17:23/玉城仁の深謝

 「それで、斎藤先輩……お話とは」

 「…………………………………………………」

 終業後、会社からほど近いカフェの一角で、俺は机に突っ伏したまま微動だにしない先輩に呼びかけた。

 「ほら斎藤、黙ってちゃわかんないでしょ?」

 「…………………………………………………」

 隣席の大島先輩も、ブラックを一口飲みつつ声を掛けるが…応える気配はない。

 何か話されたいことがあるのは間違いないはずだ。就業時間もあと僅かという頃、この後部活の緊急ミーティングだと大島先輩を招集しているところにたまたま出くわした俺にもお声が掛かり、3人でこの店を訪れた。が…斎藤先輩は席に着くなりこの体勢から動かなくなり、そのまま5分ほどが経過している。

 「もー……玉城くん、なんだかわかんないけど付き合わせてごめんね?」

 「いえ、俺は晶先輩を社内で待つつもりだったので問題ありません」

 俺は雨が降りしきる窓の外に目をやった。ここへ来て台風予報はだいぶずれ込んでいて、明日土曜未明の『関東最接近』は、どうやら師走としては数十年ぶりの『関東直撃』に進路を変えるらしい。午後から総務と人事の役職者が総出で対策に乗り出していたというのに、営業本部は明日明後日のコンペが予定通り行われることを想定するとかでまさかの残業。「こんな世界は一度滅ぶべき」と言い残し、悲壮な表情でデスクに戻っていった晶先輩を残して、俺だけ帰宅するなどできるわけもない。例え電車が止まったとしても、家まで無事に送り届けるつもりで待機し今に至る。

 「さすがに残業も巻きになると思うけどねぇ」

 「だといいのですが…」

 「うちらも早く帰らないとなのに、まったくこの人はどうしたんだか……あと5分反応なかったらこのまま置いて帰ろっか」

 「いえ、でも…確かに今日の斎藤先輩は少し様子がおかしかったので、気になります」

 「そなの?何か聞いてる?」

 「皆にミスを指摘され通しでしたし、気付けば席に姿がないことが何度も。てっきり体調が悪いのかと思っていたのですが…」

 「ふむふむ…それはいつぐらいから?」

 「昼……もしくは午後からでしょうか、っ!」

 「わっ!?!?」

 瞬間、がばりと斎藤先輩が身を起こしたので、驚いた大島先輩が珍しく大きな声を上げる。

 「こら斎藤!おどかさないで………」

 大島先輩が途中で抗議の言葉を切る。理由はすぐにわかった、斎藤先輩の瞳が一目でわかるほど潤んでいたからだ。

 「お前らっ聞いてくれ!!!」

 第一声の内容よりも何よりも、俺はその声音に驚いた。聞くだけで胸をえぐられるような悲痛な声、一体先輩に何が――?!

 「うんうん、聞いてるよ」

 「大変、なんだ……!!」

 「うんうん、どしたの」


 「妹に!!!彼氏が!!!!できてた!!!!!!!!」


 「…………うん?」

 温かく全てを包み込むようだった大島先輩の相槌が止まる。

 「中3で医者目指して以来5年間勉強一本で色恋に興味もなくてチャラついて告ってくる同級生に見向きもしなかったからどんなにかわいくても一度だってこんなことなかったのに」

 「ちょ、落ち着いて」

 「服だって化粧だって興味沸いても俺に遠慮して欲しいって言えなかったから強制的に買ってやったくらいなのにああやっぱそのせいでかわいさに磨きがかかって大学ともなりゃ男が寄ってきちまうのかどこの馬の骨だ」

 「だから一旦止まろうか斎藤」

 「心配だ!!!!いやもう全てが心配だ!!!!!!!!」

 「うんだめだこりゃしばらく日本語通じないね、玉城くんフォローありがと」

 あまりの勢いに、俺は声も出せずに頷くしかできない。この30秒ほどで、斎藤先輩に医者を目指している妹さんがいて、とても奥ゆかしくかわいらしい方で、斎藤先輩がそんな妹さんをとても大切にしていることがよく理解できた。が…話の途中で何度か机を叩かずにはいられなかったようなので、俺は咄嗟に自分と斎藤先輩のコーヒーをソーサーごと持ち上げて宙に待避させていた。大きなため息をつきながら、大島先輩が自ら守ったコーヒーを啜っている。

