偽りのハッピーエンドはあっさりと

29.新人作家と編集長

――事件は、あっさりと終了した。


 ライジン文庫編集部のオフィス。

 数人の警察官に連れられて、去っていく編集長を山野と二人で見つめる。

 警察が取り押さえしているところ何て、初めて見た。

 普段ならメモを取ったり、目に焼き付けようとするんだけど……そんなこと言っていられない状況というか。


 いや、――どうなんだろうか……。


 実際、警察への対応は山野が全部やってくれたので、僕がすることなんてほとんどなかった。


――登戸さんが証拠、持ってきてくれたからですよ。それに、オレだって、Twetterの人らに手伝ってもらっただけです。


 そう山野は僕をフォローしてくれたが、……やっぱり、僕がしたことって何だろう。

 編集長のせいで、ライジン文庫をクビにされたという被害者の町田さんを一旦家で預かったことぐらいだろうか。

 彼女を実際に編集長に会わせるのはよくないだろうと、今は僕の家で休んでもらっている。

 幽霊も同じように家にいてもらうことにした。ちなみに、町田に幽霊の姿は見えなかった。


――そういえば、何やかんや山野と幽霊は一度も会ってない……見えるんだろうか、どっちだろう……。


 警察に呼ばれ、山野は一旦どこかへ行ってしまった。

 突然の出来事に呆然とする編集者たちの視線が僕に集まる。

 説明を求めるような、その目に耐えられず……僕は編集部の外に出て、自販機でジュースを買った。

 ここで、コーヒーを買うのが様になるんだろうけど……コーヒーとか美味しくないんだよなぁ。


 ペットボトルの蓋を回して、炭酸が弾ける音を聞きながら、僕は編集長との会話を思い出した。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 これまでのすべての悪事が判明し、編集長は捕まえられる運びとなった。

