第7話 株式会社設立

 ボーデンブルク王国では、貴族が商会を運営するのを事実上禁止している。禁止していると言うよりは、そもそも想定していないと言った方がいいだろう。

 ボーデンブルク王国は身分制の社会だから、当然、商人や商人ギルドの立ち位置は、貴族よりは下になる。貴族が、貴族社会と商人ギルドに両属すれば、結果的に貴族である自分が、商人として他の貴族や王家に命令支配されてしまうということにもなりかねない。

 貴族としても自身の領地で商業が盛んになるのは望ましいことだったから、商人を誘致したり、支援することはある。しかしその影響力はあくまで間接的なものにとどまっていた。

 それではフェリックスとしては都合が悪い。

 将来的に興そうと考えている商会の影響力の大きさを思えば、それら商会を完全に支配下においておきたいのだ。

 マルイモの導入、ダグウッド織の製品化が一段落した後、半年以上フェリックスが次の行動を起こさずに停滞しているように見えたのは、そもそも今後作ってゆく商会制度の土台作りをマーカンドルフと進めていたからだ。

 そもそもボーデンブルク王国では商法はいまだ未発達だ。

 騙してはいけない、詐欺を行ってはいけない、人身売買をしてはいけない等々の最低限の決まりはあるが、後は当人同士の合意が事前にあれば何でもありである。

 利息の上限さえないので十日で一割、年利365%の高利を貪っている者さえいる。もちろんあまり高利を貪るようなら、そもそも利用者がいなくなるし、領主から目をつけられて別件で拘束され、身代すべてを巻き上げられることになりやすい。

 フェリックスは、自身とアビー、マーカンドルフとガマを加えて、ダグウッド株式会社委員会を発足させた。

 資本と経営の分離を行って、事実上、商会オーナーになるのが目的である。

 この土台を作りながらモデルケースとして設立したのがダグウッド織物株式会社である。株券は500株発行し、ダグウッド株式会社委員会四名全員が株券一枚一枚に署名した。資本金は800万フロリン。全額をフェリックスが出し、株券はすべてフェリックスが所有した。

 それでいて商会頭はガマが務めたのだが、議決権とオーナー権は株主であるフェリックスがもつ、そういう規約を作り、ヴァーゲンザイルの町の事務弁護士ソリシタの下で登記した。

 資本金を得て、ガマは更に質のいい端切れを入手するようになり、ダグウッド織物株式会社は数千万フロリンという莫大な株主配当をフェリックスにもたらした。


 ギュラー伯爵夫人キシリアがアロンとマチルダという男女の双子を出産して十ヶ月が過ぎ、産後体調がよくなかったキシリアもようやく持ち直して、双子のお披露目会が開かれることになった。

 もちろんこの会よりも先に、フェリックスもアビーも双子に何度も会っているのだが、今回の会はギュラー伯爵家公式の午餐会である。

 二部制になっていて、一部はギュラー家の家臣団が対象で、二部には招待客たちを招いての宴会が開かれた。

 フェリックスとアビーは招かれた側でありながら、ギュラー伯爵夫妻の弟妹ということで、ホスト側でもある。

 情報収集のいい機会だということで北東部貴族たちに挨拶をしながら、フェリックスはなごやかに会話をこなしていた。


「それにしてもフェリックス卿の奥方の装いは見事なものですな」

「さよう、あの衣装は近頃評判のダグウッド織ですか。なんでも"チヨ"というのが最上品らしくうちも妻や娘から手に入れるようせかされているのですが、予約待ちの状況らしく」

「衣装もそうですが、奥方のあのハンドバッグはなんでしょうね。藁のようにも見えますが」

「ああさきほどフェリックス卿に聞いてみたのですが、今後売り出す予定のヨシという植物の工芸品らしいですよ。無理を言って奥方に見せて貰ったのですが、大変軽くて、持っている気にならないそうです。まだ試作品らしいですが、さっそくフェリックス卿に数点注文をお願いしましたよ。うちの妻も私をおおいに見直すでしょうな、はっはっは」

「なんですと? こうしてはおられん。私もフェリックス卿に話をつけておかねば」


 基本的には十年が一日のように変化に乏しい辺境である。

 まして、女性向け商品はここ何十年も変化がなく、ダグウッド織のような再生品やヨシのバッグのような素朴な工芸品であっても、目新しいと言うだけでセンセーションを起こす。


