再会

 最寄り駅から歩いて三分の所に、小さな公園がある。遊具が少しとベンチが四つ置いてあるだけの簡素な公園。三年前まではよく仕事帰りに、隼人と駅で合流してここに来てたっけ。元カレと話をつけたのもこの公園だったな。


 そんな懐かしい思い出のある公園。そこにあるベンチの一つに人が座っていた。その人以外、誰も公園にいない。近付くにつれて明らかになるその顔は、やっぱり隼人はやとだった。


 相変わらず人柄が良さそうな顔をして。今日もやっぱり、見慣れた黒髪には寝癖がついていて。違うのは、最後に会った時より老けたことと、目の下に見えるクマがひどいこと。三年ぶりに見た隼人は、疲労の色がかなり濃かった。


「無理しなくていいって言ったのに……」


 強がりを言うくせに、その顔は今にも泣きそう。本当は来てほしかったんでしょ。隼人のことならほとんどわかるの。それに、本当に来てほしくないなら、わざわざ電話なんてしない。隼人はそういう人だ。


 今日この日をどれくらい待ちわびただろう。この三年間、会いたい気持ちを必死にこらえた。隼人が帰ってくるって信じて、メッセージアプリのチャットだけで関係を繋いで、今日この日を待っていたの。無理してでも会いたいに決まってる。


「隼人!」


 スーツのままだとか、慌ててきたコートが乱れてるとか、靴が脱ぎかけているとか。そういったこと全てがどうでもいいよかった。見た目を気にする余裕もなく、隼人の体に抱きついてしまう。隼人の近くで息を吸えば、どこか懐かしい甘い香りがする。あぁ、隼人の匂いだ、本物の隼人だ。


 隼人の大きな手が、飛びついた私の背中を優しく撫でる。ベンチから立ち上がり、私の体を強く抱き寄せた。三年ぶりに感じる隼人の体温が嬉しくて、体の奥の方が熱くなる。人特有の温もりが、目の前にいる隼人が幽霊なんかじゃないって教えてくれる。


「いつ、帰ってきたの?」

「いつって……今日だよ」

「今日?」

「そう。美穂みほにすぐに会いたくて、空港からここまで急いで来たんだ。帰国するだけで二本も飛行機を乗り継ぐことになったから、さすがに疲れちゃった」

「なんで……教えてくれたっていいじゃない。隼人のバカ!」


 久々に会ったからか、隼人しか見えてなかった。でも隼人と話して落ち着くと少しずつ周りの様子が見えてくる。ベンチの近くには大きなスーツケースが置いてある。隼人の隣には、これまた大きな旅行用鞄が一つ。本当に、空港からここまで真っ直ぐ来たんだ。


 本当に隼人なんだ。帰ってきたんだ。そう実感したら、途端に視界がにじみ出す。生暖かい涙が頬を伝った。口の中に入った数粒の涙は、今日もしょっぱい。涙はどんな時でもしょっぱいんだな。そんな当たり前のことに改めて気付かされる。





 海外出張に出かけた三年の間、隼人は一度も日本に帰ってこなかった。メッセージアプリのやり取りは時差があって、日々の挨拶と近況報告ばかりで。チャットのやり取りだけをしていた日々と実際にその体に触れることの出来る今では、何もかも全然違う。


 直接スマホを介さずに話す。隼人の声が直接耳に入ってくる。コートに直接触ることが出来る。三年前まで当たり前だったことが今は当たり前じゃない。この三年間でよくわかった。当たり前のことが出来る、それだけで幸せなんだ。こうやって好きな人に会えることが幸せなんだ。


「帰ってくるのが急だったんだ。今日明日は近くのホテルに泊まって、明後日には日本の方の会社に出勤する。そのあとどうなるかは分からないけど、きっと、もう海外出張することはないと思う。……他に言うこと、ないの?」

「…………お、おかえり、なさい?」

「ただいま」


 隼人の言葉を遮って、額に温かく柔らかい感触がぶつかる。ハッと顔を上げるとそのタイミングを狙って唇を奪われた。額へのキスは短かったのに、口へのキスはなかなか終わらない。息が出来なくて苦しくなってくる。キスが長引くにつれて体の力が抜けていく。


 帰ってきたら真っ先に「おかえり」を言おうとしたのに、言うのを忘れるなんて。あなたに言われるまで気付かなかった。「ただいま」の言葉より先に、周りを気にせず接吻くちづけをする。人がいるかどうかじゃない。人がいるかを気にしない。そんな些細な行動が嬉しくて。


 隼人の顔が離れる時には足に力が入らなくなっていた。ふらつく体を隼人が支えてくれる。そんな些細なことがなんでか恥ずかしくて。顔が燃えるように熱くなる。これは、本当に夢じゃないんだよね。


 もう一度力強く抱きしめられた。ドクンドクンと少し速い心臓の音が聞こえた気がする。耳に届いた高鳴る鼓動は私一人のものだけじゃない。私の鼓動とは別に、心拍音が聞こえる。これ、隼人の音、なのかな。


 懐かしい甘い香り。でも甘過ぎず爽やかな、隼人の体臭。それを嗅いだだけで、脳が溶けてしまいそうな感覚がした。ずっとこの甘い匂いの中に閉じ込められていたい。このまま時を止めて、幸せな夢から目覚めずにいたい。


 隼人の体を抱きしめる。密着したせいか、体温も心拍も息遣いすらもがやけにはっきり感じ取れる。やっぱり嬉しくて、隼人の存在を感じるだけで涙ぐんでしまう。どれほど会いたかっただろう。どれほど恋しかっただろう。この三年、どんな思いで耐えてきただろう。そんなこと、口にすることは出来ないけれど。


 急に右の耳たぶを舐められた。かと思えば優しく甘噛みされる。同じことを左の耳たぶにも。かと思えば額に、両頬に、鼻に、口に、喉に、首に接吻をされた。次第にキスの位置が少しずつ下がっていく。隼人の吐息が熱くて荒い。


「ずっと、こうしたかった。……ダメだ、少しでも触れたら、止まんない」

「ここ、外だよ?」

「俺の泊まるホテルに来る?」

「いや、ダメだよ。第三者の入室そのものが違法なんだよ。友達がそれで警察に通報してたもの」

「意外。詳しいね。じゃあ……もし俺が二人部屋で予約してたとしたら、どうする?」


 その意味に気付いて、複雑な気持ちになる。経費の乱用って言おうとしたら、その口を素早く塞がれてしまった。ああ、やっぱりズルい。急に決まったなんて嘘なんでしょ。そうじゃなかったら、私の分まで予約なんて出来ないもの。でも今は、そんな些細な疑念なんて無かったことにして、この幸せに溺れていたい。

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