第3話

「うちらはバイトで来たんです」

 と酒をあおりながら老ノ坂は説明を始めた。


「バイト? こんな夜中に?」

「一応ナイショで。うちの学校バイトは禁止されてますから」


 老ノ坂は唇の前で人差し指を立て、いたずらっぽく微笑む。酒のせいかほんのり頰が赤らんでいる。

 それが様になっていたので、こんなコスプレじみた格好で山の中に女の子を集合させるバイトってなんだよ……? という疑問を田村くんは飲み込む。

 ここで田村くんが疑問をのみこんだせいか、老ノ坂はやや滑らかになった口ぶりで話をつづけた。


「バイトそのものも禁止されてますけど、鯨猟そのものも今はお上から禁止されてますし……。手伝ったことがバレたらまず学校にはいられません」

「……はあ。うん」

「せやけどうちらにはミナトの鯨捕りの人らとは千年以上のつきあいがありますさかい、禁止されたからいうたかて付き合いを放棄するわけにはいかへんのです」

「?? ……うん」


 どうしよう、さっぱりわからない。

 老ノ坂はどうやら、彼女らにとっては一般常識的な知識を田村くんも共有していると思い込んでいる。そのせいで、鯨がどうのと、千年以上のつきあいがどうのと妄言めいたことを口にして話を続ける。

 それは田村くんにとっては居心地のわるいことだった。なんとかタイミングを伺い、説明を促そうとした。が……、


「せやし、お兄さんも今の時期ここのバス停におらはる言うことはさぞかし名うての術者やとお見受けしますけど、ここはどうかナイショってことにしたってください。ね?」


 ね? と田村くんの顔を見つめて笑顔で念をおす老ノ坂の様子についうっかり胸を高鳴らせてしまったせいで、詳しいことを尋ねる機会を失してしまった。


「ああ、うん。わかったわかった。内緒ね、内緒。了解」 

 可愛い笑顔を前についつい安請け合いしながら、心の中では頭をかかえそうになる田村くんだった。

 とにかく説明が欲しい。一体この女の子たちはなんなんだ……? と、すがる思いで彼はバス停の中を見回す。そしてピンときたものがあった。


 田村くんは弁当を食べている三人衆を見つめる。

 去年何かに酔ってゲロ吐いたという紫色ツインテール(名前は大堰おおい)。

 甲冑のせいでどこかから沈みかけたという若武者少女(名前は小向こむぎ)。

 ゲンコツ大の唐揚げをきれいにたいらげたあと今は肉まんにかぶりついてるジャージに角付きヘルメット少女(名前は天若あまわか)。

 一見一番まともそうだけど飲酒しながら鯨がどうこうと言い出す正体不明の黒髪女子(名前は老ノ坂おいのさか)。


 はっは~ん……。パズルのピースがはまったような快感に浸りながら、田村くんは一人うなずいた。

 要はこの子たちはコスプレイヤーなのだ。鯨がどうとかそんな物語を主体にしたアニメか漫画、もしくはゲームのファンなのだ。二次元文化のキャラクターになりきることで金銭が発生する怪しいバイトつられてやってきたのだ、こんな夜中に山の中で……。


 怖っ! なんだそのバイト怪しすぎ! いざとなったら通報するべきか?


 一瞬田村くんの背中がヒヤッと冷たくなるが、時折述べている通り田村くんは結構なお調子者だった。

 お調子者で目立ちたがり屋の精神が、こんなみょうちきりんな状況に食いつかないでどうするんだと叫びだした。「湊」というバス停に関するうわさがたとえガセだったとしても、彼女らの謎のバイトを追求すれば十分今回のチャレンジの元はとれる。


 そしてなにより田村くんは、姦しくて可愛い女の子たちにキャッキャと絡まれるのが結構嫌いじゃなかった。たとえそれが妙なコスプレイヤー集団だったとしてもだ。


 

 よって田村くんは深く考えることなく話を彼女らに合わせることにした。


「そっかあ、バイトかあ……。こんな夜中に大変だね」

「ん~、まあ鯨猟は肉体労働ですしねえ。大変言うたら大変ですけど、その分見返りは大きいんでやりがいはある言うたらあるかな?」

「御禁制になって闇相場での鯨肉の価格も高ぁなる一方ちゅう話やしな」

「いや、禁制になっている足元をみて仲介業者が低く買い取っているっていう話を聞くで?」

「どっちでもいい、貰えるものを貰えたら」


 田村くんのねぎらいの言葉に、妙な三人衆まで話に参加し始めた。また元通りバス停の中は賑やかになる。賑やかになったはいいが、彼女らの言ってることはやっぱり何一つ理解できない。

 困るんだよなあ、他人がいるのに自分たちだけで通じる話を繰り広げる集団って……。


「お兄さんも鯨を捕りに来やはったんでしょ?」

 

 やいのやいのと議論を始める三人を放って、老ノ坂が尋ねた。小首を傾げる仕草がやっぱりかわいらしい。

 が、さすがに今回ばかりはスルーできなかった。田村くんはオウム返しする。


「鯨?」

「そう、鯨。お兄さんちょっと見た感じ普通の人間にしか見えへんのに。すごいわあ」


 さっきから出てくる鯨って何? こんな山の中で鯨を捕るとかなんとかどういうこと?

