第31話 到着点、ニックオブタイム

「死傷者こそ未だ出てはいないが、しばらくは外を歩き回らない方がいいだろう。結衣、お前は入り口で待っていなさい。私は榊原君に話がある」


 入院中の国吉先生への見舞いは、結衣の父親の発言と共に終了を迎えた。病室内の壁に掛けられていた時計の時刻はまもなく夜の七時を指そうとしている。


 面会時間の締め切りという事だ。


 ベッドの上に伏していた国吉先生は最後まで来客の存在に気が付くことはなかったようで、濁りながらも開かれていた両目は、目線の先にあった天井でもない何処か虚空を見つめているように思えた。


 病院長である結衣の父親から詳細な病状について話を聞けた事もあってか、当初の目的だった情報収集の行動としては上首尾に終わったと言えるかもしれない。とはいえ、捜査状況は更に混迷を極めてしまった訳だが。


 いつの間にか気分の悪くなっていた一人娘の事を気遣ったのか、結衣の父親は俺の背後に立っていた小柄で華奢な手を取ると、そのまま一階のフロアへと向かったようだった。


 その役目は、最初から俺が担当するべき事では無かったのかもしれないが、時折身体が触れてしまう程の密接な距離である背後で起きていた幼馴染の変調に対して、気が付けるだけの余裕を俺自身が失っていたのもまた事実だった。


 立ち去った二人の後を追うように病室を出てから、特別病棟のメインフロアへと辿り着く。窓際に置かれていた長椅子に腰掛けて待つこと数分後、エレベーターに乗って舞い戻ってきた結衣の父親は到着直後に俺の存在を認識したらしい。無言のまま近付いてきたと思いきや、最後に「よっこいしょっと」そう一言添えてから俺の隣に腰を下ろした。


 病室の時もそうだったが、腰が良くないのだろうか。あるいは、俺も年をとればこういった発言をするようになるのかもしれない。果たして意識的にやっているのか、無自覚なのかは気になるところだったが、今はそんな些細な事を考えていいような状況でも無い。


 俺は単刀直入に尋ねる事にした。


「……話ってなんでしょうか」

「君は、娘の事についてどう思う?」


 率直に切り出した俺の言葉に対して、結衣の父親は唐突な話題振りを含めた返事を返してきた。慰めの言葉でも掛けてくれるのではないか、ぼんやりとそんな予想を立てていた俺は思わず「は?」と間抜けな反応を見せてしまう。


 意表を突かれたせいか、しどろもどろになりながら言葉を選んでいると、結衣の父親は。


「なに、君と娘の関係に口を挟むつもりは無い。気にならないのか、と聞かれれば嘘だがね。私が知りたいのは、青山結衣という娘がどんな性格をしていて、どのような意思を持って生活しているのかという話だ」


 そうやって、質問の意図について簡単な説明をしてくれたのだった。


 どうやら、一人娘の事が心配で俺に対して探りを入れてきた。そんなありがちな展開とは少々趣の違った話らしい。しかし頭の中で内容を復唱してみると、思わず別の疑問が浮かび上がってきた。


「それは……父親のあなたが一番よく知っているはずじゃないんですか?」


 もっともな話だと思う。少なくとも、一人娘の性格なんて幼馴染の俺以上に父親の方が詳しいに決まっていた。まさか実は血が繋がっていないとでも言うのだろうか。結衣の家族関係がそのような複雑化をしているなんて事実は俺の記憶に存在しないのだが。


 しかし、存在していないからと言って決めつけも出来なかった。結衣自身が、敢えて父親についての事情を俺に対して伏せていた可能性も大いにあった上に、現在の俺は他の誰よりも自分自身の記憶に疑いを抱いているのだから。


 だが結衣の父親の返答を聞いてみると、どうやらその心配は杞憂に終わったらしい。もっとも、複雑な家族関係という憶測についてはあながち的外れでも無かったようだった。


「ご覧の通りと言ってしまえば嘘に見えるかもしれないが、普段の私は仕事に追われて忙しい立場だ。最近は家にも帰れていない上に、妻からも素っ気ない態度を取られているようでね。円滑な家族関係を築けているとは言い難い」

