3. プレゼント交換

 「おはよう森さん。少しいいかな?」

 週明け朝イチの挨拶でそう言うなり、廊下隅の掃除用具置き場に手招きした主任は…何やら小さくてかわいい包みをひとつ差し出した。

 スマホ大のベビーピンクの紙袋にはクリーム色のリボンの取っ手がついていて、某菓子店のロゴが金字で刻印されている。こ、ここって…宝石みたいなアイシングクッキーが看板メニューの某隠れ有名店では…?!大手ファッション雑誌でなく手芸・料理サイトの片隅に載ってる系、いわゆる知る人ぞ知るハンドメイドショップに無駄に詳しい私が通りますよ?!

 「あの、これは」

 「クッキーなんです」

 けどもそれより何故主任がこの店をご存じなのかを伺いたいです。…と食い気味にツッコみそうになるのを全力でこらえる。相手はいつもの同期ではなく上役であり、これはボケでもなんでもないのだ。一方的に謎が深まったまま話は続く。

 「出先で先週のお礼にと買ってみたので、受け取って頂けると嬉しいです」

 「いえ!…そんな、お気を遣われず」

 思わず大きな声を出しそうになり、慌てて音量をセーブする。なんせこの御方は『人事のスパダリ』、狙う婦女子は数知れず。もし私がクマの礼にこんな特別待遇を受けたなんて知れようものなら恐ろしい事態に――終末の大戦争が勃発する。

 「そう言わず、あの時は本当に助かったので…」

 「で、ではせっかくなので頂戴いたします」

 とりあえず一刻も早く会話を収束させよう、巻き込まれるであろう男性諸氏も含めてそれが本社2階人類全ての為だ。というかここのアイシングクッキーは私的いつか食べてみたいお店ランキングの上位常連だったので正直本当に心から嬉しい…!!ありがとう、と丁寧にも送り主側が言うのを非常に申し訳なく聞きながらも、気を取り直して私は昨日用意した小さな袋を差し出した。

 「代わりといってはなんですが、もし良かったら…」

 「………これは!?」

 「昨日たまたま別店舗で限定品を見つけたんです。これなら男性でも付けられるかなと思って」

 中から出てきたのは、黒い毛並みにオレンジのスカーフをつけたリトルテディだ。

 オレンジのクマを一緒に買ったはいいけれど、翌日になっても主任の鞄にあの子が付くことはなかった。そりゃそうだろう…とは思いつつ、こっそりポーチに付けていた私は、同志として自分にいったい何ができるかを、この週末少し真面目に考えてみていたのだった。

 主任の顔にみるみる赤みが広がっていくのを間近で目撃しながら、私は胸の奥がほっこりするのを感じていた。予想通り、主任は手放しでこの子を喜んでく――


 「森さん、ありがとう。その気持ちが本当に嬉しいです」


 ――どきりとした、ような気がした。さっきまで惜しみなくクマに注がれていた瞳が、いつのまにか真っ直ぐ自分に向いていたからだ。これでもかというくらい整った顔立ちの中でもひときわ目を引く虹彩は薄いグレーとブルーが混ざったような色で、そういえばクォーターだとかの話を聞いたような…というか、そんなことがよくよくわかってしまうような距離で接していたことに今さら気付くしこれ多分全然だいじょばない事態な気がする。けど私の背後にはもう用具置き場の出入り口しかないわけで、これ以上後ろに下がれば廊下からは誰かと話しているのが遠目からでも丸わかりなため下手に距離も空けられない、どころか手にはどう見ても明らかにプレゼントの包みがあるので割と詰んでる。現状把握とツッコミを脳内で瞬時に繰り返す私の前で、主任はニコニコと変わらない笑顔を浮かべていて、

 ――その時前触れなく緊張感のないチャイムが頭のすぐ上から大音量で流れ、緊張度MAXだった私の肩が跳ね上がる。き、今日は月曜、予鈴が鳴ったということは…

 「長々と付き合わせて申し訳ない。では遠慮なく頂きます、大切にしますね」

 「は、はい、是非」

 タイムリミットのおかげで即会話が終わった。主任に促されて退出すると、私はその後ろから朝礼の集合場所に向かう。少しずつ距離を空けていくうち、間に同フロアの人達が流れ込んできて、その背中が完全に見えなくなった辺りで私はようやく息をつくことができた。心臓はまだ、いつもより早く打ち続けている。

 どうして主任がスパダリと呼ばれてあそこまで騒がれるのか、本当の意味でやっとわかった気がした。容姿端麗だとか幹部候補だとか、勿論そういうものも異性の評価対象?ではあるんだろうけど……その前に主任は、なんというか、ものすごく紳士なんだ。隣部署のよく知らない後輩に頼むほどクマが好きなはずなのに、贈られた黒クマのかわいさにだけじゃなく、それを贈った私の気遣いの方に喜んでくれるような人。

 それだけじゃない、コーヒーショップで初めてクマ購入の話をされた時、主任は理由をごまかさなかった。家族が欲しがってるでも誰かへのプレゼントでも、理由はいくらでも作れたのに、偶然居合わせただけの私に本当のことを話してくれた…一度それで悲しい目に遭っているにもかかわらず。購入後は私に口止めもしなかったどころか、わざわざお礼を用意してくれさえした。

 つまり主任は、傷つくことも覚悟の上で、『クマを好きな自分』をこれっぽっちも隠そうとしていない。


 ――どうしてこんなに心が動くのかがやっとわかった。私はきっと、この人に憧れてるんだ。


 主任みたいに堂々としたい。ただ好きなものを好きと言うだけ。大昔に貼られたレッテルに縛られるのはもうやめて、自分らしくいることを自分で許したい。

 いつからだろう、私にとってひどく難しくなってしまったそのスタンスを、同じ立場にいる人が軽々と貫いている。それを目の前で見て、手助けすることで……もしかしたら私は少し勇気を分けてもらいたかったのかもしれない。

 これはきっとチャンスだ。よし、このまま勝手に主任を師と仰ぎ、少々こじらせてしまったかわいいもの好きを徐々に一般公開して…公開して…いけるかな……?

 気付けば始まってた朝礼を聞き流しつつわりと真剣に一念発起してると、居並ぶ2階社員たちの人事側にふと主任を見つけた。目が合ったかと思うとさりげない目礼が返ってきて、それでなんとなくさっきの会話と真摯な瞳を思い出すと…居心地がいいような悪いような、なんだか無性に落ち着かない感覚がじわじわと込み上げてきた。これはいったいなんなんだ……?勝手に師匠認定してしまった罪悪感か、それとも話題沸騰人事のスパダリと密かに関わってしまった罪悪感か、または未だに親友2人への報告義務を怠っ………とりあえず全部罪悪感じゃん。

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