第4話 マーカンドルフを説得

「将来的には大商人を囲い込みたいところだけど、今は万事屋が一軒欲しいんだよ」

「しかしダグウッド村で商店を構えても、儲けられないのでは?」

「いや、うちの村も豊かになってきているし、村民の需要もある。だからこそ商店が欲しいんだけどね」

「しかし商人をひとり引っ張って来ても、商店はできませんよ。商売と言うのはつながりですからね」

「分かるよ」

 

 そもそもギルドに入って卸売りをしてもらわなければ商売は出来ない。売る者が入手できなければ商売は出来ない、これはあたりまえのことだ。だが、マーカンドルフが言っているのはもう少しややこしい話だ。

 領主は商人から商業ギルドを介して、売上税と商人人頭税を徴収している。商人もまた領民であるには違いないのだが、領主に直属しているのではなく、商業ギルドが間に入っている。そういうこともあって、領主は商人やその子弟に対して農民とは違う手心を加える必要がある。例えば徴兵だが、商人は免除されることが多い。

 商人人頭税は無制限に商人が増えて、領主権が侵食されないようにするための手立てだ。売り上げに関係なく、人が増えれば税を徴収することで、商人の数を制限しているといってもいい。これは同時に商業ギルド、商人にとっても過当競争を抑制すると言う意味では旨味がある話だ。

 一方で同時に、商人は税の源であり、領主にとっては「財産」である。言うまでもなく他領に引き抜かれて黙っている領主はいない。

 特にダグウッド村の場合はこれまで商圏が小さすぎて商人がいなかったのだが、商業需要がまったくなかったわけではなかった。そこは領主であるフェリックスがヴァーゲンザイルの町やギュラーの町で買い付けを行ったり、流れ商人が来ることで補っていたのだが、ギュラーの領主や商人にとってはその権益が消失することを意味する。

 当然、フェリックスやフェリックスが勧誘した商人に対して妨害が行われるだろう。ボイコットされた商人は仕入れルートを閉ざされることになる。


 そこのところ、丸く収まるような商人はいないのか、という相談である。


「アンドレイ様やコンラート様にお願いするのが一番ではないでしょうか。なんといっても実のご兄弟であらせられるわけですし」

「それ本気で言っている?」

「…まあ、難しいですかね」


 独立してしまえばそれぞれの家の当主。お家大事で動くのは貴族のならいであり、そこのところは徹底している。


 ギュラー家の先代夫妻やヴァーゲンザイル家の先代夫妻が健在であればそちらに泣きつくのが一番効果ありなのだが、ギュラー家の先代夫妻は先年相次いで亡くなり、ヴァーゲンザイル家もフェリックスの父は他界していた。フェリックスの母のローレイは長男のアンドレイを溺愛しているので、フェリックスのためにアンドレイに意見することはまず考えられない。


「…つまり、それが今回の私の務めということですか」

「ね! マーカンドルフ! おねがい!」

「あのですね、いまさら幼児のふりをして圧力を加えるのは止めて貰えます? コンラート様の不興を買って、私に何の得が?」

「騎士は一番大事なところじゃ損得勘定で動いちゃいけないって教えてくれたのはマーカンドルフじゃないか!」

「ええ、騎士はそうです。あなた様は騎士で、私はそうじゃありませんから。だからですね…」


 マーカンドルフはふいに厳しい表情を浮かべて、フェリックスを凝視した。フェリックスも思わず背筋をただす。


「ちゃんと損得勘定で説得なさい」


 そうだった、とフェリックスは居ずまいを整えなおした。損得勘定を軽く見るなと何度も何度も教えてくれたのもマーカンドルフだった。

 人にはそれぞれの立場があり、それぞれの人生があり、それぞれの考えがある。自分と違う人間を、卑怯者、悪魔、と決め付けていては、偏狭な正義しか残らない。偏狭な正義がもたらすものは結局は戦争と虐殺だけだ。

 かつてマーカンドルフは銀貨をフェリックスに見せて、平和とはこれのことです、と言った。その時、フェリックスは前世の大学で国際商法の講義を受けた際に教授が言った言葉を思い出したのだった。


