09 Betting

 こいつとは金輪際縁を切ろう。

 その手に界隈においてはモーリーの愛称で知られるトラック運転手こと、森基晴モリモトハルはとんでもない無茶振りをして来たビジネス相手にそう思った。どこのどいつかと言うと、『逃がし屋』の竜宮藤次郎である。

 若い頃から連れ添った妻と可愛い子供が5人、一番下の三男は昨年生まれたばかり。子供たちの養育費やその他諸々の出費のため定期的に裏稼業で稼ぐ中、冷や汗が止まらなくなる危機的状況もあったがノアからの脱出者を外界にまで運ぶ仕事を辞めたいとは思わなかった。

 が、今、猛烈に『逃がし屋』と関わる仕事を辞めたい……彼の仕事道具と言うべきトラックを、特攻兵器として使用する寸前のこの男をぶん殴って。


「ゴルァ藤次郎!! 俺の愛車をバベルに突っ込ませるって、そんな仕事を請け負った覚えはねぇぞぉぉぉ!!」

「急に決まったからしょうがねぇ! 大丈夫、帰りの足としても利用するつもりだから大破はしない!」

「フロンドガラスにヒビの一つでも入れてみろ! 二度とお天道様の下を歩けない姿にしてやるからな……って、ちゃんと返せよーー!!」


 アッキーから連絡を受けて藤次郎とは予定通りの時刻に指定された場所で落ち合ったが、トラックの荷台ではなくトラックその物を貸せと言って来たのだ。

 首を傾げつつ運転席を降りてしまったのが拙かった。藤次郎と異形の同行者がしっかりとシートベルトを装着したタイミングで「何をする気だ」と訊いてみたら、「トラックごとバベルに突っ込む」と言って来たのである。彼曰く、本来この荷台に乗せるべきだった依頼人をこれから回収しに行くと。

 こうして、藤次郎と異形の同行者――テンペストが乗り込み、荷台にはノアの外へと搬出される荷物を積んだモーリーのトラックは、カジノタワー・バベルの正面エントランスへと突っ込んだのだった。


「メロウ!! いても返事すんなよ!!」

「行こう、藤次郎」

「こっちの台詞だ。へばるなよ、テン」




09 Betting




 正面エントランスの入場者チェックを無視して、カジノのお客を出迎えるスタッフたちの悲鳴をエンジンの音でかき消して、ガラス張りのエンドランスを盛大に破壊して突っ込んだトラックは左のサイドミラーがポッキリと折れてしまった。モーリーに怒鳴られる。が、問題なく動くので大丈夫。

 トラックから降りた藤次郎とテンペストは早速お出ましになった警備員たちに囲まれたが、これも想定内だ。敵の本拠地に真正面から飛び込んで来て、易々と突破できるなんて思っていない。


「抵抗せず、大人しく投降しろ」

「嫌だ、抵抗させてもらう。俺たちを止めたきゃ、片桐さんと愉快な部下たちでも連れて来い。テン!」

「承知、した」


 テンペストが右腕を伸ばして掲げると細い手首がポロっと外れて落ちた。中に仕込まれていた小銃からゴム弾が発射され、その発砲音に周りのギャラリーは悲鳴を上げる。すると、発砲音の次に聞こえて来たのはこちらに近付いて来る落下音……その音が大きくなるに連れ、警備員たちを丸ごと飲み込んでしまいそうな大きな影が色濃くなって行く。

 正面エントランスは5階の高さまで吹き抜けとなっており、真ん中から上を見上げるとクリスタルのシャンデリアが白い光を灯している。もうお解りだろう、テンペストの狙撃によって支えを失ったシャンデリアが、落下して来ているのだ。

 間近で見たら、目に痛いほどギラギラ光っていた。


「逃げろーー!」

「キャアアァァ!!?」


 パニックになって逃げ惑うギャラリーのど真ん中に落下して来たシャンデリアは、衝撃と自身の重量に耐え切れず粉々に砕け散った。

 藤次郎とテンペストはクリスタルの破片を浴びながらその混乱をすり抜け、上階へと突入するために階段を駆け上がる。最上階への直通エレベーターも、各階止まりの普通のエレベーターも使えない。途中で止められたらお終いだ。

