第14話

「アルビオン」外の人間が抱いている勘違いがいくつかある。

「アルビオン」は国家ではない。数百年前に起こった悪魔狩りにて、大幅に減少してしまったエクソシストの保護と発展のために作られた組織だ。

 また、「アルビオン」は秘密結社ではない。それはただの偏見だ――「アルビオン」の人間にとって、「アルビオン」はただの建物でしかないのだから。

 街の中心に建てられた五階建ての建物は、意外なほどに普通であった。どこかの中小企業の本拠地であると言われれば思わず信じてしまうほどに。塀もなく要塞があるわけでもない。センサーで反応し開閉を繰り返す透明な扉に、不用心すぎると思わず呆れてしまうくらいだ。

「先ほど電話をしたレッドフィールドだけど」

 だらしなく頬杖を突きながら、ウィルは受付嬢に声を掛けた。黒い髪を肩程度まで伸ばした、若い女。容姿の作りは悪くない、けれど極端に笑顔がない、というのがオリヴィアの勝手な印象だった。

 受付嬢はちらりと手元の紙を見ると、その感情の見えない瞳をすっと上げた。

「はい、ご連絡を頂いたレッドフィールドさんですね」

 ウィルはそのままなぜか受付カウンターに腰を乗せて足を組むと、

「エドガー神父いる?」

「三階の応接室にてお待ちいただいております」

「あ、そ。わかった」

「それではこちらに名前と連絡先を……それとネームプレートをお付けください」

「さんきゅ」

 受付嬢からひったくるようにしてネームプレートを受け取ると、ウィルはさっさとカウンターから降りて歩き始めた。慌てて後を追いかけるオリヴィアに、ネームプレートを一枚投げつけた。

「意外だったか?」

 肩越しに振り向いて、ウィルが口元だけで笑みを作った。丈の短いグレイのパーカーは初めて見る。が、顔半分を覆うサングラスは相変わらずだ。

 オリヴィアはいそいそとネームプレートの紐に頭を通し、

「ええ。こんな簡単に入れるとは思わなかったわ」

 女性ものの衣服は、旧探偵事務所のシャワー室に保管されていた。ベージュのブラウスに薄いピンクのカーディガン、膝上のスカートは少しばかり短いと感じていたが、黒いストッキングで太ももを覆うことで羞恥心を耐えていた。

「ここは秘密組織じゃねぇからな。大抵の人間は受付で名前書くだけで入れるんだよ。子供でも大人でも、よっぽど怪しい人間でなければな。一年に一度、子供が社会科見学にくるくらいだ」

「随分ライトな職場なのね」

「まぁな。一応、神様に仕えてるようなやつらの集まりだからな」

 ウィルの後を付きエレベーターに乗り、三階まで移動する。『白い国アルビオン』の名に相応しく、白く長い廊下だ。よく言えば洗練された、悪く言えば殺風景なだけの廊下。すれ違う人も様々だ。たつぷりと口髭を蓄えた老紳士、ぴしっとしたスーツ姿のOL風の若い女。

「みんなスーツ姿なのね」

「ここにいるのは殆ど事務職のサラリーマンだ。実際現場に出ている人間は殆どいない。大体、自分の教会だとか……そうでなければ何らかの仕事をしているから、当に用事があるときにしかここにはこない」

