第五節 布告


 人で埋め尽くされた広間では、ざわめきが木霊していた。


 壇上の最前部で、宣誓の挨拶をするのは国王の役目だ。だが、いまその場所に立っているのは国王ではなく第一皇子であった。


「今年もまた、暖かな陽射しを皆と浴びながら、実りの季節を迎えられたことを、とても嬉しく思う」


 高らかに、若々しく渋みの無い声が響き渡る。この言葉も、本来なら国王の言葉だ。


「だが、今年は皆に哀しい報せをしなければならない……どうか皆、落ち着いて私の言葉を聞いてほしい」


 その言葉に、さらにざわめきが増していく。不安に満ちた暗い空気が徐々に濃くなっていく。


「吹雪が激しく吹き荒れる中、我が父、ユグレアス・ルツ・ドラヴァニアが暗殺された──」


 広間が、一瞬静まり返る。その言葉を誰も理解することが出来ずにいた。まるで時間が止まったかのように全ての音が聞こえなくなった。


「暗殺者は捕らえ制裁を与えた。そしてその暗殺者は、隣国、ギルバース帝国の者であることが──」


 途中からの言葉は、もう既に耳には入ってこなかった。


「……隊長は……知ってたんですか……?」

「……」


 声だけで、隣に立つ男に問いかける。だが何も返ってこない。ただ、手に持った槍を強く握りしめる音が聞こえてくる。


「……知ってたんですね……」


 目の前の色が、泥のように剥がれ落ちていく。湧き上がる悔しさと不甲斐なさ、そして後悔が、自分の胸を激しく締め付けていく。

 王国近衛隊の一員でありながら、その場に居合わせることすら出来なかった。こんなことになるのならば、帰省など呑気な事はしなかったのにと、頭の中で繰り返し自分自身を罵倒していた。


「お前に責任はない。その場にいながらお守りできなかった俺達の責任だ」

「でも……」


 もう、言葉すらまともに出てこなかった。呼吸まで止まりそうだ。立っている脚にも、力が入らなくなってきている。


「だが……彼らの悪逆非道な行いは、これだけでは無かった! 皆は覚えているだろうか……十年前の大火災を、そこで帰らぬ人となったソフィア王妃と、未来の国王となるはずだったユリウス皇子のことを……」


 自分の耳を疑った。皇子がなんの話をしようとしているのか、なぜこのタイミングであの時の話を持ち出すのか、薄々気付いてきているはずなのに、理性がそれを認めようとしなかった。


「あの火災は災害などではなかった! ギルバース帝国の者により仕組まれた謀略! 奴らは二度も、私達の愛した家族を手に掛けたのだ!」


 広間はさらに重たい空気に包まれていく。どよめきやざわめきの中に、微かに怒りの色が見え始めた。それは徐々に種火のように揺らめき立っていく。


「……殺された……ユリウス様が……?」


 隣の男も、この事は知らなかったのだろう。明らかな動揺が、その表情から伝わってくる。


「国の象徴、そして我等の未来まで奪い去った奴らはこの上、国境に兵を増やしつつある。これが指し示すものは一つ……我が国土の蹂躙だ!」


 ギルバース帝国、大陸の中央部に位置している今一番大きな国だ。特筆すべきは彼ら独自の技術力を駆使した軍事力だ。彼らはその力をもって、東側への領土拡大を試みていると旅商人から聞いたことがある。とうとう、この西の小国にまで手を伸ばそうとしているのだ。


「このような蛮行を、みすみす見逃すことなどできはしない! これ以上、奴らの好きにさせるわけにはいかない! よってこの私、第一皇子ジュリアス・ノラ・ドラヴァニアが、国王代理として、ギルバース帝国への宣戦布告を、此処に宣言する!」


 皇子の力強い宣言とは裏腹に、広間の空気は重く、暗いままだった。


 無理もない。私達ドラヴァニア王国民は、争いを好まない。この長い歴史において一度として血で血を洗うような争いは起こさなかった。大陸全土を統治した時代から、争いを起こさぬように、時には身を割く思いで国を分け、西の果てで穏やかに暮らしてきたのだから。

 そんな私達に、急に戦えと言われても民は動揺するばかりなのは、皇子達も分からないはずはない。


「……皆の不安は承知している。だが! 我等は独りでは無い! 常に傍らには、共に歩んできた友がいる! この戦い、彼等も手を貸してくれる!──」


 その言葉の直後、広間に大きな影が落ちた。未だ日中であるにも関わらず陽の光は遮られ、まるで夜闇のように暗くなる。


「っ! 上だっ!!──」


 広間から声が放たれる。その声に釣られるように空を見上げる。


 天を覆う一対の大翼、長い尾と首を備えた強靭な巨躯が宙を舞い踊っている。紅蓮の鎧をその身にまとった一匹の竜がそこに居た。


「皇竜様だ!──」

「灼竜様よ!──」


 その声に答えるように、頭上を舞う竜は咆哮をあげる。雄々しく、勇ましく、私達を鼓舞するかのようなそれは、広間に充満していた負の感情をみるみると消し去り、歓声へと変えていく。


「今こそ! 我等ドラヴァニア王国の、人と竜の絆の力を見せつける時だ! 我が愛する国民たちよ! どうか力を貸してほしい、我らと共にこの国を、愛すべき家族を護って欲しい! 非道なる悪人達に、竜の鉄槌をくだす時だ!──」


 皇子は強く握った拳を振り上げる。それに続くように、雄叫びにも似た歓声の波が押し寄せる。頭上の咆哮と地上の怒号が重なり合い、しばらくの間鳴り響いた。


「……戦争になるの……?」


 言い慣れないその言葉からは、現実味を感じることは無かった。ただの言の葉が枯れ葉のように口から滑り落ち、濁流に飲み込まれ掻き消されていった。


 その後、城下の練り歩きをすることは無く、王族と各領主はそのまま城へと戻り軍議へと移り、広間は騒然となったまま、鳴り止まぬ歓声が轟いていた。



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