 ヨシの工芸は冬の農閑期に、各農家が籠などの農具を自作していたものだが、大湿地自体をダグウッド村が独占している地理的な形状なので、他の村の者には目新しい。

 フェリックスはダグウッド工芸社を設立し、会頭にはやはりガマを据え、女性向けのバッグを農民に作らせて買い取っていた。

 これもやはり、ダグウッド村の産業の柱に育ててゆくつもりである。


「やれやれ、まるでフェリックスのための会みたいじゃないか」


 そうぼやいたのはヴァーゲンザイル伯爵アンドレイである。


「まったくだ。うちの子たちの会だというのに」


 それを受けて不満を口にしたのはギュラー伯爵コンラートである。

 二人の兄に挟まれて小さくなっているのはフェリックスである。


「思いのほか、アビーのバッグの反響が大きくて。すいません、この埋め合わせはしますから」

「そうかそうか。ならうちはザラフィアにチヨのダグウッド織を三着だな。それとアビーと同じバッグを」

「兄上、それはおかしいのでは? ヴァーゲンザイル家には何の関係もない話でしょう。フェリックス、うちはキシリアとマチルダにそれぞれチヨのダグウッド織を三着、アビーのバッグを一個ずつ贈ってもらおうか」

「コンラート、それは強欲というものだよ。そもそもフェリックスはヴァーゲンザイル家の分家だよ? 宗家に献上品があっても不思議ではないだろう? おまえはギュラー家じゃないか」

「んもう…わかりましたっ。おっしゃる通りに贈らせてもらいます。チヨの方は、職人の作業の限界がありますんで、どれだけ急がせても半年はかかりますよ。それと、先に予約を入れていた方々を飛ばしますんで、内密にしてくださいね?」


 二人の兄はそれぞれににっこりと笑った。


「しかし、なあ、フェリックス、ダグウッド村、大躍進じゃないか」


 コンラートがそう言う。


「いえそれほどでも」

「いや、フェリックス。謙遜も過ぎると嫌味だよ。コンラートの言う通り、ダグウッド村は発展著しい。それもおまえが勲功騎士爵家を興してから直ぐに成長軌道に入っている。うちの文官の試算じゃ、今の時点でダグウッド村は十ヶ村の生産規模に匹敵している」

「まさか」


 アンドレイの言葉にコンラートは驚いてそう言った。

 フェリックスは脂汗をかいた。アンドレイの試算はかなり正確に実態を捉えていたからだ。ヴァーゲンザイル家の文官にそれだけの能力があるとは正直、フェリックスは予想していなかった。


「どうだい、フェリックス、おまえの実家もなかなか捨てたもんじゃないだろう?」


 アンドレイは整ったその顔にうっすらと笑みを浮かべた。

 フェリックス勲功騎士爵家は経済規模においてすでに准男爵家に匹敵している。これがたった一年と少しで達成したことなのだ。

 実際にはそれ以前に十年の準備期間をフェリックスは費やしている。たまたま実行期がフェリックスの勲功騎士爵家創設の時期と重なっただけなのだが、傍から見ればフェリックスが流星のように登場したように見えなくもない。

 フェリックスがなにも言わないことで、コンラートもアンドレイの推定値がほぼ実態に即していることを悟った。これでいて、コンラートはもともとフェリックスを高く評価している。

 その「高く評価する」という余裕があるのも、所詮は相手は勲功騎士爵で自分は伯爵だからだ。どれほど有能でも勲功騎士爵家は伯爵家には追い付けない。

 普通ならば。

 だが、フェリックスがもしたった一年で准男爵家に匹敵する規模にまで経済成長を成し遂げたならば ― いずれギュラー家はフェリックスに飲み込まれるかも知れない。


「ま、いいさ。フェリックス、おまえとアビーにはこの会の後、ヴァーゲンザイルに寄って貰う。ヴァーゲンザイルの宗族会議があるからね。そこで ― もう少し実りのある話が出来れば、と思っているよ」


 アンドレイの声が、フェリックスにはひどく冷たく聞こえた。

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