第18話 おバカさん再び

「いけませんお嬢様、あの方はもう子爵家の方ではないのです。お嬢様がこれ以上関わり合う必要はございません」

 ドアの取っ手に手を伸ばした私をティナが強引に止めにはいる。普段の彼女からはとても想像できないが、何がなんでもケヴィンに会わせたくないのだろう。

「大丈夫よティナ、少しケヴィンと話すだけだから」

「でしたら私がお嬢様の代わりに話してまいります。お嬢様はこのまま馬車の中でお待ちください」

「ちょ、ちょっと待ちなさいティナ、あなたが出て行っても意味がないでしょ。彼は私に用事があると言っているのだから」

 今度は出て行こうとするティナを私が止めに入る。

 これはお母様かお姉様、いやもしかしたら母親であるケイトから、誕生祭の夜会で起こったケヴィンの一件を聞かされているのではないだろうか? 私はベルニア王妃の一件の事しかティナには話しておらず、彼の話題には一切触れていない。

 これは別にティナに隠そうとしていた訳ではなく、その後起こったアデリナ様の出会いに続き、ベルニア様との出来事が余りにも強烈すぎたのと、翌日出会ったクロードさんの事ですっかりケヴィンの存在を忘れてしまっていたのだ。


「私はお嬢様の専属メイドです、お嬢様に害する者は例え誰であろうと近づけたくありません」

「ティナの気持ちは分かるけど、相手は幼馴染のケヴィンよ? あなただって幼い頃は3人で遊んでたじゃない」

 ティナは私が赤ん坊の頃から一緒に育った姉妹当然の仲、当然幼い頃にケヴィンがブラン家に訪ねて来た時には良く3人で一緒に遊んでいたので、決して知らない仲という訳ではない。

「ですが今の彼は私達が知っているケヴィン様ではないのですよ」

 ティナの言っている意味は私にも十分理解出来る、確かに彼は変わってしまった。原因は恐らくエレオノーラが関わっているのだろうが、理由を一切教えてくれないのだから未だよくわかっていない。


「でもね、彼が私の幼馴染である事は間違いないの。例え昔と変わってしまったと言っても、私の中にある想い出はそう簡単に消せるものではないわ」

「何故ですか、何でお嬢様はそんなにもケヴィン様の事を心配されるんですか! 私聞きました、先日の夜会でお嬢様が悲しい顔をされていたとも、ケヴィン様がお嬢様の事を責め立てたことも全部。なのに何でお嬢様はそんなにも優しいんですか!」

 昔っからそうだったわね、ティナは私の事になると誰よりも真っ先に心配して代わりに泣いてくれる。そんな彼女だからこそ私は手放したくないし、守りたいとさえ思えてくる。


「優しい……か、私は自分が優しい人間だなんて思った事がないわ」

 そう、これはただ強がっているだけ。

 今更私が出て行ったところケヴィンを助ける事は出来ないと分かっているのに、再び彼の前に立つ意味は負けたくないという思い、ただそれだけ。

「私はね、誰にも負けたくないぐらい心が強くなりたいの、そして私の見える範囲だけでも守れるぐらいの大きな存在になりたい。だから引かないわ、それがリーゼ・ブランとしての私なんだから」

 これはあの日に決めた私の誓い、リーゼが悲しみのドン底に落ちて再び立ち上がるために決めた決意なんだ。

「だったら、だったら私はお嬢様の支えになりたいです。どんな時もどんな時でもずっとお側で支えてみせます」

「ありがとう、私もティナが側にいてくれるからこそ今の自分を保つ事ができるんだよ、だからこれからもずっと私の側にいてくれる?」

「はい、何処までもご一緒させて頂きます」

 持っていたハンカチでティナの目元を拭ってから、二人で馬車の扉を開きケヴィンの元へと向かっていった。



「ケヴィン、余りうちの警備兵を困らせないでくれる?」

「リーゼ!」

「お嬢様いけません、こちらに来られては」

「大丈夫よ、ケヴィンと少し話すだけだから」

 慌てて止めに入る警備兵を制してケヴィンの前へと赴く。私の斜め後ろにティナがいてくれると分かっているだけで心強い。


「放せこの無礼者!」

 二人の警備兵に掴まれていたケヴィンが強引に拘束から逃れようともがくが、武術に縁がなかった彼が訓練された警備兵から逃れるはずもなく、再び暴れないように押さえ込まれる。

