第2話 最上紳士、婚約破棄を宣告される

『このまま死んでくれれば……』

『……がお見えに……』


 んん? 近くでどなたか話していらっしゃるようです。


『これだけ……後継ぎは、ミシェル……』

『せめて異能が……この子も……』


 二人いて何か話しているのは確かなのですが、聞き取りにくいですね。

 身体に力を入れますが、指すら動かせません。

 うーん、流石に数日高熱が続いていた身体です。

 直ぐに起き上がれそうにありません。

 感覚はあるので、神様が仰っていた通り、転生自体は成功したようです。

 そんなことを考えている内に二人とも話が終了したようで、パタンと扉が閉まる音が聞こえました。

 

 一体何を話されていたのか気になりますが、まずは寝てしまいましょう。

 睡眠は大事ですからね。





 ゆっくりと目を開けると、周りには誰もいませんでした。

 はて? この世界でも当てはまるかどうかは分かりませんが、公爵家の継嗣と言えばかなり重要な人物のはずです。

 死にかかっているにもかかわらず、誰も近くに控えて居ないというのおかしいですね。


 ゆっくりとベッドから起き上がり、部屋を見渡します。

 異世界というからにはもっと中世的な雰囲気を想像していたのですが……そう言えば神様は文明は地球と大差ないと仰られていました。

 でしたら納得です。


 ただ、公爵家継嗣に相応しい豪華な部屋ですね。

 天蓋付きのベッドは一流高級ホテルで使用されているようにフカフカですし、天井のシャンデリアもクラシックなデザインです。

 備え付けられているソファや机に椅子、本棚に至るまで黒で統一されており高級感が漂っているではありませんか。


 おや、扉が二つ見えますがこれは一体?


 まだ力が完全に入りきらない身体を何とか動かし、ベッドから下ります。

 ゆっくりと扉に近づき、ドアノブに手を掛けて扉を開けると、中は浴室兼トイレでした。

 当然普通の家にあるようなものではなく、ホテルのスイートルームのように広々としています。

 ということは、もう一つの扉が廊下に繋がっているというわけですか。

 

 思わず溜め息を漏らします。

 これまで生きてきた四十年の人生と比べるとあまりにも生活が違い過ぎて言葉になりません。


 神様、有難うございます。

 感謝の気持ちが届くか分かりませんが両手を胸にやり、神様に向かって祈りを捧げました。


 それにしても、汗で身体がベタベタします。

 軽くシャワーを浴びておきますか。

 着ていた服を脱ぎ捨て浴室に入ると、シャワーの蛇口を捻り、温かいお湯を浴びます。

 ひとしきり髪や身体を綺麗にしたところでシャワーを止め、備え付けのバスタオルで水気を拭き取っていると、鏡に映っている新たな自分に気づきました。


 これが私……ですか。

 サラサラと流れるような金髪に美しい碧眼。

 身長は百七十センチ以上はあるでしょうか。

 十四歳という年齢を考えればまだまだ成長の余地はありますから、将来有望です。

 と、ここまでであればカッコいい少年を想像するかもしれませんが、そんなことはありません。

 何故なら。


 ――体形が致命的でした。

 良く言えばポッチャリ、悪く言えばデブ。

 百キロとまでは言いませんが、九十キロ近くはあるのではないでしょうか?

 樽のように太っているせいで、顔まで醜く見えてしまっています。

 痩せればそれなりに見えると思うのですが……。

 一体どんな食生活をしていたのか、見直す必要があります。

 

 気を取り直してベッドのある部屋に戻ると突然カチャリ、と扉が開きました。

 もちろん服は着ています。


「アデル様!? お目覚めになられたのですかっ」


 入ってきたのは長身の男性で、グレーの瞳は驚きに包まれています。

 ええっと、この方は……そうそう、確かアデル専属執事のルートヴィッヒでした。

 年齢は五十歳。

 白髪交じりの茶色の髪をオールバックにしていて、ロマンスグレーという表現が一番しっくりきます。


 おや? そういえば何で名前が分かるのでしょうか? 

