第26話 天罰と希望

家に帰ってくると、たった一日のはずなのに随分長いこと部屋に来ていなかったかのように懐かしく感じられた。



京子きょうこが病院からの荷物を片づけてくれているのを横目で眺めながら弥琴みこは何もできずにいる。

母もその姿に違和感を覚えながらも何も言わないようだ。




弥琴みこは、京子きょうこの部屋で簡易ベッドに横になると、天井を見上げた。





『私・・・・死ぬのかな。』




『体・・・そんなに痛くないのに。健康そうなのに。なんでこれで病気なんだろう?』






一人になるとまた涙が溢れた。それを拭くこともなくただ天井と睨み合いながら涙を流す。





『怖い‥‥。死にたくない・・・・。』




『なんでババアはあんなに平然としていられるんだ。病気だってわかってたら死ぬのは誰だって怖いはずだろ。』




入れ替わる前、弥琴みこ京子きょうこが病気だとは、まったくわからなかった。そんな素振りすら見せてはいなかったからだ。



『なんで・・・・?』





いつ死んでもおかしくない体とこの暗い小さな部屋で京子きょうこのどこに生きる希望があったのだろうか。


長い長い時間、弥琴みこはただベッドに横になって色々な事を考えた。

こんなに長いこと【死】というものについて考えたことがあっただろうか。

自分とは無関係と思っていたものが近くに感じることは、これほどまでに怖いことだったのか。



弥琴みこの涙でシーツに薄いシミができた頃、玄関のチャイムが鳴った。

誰か来たようだ。

母の話声の後すぐに廊下を歩く音が聞こえ京子きょうこの部屋の襖をたたく音がした。




「おばあちゃん、お客さん。えっと・・・桜雅おうがさん?来られてますけど、どうしますか?」



弥琴みこは、なんとなく予想がついていたので大して驚きはしなかった。




「いいよ、入れてあげて。」




暗い気持ちの弥琴みこには、わかっていた。

桜雅おうがのあの明るい声が自分を少しでも元気づけてくれることを。






京子きょうこさん。すいません・・・。おれ、こんな時に来るとかマジありえねぇっすけど、もう俺ほんと京子きょうこさんがこんなことになって心配で・・・・。」




まさか泣きだすとは・・・・これは弥琴みこも予想外だった。





「延命治療にするって聞きました。そりゃ京子きょうこさんの人生だし、俺には何も言う資格とかないのはわかってるっす!けど、生きてくださいよ!生きててほしいんすよ!!」




いつも通りひたすら一人でしゃべる桜雅おうが

ただいつもと違ってその目には涙。鼻には鼻水が大量にあふれていて、それを手で拭っていて汚い。

それでも大男がここまで大泣きするのを見ると弥琴みこは少し自分の病気が他人事に感じて気分が楽になった。




「誰にも迷惑かけずに死にたいから。」



そう言ったことに一番驚いたのは弥琴みこだった。

京子きょうこの真似をして言ったようなものだが、何も考えずに自分の口から素直にこんなセリフが出るとは!!





「私はいつ死んでもいい。年寄りだし。」




一言、かっこつけた言葉を言うと次から次に出てくる。




「今までありがとう。桜雅おうが。」




もはや演技なのか弥琴みこ自身の言葉なのかはわからなかったが素直な気持ちであることに間違いはない。






『死ぬ前って誰かにこんなに感謝したくなるものなのか。』




まるで京子きょうこの気持ちと弥琴みこの気持ちが同化してしまっているようだ。

半分怖くてたまらない。しかしもう半分は覚悟を決めたかのような気持ちだった。





「そ、そんな事言わないでください・・・よ。京子きょうこさん、俺が理学療法士の資格とるまで応援してくれるって言ったじゃないっすか!」




「理学療法士?あのリハビリとか手伝ったりするやつ?」




「そうっすよ!人の為にできることをやったら自分も救われるって京子きょうこさんが教えてくれたんですよ。なのに・・・・。一番、救ってやりたい人を俺は救うこともできない。俺、医者にはなれないですし・・・。こんな自分が情けねぇ。」




