大切なこと

 隼人はやとと出会ってから約三ヶ月。元カレの一件の時に一緒に帰っていたからかな。隼人と会うのは怖くなかった。待ち合わせるのは一度や二度のことじゃないし、隼人なら待ち合わせ場所に絶対来るって知ってたから。でも今、私は少し戸惑ってる。


 私が行きたい場所として挙げたのは、世界的に有名なテーマパークだった。待ち合わせ場所はテーマパークの最寄り駅。土曜日ということもあってか、駅構内にはカップルや家族連れが多い。そのせいか、少し場違いな気がしてくるんだ。


 テーマパークを選んだのは私。いい歳してテーマパークを選んだのは、こういう機会じゃないと来られない場所だから。それに隼人と一緒なら、どんなに待ち時間が長くても大丈夫だと思ったの。


 隼人はもう、改札口を出たところで待機してる。改札内から隼人の姿を確認しただけで、顔に熱が集まるのを感じた。やけにはっきり聞こえる心臓の鼓動がうるさい。どんな顔して会えばいいんだろう。服とか化粧、変じゃないよね。そんなことばかり気にして、改札を出ることを躊躇ためらう。


 化粧室で見た目がおかしくないかを確認してから改札の外に出た。たった一人に会うためだけでこんなに気を使うなんて、私らしくない。体が熱い、胸が苦しい。その原因が隼人なのは、もうわかりきったこと。


美穂みほさん!」


 私が改札から出るとすぐに隼人が駆け寄ってくる。隼人との距離が近づくと、ふわっと甘い香りがした。甘くて懐かしい香り。だけど甘過ぎなくて、甘さの中に爽やかさもある不思議な匂い。これは隼人の匂い、なのかな。


 今日だけは、隼人に身をゆだねてみよう。今いだいてる気持ちに素直になってみよう。そう思って、初めて私から隼人の手を掴んだ。隼人が目を丸くして私の方を見る。ダメだ、感情に流されて行動してる。隼人の顔がほころぶ。嫌じゃないんだ、これ。


「こ、混んでるから……はぐれたら、迷子になっちゃう、から……」

「そうだね。じゃあ、行こうか」


 言い訳のように口から出た言葉は、情けないくらい弱々しかった。何をそんなにビクビクしてるんだろう。デートそのものは初めてじゃない。それなりに恋愛をして生きてきた。今更怖いことなんてないはずなのに。


 自分を奮い立たせるために、繋いでない方の手でコートのポケットからスマホを取り出した。液晶画面には今朝幼馴染から送られてきたメッセージがポップアップとして映ってる。


「頑張れ、美穂」


 顔文字付きで送られているそのメッセージを、脳内で人の声として再生する。そして、スマホをポケットの中に戻した。頬の筋肉が突っ張るような感覚が消えた。よし、もう大丈夫。そう何度も自分に言い聞かせる。





 一人で抱え込めなくなった隼人への恋心。それを相談する相手として選んだのは、今時珍しい専業主婦をやっている幼馴染、愛未まなみだった。翌日に一緒にテーマパークに行く、という段階になってようやく幼馴染に相談することを思いついた。


 愛未は同い年だけど既婚者で、専業主婦で、二歳になる息子がいる。そんな、私とは対照的な立ち位置の子。でも、下手に独身の友人に相談するより既婚者の愛未の方がいいなと思った。昨晩、仕事の帰り際に運良く愛未からメッセージが来てたのもあるけど。近況報告を兼ねて、元カレ――宏光ひろみつと別れたこと、隼人のこと、を書くと電話がかかってきた。


「美穂、メッセ見て慌ててかけたんだけどさ、何が起きてるの? 宏光さんが浮気してたって本当?」

「うん、本当。で、先日やっと別れて……」

「隼人って人に恋してる、と」

「あれ、私名前教えたっけ?」

「メッセに書いてあったよ」


 「宏光と別れた」と知って慌てて電話をかけてくれたらしい。電話からは、子供の声も聞こえる。私が憧れている、平和な家庭の様子が音になって耳に入ってくる。聞こえてきた音に、思わず泣きそうになった。


 羨ましい。そう思わずにはいられない。いつか私も結婚して、子供を授かって、平和な家庭を築いてみたい。それを夢見てるくせに、その夢に一歩近付いたら今度は恋愛を恐れるようになってしまった。夢への道はまだまだ遠そうだな。


 ひとまず事の次第を簡潔に口頭で説明することになった。隼人とのこと、宏光の一件、そして明日には隼人と一緒にテーマパークに行くことになっていること。そして、隼人との恋が不安になっていること。


「あんた、バカでしょ!」


 起きた出来事を話したら、愛未からそう一喝いっかつされた。その声に思わず怯む。電話越しに子供が泣く声がして、慌てて愛未が子供に謝る声もする。


「そんな大事なこと、なんで教えてくれなかったの? 私にも教えてよ。もしかして私がチャット送らなかったら、何も話さないつもりだったわけ?」

「え、そっちなの?」

「大事なことでしょ! あーあ、みんなそう。結婚して子供が出来たら一気に連絡してこなくなる!」

「そっちも育児忙しいんでしょ?」

「そりゃあね。でも、私だって、育児の合間でいいから接点持ちたいわけよ。お茶くらいなら出来るし、子連れでいいなら一緒に――ってこらこら、そこはダメだって」


 きっと愛未は話しながら子供の面倒をみている。そこまでして話したいもの、なのかな。よく聞くのは愛未とは逆で、忙しいから連絡されても困るって意見なんだけど。


「で、さ。何を恐れてるわけ?」

「急に話が戻った!」

「恋愛が怖いって意見もわかるけどさ、そんなことより大切なことがあるでしょ」

「大切な、こと?」

「幸運を恐れない。せっかくチャンスが巡ってきて、美穂もその気なんでしょ? なら、うだうだ考える前に『ラッキー』って思って幸運を受け入れちゃいなさいよ」


 「幸運を恐れない」か。せっかく隼人からも言ってくれてるわけだし、あとは私の気持ち次第だもんね。まぁ、その勇気がないから困ってるわけなんだけど。


「って、それが出来たらこんなに困ってないわよ! また離れるかもしれない、失恋するかもしれない。そんなの、辛いじゃない」

「でも! そこを乗り越えたいから私に話したんじゃないの? まぁ、私には応援するくらいしかできないけどね。変に考えず、流れに身を任せてみなよ。あと、嬉しいことがあったらラッキーと思って受け入れる。それくらいかな、私にアドバイス出来ることは」


 愛未と話して、決めたんだ。今日は幸運を恐れない。隼人を信じて、感情に素直になる。失恋とかそういう「恋愛の先」を考えない。せっかくだし、今日を精一杯楽しまなきゃ。

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