 警察に取り押さえられた時……編集長は、吠えた。


「お前は私の小説のファンじゃないのか? 読みたくないのか? 私のような小説を書きたかったんじゃないのか!?」


 何のことを言っているんだろう、って思った。

 ちょっと考えてから、「あぁ、そういうことか」と、わかった。


――編集長あいつは、僕が『観』の小説のファンってことを知っているんだったな。


「ははっ、そうですね。僕は『観』さんの小説のファンです……」

「そうだろ。じゃぁ、教えてやる。アドバイスを送ってやる、お前の小説に……だから警察官こいつらを黙らせろ!」


 編集長は、自分のことを取り押されている警察官と僕を交互に睨みながら、続ける。


「おい、とっとと動け! 何をしている!? お前は私のファンじゃないのか!?」

「…………」


 それでも僕が無言でいると、山野が思わずといったように声を漏らした。


「…………だと?」

「山野さん、ちょっといいですか」

「あっ、あぁ」


 山野の言葉を遮って、僕は一歩前に踏み出した。

 編集長を取り押さえる警察官たちは、空気を読んでか、取り押さえたまま黙っている。


「神藤編集長……あなたが、『観』として小説を出していることは、もう知っています」

「そんなこと分かっている。だったら、どうして助けない? !? 私がいないと、読めないんだぞ!」


 目の前のの口が開くたびに気分が悪くなる。

 ぶっ殺したいような、もうどうでもいいような気になってくる。


「おい、私が……」

「なぁ、」


――いい加減、黙れよ。


「うるせぇんだよ……」


――自分で小説書いてねぇ、単なる『プロワナビ』がガヤガヤ言ってんじゃねぇよ。


「……お前、小説書いたことあるんですか?」

「だから、私が『観』だと言って……」

「ウソはつくな」

「…………なっ何を」

「お前が……神藤弾が小説を書けないことくらい知っている。お前が『観』でないことくらい知っている」


 編集長は目を見開いて、黙った。

 僕の両肩に山野が手を置いた。


――言ってやれ。


 そう背中を後押しされた気がした。

 ふぅと、息を吐いて。僕は、言葉を紡いだ。


「あいにくと、ちょっとは『読者の言葉』を聞くようになったけど。『聞く言葉』と、『無視する言葉』は僕が決めることだ……」


 読者の言葉が『すべて正しい』何てことはない。

 逆に、『すべて間違っている』何てこともない。


「僕が身に着けたのは、『どんな言葉でも聞く折れない心』じゃなく、『見極める目』だけです」


 だから、必要なのは――分別すること。

 何でもかんでも、読者の言葉を受け入れていたら、物語は破綻する。

 物語だけじゃない……作者の心までも、崩壊してしまう。


「でも、これは『今の僕』が思ったことなので、もし、『将来の僕』が必要だと思ったときは、そんときはよろしくお願いしますね……小説家の、いや、『神藤』さん」


 今、僕は目の前のクズの言葉を聞くつもり何て、微塵もない。


「あなたに『観』を名乗る資格はないし、! 僕は今、あなたの言葉は感情的に、論理的に受け付けない!」


 小説なんて誰にでも書けるとか、よく言われる。

 確かにその通りかもしれない。

 日本語書くだけでしょ、って言われているかもしれない。

 だけど……


――本当に、書き始めて作り上げるってとても大変なことなんだ。


 『いつでも書ける』という考えが蔓延した結果なのか、あたかも『自分は書き始めたらすごいんだ』と錯覚し、他人に対してかなり上からアドバイスをする奴がいる。

 アドバイスがダメって言っている訳じゃない。

 書いたことない奴が口を出すなと言っているんじゃない。


――人を傷つける奴は……自分が楽しむためだけに、相手を平気で傷つける奴は許せない。


 極端に例えると、レイプと同じだ。

 自分の性欲を満たすためだけに、他人に修復不可能な深い深い傷を与える。


 目の前の編集長は何か、日本語じゃない奇声を発している。充血した目をこれでもかと見開いて、僕を睨んでいる。


――こいつが……幽霊を……?


 警察がいる手前、余計なことを言えない……この手のことは山野に任せると決めた。

 僕がもう口を開かないことを察したのか、警察官たちは編集長をそのまま連れて行った。


 ◇ ◇ ◇ ◇


「せんせー?」

「おう、幽霊。町田と一緒に、家に居たんじゃなかったのか」

「ちょっと気になって来ちゃった」


 編集部の外のベンチで炭酸ジュースを飲んでいると、幽霊がひょいと現れた。


「まぁ、座れよ」

「言われなくとも」

「いや、それ違うだろ」

「いいじゃん」


 僕が少し腰を動かし作ったスペースに、幽霊は座った。


「…………」

「…………」


 少しの沈黙。

 山野は警察の取り調べに協力しているので、このベンチには二人しかいない。


「…………」

「…………」

「………………」

「………………」


「あのな、幽霊」「ねぇ、せんせー」


 二人同時に話始めた。

 幽霊に譲られ、僕から話始めることになった。


「とっても残念なことなんだけど……『俺オレ』の発売が中止になった」


 ノベノベの親会社がそう決めたんだと、山野が言っていた。

 警察に突き出す前。前もって、山野が聞いていたんだそうだ。


「もともとイレギュラーを伴っていた流れだったんだ……『俺オレ』は……」


 もちろん僕の小説も例外なく発売中止へと逆戻りしたんだけど、そんなのは、もうどうでもよかった。


――ここまで一緒にやってきたのに……


 もしかしたら、そうなるかもしれないということは分かっていた。

 山野も僕に前もって、確認してきたし……。


――こんな時、どんな顔をすればいいんだろうか……。


「ふーん、そうなのね……うん、わかってた。わかってたけど……」


 隣に座る幽霊の顔を見ると……


「……でも、ちょっと……ちょっとだけ、悔しいね」

「…………幽霊っ」


 彼女は笑顔のまま。丸くした目じりに涙をためた。


「ごめん……ごめん、幽霊」

「ちが……違うんだよ。せんせーのせいじゃ……」


 幽霊は自身の両手で涙を拭うと……今度は私の番だね、と話し始めた。


「私ね、ずっと考えていたんだ。自分のこと」

「その『幽霊』っていう体質のことか……?」

「うん、そう。そのこと」


 幽霊は身体ごと僕の方に向けて、


「ずっと前から、この存在になった時から考えていたの。自分って『何のためにいるんだろう』なぁって」

「別に、存在することに理由なんて要らないだろう……人生って、その答えを探し続けるだけでも」

「うん、そうなのかも知れない。だけどね、」


――その『存在している原因』は、何となくわかってきたんだ。


「私って、『未練』があったんだよ。出版を目前として、死んじゃったっていうね。詳しいことはまだ思い出せないんだけど、やっぱ後悔してたんだろうな」

「ごめん、僕のせいでその出版が……」

「いや、違うの……私ね、って」

「……じゃぁ、これからずっと一緒にいれば」


 僕は質問した。


「それも出来ないの……」


――僕は、質問した。


 『幽霊』という存在が『未練』を残したまま、現世に留まることはできない……だから、成仏させてあげないと。

 成仏ができなかった『幽霊』は、ひとえに『悪霊』になってしまうと……。


 わかっている。もう、わかっている。

 それなのに、どうしようもできない……。


「私……もう長くないんだ。たぶん、このままだと、消えちゃうと思う」

「やっぱ、怖いんだよな……」

「うん……でも、どうせ消えるなら、『未練』なんて残したくなかったなぁ……いや、せんせーのせいじゃないからね。ここ重要!」

「でも……」

「いい加減、うじうじし続けないの。、『


 そういうと幽霊は立ち上がった。


「じゃぁ、ちょっと散歩でもしてくるね。勝手に家に帰ってるから、あとはよろしく」


 僕は、彼女が飛んでいくのを眺めていた。

 時刻はもう夜になって遅い……。辺りはもう真っ暗で。

 自販機の明かりが、ただ眩しかった。

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