 警備員も監視カメラの目も気にせず、立ち向かう敵とエンカウトすれば必要最低限の力で無力化させてその辺に転がしておく。脇目を振らずに我武者羅に脚を動かして最上階――88階の、日神の掌の上を目指す藤次郎とテンペストの姿は、バベル全体の監視カメラによって捉えられ日神に認知されていた。


「失礼します。日神様、愛神様をお連れしました。ゲストルームからの逃亡を図ったようですが、浮羽が確保しました。咽喉には異常はないと思われます」

「杉原、彼らの措置は?」

「黄金隊の出動を要請しました。タワー内警備の瑠璃隊と玻璃隊は、ゲストの避難誘導に当たっています。警察署には、警備室から通報が」

「いや、通報しなくても良い。宗像署長には私から言っておこう」

「……よろしいのですか?」

「折角、面白い催しものが始まったんだ。エンターテイメントだよ、これは。夜のための前座としては少々品に欠けるが、盛り上げてくれるだろう。ブックメーカーの用意だ」

「畏まりました」

「それと、あの男にかかった賞金はまだ解除していなかったよな?」

「はい。竜宮藤次郎には、上限なしの賞金がかけられています」

「賞金稼ぎの奴らも招待してくれ。今日だけ特別だ。エンターテイメントは、色々な要素がなければすぐに飽きられてしまうからね」

「……浮羽はどうしましょうか?」

「奴は外に出そう。先程、小五月蠅いネズミがウロチョロしていると連絡があった」

「手配しておきます」

「さあ、楽しいギャンブルの始まりだ」


 さて、彼らはこのバベルから脱出できるのか?囚われの姫を奪い返し、神への反逆を成功させるのか……?どちらが勝つか、どちらが負けるか。

 藤次郎たちが突入してから21分後、日神が主催者を務めるノアのブックメーカーが一つの賭けを始めた。彼らはこのまま、日神セキュリティの警備員たちのお縄にはつかずに、上へ上へと走り続けられるか否か。


『さあ始まりました! 突如バベルに突入して来た不躾な侵入者VS日神セキュリティを始めとした、ノアの守護神たちの鬼ごっこ! 捕まるか、逃げるか、それともやっぱり捕まるか? ベットの〆切は午後5時まで! 尚、バベルで起きている攻防戦はこのチャンネルにて生中継! 楽しいエンターテイメント・ギャンブルの幕開けだーー!!』


 専用チャンネルやネット配信で視聴できるブックメーカーの番組が突如オンエアされると、テンションの高い司会者が現在進行形でバベルの中で大暴れする藤次郎とテンペストの中継を放送し、彼らを対象とした賭けの開始を宣言した。

 血潮の踊るエンターテイメントを望む者たちは、待ってましたと言わんばかりに賭けへと参戦し、各々の賭け金をどちらかに賭けて行く。藤次郎とテンペストが“目的”を達成して逃げ延びるのか、それとも日神が誇るノアの警備員たちに捕まるのか。

 番組の画面の左上でライブ中継されている現在の様子では、上階に控えていた警備員たちと下から追って来た彼らによって2人が挟み撃ちに合っている。しかし、挟み撃ちは先日切り抜けたので怖くはない。上階から追って来た警備員を勢いのまま蹴り倒して踏んで乗り越えると言う、脳筋な力技で切り抜けると下から罵声が飛んで来た。

 こんな風に、藤次郎とテンペストがどんどん上の階へ登って行くのは賭けに参加している人々の目にも入っているのだが、第一回のオッズの発表では日神側が圧倒的だ。おおよその数字は、2:8……もしこれで2人が脱出を成功させたら、彼らに賭けた者は一発逆転のとんでもない大金を手に入れる事になる。

 そして、藤次郎とテンペストはと言うと。自分たちが賭けの対象になっている事実に知ってか知らずか、第一波とも言える警備員たちの追手を掻い潜り脚が動く限り階段を登って20階までやって来ていた。