 そんな疑問を表情と口調に漂わせたつもりの田村くんだったが、老ノ坂はそれを汲んではくれそうにない。

 さすがの田村くんも様々な謎が流れっぱなしで話を続けるのも辛くなり、実はこれこれこういう噂がありまして……と説明しようとしたが、老ノ坂は不思議そうにぶつぶつ呟く。


「せやけど……おかしいなあ。雲鯨クモクジラ捕りはよその人間には声かけへんはずやのに……。方針変わったんやろか?」

「……ほんまにその人、鯨捕りに来たんか?」

 訝しむように言ったのは甲冑を着た小向だ。田村くんに疑う眼差しを向ける。

「どうみても普通のお兄さんやで?」

「あっほやなあ。普通の人間がこんな夜中にこんな山の中でウロウロしてるかいや。常識で考え、常識で」


 紫色ツインテールの大堰が小向の疑いをそらしたお陰で、田村くんが鯨とやらについて尋ねる機会がまたも失われてしまった。


 これでは埒があかない。自分のついていけない話題について云々される場所にはこれ以上いられない。

 田村くんは軽く膝を揺すってから話を変えることにした。とにかく主導権を握らないと。

 


「えーと、君らはどこの高校の子?」


 ぴん、とバス停の中の空気が一瞬で強張った。

 さっきまで騒いでいた三人、そして微笑みを絶やさなかった老ノ坂まで険しい表情で俯く。

 田村くんはその空気で、自分がなんらかの地雷を踏みぬいたことを一瞬で悟った。え、これ、しちゃいけない質問だったの?


 沈黙を打ち破るように、ぼそっと答えたのは紫色ツインテールの大堰だった。

「……コー」

「え? ごめん、もう一回言ってくれる?」


 それはあまりにも大堰の口ぶりが不愛想で不鮮明だったためよく聞き取れず、確認をしたいがために重ねた質問にすぎなかった。

 だというのに大堰は、うわああん、と派手に泣き叫ぶふりをして顔を手で覆った。


「嫌や~、どうせまた答えても、『え? 甕高? どこにあんの? 甕丘? そんな遠いところからよう来たなあ』とか言われるんや~。市内に住むもんはみんなうちらをみんなもてあそぶんや~」

「諦め、大堰。それが口丹くちたんにすむもんの宿命や。粛々と受け入れ」

「どうせうちらは西院さいの彼方にすむ鬼やさかい」

「うちは嫌や~、小向と天若だけ受け入れとったらええねんそんな宿命~」 


「ごめんなさい、お兄さん。うちら市内の人とも交流があるんやけど、やれ田舎ややとか、やれ電車の本数少ないとか、やれなんもあらへんとか、うちらの地元に対してやいやい言われることが多て……ほんでちょっとこの子らもこじらせてるところがあるんです」

 代表して老ノ坂が謝るが、三人はじとっと恨みがましい目で田村くんを見つめた。


 しかし、田村くんにはカメオカという響きになじみがあった。そして三人の大げさに悲嘆にくれたり投げやりになった態度にも覚えがあった。

 何を隠そう、田村くんをここまで車でつれてきた友人、彼がそこの町の出身だったから。


「ああ……大丈夫大丈夫。俺の友達も同じ所出身だから」

「え!」


 今度は一気にバス停の空気がぱあっと明るくなる。

 笑顔になった三人が田村くんのもとに押し寄せる。

 

「お兄さんの友達、かめ人なん⁉」

「どこ高? もしくはどこ中? ご存じやろか?」

「甕人に親切なお兄さんには栗を進ぜる」


 三番目にやってきた天若がうやうやしく差し出す鬼皮つきの栗を一粒受け取りながら、田村くんは苦笑した。そして今ここにいない友人のことを思う。


「おんなじ府民なのに、そこの住民あつかいされへんし。市内の人からは地の果てから来たような扱いされるし。……電車でたかだか数十分、快速でも20分くらいしかかからへんとこから来てるのに……」


 甕丘という、市内の外にあるのどかな町出身であることを、友人はときどき苦々しい口調で嘆いていた。


「他府県から来た連中には知名度なんて全然あらへんし、根っから市内に住んでるヤツからは『あいつらは山の中におる田舎もんの癖にブランドある自分な府民と同じ人種やって顔をして厚かましい』って嗤いよるし……。生まれからずっとここの府民ですって事実を述べてるだけやっちゅうのに経歴詐称扱いや。やってられん」


