第4話 私は残される者を長として導かなくてはいけないから

バルムンク本拠地・銀の雀亭内部――――


 決闘より丸一日、ヴァンは死術士特有の黒服から使用人の服に着替えていた。

 首輪も鉄製の仰々しいものではなく皮の簡素なものに代える、酒場で働くためであった。

 バルムンクの本拠地、銀の雀亭は中規模の酒場であり、収容できる客はおよそ数十人程。

 料理がおいしくても表情が頸烈過ぎる店主リヒテルに、愛想が無い死術士の従業員。

 そして柄の悪い常連のファーヴニルと一般受けは最悪であり、だいたいは閑古鳥が鳴いている。

 現に本日の客はテレーゼとファーヴニル数名。

 堅気と呼ばれる人種は一人もいない。

 しかし赤字が洒落にならない額になるとなぜかバルムンクの会合が増え、そのたびになんやかんやで経営が持ち直していく。


「ふ、ふふん」

「テレーゼお嬢様、随分と愉しそうですね」

「ヴァン、わかる~」


 決闘に勝利したテレーゼは上機嫌であった。

 なにせ、結果として、スヴァルトにとって軍事の要である〈騎士〉が謝罪するまで追い込めたのである。

 目的は全て達し、彼女としては大殊勲なのであろう。

 もっとも……件の父娘は今回の件でスヴァルトに目をつけられたと感じて貰った金銭で夜逃げしてしまったのだが。

 テレーゼががっかりするのでヴァンはそのことを話していない。

 ちなみに夜逃げ先を手配したのはヴァンである。

 往々にして、彼はテレーゼの後始末を担うことが多いのだ。


「そら、ご飯だぞ」


 ヴァンがテレーゼの満面の表情に見惚れていると、料理を皿に載せてリヒテルがやってきた。

 今晩のメインは兎肉のはちみつ煮。

 リヒテルは極度の甘党であり、その料理は大概、苦痛のような甘さである。

 しかし自身の味覚が異常であるという自覚はあるようで、他者には美味な料理を出すのだが、身内に関しては遠慮がないのか、手加減しないのか好みそのままの拷問を行う。

 それを食べて平気なのは死術の影響で舌が馬鹿になっているヴァンぐらいである。


「なんでそんなに食べ物を冒涜するの!! なんでもかんでも甘くして!!」

「お前の辛子パンよりましだ。いやパン辛子か……私は赤いパンをパンとは認めない」

(どちらもどちらです)


 その言葉をヴァンはギリギリのところで飲み込んだ。

 彼が気にするのはそれらの料理に使われる金額のことである、甘味料も香辛料も高額な嗜好品なのだ。

 それを馬鹿みたいに使う彼らはやはり金持ち、一般庶民とは感覚がずれているのだろうとやや偏見交じりに考える。


「ですけど、お兄様……母上はもうお兄様の料理は食べたくないそうですわ。こんな前歯がなくなりそうな甘い物!!」


 テレーゼがバルムンク頭領であり、母親でもあるアーデルハイドを引き合いに出し、攻勢に出る。まるっきし子供のような対応だが、恐らくはふざけているだけだろう。

 少なくとも対面するリヒテルは目が笑っている。

 しかしテレーゼは分からない……目が血走っているところから案外本気かもしれない。


「それでは甘くない物を作ろうか……」

「いえ、食事自体を医者にまかせるそうですわ。なんでも南方の分家からやってきた名医だとか……」

「同志から……そんなことは聞いていないが」


 リヒテルが訝しむ。

 彼は蜂起のため南方の同志と密に連絡を取っている、彼を関与しない情報などありえない。

 だとするならば、その名医の正体も途端に怪しくなってくる。


「まあ、姉上のことだ……大きな問題が起こるわけがないか」

「当たり前です、私と違ってお母様はお馬鹿なことをしませんもの」

「自分から自分を馬鹿と……少し卑屈過ぎませんか」

「えっ……そう、私は馬鹿ではない?」」

「……」

「なんで黙りますの!!」


 今度は矛先がヴァンに向いた、目を怒らせてまくしたてる。

 それをリヒテルはやんわりと仲裁に入るが、一瞬だけ冷たく、そして悲しげに眼を光らせた。

 その光が一瞬だけヴァンの目と交差する。


(アーデルハイドを監視せよというのですね、リヒテル様)


