第16話 異端者、レコグニション

 俺は自宅を飛び出すと、勢いのままに走り出した。


 目的地は既に決まっている、友人であり親友とも呼べる男が居そうな場所。もっと分かりやすく言えば、バスケ部のキャプテンであり例え休日の日曜日だろうと熱心に練習している男が居そうな場所――我が母校、創世学園だった。


 住宅街を抜け出して、見慣れた公園や河川敷といった普段の通学路を俺自身が不慣れな速度を出したまま駆け抜けて行く。その有り様は、昨日の逃走劇を思い出すかのようだった。


 百メートル以上はある河川敷を通り過ぎる最中、ほんの数日前にはそこで寝ていたお気に入りの場所が視界に入って来た。周囲には何も存在しない原っぱ、俺は大体の位置に当たりを付けてその一点を注視する。足を止める事はしなかったが、同時にひとつの可能性が浮かび上がってくる。


 今日の天気は快晴、気温も程々に温かみを感じられる。「ちょっと寄って寝てみるか」、普段の自分ならばそんな楽観的気分になっただろうと想像が付いたが……冷泉瑠華かのじょの話を思い返してみれば、そんな些細な思考もを覗かせてしまう。


 彼女の言葉が真実だとすれば、そのお気に入りも『』でしかないのだ。「あの原っぱで過ごす行為に榊原修という人間が特別な想いを抱いている」、それ自体が作られた個性だったとしたら……


「……ふざけた話だ」


 頭に浮かんだ疑念を振り払うかのように怒りの声を漏らした。自分でも理解している、俺は苛立っていた。彼女からNPCと言われた事実に対してだけじゃない。今でも彼女の根拠を否定しきれない、自分自身に対してだった。




 過去に例を見ない速度で通学路を走り抜けた末、俺は創世学園に到着した。初めての休日の登校だったかもしれない。少なくとも、万年帰宅部の人間には似つかわしくない場所だった。


 校門を抜けた辺りで息が切れてしまい、思わず急ぐ足を止める。心臓の鼓動が激しくなっている中、親友が練習をしていそうな場所を考えてみた。


「……はあっ、はあっ、多分、体育館か」


 バスケ部の練習場所と言えば、その辺りが妥当だろう。


 呼吸はまだまだ整っていなかったが、俺は校内へ足を踏み入れると体育館を目指す事にした。玄関で靴を履き替え、一階の廊下を歩き進める。


 ……休日の校内は予想通りと言うべきか、生徒の姿を全く見かけずに閑散としていて、普段の活気付いた校内しか知らない俺は少々不気味さを感じてしまう。無人の廊下の角を曲がると、目的地である体育館の入り口が顔を見せた。


 中からは何かの部活動をやっていると察するような、ボールの弾む音が聞こえる。だが、当然セットで聞こえて来るはずの部員の声がまるでしなかった事に俺は疑問を抱いた。


 とは言え、開けてみない事には中の状況が分からないだろう。俺は意を決して館内へと入る事にした。横開きの鉄扉を開ける、ガラガラと仰々しい音が廊下に響く。


 そこには――親友が一人だけだった。


 大原龍二おおはらりゅうじが、たった一人でコート上に存在していた。半袖短パン姿の練習着の格好で、バスケットボールを手にしている。見つけた唯一の人物が、探し求めていた親友で良かったと俺は安堵した。


「――修、お前なんで」


 突然の俺の来訪に、龍二の方は呆気にとられて困惑している様子だ。無理もない、俺自身がこうして休日に学校を訪れてしまった状況に驚いている。今更ながら服装も昨日の私服のままだった。


「……龍二、ひとりか?」


 この場に現れた理由は明かさない事にする。龍二はそんな俺の対応に不満を抱いた素振りも見せず、質問に応えてくれた。


「ああ、予定では部内で練習試合をする事になっていたんだが。今朝から顧問と連絡が付かなくてな、今日は休みって事になった」


 午前中は他の部活が利用していたんだが、午後はバスケ部うちが使うって話になってる。龍二はそう語りながら、手元のボールを地面に弾ませた。


 午後の体育館は、たった一人のバスケ部キャプテンのための練習場になっていた。一人で扱うには規模の大きすぎる場所だろう。


「それでも個人練習か、お前らしいよ」


 多分、一人だけで使うことは黙っていたんだろう。あるいは密かに人気を博している親友の人徳だろうか。練習熱心な親友の行動に、俺は思わず苦笑してしまう。しかし同時に、よこしまな考えが脳裏をよぎった。


 お前らしい、それは俺の『』が言っているのか。

 それとも、そういう『』だから言っているのか。


 どちらが正しいのか、答えが見つからない。

 だから会いに来たんだ、昔話をするために。


「ま、バスケが好きだからな。こればかりは」


 ――よっと、龍二はそう言いながらコート上に存在するリングに向かってシュートを放った。


 ワンハンドシュートというやつだろうか、ボールは見事にリングの中をくぐった。プレイヤーが一人しか居なかったためボールは誰にも受け止められる事なく激しく弾み、反響する音が体育館内に再び響いた。


