もう少し一緒にいようよ

三回目は計画的に

 奇妙な縁もあるものね。たった二回、偶然傘の貸し借りをしただけ。それだけなのに、三回目の今日はわざわざ予定を合わせて会っている。つい二週間前まで名前も知らなかった人と会う。それだけなのに、ドキドキと胸が高鳴るのはなんでだろう。


「折りたたみ傘、ありがとうございます」

「どういたしまして。あのあと、大丈夫でした?」

「はい。お陰様で無事に帰ることが出来ました。ありがとうございます」


 隼人はやとが折りたたみ傘を返すために選んだのは、出会った駅の近くにある喫茶店だった。会ったのは昼食後の午後三時。待ち合わせた駅にやってきた隼人は何故か、スーツを身につけていた。理由を聞けば、午前中は仕事があったのだという。


 土曜日にも仕事がある。「土日に仕事が入る可能性がある」と聞いてはいたけれど、改めてびっくりする。いったいどんな仕事をしてるんだろう。気になるけど聞けない。脳裏に過ぎるのは、なぜか最近別れた彼氏――宏光ひろみつのこと。


 人は笑顔で平然と嘘をつき、裏切る。宏光がそうだった。「愛してる」も「大好き」も、数え切れないほどの嘘の言葉を笑顔で並べ立てる。そして意味もなく言い訳を並べて、問題が起きたら呆気なく裏切る。今ここで聞いても、隼人も嘘をつくかもしれない。そんな不信感が拭えない。


「……悩みでもあるんですか?」

「え?」

「いえ、その……苦しそうな顔で何かを考えているようでしたので、もしかしたらと。でしゃばりすぎましたよね。ついこの間会ったばかりだというのに」


 隼人が何も悪くないのに、何故か悲しそうな顔をする。その顔を見ているだけで、胸が締め付けられるよう。別にあなたを苦しめたいわけではない。嫌なことがあったというか元カレのことを思い出しただけ。悩みという悩みもない。


 言われてから思い出した。そういえば私達は、二週間前まで赤の他人だった。雪の日と雨の日の傘のやりとりがきっかけで知り合っただけ。話すのだって今日が三回目。なのにどうして、こんなに話しやすいんだろう。こんなに胸が苦しいんだろう。


 もう少しこの人と話していたい。隼人の色んな表情を見たい。笑顔も涙も怒った顔も全て、私の記憶に集めたい。この偶然をここで終わらせたくない。この前恋人と別れたくせに、まるで恋を始めたばかりのように気持ちが舞い上がってる。こんなに気持ちが高ぶるのはいつ以来かな。


「あの!」


 話しかけようとしたら、綺麗に声が重なった。慌てて先に言うようにジェスチャーしたら、隼人も同じ仕草をしてくる。目が合った瞬間、周りの余計な音がすべて消えたような感覚がした。


「せっかくなので敬語、やめませんか?」


 また、言葉が重なった。二人して同じことを考えていたみたい。二度も言葉が重なると、不思議とおかしく思えてくる。隼人はどうなんだろう。そう思ってテーブル越しに顔を見てみると、私と同じように笑っていた。






 このまま終わってしまいたくない。だって、偶然でも二回も駅で出会って、傘のやり取りをして。そして今、こうして話してる。ここまで偶然が続いたなら、もう少し未来さきを一緒に過したいって、思わずにはいられない。でも、それと同時に思うんだ。


 もうしばらく恋はしたくない。今でも宏光の突然の別れ話が忘れられないんだ。頭の片隅にはいつも、不安が渦巻いてる。年が年だし結婚とか考えたいけれど、怖い。次誰かと付き合うことになっても、また同じように浮気されてたりしたらどうしようって。浮気相手を妊娠させたとかで破局したらどうしようって。


「えーと、美穂みほさん……今日このあと、時間ある?」


 隼人の言葉で我に返る。時間ならある。今日は土曜日で仕事もないし、隼人に会うために一日空けておいたから。でも、どうしてそんなことを聞くんだろう。そんなこと聞かれたら、変な期待をしてしまいたくなる。


「折りたたみ傘のお礼がしたくて。それで、その……美穂さんがしたいことを一つ、叶えられたらなー、と」


 折りたたみ傘一つ貸しただけで律儀な人。そう思ったけど、敢えて言わないことにした。そんな些細な言葉でこの人に嫌われたくない。なんでか、そう思ってしまったから。


 私がしたいこと、か。正直な話、宏光と別れてからは何もかもどうでもよかったな。隼人との偶然の出会いだけが救いで、他にしたいことなんてなかったもの。一番は泣きたい。でも、泣いても現実は変わらないから、せめて別のことで気を紛らわせたい。


「……映画」


 その言葉は、驚くほどすんなりと私の口から滑り出た。ありきたりな映画でいい。悲恋か失恋ものの映画を見て、宏光への思いを発散したい。それで泣いてスッキリ出来たら、運がいいってことにしたい。映画館って一人で入り辛いから、隼人を付き添いにして入りたい。


「じゃあ映画館、だね。たしか駅の近くに映画館があったような気がする」

「あの、代金は私が出します。だからその……お願いします、映画を観るのに付き合ってください」

「はい?」

「え、映画館って一人じゃ入り辛いの。だから、一人で観たくなくて。でも、どうしても映画を観たくて。ダメ……ですか?」


 私の言葉に、隼人さんは顔を歪ませながら口元に手をあてた。嫌、だよね。こんな知り合ってから間もない人と映画館に行くなんて。映画館って、恋人とか友達同士が集まってるイメージがある。だからこそ私は一人で行き辛くて、上映されてる映画を一人で観ることが出来ないんだけど。


「何それ。ズルい」


 あれ、気のせいかな。今、隼人さんの口から妙な言葉が聞こえた気がするんだけど。「ズルい」って、聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声だけど、確かに言ってたよね。私、そんな変なこと言ってないと想うけど。


「本当にそれでいいの? なんか、俺が得してるような気がするんだけど」

「え?」

「いや、何でもない、忘れて。映画の代金は俺が払う」

「それは申し訳ないからダメ。私が付き合わせてるだけだし」

「じゃあせめて、俺の分は俺に払わせて。上映時間とかはわかる?」


 断られるかと思ってた。だって「映画を一緒に観てほしい」だなんて、つまらない願い事だもの。異性と映画を観るなんて普通、恋人同士かその一歩手前じゃなきゃしない。だからこそ、なのかな。私は隼人と一緒に映画が観たかった。ただ、それだったんだ。

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