 …この状況で今自分ができることはなんなのか考えた末、俺は肩で息をしている斎藤先輩にコーヒーを差し出しながら口火を切った。

 「……その…お付き合いのきっかけなどは、」

 「よくぞ聞いてくれた!!!!!」

 間髪入れずに斎藤先輩がほぼ涙ながらに叫んだので、大島先輩も会話に戻ってきてくれる。

 「後期の始めごろか、凛が学内で倒れてたところを医務室まで運んだ野郎がいたと」

 「ふんふん」

 「まあ、原因が月イチの貧血なんで手助けを断ったってのに、恥ずかしい思いをさせるお詫びに今後二度と逢わないから助けさせてくれ、とか抜かしたらしい」

 「ほうほう」

 「でも凛はどうしても礼を言いたくて、顔も覚えてねーから、一ヶ月掛けて記憶の声を頼りに学内から探し当てたんだと」

 「ふんふん」

 「そしたらあっちも実は一目惚れだったとかで付き合う流れになったっつーんだけど」

 「ほうほう」

 「まるで王子様みたいにお姫様抱っこしてくれたとか言って頬染めててよおおおおおおおおこれひょっとして痴漢じゃねーか?!痴漢だよな?!?!」

 「いや痴漢されてたらなんで妹ちゃんが必死に探すのよおかしいでしょ」

 「ぐっ…!」

 一瞬で大島先輩に斬って捨てられた斎藤先輩がとても傷ついた表情を浮かべ…再び机に突っ伏す。俺はというと、またもコーヒーを退避させるしか役に立っていない。

 今のお話だと、2人の出会いは正直男の俺でもドラマチックなものだと思ったが…他に斎藤先輩が心配な要素はどこだろうか。俺は慎重に言葉を選びながら、冷め切ったコーヒーを再び差し出した。

 「…ええと…お相手はどのような方なのでしょうか」

 「よくぞ聞いてくれた!!!!!」

 斎藤先輩は…もはや泣いていることを隠そうともしなかった。

 「一学年下でくっそ背が高くてガタイがすげーいい上になんたら流古武術とかやっててバカ強いくせに顔も良くてコミュ強とか言っててこんな設定乙女ゲーでしか聞いたことねーだろおおおおおおおおこれひょっとして騙されてねーか?!騙されてるよな?!?!」

 「はっきり言うけど今の話が真実なら今時滅多にお目にかかれないレベルのいい男なので手放しで許可しなさい。以上」

 「はああああああああなんでだよ?!?!」

 「そのスペックで性格もいいとか、これで同学部だったら異議なし即終了、今日はお開き」

 「いやそれはない!!医者じゃない!!えーと保健学部?だったかで、なんとか柔道師?を目指してるとかの」

 「保険医療学部……の、柔道整復師……では」

 「それだ玉城詳しいのか?!何やる仕事だ医療関係なのかちゃんと就職口とかあんのか?!?!」

 …俺は途中から冷や汗が止まらなかった。この会社近辺から通学範囲内の、医学部と保険医療学部が併設された大学で柔道整復師を目指している学生で、20歳の妹さんの一学年下なら19歳、かなり上背があり体格が良く、某古武術を習得していて腕に覚えがあり、顔も整っていて対人能力が高い人物。

 まさか、まさかとは思うが……俺はきっと大学名を聞くべきだ、が聞くのがとてつもなく恐ろしい。もっと…一気に候補が絞れる部分を聞いて、この疑念を後腐れなく消失させたい。

