その4

「うぅうううううううう……。おぉおおおおお……」


 力なく手を伸ばす、人肉を喰らう死人たち。

 無論、その手はこちらに届かない。三重に張られた金網に阻まれているのだ。

 見えるところで、数は六匹。男が三匹。女が三匹。


「……合コン帰りかな?」

「ん? いま、なんて?」

「いや、なんでもない」


 完太郎は「そんじゃ、これ」と言って手渡された、妙に頑丈そうな釣り竿を眺める。

 とりあえず、魚釣りをする訳ではないらしい。

 嫌な予感をさせながら、完太郎は目の前の“ゾンビ”に視線を移した。

 カントクが、釣り竿の先にしっかりとビニール袋を取り付ける。


「おい、まさか……」


 これと似たものを、趣味の悪いテレビショーで観たことがあった。”ゾンビ”をおもちゃにするタイプのやつだ。


「たしかあの番組、司会が“ゾンビ”に噛まれた週が最終回だったな……」


 カントクはニッコリ笑って、


「エキストラが必要なのよ」

「まさかとは思うが、あれ・・にやらせるつもりか?」

「まーね」

「やつらに演技なんて、できるわけがない」

「だいじょーぶ。連中にも十分やれるシーンだから」

「……ええと。ちなみに、どういう映画なんだ?」

「うふふ。ひ・み・つ」

「じゃあ、どういうシーンかだけでも教えてくれ。手伝うからには、それくらいは知っておきたい」


 少女は、しばし唇に手を当てて黙考した後、


「“運命の日”直後の内乱を描いたワンシーン、ってとこかな」

「なるほど」


 納得する。


「つまりは、――”終末もの”か」


 最近の映画としては珍しくもない題材である。

 “ゾンビ”大発生からこっち、その手のドキュメンタリ映画は大量に制作されていた。ちょっと外に目を向ければ、撮るべき題材が無数にあるためだ。


「ま、そんな感じ」


 言いながら、蓮子は手慣れた手つきで金網の非常扉を開ける。


――毒を食らわば皿まで。


 完太郎は確固とした決意で少女に続いた。

 三重に張られた金網を二つまでくぐると、歩く死人たちはすぐ目の前である。


「おおおおおぉぉ……おおおおおおぉッ」


 手の届きそうな距離まで餌がやってきたからだろうか。やにわに“ゾンビ”たちのテンションが上がる。アイドルか何かにでもなった気分だ。


「今日の“ゾンビ”さんったら、活きが良いわ」

「“ゾンビ”……さん・・?」


 目から鱗が落ちる思いで、少女の顔を見る。

 この二十年間、人類の死因といえば“ゾンビ”に関係したものが多い。

 それ故、あの歩く死人の名称は、忌み嫌うように吐き捨てるのが礼儀だと思っていたのだ。


「うん。“学園(ココ)”じゃ、そう呼ぶの。”園長先生”の影響でね」


 “園長先生”。

 この”学園”の創立者であり、二十年前のパニックをたった一振りの日本刀で乗り切ったと言われている、伝説の女性だ。


――郷に入っては郷に従え。


「ええと。じゃ、どの”ゾンビ”さんにする?」

「できるならこの子がいいな。服も原型残ってるし」


 蓮子が指さしたのは、少し身体の大きい、男の”ゾンビ”だった。

 ボロボロな毛糸のチョッキを着ていて、生前はさぞ洒落者だったことが窺える。


「しかし、本当に釣れるのか? 連中、人の血肉にしか興味がないって聞いたぞ」

「それは大丈夫。袋の中には、人間の血が入ってるから」

「わざわざ血を手に入れたのか? このためだけに?」

「あたしらには、月一のやつがあるからね。そのへん、女に生まれてラッキーだわ」

「……なに。なんだって?」

「そんじゃ、さっさと始めましょー」


 話題を掘り下げる気にはなれなかった。大火傷する気がしたのだ。

 完太郎は、無言のまま竿を振りかぶり、ぽいっと、金網の外に”餌”を投げる。


「折れたりしないだろうな?」

「それは大丈夫。“中央”の変な売店で買った、”ゾンビ”さん釣り専用のやつだから」

「そうか。都会ではそんなモンまで売ってるんだな。ずっと住んでたけど、ちっとも知らなかった」


 世の中は広大だ。完太郎はため息を吐く。

 ビニール袋を、ヨロヨロした足取りで捕まえようとする“ゾンビ”の群れ。命の尊厳について考えさせられる瞬間である。


「そうそう! うまいうまい!」


 作業は思ったよりも簡単だった。

 獲物を引き寄せるように、ちょいちょいと竿を動かす。すると、狙っていた“ゾンビ”が、都合良くビニール袋を捕まえた。同時に、一気にリールを巻く。

 “ゾンビ”は基本的に動きが鈍い。だが、何かを捕まえる時だけは人並み以上の膂力を発揮する。習性通りビニール袋を掴まえた彼は、そのままゆっくりと身体を浮かせた。竿を握る手に力がこもる。


