色彩フラグメンツ『極彩』

五色ヶ原たしぎ

白い風景に埋もれる何か。

色彩フラグメント『白蓮』





 何とかかんとかという物質が何とかかんとかされると、何とかかんとかされて結晶化するらしい──がしかし、その詳しくを俺は知らん。知らんどころか、知ろうともしない。

 世界のどこかで流れる血も汗も、俺は欠片さえも知ろうとしない。

 俺に知れるのはただ、今こうして遥か高みから降り注いでいる白蓮の雫だけだった。


 白蓮──結晶化した何とかかんとかが季節風に乗って、上空の高く高い場所で冷えて固まると、そういった名前の白い何かに変わる。

 たんぽぽの綿毛とか雪の結晶を思わせるその姿は、まぁこうして途方に暮れてしまうほどに綺麗だ。世界にだんまりを決め込んでいる俺の心にさえも、白蓮が降り続く姿は何かを訴えかける。


 白い景色を仰ぎながら、俺は記憶のどこかから寂れた風景を取り出した。俺がまだガキんちょ中のガキんちょだった頃に、遠足だか社会見学だかで出掛けた山の上から眺めた広大無辺の水面。

 青い空を蒼く写し、碧黒い腹には藻なんかを優雅にはべらせて──そんな水面に一陣の風が吹くたびに、乱反射する太陽光が俺の目を責め立てたのを覚えてる。


 その水底には、ダムに沈められた村が存在しているのだとか言っていたっけ。けれどそんな事さえも、俺は知らん。知ろうともせずに、悲しみの上辺だけを掬う。

 ──あの日、あの水の底で寝転がって水面を眺めたら、もしかするとこんな幻想的な絵面を拝めたのかもしれない。

 そんな事をぼんやりと考えながら、俺は白蓮の降り注ぐ靄がかった空を眺めている。


 静寂。


 しかしややあったところで、上着のポケットの中で端末が震えた。これが数秒間続くようなら、何かの通知ではなく着信の知らせという事だ。

 俺は息を潜めて待った。なぜ息を潜める必要があるのかと問われても、そんなものはもちろん皆無なのだけれど。

 一秒、二秒、三秒──しかし胸の振動はまだ続いている。


 俺はやれやれといった想いで、端末からの着信を繋いだ。


「ちょっとあんた、何してんの」

「そっとしておけ。俺は今、幻想の中に沈んでいるんだ」

「何そのセリフ。どこの阿呆よ。っていうか」

「何だ」

「自殺するなら位置情報くらい切りなさいよ。女々しい」


 甲高い声が、容赦なく俺の耳を貫く。彼女の言葉の中身よりも、騒々しい声の方が堪えたというのだから、俺は救えない。


「すまない。位置情報については切り忘れだ」

「切り忘れ最高。すぐに迎えに行くから、近くで待ってなさい」

「その必要は無い。俺はもう、随分と吸い込んでしまったから──」


 白蓮は、遅効性の猛毒。

 静かにこの神経を断ち切り、静かに死神の鎌を引き寄せる。それは、めずらしくこの俺が自ら知ろうとした知識の中の一つだった。


「……あんた阿呆過ぎ。でも知ってた? 白蓮の血清だって、今では少なからずマーケットに出回ってるんだから」

「あんな高価なもの、俺の口には合わない」

「ったく、呆れるくらいのナルシストね! 良いから大人しく待ってなさい。そもそも何で死のうとするかなぁ!」


 ぶちっという音を立てて、一方的に通話が切れた。通話を切る音にさえも、彼女の感情がしっかりと籠められているようだった。

 彼女のそういった部分を、俺は心から愛しているし、きっとこれからだって、愛し続けていくのだろう。


 ──愛し続けて、いたのだろう。


 そんな事を考えている間にも、俺の視界が徐々にぼやけていった。俺の思考回路も、心なしか少しずつ麻痺してきたように思う。


 ──『そもそも何で死のうとするかなぁ』、か。

 彼女の言葉を小さく反芻すると、やがて苛立ちが俺のすべてを塗り潰した。


 『あんた阿呆過ぎ』

 『呆れるくらいのナルシストね』

 『何で死のうとするかなぁ』


 それらはすべて、俺の台詞のはずだ。

 なのにどうして君は、どうして君は、どうして君は。


 ──君は!


「はは……、はははははははははははははっ!!」


 真っ白な景色へと、ありったけの哄笑をぶちまける。


 ああ。

 君が死んだ理由さえも、俺は知ろうともしなかった。

 その欠片さえも、俺は知ろうともしなかった。

 せめてもう一度、俺は喉を震わせて。

 この哄笑のように、腹の底から震わせて。

 君に問いかける事が。

 君に。

 君に問いかけ──。























「ねぇ、ねぇ! ちょっと、起きてよ……目を覚まして。さすがに冗談きついって!」




 消え行く景色の中で、復元された電子音声が俺を呼ぶ声がする。

 彼女の思考回路を象ったオブジェが、俺の亡骸を見つけて流す涙の意味。

 それすらも知ろうとせずに、君の居る場所へと俺は逝くのだった。







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