第32話 生きる楽しみ

泣き声に気付いた母が台所から急いでやってきた。




「ど、どうしたんですか!?おばあちゃん?」



涙を流している京子きょうこを見て、ひどく驚いているようだ。

京子きょうこが気を聞かせて返事をしてくれた。




「腹が少し痛かったみたいやけぇ。でももう大丈夫そうじゃ。」





弥琴みこは、泣き止むと少し恥ずかしくなった。

あんなに喧嘩していた京子きょうこに慰められて大泣きしていたなんて。







「おばあちゃん、大丈夫ですか!?病院行きますか?」





「あ、いや大丈夫。ほら、明日はどうせ病院行く日だし。明日行けば大丈夫。」





「そうですか・・・。無理しないでくださいね。」





母は2人を見渡してから台所へ戻って行った。


静まりかえった廊下に母が野菜を切る音が響く。







「ごめん。」





弥琴みこは、京子きょうこに謝った。





「ああ、辛い時は泣いたらええけぇ。」






「そういう意味じゃないけど、とりあえずごめん。」





「もういいから、部屋で休んじょき。」





「うん。」






弥琴みこにとってのこの『ごめん』の意味はきっと京子きょうこには伝わってはいないだろう。






今までごめん。






そう言いたかったのだ。






















次の日、弥琴みこは病院へ行くことにした。

延命治療とはいえ、何も受けないわけにはいかない。


病院にくると年寄りの患者さんたちで、ごった返していた。





慣れない病院の待合室。

不穏な空気の中、静まり返った部屋が重苦しく感じた。






『ああ、病人って感じ・・・・。』






家にいる時は自分が病気であるとは感じないものの、いざ病院に来るとどうしても実感してしまう。


患者さんを呼ぶ看護婦さんの声に、通り過ぎる車椅子の人。







『きっとみんな死ぬのが怖いんだろうなあ・・・・。』







弥琴みこはとても暗い気持ちになった。




いつか自分も死ぬ時がきてしまう。

もしかしたらこの体のまますぐにでも死んでしまうかもしれない。





そう思うと体にいい食事を作ったり家庭菜園をしようとしている自分が意味のないように感じた。











「今日はよく晴れてますねぇ。」



突然、隣にいた知らないおばあさんが話しかけてきたので弥琴みこは、びっくりしたが返事をした。





「あ、ああ。そうですね。晴れてますね。」




「おたくは、何の病気ですか?」





初対面にして何とも唐突な質問!

答えていいものかどうか弥琴みこは、迷ったがとりあえず話すことにした。




「が・・・癌です。もう抗がん剤は受けずに・・・・。」




弥琴みこにはあまり病気の知識はなかったので、わかる範囲の返事をするしかなかった。




「そうですか!癌ですか!?いけんですねぇ。ひゃっひゃっひゃっ!」




人が病気だというのに、歯のぬけた口を大きく開けてそのおばあさんは笑いだした。

皺が何本もあるせいで、瞼がおおいかぶさり笑うともう瞳がどこにあるのかもわからない。

しかしそれが何とも愛らしい顔つきだ。





「延命治療ですか。いや~抗がん剤は辛いらしいけんねぇ。小さい子たちも頑張っちょるけぇ、自分たちも負けられんですわ。」



「??」



「この年になっても悩みはつきませんねぇ。ひゃっひゃっひゃっ。」



「あの・・・。そちらさんは・・・。」




「ああ、私はね。遠藤えんどうフミって言うの。」



「あ、いやそうじゃなくて・・・。病気は?」




「ああ!私の病気はねぇ・・・もう末期の癌!おたくと一緒!」



「ええ!?大丈夫なんですか!?」



「大丈夫じゃないですよ。もうね、お迎えが来る直前になってこんなことになったけぇね。寿命が先か病気が先かですよ。ひゃっひゃっ」




同じ病気だというのに何という楽しそうな笑顔!