「…………」


 円滑、という言葉が気に掛かった。それを言うのなら、円満が正しい表現では無いのだろうか。その言葉違いからして、結衣の父親の生活背景が透けて見えてくるような気がした。


 いわゆる、仕事人間というやつなのかもしれない。確かに結衣からも、父親は中々家に帰って来れないような話を聞いていたと思う。その理由も、こうして実際に職場を訪れた身としては納得が行くものではあったのだが……。


「担任教師の変わり様を目にしたばかりの君に対して、このような質問をするのは無粋だったかね?」


 無言のまま黙りこくっていたせいか、結衣の父親は苦笑を浮かべながらそう言った。


 言われてみれば、確かに無粋だったかもしれない。普通ならば、このような状況で尋ねてみるような話では無いだろう。だからと言って、俺としてもいつまでも塞ぎ込んではいられなかった。


 こうしている今でも、敵は近辺を徘徊しているのかもしれないのだから。そいつが俺自身にとっての敵かどうかは知らないが、少なくともNPCとしての立場からすれば、他人事で済ましていい話じゃない。本当に敵の対象が無差別というのならば、結衣や龍二のような大切な友人達にも危害が及ぶ可能性だってゼロとは言い切れないのだから。


 穿った見方をするならば、これは結衣の父親なりの励まし方ではないだろうか。全然違う話題を振ってあげる事で気を紛らわせるとか、そんな感じの。相手が医者だけに、その辺りの対応は心得ているはずだと想像する。


 それに、結衣の父親の協力を得られなければ、国吉先生の見舞いをする機会を逃していた可能性は高かったと思う。こっそりと探そうにも、まさか特別病棟に入院していたとは予想も付かなかったので、先に面会時間の終了を迎えて途方に暮れている姿が目に浮かんだ。


 そう考えれば、彼の質問に答える程度のお礼はしても構わない気がする。


 結衣の父親にとっては、娘の友人とこうして話をする機会がそもそも滅多に無い事なのだと思うし、直接結衣本人に尋ねてみようにも、付き合いの長い幼馴染の性格を考慮すれば、たとえ悩みを抱えていたとしても彼女が父親にそれを打ち明ける事はまずしないだろう。実際には俺だって結衣の悩み事など知り得てはいないのだが、それだけは予想が付いた。


「いいですよ。俺なんかの話でよければ、ですが」


 俺は結衣の父親に、娘の事を語って聞かせる事にした。告げ口のような行為に抵抗が全く無かった訳ではないが、相手が父親ならば結衣だって怒りはしないだろう。

 

 とはいえ、実際に俺の口から話せる事なんて限られていたのも事実だった。結衣と俺自身との関係については口を挟むつもりは無いと言われたものの、父親相手にそれを説明するのは流石に躊躇われるところがあったので、その辺りの話題は意図して伏せる事にした。この程度の隠蔽は向こうも予想していた事だろう。


 なので、俺が話したのはあくまでも当たり障りの無い内容だ。幼馴染として、というよりは同じクラスメートとしての目線から見た、青山結衣という少女の印象を語ったに過ぎない。まあ、少女という名詞を彼女に採用しているのは俺だけとは思うのだが……それは置いておくとして。


 友達は多いみたいですよ、とか。娘さんの明るい性格に俺も救われています、とか。勉強はまあ……ぼちぼちって所です、とか。そんな雑談の域を超えない説明の詰め合わせだった。


 内容に嘘を混ぜるような真似をしたつもりはなかったが、こうして他人に、ましてや父親相手に幼馴染の説明をするというシチュエーションだった手前、少々贔屓目の入った言い回しになってしまったかもしれない。


 結局、最後まで他愛も無い話しかできなかった気がするが、結衣の父親はそんな俺の拙い説明を、まるで心に刻み込むかのような真剣な眼差しで聞いてくれているようだった。一通りに話し終えたタイミングで「どうでしたか?」と感想を求めてみた。

 

「いやいや充分だ、貴重な話を聞けたよ。どうやら充実した生活を送れているようで安心した」

「充実、ですか」

「……何か疑問でも?」


 俺があからさまに訝しげな表情を浮かべたせいだろう。結衣の父親はそれに対して怒る訳でも無く、純粋に意見を求めるような感じで尋ねてきた。あまり立ち入った真似をするつもりは無かったが、恐る恐るながら俺は進言した。