 龍二が実際にバスケをしている姿を久し振りに見た気がする。しかし前回が『いつの話』だったのかは思い出せなかった。俺は腹を括ると、本題を尋ねることにした。


「なあ、龍二。お前……いつからバスケ始めたんだ」

「どうしたんだ、やぶからぼうに」

「答えてくれよ、いつからなんだ。それだけバスケが好きなら忘れてるはずがないだろ?」

「いつって――『』だよ、多分小学生の頃辺りじゃないか?」

「多分って……真面目に思い出してくれ」

「別に適当に答えてる訳じゃないさ、覚えてないんだから仕方が無いだろ」


 そう言い残して、龍二は再びボールを拾いに行った。

 気が付いたら、覚えてない、仕方無い。


 その返答は、つい先刻の俺と同じような言葉を用いていた。冷泉に過去を思い出せと言われた時と、同じような言葉を。


 自分の一番好きなスポーツを始めた時期が思い出せない。それは、俺が親の顔を思い出せないのと同じぐらいに、あり得ない事ではないのか。


 小学生の時という龍二の推測は、概ね的を得ているのかもしれない。中学生の時に全国大会に出場したというバスケの技術を考慮すれば、それは妥当な推測だろう。


 でもそれは、『記憶』じゃない。

 ただの推測にしか過ぎない。 

 言ってしまえば――『』だ。


 現実に対して過去をすり合わせるためのこじつけ。つまり、設定に対するもっともらしい言葉を並べているだけに過ぎない。考えれば考えるほど、思わず冷や汗が出てくる。


「じゃあ、聞くぞ! 俺とお前が初めて出会ったのはいつだ!」


 動揺を隠し切れなかったのか、俺はつい声を張り上げてしまった。人によっては、怒鳴っているような言い方に聞こえたかもしれない。


 ボールを拾った龍二が振り向くと、こちらへ向かって歩いてくる。俺の唐突な質問に対して、真剣に考えている様子だった。


「……それは当然、中学の頃だろうな。小学校は違ったんだから」

「じゃあなんで……友達になったんだ」

「おいおい、随分と恥ずかしい事を聞いてくるな。理由なんて些細な話じゃないか。強いて言えば、腐れ縁って奴だろう」

「……そうか」


 親友の答えは、やはりあやふやなものだった。時期は俺の推測と合っていたものの、それ以上の答えは返って来ない。


 図らずとも、俺が思い出そうとした親友との出会い。その内容と一致した『こじつけ』でしか無かった。


 腐れ縁、なんて都合のいい表現だろうか。


「なあ修、どうしたんだよ本当に。何かあったのか」

「それは……」


 何かあったと聞かれれば、色々な出来事があったと思う。でもそれを説明することは、龍二を危険に晒す可能性があるかもしれない。俺は思わず、黙り込んでしまった。


「悩み事なら聞くぞ? 他ならぬ親友のお前の悩み事ならいくらでもな」

「気持ちは嬉しいが……別に、何もない」

「……そうか、無理には聞かないさ」


 龍二はそれ以上、話を聞こうとはしなかった。追求して来ない親友の優しさ、それ自体はありがたい事だったが。


 それなのに、その優しさすら――『設定』なんじゃないかって。そんな下衆な考えが頭に浮かんでしまう。


 出会った時の事を思い出せない親友。

 いつの間にか、気が付いたら親友だった存在。


 それは本物じゃない、偽物なんじゃないか。心の何処かで否定しきれない自分の事が嫌いになりそうだった。目の前の親友を信じられずに、知り合ったばかりの転校生の言葉を鵜呑みにしてしまっている自分が。




 せっかくだから練習相手になってくれよ。そう誘ってきた親友から逃げるようにして学校を出た俺は、気が付けば昨日訪れていた場所を再訪していた。


 背後には、『名結駅めいけつえき』と大きく書かれた駅の建物が存在している。入り口から数歩進んだ地点まで来たところで、俺は立ち尽くしていた。


 銀髪の少年と出会って命を狙われた場所には、数分も歩けば辿り着いてしまうだろう。流石にそこまで愚かでは無かったが、昨日の今日でこの場所を訪れた事実はやはり愚かだと冷泉には呆れられるかもしれない。


 それでも俺は、この場所を訪れたかった。目の前に広がる光景を、虚ろな表情をしながら眺めていたとしても。


 日曜日の市街地は、昨日と同様に沢山の人達が辺りを歩き回っていた。


 中には同い年ぐらいの学生も居れば、家族連れで買い物に来たような人達、休日でも働いているようなサラリーマン、色んな人達が右往左往しながら俺の視界に入っては消えてを繰り返している。