 まぁ当然よね、ケヴィンはすでに一市民に成り下がっているし、例え子爵家の子息だったとしても、私を害する可能性がある人間を、ブラン家の警備兵が簡単に拘束を解くはずがない。


「放してあげて、彼は私の知人なんだから」

 警備兵達はお互い目で合図を出し合い、控えていた別の警備兵が二人私とケヴィンとの間に入ったのを確認したところで、ようやくケヴィンの拘束を解いた。

 今この場にいるブラン家の警備兵は全員で5名、ケヴィンの左右に一名づつと私の前に二名、そして全体を見渡す位置に警備兵の主任である男性が一名控えている。彼らは全員ブラン領が抱えている騎士団の人間で、私達ブラン家に害する者には誰であろうと抜刀する許可がお父様より下されている。


「ふんっ」

 ケヴィンが掴まれていた二人の警備兵を睨めつけ、私の方へ近寄ろうとするが、目の前の警備兵に行く手を遮られる。

「退け!」

「ケヴィン、そこから話を聞くわ」

 私とケヴィンとの間にはまだ3メートル程の距離があるが、これ以上近づけるのは警備兵達も危険と感じたのだろう。話すにしては少々距離があるが、ここは彼ら現場の人間に従った方が賢明と言うもの、私としても今の彼は何をしでかすか予想が出来ないので素直に従うようにする。


「俺はリーゼと話がしたいだけなんだ、それなのに何だこの扱いは!」

 警備兵に囲まれた状況が気に入らないのか、尚もケヴィンが食い下がってくる。

「これが今の私とあなたとの差、というところかしら? まさか自分が屋敷に上がって話が出来る立場だとは思っていないわよね。もしこの状況が気に入らないというのなら今すぐこの場から立ち去りなさい」

 今更何をどう取り繕おうとしても、ケヴィンがシャルトルーズ家に戻れる可能性は全くない。そんな事をすればお父様は間違いなくシャルトルーズ家を完全に見放すだろうし、子爵様もケヴィンに救いの手を差し出す事もまずあり得ない。

 もし彼自身に何らかの才能があれば、何処からか招きの話が持ち上がるかもしれないが、ブラン家から睨まれた者をそこまで擁護する物好きはそうそういないのではないだろうか。


「なんだよその言い方は、俺とリーゼは幼馴染だろう、だったらせめて何処か場所を変えて……」

「話にならないわね、未だ自分が置かれた状況を理解出来ていないようだけど、本来なら今こうして私と話す事すらありえないのよ。せっかくうちの警備兵が作ってくれた時間だと言うのに無駄だったようね、悪いけど貴方が思っているほど私は暇ではないの、話す気がないのならこのまま帰って貰える?」

 私の言葉を聞いた警備兵達が再びケヴィンを取り押さえようと動き出す。

「ま、待ってくれ! 分かった、このままでいいから話をきいてくれ!」

 このまま摘み出されては結局何も変わらないと思ったのか、慌てて私に話しかけてくる。


 はぁ、この数日彼は一体何を学んできたんだろうか。

 夜会が終わった二日後、子爵様が改めてブラン家に謝罪しに来られた。そこで聞かされたのがケヴィンをシャルトルーズ家から追放し、子爵様の妹さんから男児を一人養子を貰い、子爵家の跡取りとして一から教育すると言う話だった。

 ただ追放すると言っても、長年育ててきた我が子を突き放すのだからそれなりの時間が要し、つい数日前に僅かな資金と荷物を手に、お屋敷からケヴィンが追い出されたと聞いたばかりだった。

