第42話 黒猫と紅茶と依頼



「すまんな、待たせた」


「やっと来たかい、待ってたよ」


 ホテルを出た黒猫一行は冒険者組合に訪れていた。

 アドリアーナは組合長という立場上、アポなしで訪問して会えるのかと黒猫は疑問に思っていたのだが、クロエとアトスの名を出すとあれよあれよという間に組合長室に通されていた。

 どうやら、高齢という事もあり仕事のほとんどは引き継ぎを進めて行っている今は左程忙しくはないらしい。



「昨日は紹介ができずすまんな、こやつは我が主シャルルだ」

「紹介あずかったシャルルと申します。挨拶が遅れてしまい申し訳ない」

「オルタラット支部組合長アドリアーナだ。何気にすることはないさね、昨日は気をつかってくれたんだろう?」


 黒猫は手袋を外しアドリアーナと握手を交わす。その際、黒猫は内心少し驚いた。皺と染みとタコだらけ骨ばった手、黒猫の今の力であれば指先だけで手折れそうなほど弱く見えていたその手を握った時、その奥底にある漲るような力を感じとったからだ。

 黒猫はこれが元冒険者の手かと感嘆の吐息を漏らし、片やアドリアーナは左手を腰にあてニヤリと興味深げな視線を黒猫に向けていた。


「しっかしまあアンタがディーガのご主人かい。随分と良い女に飼われたねようだね」

「あぁ、シャルルの元で働くのは最高だぞ?特に此奴を背に乗せ空を飛ぶと謎の幸福感が胸の奥から溢れ出てくる」

「はん、色ボケ猫が何か言ってら。嬢ちゃんもコイツには苦労しているんじゃないかい?」

「いや、むしろ吾輩の方がコヤツに迷惑をかけてばかりで………………」

「はっはっは!なに畏まってんのさね!緊張でもしているのかい?硬すぎるもっと力を抜きな!」

「そういう訳では……………いや、確かに貴殿の言う通りでありますな」



 そして、アドリアーナ、黒猫は向かい合う様にソファに座ると、アトスとクロエは黒猫の背後に立った。すると、それを見たアドリアーナはクロエとアトスに苦言を呈す。


「なに、突っ立ってんだい。二人も座るんだよ」

「今の我はシャルルに仕えてる身ゆえ遠慮しておく」

「右に同じくです」

「主を立てるのは分かるがこの場でソレは必要無いさね。それに、もう少ししたら茶が人数分くる。もしかしてウチが出す茶を飲めないなんて言う気かい?」

「それを言われると……………………その、弱ります」

「なら座んな、ほらクロエはウチの隣、ティーガはシャルルの横ね」


 その言葉に二人は渋々と言った様子で指定された場所に腰を下ろした。すると、アドリアーナが言った通り、職員の女性がティーセット一式を持って現れた。

 彼女は黒猫達にニコリと笑みを向けた後、清廉された遅くも早くもない動きでそつなく茶を出して部屋を後にする。

 そして、アドリアーナは紅茶で喉を潤した後に続きの話を始めた。



「さて、じゃあ早速本題に行くとしようじゃないか。あんた、そこのバカからどこまで聞いてるんだい?」


「貴殿がアトスに依頼したい事があると、故に一応コレの上司である吾輩にその依頼を受けるかどうかを決めてほしいと頼まれましたな。依頼の内容はまだ聞いておりませぬ」


「聞いてないのかい!?」


 アドリアーナは頭を抱えて深々とため息を吐いた後、アトスをチラリと一瞥する。どうやらアトスが黒猫にその依頼の内容を話さなかった事にかなり不満がある様だ。


「ったく、なるほどねぇ…………おいティーガ、言いにくいのはわかるが、だからと言って全部ウチに投げるんじゃないさね」


「いやな、我ももう一度貴様の口から事の経緯を聞きたくてな……正直、未だに信じられるのだ、貴様が昨夜話した事を…………」


「あんな事、冗談で言う訳がないさね。アンタ、私がどんな思いで伝えたと思ってんだい」


「いや……そうだな、貴様に失礼な事をした。すまぬ」


「…………はぁ、いいよどうせ話すことではあったんだからね。少しアンタの態度が気に入らなかっただけだよ」


「アトス……………」


 黒猫はあのアトスのやけにしおらしい態度に驚いた。だが同時に納得もあった。というのもアトスが今朝から元気が無かった理由がわかったからだ。おそらくアドリアーナとの話し合いが原因であろうとは何となく察してはいた。だが、ここまでアトスの心に影が落ちているとは思ってもみなかったのだ。


 黒猫はアトスの事を超越者として見ている面もあった。圧倒的な力は言わずもがな存在感や佇まいに自然界の頂点に立つ者としての神秘性があったからだ。どんな大嵐がこようともビクともしない大樹のようで、だから黒猫は安心してアトスに悪いと思いながらもよりかかって来た。


 だが、今アトスは揺れていた。その金色の瞳に悲哀の色を湛えて眉間に皺を寄せている。まるで、昨日の自分の様だ。そう自然と思った黒猫はアドリアーナに力を込めて声をかける。


「まず、依頼は最初から受けるつもりではあります」


「…………へぇ、いいのかい?まだ何も話しちゃいないが?安請け合いはしちゃいけないよ」


「アドリアーナ殿、貴殿はフラリと前触れも無く現れたアトスに依頼の話を持ちかけた。他の誰でもないアトスに。つまり、コヤツでなければその依頼を遂行できない理由があると、そう考えております。それに……」


 黒猫はアトスにチラリと視線を向けたあと言葉を続ける。


「アトスは吾輩の大事な.........部下だ。アトスの願いや想いを蔑ろにしてまで己の目的を達成する気は無い。コヤツが困っているのであれば全力で解決に動くのも主たる吾輩の務めだと思っております」


 背後から息を飲む音がした。感極まったようなやけに感情の乗った音が。それを聞いてしまった途端に黒猫は気恥しさに襲われる。


「……………………いいね、悪くないさね。ほんと、本当にね」


 その様子をみていたアドリアーナは、嬉しそうに顎に手をあて眩しそうに眼を細めていた。どこか懐かしそうに、少し悲しそうに。


「ティーガ…………いや、。お前さんいい仲間に出会ったようだね」

「ああ、65年ぶりにな」

「!……………はっはっは!嬉しい事を言ってくれるね」

「事実だからな」

「じゃあ、その昔の仲間の頼み、聞いてくれるね?」

「シャルルからの許可も得たからな、任せておけ」


 アドリアーナは立ち上がるとアトスに拳を向ける。そして、その意図に感づいたアトスは口角を釣り上げ、その拳に己の拳を合わせた。

 黒猫は二人から漂う雰囲気に、仲が良いなとクスリと笑う。今の黒猫は精神的に安定しており昨日の様に心が乱される事は無い。ただ、旧友と仲を深めている光景を嬉しそうに見ていた。


 六十年の時を経ても途切れない絆を見て、少し羨ましくも微笑ましいと思いつつ、黒猫は出された紅茶が冷えぬうちにと、カップに口につけ……⋯。



「任せたよ、ポルトスの介錯を」


「ブフゥ!!」


 アドリアーナのその言葉を聞き、吹き出してしまったのだった。



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