 それを余さず受け取ったヴァンは他に気付かれないよう、目礼でもって承諾を示す。

 テレーゼは頭領であり、母親でもあるアーデルハイドに対する敬愛の念が強い。 彼女を監視することを知られてはどんな反応をするか分からない。

 最悪の場合、アーデルハイドとリヒテルで組織が二分しかねないのだ。用心をし過ぎることはない。


「ところで話は変わるが、例の奴隷市の件、明日下見に行ってくれないか?」

「……受けたんですか?」


 話が代わり、先ほどまでの快活さを潜めたテレーゼのが冷たい声を発する。

 話題が奴隷に関することになったのだ。


「ああ、受けざるを得ないだろう」


 バルムンクは基本的に〈今は〉奴隷の売買を禁じている。

 しかし厳格な階級社会の中に生き、アールヴを家畜と呼んではばからないスヴァルトにとって奴隷は秩序を維持する下層民であり、必要なものだ。

 つまりスヴァルトはバルムンクに自分たちの流儀に従えと強制しているのである。

 奴隷市開催に協力し忠誠を証明せよ……でなくば討伐するぞと。


「テレーゼ、お前の言いたいことは分かる、奴らの風下に立ちたくないのだろう……最低限の矜持は守るさ、昨日のようにな。それで我慢してくれないか?」

「わかっていますわ。私もそこまで子供ではありません」


 テレーゼとてバルムンクの幹部、同組織の現状は理解しているのだ。

 ただ子供みたいにふくれっ面で返答するのはいただけない、リヒテルがそれを見て目を輝かせたのだ。

 ヴァンは猛烈に嫌な予感を覚える。

 そしてリヒテルはおもむろに懐からグルデン金貨を数枚取り出した。


「すまないな、苦労を掛ける。これはその代償だ」

「そのお金はなんですの?」

「いや、お小遣いだよ。下見ついでにいろいろと見てくるといい」

「……!!」


 テレーゼは顔を赤く染め、拳を握りしめ、しかし思い直したのかそれを解き、結局顔を伏せて食事を掻き込み始めた。


(わざとですね……これは)


 リヒテルの人の悪い笑みを見て、ヴァンは確信した。

 テレーゼの赤面は子ども扱いされたことによる怒りと羞恥である。

 そんな反応を見せるところがまだ子供と言えるのだが、しかし何もわざとそんな表情を引き出さなくても良いと思う。

 二人の年の差は七年。十代後半のテレーゼは彼を兄とし、二十代半ばのリヒテルは彼女を娘のように思っている。そして実祭には叔父と姪である。なんとも複雑な関係なのだ。

 ともあれ、物を買うどころか人を買えるぐらいの〈お駄賃〉は不機嫌な沈黙を貫くテレーゼに成り代わりヴァンの管理下に入った。

 ヴァンは貰えるものは貰う主義である。


*****


バルムンク頭領・アーデルハイド・私室――――


 それはかつて英雄と呼ばれた者の絞りかすであった。

 その肉体は衰え、それが精神の減退へと繋がっている。

 すでにその美しさは生者のそれではなく、どこか作り物めいた違和感があった。 しかしそれがバルムンク頭領であり、テレーゼの母親の現在の姿であったのだ。


「後……どのくらい生きられそう?」


 小鳥の囀りのようなか細い声……相対した女医者は口元に耳を近づけなければその内容を判別出来ない。


「病気の進行次第ですね。今のままなら大分生きられそうだよ、だけどこれ以上悪化するようなら……」


 女医者がどこか含みを持たせた言い方をした。

 病人を嬲るような喋り方は彼女の悪癖であるが、病身の英雄は気に留めなかった。

 それは寛容さというよりも現世に対する執着が薄れていっているからである。

 英雄の関心は過去に向いており、思い出の中の人物と会話することも多くなっていた。


「私はすぐ貴方のところに逝きます。ですから少しだけ時間をちょうだい。残される者を長として導かなくてはいけないから……」


 彼女の願いは誰に聞かれることもなく消えた。

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