「その……充実した生活っていうのは、家族関係を含めて初めて成立するんじゃないかって、そう思いました」


 家族という存在から切り離されている立場で言えた話では無いかもしれないが、そういった存在が居るのならば……仲良くするべきだろう。一般的な意見としては、間違っていないはずだ。


 一般的な意見。

 そんな建前を付けている自分が後ろめたく思えた。

 実際には、ただの嫉妬なのかもしれない。


「ふむ……君の言うことは一理ある。しかし、人と人の関係とはどんな医療よりも難しい。薬や手術でどうにかなるものでは無い。信頼関係は時間を掛けて築かれるものだが、築き直すのにもやはり時間が掛かる。簡単な話じゃない」


 大人な対応だった。

 家族を持った事も無い若造が何を言っているのかと思われたかもしれないが。


 しかし俺は知っている。

 結衣が、わざわざ自らの意思で多忙を極めているはずの父親に会いに来た、その事実を。だから怯まずに、最後まで意見を伝えた。


「難しいからこそ、やるべきだと思います。あなたが心から娘さんの事を思っているならば、ですが」

「……考えておこう、あまり期待されても困るがね」

 

 伝えるべき事は伝えただろうか、俺にとっても結衣の父親と腰を据えて話をする機会が貴重なのは同じだった。ならば伝え残しがあっては後悔するかもしれない、気が付けば余計な事まで口にしてしまっていた。


「結衣の将来についてはどう考えているんですか? これだけ大きい病院なら、跡継ぎとか……」

 

 口にした瞬間、後悔した。いくら何でも、これは立ち入り過ぎた発言だった。父親の立場としてならともかく、俺のような立場で結衣の将来について議論を交わしていいはずが無かった。激昂されるかもしれないと思わず身構えてしまったが、結衣の父親の反応は思いのほか淡泊なものだった。


「娘が医療の道を志すというのなら止める理由は無い。しかし私は、人はなりたいものになるのではなく、のだと人生経験上から学んでいる」

「なれるものにしか……?」

「向き不向きという話だよ。患者の容態を見て気分を悪くするような娘では先行き不安としか言えない。まだ君の方が見込みがあるくらいだ」

「それって……」


 俺は国吉先生の入院に代行者の存在が絡んでいたと知っていた。何も知らされていなかった結衣に比べれば、情報的なアドバンテージを有していた。それだけの事だ、褒められた話じゃない。


 病室に入る直前、結衣の父親はこれも人生経験だと話していた。今思えば……あれはテストだったのかもしれない。結衣が医療の道に進むべきか否かを判定するための。


 医者にしろ、看護士にしろ、必要なのは知識や性格だけじゃない。どのような凄惨な目に遭っている患者に対しても気丈に振る舞える、メンタル的な資質だって必要不可欠だろう。


 一見として普通の患者では無い国吉先生の容態を娘に対して見せたのは、それを確かめるための行為だったのではないだろうか。あるいは、結衣自身に確かめさせたかったのかもしれない。


 あくまでも、俺の想像の範囲の話だが。


「不器用な男だと思ったなら、昔からよく言われている事だ。得意な事しかできない、そういう性質らしい」


 結衣の父親は、自嘲気味にそう漏らした。その告白は、俺がたった今思い浮かべた印象通りでもあった。


「榊原君、と言ったな。君はこのような父親についてどう思う?」

「……俺は父親になった経験はありません。でも、今よりほんの少し歩み寄りができるのなら、いい父親だと思います。そうじゃなかったら、結衣が会いに来るはずがありませんから」

 

 結局のところ、結衣が病院に来た理由については最後まで聞きそびれていた。しかし、もはや答えは明白だろう。親戚や知人が入院していた訳でも無い。俺のように、最初から担任の教師の見舞いに来ようとしていた訳でも無い。


 結衣は、父親に会いに来ただけだったのだ。中々家に帰って来れない父親の事を気遣って、わざわざ電車で数駅掛かる名結市にまで足を伸ばして、友人とのプライベートを蹴ってまで、それだけの行動をする理由が父親にあったという事だ。