 友人の嘆きからコンプレックスの深さが伺い知れたが、彼女らのコンプレックスも負けず劣らず深いようだ。


「大体市内のやつらは調子のりすぎやねん、何が千年の都や。あっほらしい。文化財がようけあるだけやないか。たまたま戦争の被害免れただけのくせに」

「せや、戦争終わるのもうちょい遅かったらまる焼けになっとったのにな」

「うっとこで戦争言うたら応仁の乱ですうって言う、持ちネタ披露できる幸運を噛みしめてほしいよな」 


「ええと……それ以上はあんまり言わない方がいいとお兄さんは思うよ?」

 話がキナ臭くて不穏当な方向へ流れていこうとしているので、田村くんは制した。

 とにもかくにも彼女らの市内に対するコンプレックスは酷い。ある程度大人の対応ができる友人よりもその純度が高い。


 これはあまり刺激しない方がいいだろう、田村くんはそう判断する。


 ともあれ彼女らは田村くんが甕丘という街をしっているということでずいぶん親しみを感じたらしく、にこにこと笑顔でお菓子なんぞを差し出してくる。落ち着きはなく妙ないでたちではあるが、可愛らしい女子高生になつかれるのは悪いものではない。


 せっかくやし写真撮ろ~と言うので、三人衆の写真撮影に参加してみたりもする。SNSのアカウントも交換するが、やっぱり山の中ではなかなかスムーズにお互いのTLに接続できない。


「……うーん、あかんなあ。まあ山に下りたら見てみて」

 一番写真撮影に熱心だった大堰があきらめたようにスマホをポケットにねじ込んだ。


 田村君もついでに似たような写真を撮って自分のSNSに投稿したのだが、やはり上手くいかない。しかたがないので、奇妙な女の子達に遭遇したことのみをしらせる短文のみを投稿した。


 時刻をみれば日付が変わるまであと数分というところだった。

 

 鬼と遭遇する時間まであとわずかだが、バス停の中では女子たちがギャーギャー騒いでいて姦しい。人ならざるものと遭遇するような神秘性や幻想性、なによりも恐怖に程遠い空気が醸しだされていた。やっぱり高校の昼休みのようだ。

 おかげで田村くんは非常にリラックスしていた。怖いより楽しい方がいいじゃないか。


 変な女の子たちだけど、おかげでミッションは楽に完遂できそうだと安堵した心地でいると、田村くんのスマホが着信をしらせてきた。みると、山の中の無人駅で待機している友人のものである。


 バス停のベンチから立ち上がって小屋の外に出、通話ボタンをおすと友人ががなりたててきた。


『お前、なんやねん! 山の中で女の子に会ったとか⁉』

 どうやら彼は田村くんの投稿を見たようだ。急いで車を走らせてくれている最中らしい。


「ああ、お前とおんなじ甕丘の子だぞ。なんかバイトでここに来てるって……」

『こんな山の中に高校生女の子連れ出すバイトってなんやそれ⁉ そんなもんこの世にあるかあ⁉』

 耳にかみつきそうな勢いで友人は怒鳴った。耳がキーンとしたムカつきから、田村くんはつい反論した。


「……っだよ、あるかもしれねえだろ?」

『あったとしても絶対カタギのバイトやないぞ、そんなもん。怖い人が裏におるに決まっとるわ』


 ……まあ、それは確かにそうかもしれない。と、田村くんも認めた。

 車を走らせてくれている友人が、あきれたようにはあっとため息をつく。


『お前、ほんまにアホやな。……とりあえず急いでそっちに行くから待っとれよ。着いたら何が何でも連れて帰るからな! なんかあったら遅いんやぞ!』


 ぶつっと通話は切れた。 

 田村くんはスマホを耳から遠ざけ、どうやら自分のことを本気で心配しているらしい友人にしみじみと感動を覚えた。まさかあいつがこんなに情の濃い人間だったとは……と、そんな気持ちでバス停に戻って元いたベンチに座る。



「今のは?」

「ああ、俺の友達」


 尋ねる老ノ坂に、田村くんは答えた。


「実は……さっきはつい君らの話に合わせちゃったけど、実は俺、ちょっとした都市伝説みたいなのを聞いてここに来たんだよね」


 自分を心配してこの深い霧の中、車を飛ばして駆けつけてくれる友がいるという事実にうっかり感動してしまった田村くんは、その快さから自分がなぜここにいるかについて説明を始める。

 四人の女子の視線がこっちに集中してるのも、ようやく自分の話をできるのも、どちらも嬉しい。


「都市伝説?」

 大堰が若干眉間にしわを寄せながら繰り返す。


「そう、都市伝説。こんなふうに濃い霧が出るようになったころ、このバス停で午前0時を迎えると鬼の隠れ里へ連れていかれるっていう……。で、俺はその噂がほんとうかどうか確かめにきたんだよ、本当は。嘘ついてごめんね? でも鬼ってところがよくない? なんか珍しくて……」

 

 明るく語った田村くんは、四人の様子が徐々に変化していくのに気づくのが遅れた。各々目を見開いたり、口元を引きつらせたり、ヤバいと言いたげな表情で固まっている。表情に乏しい角つきヘルメットの天若ですら、あんぐりと口を開いていた。

 その様子から、自分の暴露が彼女らにもたらした衝撃は、彼女らの通う高校はどこかを尋ねた時の比ではないことを知った。どうやら全くシャレにならない、本格的にやばいやつだったらしい。


 高校の昼休みめいていたバス停の中は、水をうったような静けさに包まれる。



 ちらっとみたスマホの時計は、日付が変わるまであとほんの数分だと示していた。


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