正座をして桜雅おうがはまた泣きだす。

力強そうな腕が涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていく。



京子きょうこさん!俺にできることあったら何でもしますんで!もうマジでいつでも飛んできますんで呼んでください!どっか行きたかったら俺が担いででも行きますし!食べたい物あれば何でも買ってきます!だから・・・・。」



桜雅おうがの目は腫れて赤くなっていたが、涙の奥の瞳でしっかりと弥琴みこを見つめていた。

その真剣さが伝わってくると弥琴みこは心が痛くなり、自分が言ったあの言葉が蘇る。






『うざい!死ね!』





自分は何度、京子きょうこにその言葉を放っただろう。

言葉だけではなく、本当に死んでしまえと思っていたのも確かだ。



締め付ける胸の痛みが後悔となって押し寄せてくる。





長居をしては悪いと桜雅おうがは、母の持ってきたお茶を断り10分ほどで帰って行った。






また一人部屋に残された弥琴みこは、さっきとは違う悲しみでいっぱいだった。





「天罰か・・・・。」




冷静に考えることができて初めて弥琴みこの中で確信がついた。

それを認めることにためらっていたが、もう誤魔化すことにすら疲れた。





「私がババアにしてきたこと・・・・。それが悪かったんだな。これは私への罰か。もうわかったよ、神様。もう、これ以上何もいらないからさ。好きにしてくれよ。」



うつむいてボソリボソリと独り言をつぶやいた後、いきなりスマホが鳴り出したので流石に弥琴みこは驚いた。





知らない電話番号だった。




「だ・・・・だれ???」




怖かったので出ないでいると、すぐに切れた。

が、また10分ほどしてかかってきた。


その後は30分後ほどしてかかってきた。



さすがに、間違い電話ではなさそうだと思い5回目には出ることにした。





「も、もしもし??」



「わあ!出た!」



『出たってなんだよ!?自分からかけてきてるくせに』



「あ、あの~だれですか?」



「あ、ごめん。弥琴みこさんだよね?」



「う、うん。なんで私の名前知ってんの?っていうか誰?」



「俺だよ。かなでだよ。」




その一言に弥琴みこは目を見開き、一気に顔が赤くなった。

病気のことなどもあってかなでのことは忘れていたからだ。




「かっ・・・・!かなでが何で私の・・・・・。でっ・・・・電話番号知ってるの!!?」



「え?この前、弥琴みこさんが教えてくれたじゃん。」



「マジかよ!あのクソババア!」



「え!?」



つい口に出してしまったが、弥琴みこかなでと電話していることがうれしかった。



「あ、違う!なんでもない。それで?な、なんか用?」



右手で髪の毛を何度もときながら、そわそわして弥琴みこは気取った感じで話した。




「あの、弥琴みこさんのおばあちゃんが倒れたって聞いたから。」



「あ、ああ。大丈夫だよ。平気、平気。」



かなでと話していると自分が京子きょうこの体であることを忘れてしまう。






「お見舞いに行ってもいいかなって思って。」






かなでが見舞いに来る!!!???





是非来て!!!!






弥琴みこはうれしくてたまらなくなり、大声でそう叫びたかったが、あえて冷静になり静かに答えた。




「ふ、ふ~ん。ま、まあ・・・いいんじゃない?勝手にすれば?」



「よかった、ありがとう。明後日お邪魔してもいいかな?」



「ま、まあ・・・別に用事もないし?いいんじゃない?」



弥琴みこは、嬉しさで先ほどよりそわそわしていた。気が付けばベッドの上で正座になっていて、それに気づかないほどだった。





時間の確認をしてからかなではうれしそうに電話を切った。



ツーツー



弥琴みこは、電話の履歴を見てすぐにその電話番号を登録した。

そしてそれを見て微笑んでいる自分にやっと気づいたのだ。




「な、なにニヤニヤしてるの、私!気持ち悪っ!」




自分にツッコミを入れつつも嬉しい気持ちは隠せない。

自分が弥琴みこ自身として話したのはこれが初めてだったからだ。


かなでが電話の向こうで赤くなりながら話していたのではないかと思うと余計に舞い上がってしまう。





ほんの一瞬だったが、弥琴みこの心の中に確信のない希望が横切った。

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