弥琴みこはもしかして、このおばあさんは嘘をついているのではないかと思った。

なぜなら死を身近に感じることは誰だって怖いはずだ。





「あ、あの・・・・。怖くないんですか?」



「なにが?」



「だって、いつ死ぬかもわからないじゃないですか。私だって明日死んじゃうかもしれない。そう考えたら夜も眠れなくなるのに。」



「そうやねぇ。怖いねぇ。ひゃっひゃっ!」




「怖いのによくそんなに笑ってられますね。」




弥琴みこは、おばあさんの顔を真剣に見て睨んだ。

同じ病気のくせに笑っているのが憎らしくなったからだ。





「楽しみがあるけぇね。死ぬことばっか考えちょられんですわ。」



「楽しみ?」



「うちのひ孫がね!かわいいの!孫が早くに結婚したけぇね、ひ孫が拝めましたわ。まだ赤ちゃんやけぇ、抱っこしに行くのが楽しみなんでねぇ。」




「そ、そうなんですか・・・・。」





『それだけでそんなに笑える?』





「でもおばあさんは死ぬ前でしょ?そのひ孫さんとも会えなくなるんですよ!?悲しくないんですか!?」




ひ孫の話をし出したおばあさんの顔がさっきよりずっと笑顔になったので弥琴みこは、どうしても不謹慎に感じて仕方なかった。





「死んだら悲しいねぇ。じゃけ、今のうちにたっぷり抱かせてもろうちょこう。天国行ってからも忘れんように。ひゃっひゃっ。」




「なんで笑うんですか?普通泣くでしょ?」





「・・・・。」





一瞬、沈黙が流れたので弥琴みこはさすがに問い詰めすぎたのではないかと後悔した。しかし、おばあさんはすぐに笑顔になって話しだした。





「ひ孫がかわいいけぇね。泣いちょられんのですわ。おたくのとこもお孫さんは?」




「あ、えっと・・・・孫が一人・・・・。」




「おいくつですか?」




「高校生です・・・・。」




「ありゃま~難しい年ですけぇね。こっちがどれだけ可愛がっても高校生はわかってくれんでしょ?」




おばあさんにそう言われて弥琴みこは、ドキリとした。

自分自身のことを言われているように思ったからだ。




「こっちは孫を目に入れても可愛いって思っちょるのにねぇ、高校生まで大きくなるといけんですわ。ちっとも話聞かんけぇね。そうでしょ?おたくのとこも。うちもそうじゃったけぇ。」



「は、はい・・・。」







き、きつい・・・・。



言われる言葉すべて耳が痛くなる。






「でも可愛いけぇね。どんな悪い子でも可愛いけぇ、それ見ちょったら死ぬ悲しみよりも生きる楽しみが沸いてくるんですわ。」





「!」





「うちのひ孫がね、昔の私の目に似ちょるけぇね、もっと可愛いんですよ。ひゃっひゃっ!七五三まで生きられるように頑張らなきゃいけんですわ。」





おばあさんはその後、ひたすらそのひ孫の話をしては笑っていた。

その笑顔を見ていた弥琴みこは、おばあさんのひ孫への愛情がよくわかった。



それと同時に感じたことがある。





京子きょうこもそんな気持ちでいてくれたのだろうか。






あの京子きょうこに限って弥琴みこの成長だけを楽しみに生きるなんてことがあるだろうか。






弥琴みこは昨日見つけた通帳のことを思い出した。

京子きょうこが自分の為に貯めてくれているあの通帳だ。



それに廊下で慰めてくれた事。




弥琴みこは、おばあさんの話を聞きながら京子きょうこの愛情を再確認した。





普段だったら、こんな年寄りの長話でしかもひ孫の自慢話など聞く気にもなれないだろう。





でもおばあさんが笑ってひ孫の話をすればするほど、弥琴みこはうれしくなった。

まるで京子きょうこ弥琴みこのことをどんな風に思っているのかを聞いているように感じたからだ。







しばらくして、そのおばあさんは看護婦さんに呼ばれ廊下を歩いて行ってしまった。

どうやら看護婦さんにも同じ話をして聞かせているようだ。




陰気な空気で満たされているように思っていた病院の待合室は一気に明るさを手に入れ、弥琴みこのまわりを優しさで包み込んだ。







急にかなでとの約束が蘇り、弥琴みこは自分でも気づかないうちににっこりと笑っていた。











「帰ったら畑作ろうっと・・・・。」




















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