ある騎士の左遷道中記

J・バウアー

第1話 レギナの町で

 男は街道を歩いていた。薄雲が点在する空は澄みわたり、やや冷たい風が点在する樹木の葉をざわめかせる。男の他にもまばらに歩いている人がいて、まれに馬車や騎馬が男の傍を通り抜ける。男の身なりは、薄手のコートの下は年季の入った革鎧、腰に長剣、肩に皮袋と、パッと見た目は普通の旅人だ。くせっ毛の金髪でサファイア色の鋭い目をした男の名は、レオンハルト=フォン=レンシェール。齢は30半ば。壮年期に入るこの男の職業は「役人」である。もともと王国の騎士団に属していたのだが、家庭の事情で出仕を頻繁に滞らせてしまったため、家族ともども辺境の屯所勤めを命じられてしまい、今まさにそこへ向かっている途中なのである。

「何年かかってもいいから、がんばって行ってくれたまえ」

と上司が肩を叩いて渡してくれたのは、飢え死にしないで済む程度のわずかな旅費だけで、馬車はおろか驢馬すらも与えてくれなかった。

「不義理をしたら、こんなもんか」

とあきらめの境地で、このありがたくない辞令を受け取ったのである。

 今は、王都を出発して2つ目の宿場町へ向かっているところだ。まだまだ先は長い。なんせこの王国は、近隣では最大の勢力を誇っているので、版図も広い。東西の国境にある城塞までなら街道が整備されているが、目的地の北方の辺境へは途中までしか街道が整備されておらず、道なき道を切り開いて進んで行かねばならない。だから、寄り道もせずまっすぐに目的地まで向かったとしても、徒歩だとゆうに半年以上はかかる。気分転換にしては長い旅路にうんざりするのだが、同行者がいることがせめてもの救いだった。

「レギナって、どんなところなのですか」

 レオンハルトに尋ねてきたのは、まだ幼さが残る少年だった。白銀のプレートアーマーの上に純白のマントを翻させ、由緒ありそうな長剣を背負っている。レオンハルトと同じくせっ毛の金髪だが彼の髪は輝かんばかりの豊かなもので、耳の先端が尖っているところからエルフの血を引いていることが分かる。また、レオンハルトと同じサファイア色の目でもパッチリとした大きな瞳をしているので、いかにも貴族の子弟のように見える。だが、彼は貴族の子弟ではない。彼の名はコンラート=フォン=レンシェール。実はレオンハルトの一人息子である。そして、この息子がレオンハルト左遷の最大の原因だった。息子が幼い頃に妻が謎の失踪をし、少ない親類も既に亡くしていたので、レオンハルトが一人でコンラートを育てた。時折近所の人が助けてくれたものの、息子が病気になったりして何か問題が起きるたびに休みを取ったため、騎士団の中でのレオンハルトの評判は芳しくなかった。そんな中、たまたま用事でレオンハルトがコンラートを連れて騎士団に出仕した時、コンラートが剣と魔法の比類ない才能の一部を披露してしまったため、まだ10歳にもかかわらずコンラートは騎士団に入団することになり、未だに十人長の父親を差し置いてたった1年で百人長に抜擢されてしまった。容貌にも才能にも恵まれたコンラートは、王国の中で注目を浴びる存在となり、宮廷内でも喝采を浴びるようになったのだが、これがいけなかった。王太子、すなわち国王の後継者に嫉妬され嫌われたのである。王太子がコンラートに勝っているところは血統だけで、個人レベルの心技体に容貌どれをとってもコンラートよりはるかに劣っていた。極端に言えば、コンラートが登場してからは見向きもされなくなったことが面白くない。そこで、陰険さだけはコンラートより1億倍勝っている王太子は一計を案じた。評判がよくない父親を左遷させることにしたのである。そうすると、まだ子供のコンラートは父親についていくしかないので、王都から姿を消してくれる。直接コンラートを閑職に回してしまえば、王太子の嫉妬による人事であることが露骨になる。これを聞いた国王は、あまりの息子の陰険さに驚きはしたものの全く意に介さず、数分後にはコンラートのことなど完全に忘れてしまっていた。その結果、レオンハルトは息子と二人、北方の辺境へ旅立つことになってしまったのである。

 それはさておき、自分よりもはるかに身なりが整っている息子の問いかけを受けたレオンハルトは、にこやかに答えた。

「まぁ、にぎやかなところだよ」

「そうなんだ。お祭り、やってたら嬉しいなぁ」

「…うーん、やってるだろうね。お祭り」

「わーい、楽しみです」

 ボロッボロの革鎧を着た壮年の男と、きらびやかな白銀の鎧を着た少年。まるで若君とその従者みたいな親子は、まもなくレギナの町へ着こうとしていた。


 レギナの町の歴史は古く、数百年前に栄えた帝国の残滓が色濃く残っている…と言えば聞こえはいいが、極端に言えば貧民や乞食、ならず者が居ついている汚い町である。もちろん善良な市民もいるが、下層民の居住区が他の町に比べて広い。従って、賭博場や酒舗、売春宿などが多く集まって猥雑に「にぎやか」で、貧民同士のいさかいがあちこちで起こっているので、毎日のように喧嘩「祭り」がある。レオンハルトたちが訪れた時も期待通りに「にぎやか」で「お祭り」騒ぎが起きていた。