『商業は国と国をつなぎ、人と人を結ぶもの。商法にはイデオロギーもなければ善悪もない。これがつまり世界平和の礎です』


 相手の損得を尊重すると言うことは立場が違う相手を尊重すると言うことだ。損得を度外視して理念を押し付けてくる者 ― その錦の御旗がいかに煌びやかであっても、その者は結局暴力しか生み出さない。

 騎士の場合は ― 領民の命運を背負う者であって、個人であって個人ではない。個人の損得を切り捨てて、無私になれる者でなければ、


「…マーカンドルフ、僕は村を豊かにしたいんだよ」

「はい」

「ダグウッド村は多くを養えない。村の広場で遊び走っている子供たちも、家を継ぐのでなければ、村を出ていかなければならない。そしてその多くは、数年のうちに音信不通になる」

「はい」


 貴族に仕えることができたり、商人に雇われたりする者は恵まれている方だ。音信不通になった者たちがどこへ流れてゆくのか。その先のことを誰も考えたがらない。


「村に残れば残ったで、当主にならない者は厄介扱いされて、結婚も出来ず、一生牛馬のように働いて死んでゆくだけだ。ダグウッド村を僕が預かったからには、まずはダグウッド村の人たちの暮らしを豊かにしたい。

 すべての子たちが村に残っても人並みの生活がしていけるように、どうしても村を出なければいけないとしても、人生を切り開く武器を身に着けられるようにしたいんだ」

「お考えは結構ですが、それが私と何の関係がありますか?」

「僕がそうしたいのはね、みんなが豊かじゃないと僕が気分が悪いからだよ。思う存分贅沢をしたいのに後ろめたくて出来ないからだ。そして ― 卿もそうだろう? 師匠せんせい。卿は僕に協力をすれば、美しい終着地点を手に入れられる」

「終着地点?」

「卿が生き延びられたのは魔術師だからだ。魔術師だから重用され、財を蓄えて、こうして数年、数十年であれば働かなくても生きていける。でも魔術師であることは、奇麗ごとでは済まないことを卿に強制してきたはずだ。闘いの終着地点がただの豊かな老後? ただの豊かな老後のために卿は ― 人殺しを重ねてきたのか?」

「フェリックス」


 マーカンドルフはふいに憤怒の形相を浮かべて、フェリックスを睨んだ。


「僕はただの少年じゃない。おばあさまは卿にさえ言っていないと思うけど、卿もまた気づいているはずだ。僕は卿に ― 卿だけでなくこれから僕が救う多くの人たちに、人生の意味を与えることが出来る唯一の存在だ。

 確かに僕は頼んでいる。だけどね、本質的には僕は頼んでいるんじゃない。卿に機会を与えているんだ。

 卿がこの手を拒んでも、いずれ僕は必ず目的を達する。そうなったとして、違いは僕の傍らに卿がいるのかいないのか、それだけだ。今だよ。他のどの時でもない。卿の選択の時は今だ。

 


 長い沈黙が覆った。いや、それほど長い時間ではなかったのかも知れない。だが、ほとんど無限に近い時間に感じられた。フェリックスにとっても、マーカンドルフにとっても。


 深い吐息がはかれた。マーカンドルフのものだ。


「まったくあなた様は時々突拍子もないことを言われる。

 ひとつだけ報酬をお約束いただきたい」

「報酬?」

「あなた様の最側近の立場は誰にも譲りません。数年、私の報酬は貸しにしておきましょう。私をただちに執事兼最側近にすること。それが条件です」


 マーカンドルフの言葉にフェリックスは破顔して笑った。


「まったく。無料ただほど高いものはないってね。マーカンドルフ師匠せんせいは口煩いから」

「ええ、そうでしょうとも。休暇はおしまいです。あなた様にとっても私にとってもね。これからはびしびしいきますからね、ご覚悟を」


 二人はさっそく、コンラート・ギュラー伯爵をどう攻略するかを話し合った。

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