「用事?」

「免許の更新だとか申請だとか――あとか、儀式に対する許可証だな」

「許可?」

「ああ。この間俺やシャルルがやったような悪魔祓いの儀式っていうのは、本来は『アルビオン』の許可が必要なんだよ」

 オリヴィアとウィルでは歩幅が大きく違う。彼の一歩が彼女の半歩に相当する。もっと気を使ってくれればいいのにと辟易してしまう。

「じゃあ、あなたたちは許可を取ったの?」

「俺は取ってねぇよ。あいつは知らねぇ。取ったんじゃねぇの」

「どうして許可を取らなかったの?」

 ウィルはそこで一度足を止め、アホじゃねぇの、というようにして眉を寄せた。それから、ふう、と軽く息を吐き、肩を竦めた。

「俺がアルビオンの人間じゃないからだよ」

 オリヴィアがそれを聞き返すよりも先に、彼らの前に一つの扉が現れる。そこにはでかでかとこう書かれたプレートが下げられていた――「応接室」

 ウィルは三回軽く扉をノックし、声を掛けた。

「どもども。レッドフィールドでーす。入りまーす」

 相手の反応を待つことなくさっさとノブを回す彼に続き、オリヴィアはひょいと室内を覗き込んだ。

 そこには男がいた。黒い髪を後ろに流した、三十代前半ほどの男だ。光沢のある黒いローブを着込んでいて、胸元には見覚えのある十字架が光っている。

 男はのっそりとソファから立ち上がると、挨拶よりも先に苛立ちの目立つ表情でテノールを響かせた。

「ウイリアム。こっちに来るときは、きちんと連絡をするようにと言っただろう」

「ちゃんと連絡しておいただろ。エドガー神父お願いします、って」

「連絡が遅すぎるし急すぎる。今日はたまたまこっちに用事があったからよかったものの、もしも私がいなかったらどうするつもりだったんだ」

「そしたらこっちに来てもらうだけのことよ」

「大馬鹿者が」

 男――エドガーはさも落胆したというようにして両手で顔を覆った。思う存分息を吐きだし、ウィルの後ろで固まっていたオリヴィアに気が付いた。

「そちらの女性は?」

 ウィルはどかりとソファに座り込むと、そこに合った水を飲みほした。恐らくはエドガーの飲み掛けだろうが、そんなことは気にしていないらしい。手の甲でぐい、と口元を拭い、その指先を彼女に向けた。

「エマリエル社のじゃじゃ馬娘」

「エマリエル? って交易会社の」

「そう。あの交易を中心にビル建設やショッピングモールを経営するエマリエル社」

 ちらり、とサングラス越しに目を向けられ、オリヴィアは慌てて頭を下げた。

「は、初めまして。オリヴィア・エマリエルです」

 エドガーはじろじろとオリヴィアの垂れた旋毛から靴の先まで視線を三往復ほどさせた。それから、勝手にくつろぎ始めたウィルに目を向け、言った。

「おいウィリアム」

「あ?」

「式場の予約は、そう簡単にはできないぞ」

「……なに勘違いしてんだお前」

 ぐい、と口元を歪め、否定する。が、エドガーは顎の下に手を当てて考え込むような仕草を取ると

「しかしだな、やはり一生に一度のことだからその辺りのことはきちんと……」

「違うって。こいつはただの餓鬼でただのクライアント」

「クライアント……」

 エドガーは顎に手を当てたままじろじろとオリヴィアのことを見下ろした。まるで品定めでもするかのようだ。

 オリヴィアは居心地の悪さを感じつつ、こう言った。

「あ、あの! わたし、今回は彼に依頼をしていて……それで、ここに連れてきていただきました」

「依頼」

 これはエドガー。

 ウィルはのろのろとソファから立ち上がると、これまた勝手に備え付けの冷蔵庫を開け冷えた麦茶を取り出した。

「こいつの家、クマのお化けが出るんだってよ」

「クマ?」

「クマのぬいぐるみが一人で勝手に歩き回るの」

 エドガーは放心したように額に手を当て天を仰ぎ、へなへなとソファに倒れ込んだ。

「あ、あの……」

「……折角貰い手ができたと思ったのに」

「できてねーから」

 ウィルの手から、冷たい麦茶がこぽこぽカップに注がれる。が、エドガーは、ウィルがそれを飲む直前でひったくると自分の口に流し込んだ。

「あっ」

「で、そのお客さんと一緒にこんなところを訪れて、何か用か」

 サングラスの上からでもわかる恨みったらしい視線など気にもせず、エドガーは空っぽのカップをテーブルの上に置いた。ウィルは思い切り眉を顰めてからそこに再び麦茶を注ぎ込みながら、