 それにこの世界の言葉も理解出来ています。

 ふむ……どういうわけかは分かりませんが、生前のアデルの記憶や知識が残っている、ということでしょうか?

 

 不思議なことですが、会話が成立するのとしないのとでは大違いですからね。

 ひとまず気にしないでおくとしましょう。

 

「心配をかけたようですね、ルートヴィッヒ。私はこの通りもう大丈夫です。それよりも、部屋に入る前にはノックをするのが礼儀ではありませんか?」

「えっ……? こ、これは申し訳ありません! ……アデル様が急にまともな事を……」


 ルートヴィッヒは私の言葉が珍しかったのか、先ほどよりも目を丸くしていましたが、直ぐに折り目正しく謝罪をしてきました。


 最後に小さく呟いていたようですが、何を言っていたのでしょうか?

 まぁよいでしょう。

 それよりも今はしなくてはならないことがあるのです。


「ルートヴィッヒ。お父様とお母様はどちらですか? 数日ぶりに目を覚ましたのですから、元気な姿を見ていただきたいのです」

「ディクセン様とアリシア様は広間にいらっしゃいます。ただ、その……今はお客様がお見えになられているので後にされた方がよろしいかと」

「お客様、ですか。お二人でお迎えするくらいですから、とても大事なお客様なのでしょうね。どなたですか?」


 言いよどむルートヴィッヒの目を見て問いかけました。

 こういう時は相手の顔、特に目を見ることが大切です。

 まぁ十四歳の少年に威厳などあるはずもないので、どれだけ効果があるかは分かりませんが。

 目を逸らさずにジッと見つめていると根負けしたのか、ルートヴィッヒは「……リーゼロッテ様です」とだけ答えてくれました。


 リーゼロッテ? はて、どこかで聞いたことがあるような。

 アデルの記憶を掘り起こしてみることにします。

 う~ん……あ! そうです、婚約者の名前が確かリーゼロッテでした。

 なるほど、将来の公爵家夫人なのですから、お二人がお迎えするのも当然です。

 となると、私も早速挨拶せねばなりません!

 

「ルートヴィッヒ! 婚約者として私も挨拶するべきでしょう。案内して下さい」

「えぇ!? アデル様、お止めになったほうがよろしいのではないでしょうか?」

「何故ですか? 私は婚約者でしょう?」

「そ、それはそうなのですが……」


 何とも歯切れが悪い返事です。

 私は今着ている服を確認しました。

 体形は今更どうすることも出来ませんが、身嗜みや服装は人前に出ても問題なさそうです。

 広間の場所は……うん、アデルの記憶があるので一人でも大丈夫でしょう。

 

 私はルートヴィッヒが入ってきた扉に向かい、歩き始めました。


「アデル様! 何を……!?」

「決まっています。広間に行くのです」


 ルートヴィッヒの横を通り過ぎ、広間に向かいます。


「お、お待ち下さい! アデル様ッ!」


 廊下を歩いていると何人かの使用人に出会いましたが、皆一様に驚いた顔をしていますが話しかけてくる者は一人もいません。

 高熱で数日間部屋にいたというのに心配そうな素振りを見せないというのはどういうことでしょう?

 大事なことが記憶の隅に沈んでいるような気がするのですが、直ぐには浮かび上がってきません。

 

 大した時間も掛からずに広間の前に着きました。

 目の前には豪華な扉が見えます。

 扉に向かって三回ノックをしました。

 ノックをする際、家族や親しい相手に対しては三回が基本です。

 二回という人がいれば注意した方が良いでしょう。

 トイレの確認用ですから、知っている人からすれば笑われてしまいます。

 

『誰だ? 今は大事な客人を迎えている最中だぞ』

「アデルです。入っても宜しいでしょうか?」

『なっ! あ、アデルだと!?』


 男性の声なので恐らくお父様なのでしょうが、ビックリされているようです。

 継嗣が一人で歩くまで回復したのですから、直ぐに迎え入れるところではないでしょうか?