「…なんだか、思っていたのと違いますぅ」

とコンラートは不潔な街におかんむりの様子。その様子を苦笑いしながら眺めたレオンハルトは、当座の宿を探す。ケチな上司が旅費をケチったせいで大した宿に泊まることはできないが、こんな物騒な街で野宿なんてすると、とても眠れたものではない。自分一人だけならまだしも、愛する息子に危険が及ぶとなると…って名のある騎士団の百人長なのだからいらん心配か…、なんて考えながらレギナの町のメインストリートを歩く。街の顔なのにボロッボロの建物が所狭しとひしめいており、時折異臭も鼻につく。歩く人々の姿も薄汚れていて、長居をしたいとは思えない街だ。そんな時、向かいからガラの悪そうな三人組が歩いてきた。丸腰だがガタイの良い大男のならず者A、小男で目つきの悪いならず者B、ひょろっとしているが長剣をひっさげているならず者Cの三人は、レオンハルトから見て左からBCAの順番で並んで歩いている。すれ違い様、レオンハルトは彼らを避けようとしたのだが、Aが意図的にレオンハルトに寄ってきて体がぶつかった。

「おいゴルゥアァァ、何してけつかんねん」

 Aがギョロ目を見開いてレオンハルトを睨みつけた。一般市民だったら震え上がってしまう威勢だが、レオンハルトには通用しない。

「とても強そうなのに、この程度でそんなに痛かったのか?すまんね。急いでいるから」

「ゴルゥアァァ、謝って済むとでも思っているんかァァ?」

「あぁん…」

 偉そうに絡んでくるAを殺気を放った眼光で睨みつけ、その喉笛かっ切って二度としゃべれなくしてやろうかグルゥアァァ!と啖呵を切ってやろうとしたとき、レオンハルトはハッとなって隣のコンラートをチラ見した。無垢なサファイア色の大きな瞳が心配そうに父を見つめている。レオンハルトは数回まばたきをして呼吸を整えた。

「…ぶつかったくらいなのだから、謝れば済む話でしょ。私も痛かったのだから、お互いさまということで…」

「そんなので俺様の気が済むと思っているのか?」

「困った人だな。どうすれば気が済むんだ?」

「そうだなぁ…」

とAは言うと、コンラートの方を向いた。

「このお嬢ちゃんに酌でもしてもらおうか、ゲヘヘヘ」

「…んだとお!」

 レオンハルトは息子を庇ってAに立ちはだかった。

「ナメた口を……っと、それだけは勘弁してくれんか」

「ふざけんなァ」

と叫ぶとAはレオンハルトに殴りかかった。一般市民だったら頬にこぶしを受けて吹き飛んだであろうが、レオンハルトには通用しない。避けただけでなく、レオンハルトはAの腹を思い切り殴りつけた。

「ゲボアァァ」

 Aは胃液を吐きながら地面に倒れ込んだ。それを見て驚いたBとC。Bは硬直したままだがCは抜刀し、

「よそ者が、ナメたことすんじゃねぇ!」

と叫んでレオンハルトに斬りかかった。するとガキーンと金属がぶつかる派手な音が響き渡る。Cの斬撃を防いだのは抜刀したコンラートだった。

「いい大人なのに、感心できませんね」

と静かな声でつぶやくと、コンラートは呪文の詠唱を始めた。コンラートは父の勤務中、近所の教会に預けられることが多かったので、神聖魔法の手ほどきを受けている。程なく詠唱が完了して魔法が発動した。おだやかな光がならず者B、Cを包み込んだかと思うと、BとCはそのまま力なく座り込んでしまった。

「さすがだなクルト。助かったよ、ありがとう」

「たいしたことではありません。僕はまだ、お父さまのような立派な騎士には程遠いです」

 コンラートのキラキラした目で見つめられたレオンハルトは、バツが悪そうに頭をかいた。


 程なく適当な宿が見つかり、夕食等を済ませると、コンラートはパジャマに着替えて寝る準備を始めた。ところがレオンハルトは、革鎧を脱いでいるが普段着のままだ。

「お父さま。まだお休みにならないのですか?」

「ん、ああ」

 数秒レオンハルトの視線が部屋を彷徨った。そして上ずった声で答えた。

「…真夜中になると、大人の紳士だけが集まる教会に行って、お務めを果たさなければならない。クルトが寝付くまでは傍にいるし、すぐに帰って来るよ」

「僕も行きたいなぁ」

「まだ、だめだ。子供は夜、良く寝ることがお務めだ」

「はぁい。でも、早く帰って来て下さいね」

「もちろんさ」

晴れ晴れとした笑顔をコンラートに向けた。そして息子が寝静まったことを確認すると、レオンハルトは夜の「お務め」を果たすために喧騒溢れる街へと足を踏み出した。

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