。

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