ぼくと彼女の心の記録(ハートメモリ)

大和零

プロローグ ひどい始まり

 この記録は読者という者を全く想定していないのだが、まず初めに形式的に問を提出しようと思う。

 あなたは本当に、心の底から、人を殺してはいけないと思っているだろうか。

 この問いは記録者である私が世界の真理を考えるうえで、幾度も考えてきたものだ。実は、人というのは、心のそこから人を殺してはいけないとは思っていない。そして、論理的に殺してはいけない理由を説明することすらできない。では、なぜ人はそのように強く錯覚しているのか。それは、人が倫理と法に縛られているからである。

 もしこんな世界があったらどうだろう。この世界では、人を殺すことが悪とされていない。そして、法律でも禁止されていない。さあ、あなたはこんな世界でも、人を殺さずにいられるだろうか。でも、この問いには答える必要はない。少なくとも、そんな世界は存在しないのだから。しかしながら、一つ気付くことがある。人が人を殺してはいけないと思う所以。この所在は案外、人の心から離れたところにあるのではないか。

 

 いや、これは欺瞞だ。たしかに、人は心から人を殺してはいけないと思っている。保証する。

 さて、本題に入るとしよう……。この記録は筆者の人生そのものである。筆者の世界そのもの、と言っても良い。そして、筆者はこの記録を終えた後、死ぬつもりである。絶望からの死ではない、ということは先に言っておこう。筆者の人生の終局は、実に充実していて、希望に満ち溢れていた。それもこれも、彼女のおかげである。彼女のおかげで、筆者の人生は豊かになった。感謝してもしきれない。

 しかし、充実した日々というのは、必ず終わりが来る。いや、それは充実していない日々でも同じことだ。彼女が死んだ。筆者は悲嘆にくれた。


 そして、私は彼女の肉を喰った。

 彼女を喰わずにはいられなかった。そして、希望を失った私は、彼女の肉を喰いながら、記録を始めることにした。

 記録者の人生は、スタートから終盤近くまで、灰色世界だった。つまり、この記録の七割がたは、色彩のないつまらないものがただただ、淡々と語られていることだろう。しかし、それは終盤三割をより彩るのに必要なものであったのは確かだ。もし、この記録に読者というものがいたなら、退屈な記述に七割も割かなかっただろう。嘘を語ってでも、面白可笑しい人生を構築しているところだ。

 それをしないのは、読者の不在という理由だけではない。それほどまでに残りの三割が大切であるということを自らに確信させるためである。私の人生が、いかに彼女に彩られたかの証明として、この記録が永遠に世界に残り続ければ、それだけで満足である。 

 さあ、筆も温まってきたところだ。そろそろ記録を始めよう。

 

 まずは私がどういう人間かを手短に示そうと思う。  

 変われるものなら変わりたいし、強くなれるのなら強くなりたいと思う。コミュ障を治して友達を作って、できれば彼女も欲しいと思う。

 しかし、そう思って、自分自身を変えられるほどこの世界は単純ではないのだ。いざ変わらうと努力をしてみても、最初の一歩が重すぎる。持ち上げようと諸手を使っても詮方ない。この世界はあまりにも複雑で、自分自身が変わったときにどんな反応が返ってくるか予測不可能だ。それがこの上なく怖い。だから私は変われない。変わりたいと思うだけで、少なくともこの世界において、私は変わることは決してなかっただろう。


 私、という一人称ひとつとっても悩みが膨れる。そもそも、私は「私」という一人称を使いたくない。そういう柄ではないのだ。それに私は「俺」という一人称を使うほど男らしくないし、気も強くない。だったら、「僕」と言えばいいのだが、それも違和感を覚えてしまう。結局、一番気持ちが楽で、一番他人からは好かれない「自分」に逃げてしまう。ままならない。いっそこの際、「ぼく」縛りでもしてみようか。

 と、こんなしょうもないことで悩んでしまうくらいには、ぼくは一々考えて、悩みの沼にはまってしまう。

 一人称のみならず、日本語は二人称もやっかいだ。「あなた」「きみ」「おまえ」「そなた」「○○さん」などなど枚挙にいとまがない。

こういう人称の複雑さはぼくの悩みのごく一部にすぎない。行動する前に考えてしまうから、結局なにもできないということを何度も繰り返してきた。だから、今更、考える前に行動することもできない。

 きっとこれからもそうだろう。しかたがない。だって、ぼくが丸腰で立ち向かうにはあまりにこの世界はややこしすぎるんだから。世界そのものの摂理も、自然現象も、国際情勢も、国家問題も、都市構造も、街を闊歩する群衆の挙動も、ぼくが新たな世界に踏み出すきっかけになった新宿駅も、人の心の所作も。


 ぼくがあの世界に立ち入ることになったきっかけは、夏休みのある日に大学受験の勉強に疲れ、神保町で本を探しに行こうと思ったことだ。ぼくの唯一の趣味が読書で、ろくな人生経験もないくせに多種多様の本を読み漁り、多様な価値観や人生観を、へー、そういうもんかという感じで味わった。