「この間、こいつの家に行ったんだ」

「ほう」

「一応儀式という形は取ったんだけど、なんだかうまくいかなくてさ。そしたら、俺の後に来たなんちゃらっていうエクソシストが来てさっさと解決しちゃったんだ」

「お前、役立たずだな」

「うるせぇよ。そんで解決したはずなんだけど、なんか解決してなかったらしくて」

 そこで、エドガーの視線がオリヴィアに移る。きりりとした切れ長の、鋭い黒だ。心の底まで見通されてしまいそうなその色に緊張しながら、オリヴィアは答えた。

「捨てたはずの人形が、嵐の中一人で勝手に戻ってきたんです」

「誰かが持ち帰ってきたんじゃないのか?」

「あの日はひどい嵐で、誰も外になんか行けるような状況じゃなかったんです」

「では風で吹き飛ばされたとか」

「私の部屋、二階にあるんです。その、二階の私の部屋の窓から覗くようにして吹っ飛んでくるなんて、どんな天文学的確率でしょうか」

 彼女の言い分に、エドガーはふむと足を組んだ。すらりと足が長く姿勢がよくそれだけでもう様になる。そんな場違いなことを考えるオリヴィアを置いて、ウィルはエドガーに言った。

「無理だよ。そいつ、すげぇ強情だよ。だからここまで連れてきたんだ」

「どういうことだ?」

「俺が何かする、って確証が欲しいってこと。でもなければ絶対に引かないね」

「と、いうことは?」

 ウィルはエドガーに空のカップを突き付けた。

「資料室の鍵を貸してほしい。それで、ここ百年ほどの資料が見たい」

「……それで事は解決するのか?」

「何事にも下調べは大切だよねぇ」

 エドガーはどこか疑うような目つきでウィルを睨むと立ち上がり、デスクの中から一つの鍵を取り出した。

「失くすなよ」

「ああ、ありがとう」

「決して資料室で、飲食行為をしないように」

「わかってるって」

 ウィルは立ち上がると、さっさと扉に向けて歩き出した。ドアノブを回す直前で、オリヴィアがその手に静止をかけた。

「待って、私も……」

「ああ、そりゃ無理だ」

「なんで……」

「そもそも資料室っていうのは、アルビオンに所属する極限られた人間しか見ることができない。俺のコレは特別」

 チャラチャラと彼の指先で音を立てる鍵に、オリヴィアは何も言えなくなる。下唇を噛んで俯く彼女の頭をぽんぽんと叩き、ウィルは白く輝く歯を見せた。

「ま、二、三時間もあれば戻ってくるからよ。それまでお茶でも飲んでゆっくりしててくれよ、オジョーチャン」

 二十歳にも近い彼女を完全に子供扱いし去っていく彼の足音は軽快だ。颯爽と閉じられてしまった固い扉を恨みったらしく睨みつけるも、そこが開くことはまずありえない。

 そんな彼女の体の拘束を解いたのはエドガーだった。彼はひどくゆったりとした動作で立ち上がり薬缶を手に取ると、備え付けの水道で水を入れ始めた。

「紅茶を淹れてあげよう。アールグレイは好きか?」

 彼の言葉に、オリヴィアは少しばかり戸惑う。返事に困り、それから短く「はい」と返した。

 彼女の肯定を聞きながら、エドガーはなみなみと水の注がれた薬缶を火にかけた。

「ミルクと砂糖はどっちがいい?」

「あ、ど、どっちも……」

「それでは、沢山入れて甘めにしよう」

「あ、は、はい」

 視線の動きだけで座るように促され、ゆっくりとソファに腰を掛けた。

 エドガーはウィルが飲み切ったカップを流しに置き、オリヴィアの正面に座った。

「申し訳ないな、丁度茶菓子を切らしていて……」

「あ、いえ。すいません。私たちが急に訪れたせいで」

「急な客はたびたびやってくるものだ。それを承知の上で茶菓子を切らしてしまったのはこちらの不備だ。次に会うときは、何かしら用意をしておこう」

 果たして次があるのだろうか。

 そのようなことを思うのだけれど、あえてそれは口に出さない。

「紹介が遅れてしまい申し訳ない。私の名前は、エドガー・コルネリウスという。東の街で神父をしている。普段は教会に籠っているのだが、今日はたまたま用事があってな。訪れた瞬間、あのアホタレから連絡が入った」

