4.八月二十一日、午後

 流石に厨房のバイトは欠勤したが、クーラー直下に居られるコンビニは行くことにした。

 レジに立ちながら延々彼女の事を考えていた。

 真っ赤なスカートに真っ赤なヒール。真っ赤なストールと、それに負けぬハッキリとした目鼻立ち。黒が混じった金の髪。長身で長い手足。引き締まったボディラインを透かす薄手のブラウス。日本人離れした瞳の色。一言で表現するならハーフモデルのような外観だった。あんな派手な子と関わりがあれば絶対に覚えているはずだ。避けるために。

 関わりたいタイプではない。正直なところ、外見だけですごく嫌いだ。派手な人は苦手なのだ。みすぼらしい僕を馬鹿にするから。あの子もきっと内心僕を蔑んでいるに違いない。彼女の振ってみせた財布は、僕ですら知っている超有名ブランドのものだった。

 昨日彼女は僕に助けられたと宣っていたが、助けた覚えはおろか、彼女と話した記憶すらない。昼間の彼女の笑顔と声を頼りに、記憶を探れど探れど手がかりはなく。

「陽石くん、悪いけど延長できない?」

 店長が耳打ちしてきた。時計を仰げば終了間際、待ち合わせ十五分前。僕は申し訳なさそうな表情を貼りつける。

「申し訳ございません、このあと別のバイトが入っておりまして」

 店長は露骨に迷惑そうな顔をして踵を返した。慣れている。僕はアルバイト、使い捨ての駒。当然の扱いだ。指示通り動かない兵などそれはそれは迷惑極まりないだろう。しかし駒ならいくらでも代わりがいる。店長は品出ししている高校生バイトに同じ耳打ちをしていた。

「珍しいっすね。用事でもあるんすか」

 隣のレジから男がにじり寄ってきた。僕は真顔でおどける。

「プライベートに踏み込むなんてセクハラだよ氏井うじいくん」

「男にセクハラしたって楽しくないっすよ」

 マスクで曇る声色。氏井の細い眉が呆れにしかめられる。まだ高校生だからか、そういう性格だからか、氏井は表情がくるくる変わる。半分隠れているにも関わらず。

 疑惑に声を落とし、マスクがもごもご動く。

「その言い方、もしかして女っすか」

「まぁ、そうだけど……素直にそうだと言えたらどんなにか……」

 バーコードリーダーを無駄にチカチカさせながら僕は遠くを見る。

「煮え切らないですね。マジで何かあったんすか?」

 僕は思案する。脳裏に過る赤色を、まだ上手く説明できる自信がなかった。それに今夜なにか分かるかもしれない。

「氏井くん、あとで話聞いて……」

「奢り一回で」

「じゃあいい」

「冗談ですよ。話くらいなら聞きますから。お疲れさまっす」

「あーい、お疲れ」

 僕は軽く手を上げ、控室に入った。今となっては緊張や不安を通り越し、いささかげんなりしていた。

 足元に黒い虫を見、僕は飛びあがる。大嫌いなゴキブリ。僕の驚きなどどこ吹く風で触覚を回している。

 幸先が悪い。

 僕は大きく溜め息した。

 水色のエプロンを剥ぎ取る。バイトの駒から個人に戻るこの瞬間をヒトは解放と呼び、解放感と呼び、好くのだろう。でも僕はあまり好きではない。駒であれば必要としてくれる人がいる。でも僕という欠陥品の醜い個人は、誰にも必要とされていないのだ。


 洒落た男なら一度家に帰り、一張羅に着替え、髪を整える。しかし僕には着られる綺麗な服も無く、整える髪もない。自転車を漕ぎながら中学生みたいなスポーツ刈りを撫でつける。髪を伸ばすと蒸れて頭皮が爛れてしまうのだ。

 夕暮れの町中を寡黙に突き抜けていく。退勤や放課に浮き足立った人々を追い越す。

 待ち合わせのファミレスではもう彼女が立っていた。服の赤や金髪、そして長身のせいか、それとも堂々とした風情のせいかかなり目立つ。その前を一度通り過ぎ、駐輪場に滑り込む。

「自転車で来たのね。店の前まで押していっちゃえば?」

 声に振り向く。彼女が真後ろに居た。

「なに驚いてるの? 何かいた?」

 あなたが居ました。

 僕の気も知らず彼女はファミレスの入口と反対方向、細い路地の方を指さした。

「行こう」

 てっきり集合場所たるここで食事と思っていた。僕の動揺など目に入っていないのだろう、彼女はパンプスを鳴らして歩き出す。僕は自転車を押してその後についていく、つもりだったが、彼女は僕の隣に並んだ。

「体調はどう?」

「お陰様でだいぶ良くなりました」

「そう、良かったわ。暑いなか毎日バイトと講義を行き来して大変ね。そのうえお友達との交流にもきちんと参加して。あんなに根詰めていたら、体調も崩れて仕方ないわ」

 毎日バイト。毎日バイト? 

 どうして分かった? 宴会に必ず出るようにしているのも?

 知り合いの知り合い。バイト先の常連。頭の中で様々な可能性をぐるぐる回す。

 結論は出なかった。迷いに迷い、僕は尋ねる。

「あの、どうして僕が毎日バイトなのを知っているんですか?」

「興信所に調べてもらった」

 夕暮れに沈黙が降る。曇った空には月も星もなく、街灯ばかりが静かに光っている。風もなく淀んで、両脇にはシャッターを閉ざした店舗が並んでいた。

 僕はどうにも反応できず、そうして景色を眺めていた。

 熱中症を助けられたから、奢ってもらえるから。そう言ってついてきたのは迂闊だったかもしれない。

 これから僕はどうなるのだろう。バイト先の休憩室、机に置かれた新聞、そこに踊る凶悪事件の見出しを思った。面識ない相手からのストーカー殺人。

 女性の手元を盗み見る。小さなハンドバックを目測し、包丁が入るサイズか考える。このまま人気のない方へ、人気のない方へと連れこまれ、解体されたりするのだろうか。

 不意に彼女が止まった。僕はぎくりとなる。

「入ろう」

 彼女は微笑んだ。

 僕は視線を鞄から建物に移す。知らなければ確実に通り過ぎてしまう、小さな手書きの看板。個人経営のレストランだろうか。

 彼女が扉を押すとベルがけたたましく揺れ響いた。

「予約したクラークです」

 女性が言うと、くだけた、しかし品のある身なりの男性に最奥の個室へ案内された。

 上質そうな黒っぽい木材で囲われ、奥の壁に大きな静物画が掛けられた、見るからにVIPルームの風情。

 彼女は入口側の席に着いた。僕が上座だ。

 僕が座ると従業員は扉を閉めた。逃げられない。閉鎖環境に冷や汗をかく。高級木材で出来た檻で、僕は一体どうなってしまうのだろう。

 とりあえず、僕は相手の情報を集めることにした。

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