 ……これだけの人達が『NPC』、作られた存在なんて。


 彼らはどう見ても、普通だった。

 普通に、人間だった。

 だからこそ、現実を受け止めきれない。


 俺は、なんとなく考えていた自分の未来像を思い返していた。


 進路すら決まっていなかったが、進学して、どこかで働き始めて、運が良ければ誰かと結婚して、子供が出来て、そんなありふれた未来像だった。


 特別にやりたい事も無かったから、未来に何か希望を持っていた訳じゃない。とりあえず真っ当に生きるために、「やらないといけない」事をしていた。


 朝早くに起きて学校に行かないといけない。成績を落とさないために勉強しないといけない。一人暮らしだから料理をしたり、掃除や洗濯もしないといけない。次の日に響かないようにと、また睡眠を取らないといけない。


 その繰り返しは、決して楽しい事だけじゃない。それは、人間として生まれた以上仕方の無い事だった。


 逆に言えば――人間らしさの証明でもあった。


「……じゃあを否定された人は、どうすればいい」


 誰に聞こえる事もないような小さい声を絞り出して、俺は呟いた。


 目の前には、俺と同じ立場のはずの人達があちらこちらに存在している。しかし、その中身は別物と言ってもいいのではないかと思い始めた。


 あの人達は何も知らないから、人間である事が当たり前だと思ってる。中には、人生に希望を持てずに日々を過ごしている人もいるかもしれない。


 それでも、希望は無くとも『絶望』はしていないかもしれない。

 俺は――気付いてしまったから。


 この世界の構造を、自分が虚構の存在である事実を。知ってはいけない事を、知ってしまったから。あれだけ彼女が止めようとしていたのに。


「……冷泉は、知ってたのか」


 今更になって、彼女が真実を伝える事を拒否していた理由に気が付いた。


』と、『

 この二つは、全然違う意味を持っている。


 代行者とNPC、この世界に存在する人間はその二種類だけのはずだ。


 でも俺は……純粋なNPCでも無ければ、彼女のような代行者でもない。どちらか一方になる事すら出来ない――中途半端な『異端者』でしかない。


 これまで通りに学校に行って、普通に知り合いと接しようとしても、俺はもう真実から目を逸らせないだろう。親友の言葉すら疑ってしまったのだから。


 代行者として生きられるのは『もう一人の人格』であって、それは榊原修じゃない別人だった。


「俺には、資格が無い」


 自らの胸に手を当てて、力を入れる。

 自身の内面に問い掛けるように呟く。


 お前は代行者としての資格を持っている、役割を持っている、目的を持っている……やるべきことがある。


 そのどれもが今の俺には手に入らない、かげがえのない存在意義だった。これまで「やらないといけない」ことを嫌々やっていたはずなのに、その行動のどれもが懐かしく、眩しく思えてしまったのだ。


「……なら俺は、どうすればいい」


『異端者』になってしまう事の孤独と絶望。

 それを、冷泉は知っていたんだ。




 深い喪失感のような物を感じながら、俺は自宅を目指していた。その歩みは行きの勢いが嘘のようで、足取りがおぼつかない程の遅さだった。


 人間ではない事実を認識してしまったのに、帰るために電車料金を払わないといけない人間社会のルールに従う自分自身が少し滑稽に思えた。


 物静かな夜の住宅街に、街頭の明かりが差し込んでいる。空を仰げば月も出ていたので、あまり暗さを感じられない。


 あれから俺は、冷泉が心配していた状況が現実になってしまったかのように『冗談のような感情』を抱きつつあった。想像するだけで憚られるような、最悪な心境である。


 しかし、自らの手で命を捨てられるような勇気は持ち合わせていない。俺は人間ではなくとも、極めて人間に近いような存在でもあったのだから、自殺は怖いと感じてしまうのも当然だった。


 その結果、少年と出会った通りにまで足を運んで、運が良ければ今度こそ殺してくれるかもしれないと淡い期待を抱いていた。


 陽が暮れるまでその場所で待ち構えていたが、幸か不幸か少年と再び遭遇する機会は訪れなかった。


 冷泉はまだ俺の家に居るのだろうか。あんな形で飛び出してしまった手前、心配をかけているかもしれない……今となっては、どうでもいい事か。


 責めている訳じゃない。これは制止を振り切って真実を聞いてしまった俺の自業自得でしかないから、彼女が心配する必要は全く無かった。


 俺が出来るのは、せめて代理戦争とやらに彼女が勝ち残れるよう陰ながら応援する事ぐらいだろう。自暴自棄になりつつも自宅の姿がおぼろげに見えてきた、その時だった。


「人影……?」


 こちらからは後ろ姿しか見えないが、確かに人影だった。その人影は動こうとせずに、俺の自宅前で固まったようにたたずんでいる。背丈を見るにやや小柄な人物のようだ。


 まさか……昨日の少年だろうか、それならそれでも良かったが。気配を隠そうともしないまま、俺は正体不明の人影に対して近付いていく。


 背後から迫る足音に気が付いたのか、人影はこちらに向かって振り返る。しかしその正体は、俺の予想外の人物だった。


「……修ちゃん」

「……結衣」


 そこには、一人の少女の姿があった。

 青山結衣、幼馴染の少女。

 俺が会いたいと思った、もう一人の友達だった。

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