「もう一息っ!」


 蓮子も、興奮気味に釣り竿に手を添えた。


「いけるいける! キミ、“ゾンビ”さん釣りの才能があるわ!」

「お、おう……」


 褒められたが、嬉しくも悲しくもない。強いて言えば、虚しい。

 そしてついに、“ゾンビ”の身体が金網を越える時が来た。


「やったあ!」


 蓮子が歓声を上げる。


――その、次の瞬間。


 ぱん、と音を立てて、釣り上げた“ゾンビ”の四肢が、粉々に弾け飛んだ。

 赤黒い血が辺りに舞って、完太郎たちの足下をびちゃびちゃと濡らす。


「……なっ!」

「うそ!」


 原因は明らかだった。ここまで徹底的に生き物を破壊できる武器は少ない。


「《空気圧縮銃》か?」


 完太郎の疑問に応えるように、


「何やっとんじゃワレェ! ケツの穴ァ指突っ込まれたいか、クソボケども!」


 ずいぶん柄の悪い“中央”弁が聞こえてきた。

 見ると、《圧縮銃》を振り回しながら、気の強そうな美人がこちらに駆けてきている。


「……まずいっ! 生徒会長だわ! 逃げよう!」


 言いながら、ものすごい勢いで荷物を片付ける蓮子。


「ちょ、ちょっとまて! “ゾンビ”は?」


 ここまで手を貸したのだ。最低でも今日の撮影は成功してほしい気持ちがあった。


「しかたないっ。プランBでいくわっ」

 

 同時に、肩から力が抜ける。


 ――あるのかよ。……プランB。



「……で。なんなんだ、これ?」


 完太郎は、一枚のペラ紙を手渡され、困惑している。

 紙には、


●校庭 運動場にて。

 逃げ惑う男A。

 そこに、ミサイルが飛来してくる。

「うぎゃあ」

 男A、爆死。


 とあった。


「それじゃ、いくわねーっ!」


 蓮子がこちら向きにカメラを構える。


「待て」


 今にも撮影を始めようとする少女を、慌て気味に制止する。


「どういうことだ、これは?」

「だから、プランBよ」

「プランBって、俺が“ゾンビ”の代わりをするってことか」

「そーいうこと」


――それができるなら、最初から連中を捕まえる必要などなかったのでは?


 喉まで出かけた疑問を呑み込む。

 恐らく、演出上の都合があるのだろう。余所者の完太郎には、それが何かまではわからない。無理にでも納得する他になかった。


「しかし……」


 一点、気になることがある。

 土で隠れて見えないが、間違いなく、完太郎の足下に何かが埋められているのだ。

 脚本から推察するに、爆薬だろうか。

 どう使うかは予測できた。

 まず、役者が佇んでいるシーンを撮影する。

 次に、役者を安全な場所に移動させて、爆弾が爆発するシーンを撮影する。

 この二つのシーンをつなげることで、あたかも役者が爆発したように見せる。昔の特撮なんかでも見かける、古典的な手法だ。


「これ、大丈夫なのか? 間違って爆発したりしないだろうな」


 訊ねると、


「……?」


 蓮子は、不思議そうに首を傾げた。


「間違って、爆発……? よくわからないけど、カメラ回したらそれ、起爆するわよ」

「なんだって?」


 言っている意味がわからない。


「そうなると……ふむ。ここにいる俺は、死んでしまうのでは?」


 一足す一は、二。

 当然導き出される答えを、わざわざ説明している気分だ。


「だってその方がリアリティあるでしょ?」

「バカか? お前は、――バカなのか?」

「えへへ。それじゃ、いくわよー♪」


 歌うような口調で言う蓮子。


「ふっ……!」


 一瞬、むせ返りそうになりながら、続ける。


「ふざけるな! 死んでたまるか」


 “ゾンビ”にさせようとしていたことは、これか。クレイジーにもほどがある。


「だいじょーぶだいじょーぶ! 安全性は、……まあ、計算してるから!」

「何をそんな気軽に」

「ではでは、いくわよぉー。よぉい、スタート!」


 完太郎は駆けた。無論、爆風から逃れるためである。



 だが、――間に合わなかった。



 足下で、耳をつんざく破裂音がして。

 全身がてんでバラバラに動いて。

 次の瞬間、“学園”を、俯瞰で見下ろしている自分を発見していた。


――あ、空からだとこんなふうなんだ。


 静止した時の中で、ぼんやりと思う。

 ふと、カントクがこちらにカメラを向けているのが見えた。


「ヤッダーバァアァァァァアアアアア」


 喉からは、ほとんど自動的に絶叫が上がっている。

 視界の隅で、ぐっと親指を立てているカントクの姿が見えて、――


「はい、カットォ! ナイス演技!」


 そこからの記憶はない。

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