 「すみません、その前に……彼の名前は」

 「名前ぇ???あっとなんつったかなまともに聞いてねーな……ツカサじゃねーし、サトルでもない、」

 「……………………ツトムですか?」

 「…それだ」

 先輩の舌打ちを合図に目の前が一瞬真っ暗になる。だが、…現実から逃げるわけにはいかない。

 「…大変申し訳ありません、すぐに確認しますのでしばらくお待ち下さい」

 お二人の返事を待たずに離席すると、俺は即座に一本電話を掛けた。



 ――たった一度の問答で終了した電話から戻ると、斎藤先輩にコーヒーを飲ませて落ち着かせている風の大島先輩がアイコンタクトをくれる。

 俺は自席の椅子を引いて…腰掛けることができずに戻すと、机の前に直立して深く頭を下げた。

 「……弟でした」

 「何やってんだよ玉城?頭上げろよ」

 「玉城義といいます」

 「突然どうし…た……つとむ…?」


 「確認したところ、弟が斎藤凛という女性とお付き合いをしているそうです」

 「……………………………………は…………………?」


 その時の斎藤先輩の顔は…言葉では表せない。驚き、怒り、悲しみ、喜び、憂い、およそ人間の持ちうる全ての感情がない交ぜになった表情というものを俺は初めて見た。先輩をここまで追い込んだのは他でもない俺であり、掛ける言葉が…見当たるわけもない。

 「よかったじゃない、ハイこれで万事解決!!」

 けれど、またも大島先輩の至極明るい一言が静寂を破った。斎藤先輩と違ってあまり驚いている様子がない…それとなく察してくださっていたのか、俺の実家や道場のことを晶先輩から聞いていたのかもしれない。

 「しかし、この度は愚弟がご迷惑を…大変申し訳ありません!!」

 「いやあるでしょ申し訳は。君何も悪くないよね、てかそもそも弟くんも何も悪くないからね?」

 「で、ですが……」

 大島先輩の正論は、庇ってくださる時も兎角斬れ味鋭く明快だった。咄嗟に反論できない俺を尻目に、次は斎藤先輩へ向き直る。

 「痴漢も騙されてた可能性もこれで確実にゼロ。まさか斎藤、この超真面目後輩の弟くんは疑わないよね?」

 「ぐ…うっ……………」

 遠い目をしたまま意味ある言葉を発さない斎藤先輩……重ね重ね申し訳ない、まさかこのような事態になっていたとはつゆ知らず…!

 「さて玉城くん、説明の通り妹ちゃんはお兄ちゃん思いで医者の卵なの。結婚して玉城家に嫁に入れば『遠くの病院への転勤は難しい』って申請できるだろうから、道場経営的にもスムーズだよね?」

 「え?はい、やはりご存じでしたか……」

 「斎藤的にも妹ちゃんが遠くに転勤しない。二人がくっつけばお互いにメリットしかないよね?」

 「う、あ………」

 「win-winだよね??」

 「は、はい………」

 斎藤先輩と俺はもはや返す言葉もない。そんな未来までは想像もできなかったが、言われてみれば…確かに良いことずくめだ。義は道場を継ぐ心づもりがあり、門下生を自分で守るために国家資格を取るつもりでいるが、細君が医者であるならこんなに心強いことはない。たかし兄さんのように、結婚と共に遠くに去ることもないだろう。しかも俺は斎藤先輩と親類になる…のだろうか、まったく実感が沸かないが…素敵な話だ。

 し、しかし先輩の大事な妹さんに初めて付いた悪い虫が義であることには変わりがない、が弟の恋愛に俺が口を出すのも道理がない。後輩として、兄として、いったい俺はどうすべきなんだ…?!

 「うんうん、二人ともまだ不安はあるよね。じゃ斎藤、まずは一回弟くんと会わせてもらおっか?」

 その一言はまるで天啓のようだった――俺は生涯大島先輩のアドバイスを信じ従おうと心に刻む。その通りだ、義がどのような男なのか、直に斎藤先輩に知ってもらうしか解決方法はない。兄からの突然の電話で恋人の名を確認され、「そうだけど何?例え仁兄でも絶対渡さないよ」と静かに吠えた、あいつの本気を直に見極めて頂ければあるいは…!

 早速俺は義に連絡するため携帯を掴む、がほぼ同時に携帯の方が鳴動した。通知の見出しは、登録している天気予報アプリの『台風関東上陸』通知だ――俺はすぐに外を確認した。街路樹は叩きつける風雨で大きく揺れている。いつの間にか看板が店内にしまわれていて、店内には俺たちの地に人影もなくなっている――危険だ、晶先輩が社を出るより先に戻らなければ…!

 「すみません、先輩を迎えに戻りますので、日程はまた後日として、今日はこれで失礼します!」

 「うん後は任せといて。付き合ってくれてありがと、また連絡するね」

 手を振る大島先輩と無言の斎藤先輩、お二人に何度も頭を下げつつ、俺は小走りに店を飛び出した。

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