それはまあ、なんとも薄味だった。というか、ぼくは本当の意味での「友情」とか「愛」とかを知らずに、それらをテーマにした本を読んで、なんとなく分かった気になって現実とのギャップに折り合いがつけられなかったのかもしれない。

でも仕方がなかった。ぼくが楽しく生きられる世界は、本の中にしかなかった。それだけだ。

 そうだ、ぼくがその世界に立ち入ることになったいきさつだった。ついつい自分の内面的なものに関しては記述が長くなってしまう。ろくな深みもないのになあ。


 新宿駅を歩いていた。人混みが苦手であまり電車を利用しないこともあり、ぼくはとりあえず新宿駅を中継することにしている。ほかにルートがあるのかもしれないが面倒だから考えない。

 それにしても、この新宿駅というものは世界の複雑性を象徴しているかのような構造だ。自分で選んでおいてこう言うのもなんだが、うんざりするくらい内部構造がややこしい。その様相は文字通り筆舌に尽くしがたい。一回たどったルートなはずなのに、再び同じルートをたどろうとするとなぜか道に迷っているのだ。なんてこった。ぼくが方向音痴なだけだといいたい人もいると思う。まあ、確かにそのとおりで反論できないのだが。

 例のごとく、ぼくは道に迷いに迷いまくっていた。人通りの少ない薄暗い通路に迷い込んでしまった。ここで、ほかの通行人に助けを求められる程の精神力は持ち合わせていなかった。変な話、この世の果てかと見間違うほどのエリアに行きあたって完全に絶望していた折、一枚のチラシに目が向かったのだった。

 そう、それがすべての始まりだった。

 それは一見すると、ただのアルバイト募集のチラシだった。白いA4の紙に黒インクで印字されたかなり味気ないそれは、一番上に「人員募集」とあり下に読み進め程に、なんとも摩訶不思議な内容がつづられていたのだ。


この世界から抜け出したい者/未知なる世界を探検したい者/真摯な態度で職務を遂行できる者

性別・年齢不問 あらゆる生活の援助及び身体の保護を保証する。但し、あなたの運命は保証しない。

詳しい内容は下記電話番号にTELのこと。


 なんのことやら、いう感じだ。だがこの時のぼくの信疑の割合は、二対八くらいのもので、その二割というのは「信じてみたい」という思いから来ていたのだろう。だってぼくは、こんな世界から抜け出せるなら抜け出したかった。切実にそう思っていたから。

 電話番号は念のためメモ帳に記しておいた。後で思い出しても、もう二度とここには来れそうにないし。まあ、念のためだ。


 しかし、と今になってつくづく思う。

 こんな粗末にタイプされた、リアリティのカケラもない内容のチラシを二割なりとも信じ、異臭を放つほどに怪しさが露呈しているのに、電話番号をメモしてしまったその時点で、ぼくには十分な素質があったのだ。それは世界を見限る素質と言ったところだ。


 メモした電話番号を思い出し、電話をかけたのはその半年後。すべての大学受験に落ちて、浪人が確定したのだ。貧困家庭にあって私立を受ける余裕がなく、安全圏と狙いを定めた国公立に落ちてしまった。それにしても、インターネットを通して合否発表を待つ間、スクロールして自分の受験番号を探している間の心臓の鼓動は凄まじかったものだ。そして、落ちたと分かったときの絶望感、無気力感、罪悪感だ。でもって、それがかけること三。完全に打ちのめされてしまったぼくは、好きな読書すらやる気になれず、世界の破滅ばかりを願った。

「ああ、こんな世界ままならねえなあ」

 こんな辛気臭いことを呟いたのだった。そして、ふと頭に思い浮かんだのだった。受験勉強の気晴らしに、汗を流しながら、新宿駅の暗い通路を無我夢中でさまよっていた自らの姿を。そのイメージは、皮肉なまでに今までの自らの人生に重なっていて。あの時は、なんとか目的の改札を見つけられた。そりゃそうだ、だってたかが駅である。いかに新宿駅が複雑だと人々が面白がってか、実際に迷って不幸な目にあってか、そういわれたとしても「人生」だとか「世界の摂理」なんかより遥かに単純な構造なのだ。

 迷うのには疲れた。

 だから、その記憶のついでに思い出していたメモ帳がある本棚に手を掲げたのは、一時の気の迷いにしても、それなりに自然なことだった。

 人生はよく一本道にたとえられる。幼少から青年期、壮年期を経て死に至るまでを単純な一本道のレールに。こう考えてみると、人々がいかに単純さを求めているかがよくわかる。だが、現実とはそう文字通り一本道ではなく、途中、ぐねぐねと曲がったり、袋小路に迷い込んだり、そういうのを経て、最終的に死を迎えた時、その歩んできたレールを俯瞰してみたら、一本のレールに見えるだけなのだろう。

 ぼくはその後、自らのレールを途中で駄目にすることになった。それが新しいレールに乗り換えたのか、それとも今までのレールを九十度折り曲げただけなのか、それすらも今のぼくにも知る由はないのだ。

 それを知るために、ぼくは記録をするのだ。

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