 全くあのプータローが、と毒を吐く彼の瞳はどこまでも黒く美しい。切れ長の一重瞼は涼し気で、態度はひどく穏やかで優しいのに、ひんやりとした冷たさすら感じてしまう。

「あの……」

「ああ」

「コルネリウス先生は、彼とは、どういうご関係で?」

 鉄の薬缶が赤い炎に炙られて、ちりちりちりという音を立てている。が、湯が沸くにはもう少しだけ時間がかかるだろう。

 エドガーは意味もなく両手を組むと、口の動きだけで軽く笑った。

「彼の古い友人だ」

「友人……幼馴染かなにかで?」

「幼馴染……とは少し違うな。彼と初めて会ったとき、私はすでに二十歳を超えていた。まぁ、彼はまだ十歳にもなっていなかったが」

「そう……なんですか」

 時計の針が、この部屋の空気を支配する。カチカチカチ……カチカチカチカチ……秒針が数字を一周し、エドガーは声を出した。

「君は」

「はい」

「彼の目を見たか?」

 エドガーの問いかけに、オリヴィアは回想する。ウィルの瞳。自分の家の地下室で見た、まるで灼熱の炎のような、もしくは一日の終わりのような、鮮やかな赤。それを思い出し、「はい」と小さく返答する。

「とても、綺麗な赤でした……珍しいですね、彼、コンタクトでもなんでもないと言っていました」

 オリヴィアの言葉に、エドガーの黒い睫毛が少し揺れる。何かを思い出す様に二、三度瞬きをして、呟く。

「綺麗な、赤、か」

 赤い炎が薬缶の底を焼いている。一度触れたら皮膚を梳かすその色は、じわじわと水に熱を加えていた。伸びた口から、うっすらと湯気が漏れている。

「……彼の瞳は、黒だった」

「……え?」

 薬缶の湯気に気を取られていたオリヴィアの意識は、彼の言葉に反応するまでに少しばかり時間がかかる。もう湯が沸くだろう。あと一分――あと五十秒――四十秒――

「彼は、私が、儀式を失敗したために、悪魔に

取り憑かれたのだ」

 瞬間、湯が完全に沸騰をしたことを告げる音が鳴り響く。

 ビービーと泣きわめくビルに導かれるように、エドガーは立ち上がった。沸いた湯をティーポットに茶葉を入れる様もそこに湯を注ぎ込む指先も優雅なものだ。あまりにも穏やかで落ち着いた物腰に、自分がここにやってきた目的を忘れそうになるくらいだ。

「どうぞレディ」

 差し出されたダージリンが香り高く美しい。湯気の立ち方さえも気品がある。一口飲めば、その温かさに思わずほぅとため息が出てしまう。暫しの間ダージリンの美味しさに酔いしれて、ふいに意識が元に戻る。

「あ、あの」

「ああ」

「彼が……儀式に失敗したって……悪魔に取り憑れたって、その……どういうことですか?」

 カップを両手で持ったまま問いかける、彼女。エドガーはぱちりと細い目を広げると、何かを考え込むように指先を顎に当てた。

「……君は聞いていないのか?」

「あ、はい。あれが自前だということ以外は、なにも」

「そうか。一見、ウィリアムは君に大分心を開いているように見えたのでてっきり知っているものかと。すまない、失言だったようだ」

「あ、いえ……」

「気にしないでくれ、忘れてくれて構わない」

「あっ……」

 早急に話題を切り替えようとするエドガーを引き留めるようにして、右の指先を伸ばす。海辺の貝殻のような彼女の爪は、彼の視線を独り占めしてテーブルにゆっくりと落ちた。

「……その、続けて、ください」

「……あまり面白い話ではないがな」

「いいんです。彼はその……そういう話をあまり、してくれませんから」

 エドガーは口の動きだけで笑みを作り、揺するようにして腰の位置を軽く直した。居心地が悪かったのか、ただ単に体勢がよくなかったのかはわからないが。

 彼の薄い唇が白いカップに触れる。男らしい喉仏が上下して、彼の体内をアールグレイが侵食していくことを知る。そしてオリヴィアもまた、豊かな香りで体内を潤すためにティーカップを持ち上げたのだ。


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