 俺が出過ぎた真似と思いながらも家族関係に口を挟んだのも、似たような理由だったと言えるのかもしれない。


 あの結衣がそこまでして会いに行こうとするような父親なら――それだけ大事な人に違いない。それならば、家族全員で仲良くして欲しい。大切な幼馴染が情愛を寄せている父親に対して嫉妬した、それだけの事。


 みっともない、俺自身の感情だった。




 初対面時にはおそらく警戒されていたに違いない結衣の父親だったが、最後には和やかな関係を築けたのではと思う。彼の使っていた言葉を借りるならば、土台を作ったというべきか。信頼関係とは、時間を掛けて作るものらしいから。


 あまり話し込んでいては、一階で待っているであろう結衣に心配を掛けてしまう。そう結衣の父親に伝えて、俺は長いこと座っていた長椅子から腰を上げた。


「そうか。次も時間が取れるとは限らないが、暇ならまた来なさい」


 去り際にそう言われたのが少しだけ嬉しかった。


 勿論、浮かれていい状況などではない。結衣を自宅まで送り届けてから、冷泉との連絡が待ち構えているのだ。結衣の父親との会話で、多少なりとも気分転換ができたのは幸いだった。


 ボタンを押したエレベーターが上がってくるまでに、再び気を引き締めようとした――その瞬間だった。


 青山第3総合病院の特別病棟、そのメインフロア内には俺と結衣の父親だけしか人らしき姿が無かった。おそらく、病院長の権力を使って人払いをしてくれたのだと想像するが、そこに電話の着信音らしきコール音が鳴り響いた。


 妙に近かった音の出所を探ると、それはメインフロア内で拠点の如き存在感を放っていたナースステーションに設置されている固定電話のようだった。普段なら数瞬の間も置かずに取られるのだろうが、本来対応するべき人間が誰も居ない現状、コール音はいつまで経っても収まらずに虚しく響き続けている。


 まだ長椅子に座っていた結衣の父親は、やれやれとでも言いたげな様子で腰を上げると小走りでナースステーション内に入ってから、その電話を取った。 


「はい、青山だが。時間が掛かってすまないね、事情があって今は私しか居なかった。……うむ、そうか。ベッドに空きはあるが、こうも立て続けだと、いずれ此処も手狭になってくるかもしれない。まあそれは置いておこう、患者の容態は?」


 周囲に誰も居ないせいか、結衣の父親が電話越しに何を話しているのか耳に入ってきた。背後では既に到着したエレベーターの扉が開いているようだったが、俺は乗り込もうとはせずにその様子を注視し続けてしまう。


 電話が掛かってきた状況と内容から察すると、この特別病棟に新たな患者が運び込まれてくるとか、そんな話のようだった。


「そうか、では搬送後すぐに私が対応しよう。この案件はおそらく例の事件に関連したものだろう、また警察を相手にするのはいささか面倒な話だ。患者の名前は特定出来そうかね?」


 例の事件、結衣の父親がそう口にした事で確信を得た。新たな患者。それはつまり……新たな犠牲者が出たという意味だろう。こうしては居られない、一刻も早く冷泉と情報を共有して対策を打たないと、被害は拡大するばかりだ。


 そう思って俺は、最後まで話を聞こうとはせずにエレベーターの方へ振り向こうとしたが――。結衣の父親があくまでも確認の為に復唱したのであろう、。その人物名に俺自身が驚愕してしまったからだ。


 一度開かれたはずのエレベーターの扉は、時間の経過と共に、再び閉ざされてしまった。時間は待ってくれない、到着したが最後、立方体の箱は乗り込んでしまえと、呼び出した相手を急き立ててくる。乗り物としてはいささか自分勝手な存在に思えた。


 その自分勝手は、今日の俺が一日を掛けて辿り着いた、一つの真実にしても同様だった。手繰り寄せたら最後、その者は解決に向けて進まなくてはならない。


 でなければ――放置したお前も同罪だ。

 そうして心の内側から追求されてしまう。

 逃れる事は、とてもじゃないが出来そうになかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る