 扉の向こう側では言い争いをされているようで、中々お呼びがかかりません。


『し、しかし……』

『いいではないですか。どうせでしたら私、本人の前で言いたいですわ』

『……分かりました。アデル! 入ってきなさい』

「はい、失礼致します」


 広間に入る許可を頂いた私は、扉を開き中へ入ります。

 広間にいたのは三人。


 一人はヴァインベルガー公爵家当主、ディクセン・フォン・ヴァインベルガー。

 年齢は生前の私と同じ四十歳で、金髪に碧眼。

 精悍な顔付きで、身体付きもガッシリしています。

 何故か私の事を忌々しげな表情で見ておられますね。


 一人はヴァインベルガー公爵家夫人、アリシア・フォン・ヴァインベルガー。

 年齢は三十五歳で、同じく金髪に碧眼。

 美人といって差し支えないお顔で、年齢以上に若々しく見えますが、表情はお父様と同じです。


 そして最後の一人。

 彼女はレーベンハイト公国第一王女、リーゼロッテ・フォン・レーベンハイト。

 年齢は現在の私と同じ十四歳、腰にまで伸びた美しい銀髪に蒼眼。


 一言で表すとすれば美少女としか言えないのですが、そんな枠には収まりきらない気高さを感じます。

 彼女がいるだけで場が引き締まるような気がしました。

 リーゼロッテは婚約者に向けるものとは思えないほどキツい表情をして、私を見ています。

 

「アデル、久しぶりね。高熱にうなされて今にも死にそうだと、貴方のご両親には聞いていたのだけれど、元気そうで良かったわ」


 リーゼロッテは微笑を浮かべながら話しかけてきました。

 ただ、蒼い瞳は笑っておらず蔑みが含まれているような気がします。


「えぇ。ご心配をお掛けしたようで申し訳ございません。この通り動けるまでに回復致しました」


 そう言って右足を引き、右手を身体に添え、左手を横方向へ水平に差し出し、折り目正しく一礼します。

 姿勢を戻すと、三人とも目を丸くしています。

 ディクセンもアリシアも「ば、バカな!?」「あのアデルが……」と口々に驚かれてらっしゃいます。

 公爵家継嗣ともなれば、これくらいの礼儀は出来て当然ですよ。


「……アデル」

「なんでしょう?」

「本当に貴方はあのアデルなの?」

「? 仰っている意味が分かりかねますが、私はアデルですよ」

「口調がいつもとはまるで違うんですもの。貴方に礼儀作法が備わっていたなんて、全く思わなかったからビックリしたわ」

「何やら物凄く馬鹿にされているような気がするのは気のせいでしょうか?」

「あら? 馬鹿にしているのよ。とはいえ、先ほどの礼は美しかったから褒めてあげるわ」

「有難うございます?」


 私とリーゼロッテの会話にディクセンもアリシアも反応はありません。

 むしろ二人ともその通りだと言わんばかりに頷いていらっしゃいます。

 いくら第一王女が相手とはいえ、継嗣が馬鹿にされているというのに少しも怒る素振りを見せないというのは、どういうことでしょう?

 

 首を傾げていると、リーゼロッテが表情を真剣なものに変え、真っ直ぐに私の目を見てきました。


「アデル、貴方に言っておきたいことがあるの」

「話……ですか。わざわざ家にお越しになるくらいです。大事なお話なのでしょう?」

「えぇ。とても大事な話よ」


 話が重いものになると感じた私は姿勢を正し、リーゼロッテの次の言葉を待ちます。

 時間にすると数秒でしょうか。

 もしかしたら十数秒だったかもしれません。

 リーゼロッテの可愛らしい口から告げられた内容は、私に衝撃を与えるものでした。


「――アデル、貴方との婚約を破棄します」

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