 私の思いとしては今までの行為を反省し、新しい人生を真面目に歩んでくれていればと思っていたのだが、再び目の前に現れた彼はあの日別れた時のまま何一つ変わっていない。


「これが最後のチャンスだと思いなさい」

「わ、分かった。俺はただリーゼと話がしたかっただけなんだ」

 今一度警備兵の拘束から解放されたケヴィンが私に話しかける。

「お、俺は今、父上から屋敷に帰る事を許されていないんだ、だからリーゼから戻れるように取り計らってもらえないか?」

 私に対して最初の言葉がそれか、僅かでも謝罪の言葉を期待して最後のチャンスという言葉を出したと言うのに、彼は何も分かっていなかった。

 表情こそ様子は伺えないが、隣でティナが怒っている雰囲気が伝わってくるし、警備兵達も呆れ顔でケヴィンの動向を見守っている。


「ケヴィン、貴方は子爵様から何て言われたの? お屋敷に戻る事を許されていないって、あそこはもう貴方の家ではないのよ?」

「なっ、バカな事を言うな! 俺はシャルトルーズ家の唯一の子息だぞ、俺以外に誰が爵位を継げると言うのだ、父上も本気で俺の事を追放する訳がないだろ」

 此の期に及んでまだそんな甘い考えを抱いているのか、この様子じゃ既に自分のお屋敷に何度も足を運んでいたのだろう、それでも取り入ってくれないから私のところまで泣きつきに来たのだ。


「残念だけど紛れもない事実よ、子爵様は既に跡取り候補を迎え、ブラン家に誠意を見せてくださったわ。お父様も今回の一件は水に流し、今までのような支援を約束されている、この意味が分からない貴方ではないでしょ?」

「そんなバカな! 俺がいると言うのに父上がそんな馬鹿げた事をするはずがないだろ!」

「現実を見なさい、子爵様は貴方を屋敷には入れてくれなかったんでしょ? だから私のところに助けを求めにやってきた、違う?」

「だったら、だったら俺を助けてくれよ、俺とお前の仲だろ? 昔から良く一緒に遊んでいたじゃないか」

 全く、今更私に頼って来てももう遅いのよ。

 状況はケヴィンが考えているよりもっと先に進んでいる、例えこの場で私が許してもケヴィンが子爵家を継ぐ事はまずあり得ないだろう。


「私は何度も救いの手を差し伸べたつもりよ。あの夜会が行われた日、私言ったわよね? あなたの気持ちが知りたいだけだと。あの時たった一言ごめんなさいでも、私を陥れた事は本心ではなかったとでも言ってくれれば、私は貴方を救う事がまだ出来た。それなのに貴方はなんて言った? 覚えていない、あんな事になるとは思わなかった、あまつさえ私が悪いような事さえ言ったわよね。それでどうやって助ける事が出来るというの?」

「な、なら今から謝れば助けてくれるのか? すまなかった、あれはエレオノーラに頼まれて仕方なく……」

「だからもう遅いのよ!」

 日が落ち始めた屋敷前に私の声が響き渡る、こんな大声を出したのはリーゼとしは初めてではないだろうか。ケヴィンも私の様子に驚き言葉を失ってしまっている。


「もう遅いのよ、そんな言葉で解決出来る状況はとっくに過ぎてしまっている、もう全てが手遅れなのよ」

「そ、そんな……だったら俺はこれからどうすればいいんだ? あの時エレオノーラに頼まれなければこんな事にはならなかったんだ、そうだ、あの女が全て悪いんだ、なぁ頼むよ、何とか俺を助けてくれよ。全部話すからよ、あいつは王妃様から気に入られているから王子に近づけたんだ、王妃になったら俺を伯爵にしてくれるって約束したんだ、だから俺は……」

「そんなバカな口車に乗せられて私を陥れたのね、残念だけど今更貴方が何を言っても意味をなさないわ。」

「な、何でだよ、この事を世間に広めれば彼奴は破滅し俺は助かるんじゃないのか?」

 何も分かっていない、すでに子爵家とは何の関係もない彼が叫んだとしても誰一人として耳を貸してくれないだろう。それにエレオノーラがこんな程度でどうにかなるとはとても考えられない、私が考えている事がもし正しければ、これから国は益々混乱の真っ只中に巻き込まれていくはずだ。


「自分の立場を考えなさい、一市民に落ちた貴方がいくら王都で叫んでも私達貴族には一言すらも届かない、それが非難する言葉なら尚の事よ。貴方も貴族だったのなら経験があるんじゃないの? 今のこの王都では市民の言葉は貴族には届かないのよ」

