ありがとうとさよならを

信じられたなら

 隼人はやとに恋人のフリをお願いしたその日のうちに、宏光ひろみつのチャットに既読を付けた。土曜日の今日だけでも、帰りから今までに一方的に送られてきたチャットが七十二件。未読にしてたチャットを、嫌々ながら流し読みしていく。


「まだ俺のこと好きなんだろ?」

「今ならやり直せるって」

「今度は浮気しないから、信じて」

「俺には美穂みほが必要なんだ」

「俺も悪かったって」

「今まで以上に大切にするからさ、そばに居てくれよ」

「やり直した方がお前のためだって」


 変わり映えのしないチャットばかり。一文ずつチャットが送られてるとはいえ、七十二件もあるともう、呆れて笑うしかない。私、連絡しないようにって伝えた気がするんだけどな。


 どんなに同じ言葉を繰り返したってその言葉に重みがないの。毎日百件近いチャットを連投されたって、その言葉は私に響かない。宏光の言葉は独りよがりで、私のことなんてこれっぽっちも思っていないから。


 もう好きじゃない。浮気相手を妊娠させたって聞いた時に幻滅してそのまま。浮気相手とそういう行為をしたって宣言しといて、よく復縁を迫れるよね。責任問題はどうなったんだろう。私はそんな、盛りのついた猿みたいな人と付き合いたくはない。


 「今度は浮気しない」なんて言葉、信じられるはずないじゃない。三年間ずっと私に嘘をつき続けた人の言葉を、どう信じればいいのよ。この前だって映画館で女性とイチャついてた。本当にやり直したいなら、裏でそんなことしないはずよね。


 私が必要だなんて、笑わせてくれる。あの雪の日、宏光の方から「別れてほしい」って言ったじゃない。復縁を迫る本当の理由は、浮気相手から逃れたいから、なんだよね。責任一つ取れない人とどう付き合えと言うんだろう。それとも私に不倫をしろとでも言いたいのかな。


 宏光から送られたチャットを流し読みしただけ。なのに胸の奥の方が、アルコール度数の強いお酒を飲んだみたいにカッと熱くなってくる。フツフツと沸き起こる感情を抑えきれなくて、衝動的にテレビのリモコンに手を伸ばした。そのままリモコンを床に投げつけようとして、ハッと我に返る。


 感情任せに何しようとしてるんだろう、私。物に当たるのはダメ。リモコンが壊れたらそれこそ困る。宏光への怒りをぶつけて修理代がかかるなんて結末、私は嫌だ。苛立ちを、液晶画面の文字にしてぶつけることにした。


「もう付き合ってる人がいるから、宏光とはやり直せない。そもそも、一度だけ振っておいてすぐに『やり直せない?』なんて都合が良すぎるよ。他の浮気相手にも同じことを言っているんだろうね。別れて正解よ! もう連絡しないで、お願いだから」


 送信ボタンをタップすると同時に、液晶画面に涙が数粒こぼれ落ちた。この涙は悲しいからでも嬉しいからでもない。苛立ちをぶつけた副産物。あんな奴のために流す涙なんて、一粒もない。涙する労力がもったいない。





 送ったメッセージはすぐには既読が付かなかった。液晶画面に現れるポップアップから文面を読んで驚いているのかな。それとも、今日に限ってスマホを見る余裕もないほど忙しいのか。私が事の真相を知ることはきっとないだろうけど。


 既読がつかない事を確認してから、メッセージアプリを操作していく。スマホの戻るボタンを一回タップすれば、チャットしたことのあるアカウントが並ぶ。私は宏光のアカウントのすぐ下にある、綺麗な青空のアイコンをタップしてチャット画面を開いた。


「今、元カレにメッセージ送ったよ」


 素っ気ない文章を送信して、グッドマークを意味するスタンプを送る。スタンプを送る時だけは、間違って変なスタンプを送らないように、しっかり確認してから送信ボタンを押した。たったこれだけの作業なのに不安になるのはどうしてなんだろう。


 きちんと隼人に送れたかな。そう不安に感じる間もなく、液晶画面が急変した。着信画面に切り替わったんだ。「たちばな隼人」の文字に、急いで応答ボタンをタップする。スマホ越しに心臓の音が聞こえないか冷や冷やしてしまうのは、私がおかしいからじゃないよね。


「もしもし? 今メッセージ見たけど……どう?」

「既読はまだ付いてないよ。珍しく電話もまだ来ない」

「そっか。念の為、明後日からは帰りに駅で合流して帰らない? といっても、俺が時間不定期だから、それでもよければになるんだけど」


 言葉の意味をすぐに理解することは出来なかった。宏光に連絡はした。でもただそれだけだし、このあとに特になにか起こるとは思えなかったの。今のところチャットと着信が悲惨なだけだし。実害はまだ、ほとんどないから。


「駅で待ち伏せとかされたら嫌でしょ? 念には念をってこと」


 そっか、待ち伏せの可能性もあるんだ。宏光は私の最寄り駅を知っているし、実際遭遇したのは最寄り駅近くの映画館だったものね。無言になった私の心中を察したのかな。隼人が言葉を続けてくれた。言われなきゃわからない私も私、なんだろうな。


「じゃあ、お願いします」

「了解。心配だから、駅の改札内かホームで待ち合わせしたいな。明後日から、仕事が終わったら連絡して。俺も連絡するから。で、絶対に一人で改札の外に出ちゃダメ。いい?」

「そこまで警戒しなくても……」

「美穂さん。男って、何するかわからない生き物なんだよ? だから、そんな油断してたらダメ。返事は?」

「わ、わかったわ」


 気にし過ぎじゃないかなって思った。たかが元カレの話だもの。チャットと電話でしつこく復縁を迫られているだけだもの。現にこれまで待ち伏せされたことはなかったし。けど、警戒はするに越したことはない。その意見も理解出来なくもない。


 隼人が私のことを心配し過ぎてるだけな気もする。私のことを待ち伏せしたって誰も得しないにきまってるのに。あとで待ち合わせしたことを後悔しても知らないわ。


 この時の私は、隼人の予想を心の中で馬鹿にしていた。そんなこと起こるはずがないって高をくくってたんだ。

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