 長年続いた平和で貴族達は王都の民の言葉を全く聞かなくなっている、それはそうだろう、階級社会と言うのはそもそもそういうものなのだ。

 別に階級社会が悪いと言っている訳ではないが、貴族達にも守るべき存在があり、守るべき領地がある。何も自身が管理していない王都まで気にする必要はないのだ。

 仮にケヴィンが地方の領で叫んだとしても王都に届く事はまず有り得ないだろう、寧ろ領地の警護はそれぞれの領主が行っているので、貴族を非難するような事をすれば危険人物として即刻牢屋行きになるのではないか、彼はもう貴族ではない為領主の一存で処罰することは可能なのだ。


「俺の立場ってなんだよ、俺はもう貴族じゃないって言うのか!?」

「何度もそう言ってるじゃない、もし貴方が再び貴族に可能性があるとすれば何処かの家に養子に入るか、貴族の女性と結ばれるしか方法はないわ。だけど貴方はお父様の、ブラン家の怒りを買った事は大勢の人たちが見ているのよ、そんな人物を快く迎え入れようなんて物好きはこの国にはいないわよ」

「そうだ、その手が残っている。リーゼが俺と結婚すれば俺は貴族に戻れるんだ、なぁ、どうせ王子から婚約破棄を言い渡されたんだろう? 今から俺と結婚しても誰も文句は言わないはずだ、そうだ、それがいい。俺がリーゼを幸せにしてやるから、伯爵様の説得を一緒にしてくれよ」

「……」

 必死な様子で私にすがって来るが、この場にいる全員が彼の言動に軽蔑したことだろう。


「帰りましょうティナ、どうやら私の知るケヴィンはもう何処にもいないようね」

「そのようですね、私もこれ以上お嬢様に醜い物をお見せするのは心苦しいと思っていたところでございます」

 ティナは言った、ケヴィンを醜い物と。それは既に人間として見ることはなく、ただ醜い物体として認識している、例え再び会いたいと願ってもケヴィンを私の前に立たせることは彼女が絶対に許さないだろう。もっとも私としても二度と会おうなどとは思わないが。


 私たちが歩いて屋敷の門をくぐろうとする様子を見て、慌ててケヴィンが近寄ろうとするが、警備兵もこうなる事が分かっていたかのように一瞬で取り押さえる。

「待てよ、何で行くんだよ、俺が幸せにしてやるっていってるんだ、別に知らない仲でもないだろう? どうせ王子に見捨てられたお前を貰ってくれる男なんて何処にもいないはずだ。これはリーゼにとっても悪い話じゃないだろ?」

「なにをバ……」

「バカにしないでください! お嬢様が王子様に見捨てられたですって? 貰ってくれる男性が誰もいないですって? ふざけないでください!」

 私が別れの言葉を口にしようとしたとき、ティナが大声でケヴィンに向かって叫び出した。


「お嬢様は自らの意思で王子様との婚約を破棄されたんです、間違えないで下さい、見捨てられたのはお嬢様ではなく王子様の方です。それにお嬢様が貴方以外の男性と結婚できないですって? 思い上がるのも大概にしてください、すでに数多くの殿方からお誘いの手紙が届いておりますし、お嬢様にもちゃんと想い人がおられるんです。貴方のような大バカ者にお嬢様は相応しくありません、分かったのなら今すぐここから立ち去り、二度と私達の前に現れないでください!」

 余りのティナの迫力に思わず言葉を失った私と警備兵、+プラスポカンとした顔のケヴィン。

 ……って、ちょっと、何恥ずかしい事をさらっとバラしちゃってるのよ! お見合いの話は全部断ってるし、クロードさんの事をそんな風には見ていないわよ、ただちょっと素敵な人かなぁって思っているだけで、け、結婚の事なんて、か、考えてもいないわよ!


 そのままティナの勢いに押され、強引に屋敷の方へと引っ張られていく私。

 あ、あれ? 私の出番は何処にいってしまったの? 最後にビシッと別れの言葉を言うつもりだったのに、全部ティナに持って行かれてしまった。

 後ろの方で慌てて警備兵が門を閉じる様子が見えるが、ケヴィンは口を開けたまま追いかけようとはしなかった。




 数刻後、申し訳なさそうに馬車を引いた御者が門をくぐったと聞いたのは翌日の事だった。

 後でティナと一緒に差し入れとお詫びに行かせて頂きました。ごめんなさい御者さん。

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