「藤次郎、傷は痛む、か」

「まだ……大丈夫だ。お前こそ、身体の調子はどうだ?」

「問題、ない」


 酷く息が上がってしまったのは怪我のせいだと思いたい、断じて歳のせいではない。

 20階の非常階段にある防火扉に寄りかかった藤次郎は、腰に下げていたミネラルウォーターで乙女ママから処方してもらった痛み止めを全て流し込む。まだまだ四分の一も登っていないのに、肋骨が折れて無理矢理コルセットを巻いた身体はもう危険信号を点滅させようとしている。

 やはり二十代が終わりかけていると体力が落ちるのだと、こんなところで実感したくはなかった。

 強引にでも息を整えようとしている藤次郎の隣で、テンペストは細くなってしまった左腕のパーツをプラプラと動かしていた。ついこの間までは、人間と見分けが付かぬほど精巧に造られてはずのテンペストのボディは、今は異形と形容できるツギハギのものになってしまっている。

 右半分が破損してしまった顔は、代用となるパーツが手に入らなかったため包帯を巻いたままになっているが、その隙間から覗く鉱物のような人工的な眼球が少し不気味だ。胴体の肌が見える部分も、応急処置丸出しな医療用ホチキスで人工皮膚を止めているため、よくできた肉に食い込む金属が痛々しい。そして、切断された両腕はアッキーの店から流してもらった女性用アンドロイドのパーツで代用した。白く細い淑やかなフォルムの腕と元来のボディを強引に繋げ、切断された腕に内蔵されていた小銃をこちらに内蔵し直した。以前の腕から飛び出るタイプではなく、手が落ちてそこから銃口が出て来るスタイルになってしまったが、ないよりはマシだろう。先程シャンデリアを落したように、問題なく使う事ができる。

 アンドロイドは専門外だと叫びながら悪戦苦闘する早弓と早薙によって造り直されたテンペストのボディは、通常時と比べればパフォーマンスに半分以上の開きがある。それに、残ったパーツや包帯の下から覗く皮膚がなまじ本物の人間に近すぎるため、彼の姿は奇妙なアンドロイドと言うよりも異形の人間と言う言葉がしっくり来てしまう物になってしまった。

 それでも、乗り込んで来た。

 異形と成り果ててでも、己の存在の消滅を賭けてでも救いたい宝物が囚われていたからだ。


「やっと20階まで来る事ができた。当初の計画通り、50階まで登ったら二手に分かれる。俺はメインタワーの88階へ」

「私、は、50階の連絡通路でサブタワーへ」

「上手くやってくれよ、テン」

「……藤次郎」

「どうした?」

「お嬢様の、ために。ただの逃がし屋の依頼人のため、に……どうしてそこまで、やる」

「……」

「私のボディも、応急処置ではある、が修理してくれた。藤次郎、何故お前は」

「どうして、って言われてもなぁ……そう言う事を聞くのは野暮ってもんだぞ。依頼主云々変わらず、女の子は放っておけないとか日神がムカ付くとか、口輪野郎は絶対にボコるとか、人間には色々あるんだよ」

「お前にも、色々あるのか」

「まあ、俺だって……迷子の子供みたいに、俺が最後の希望だと言わんばかりに手を伸ばされちゃ、どうにも無視できないんだわ」


 テンペストへそう答えた藤次郎は、頬に残るヒゲの剃り跡を人差し指で掻きながらどこか困ったように笑った。

 感情のままに、理屈に合わない事をするのが人間。嗚呼、そう言う事か。

 人間たち本人でもしっかり理解できない事を、成長途中の人工知能が理解できるはずはない……そう結論付けたテンペストは、彼が手配して弾正姉妹が繋げてくれた細い左腕を撫でて、また一つ学習した。


「それに、約束もしたからな」

「約、束」

「質問タイムは終わりか? 終わったなら行くぞ」

「ああ、終わった。最後になるかもしれないから、聞いておこうかと思った」

「……最後なんて、誰も解らねぇよ」

「承知、した」


 88階までまだまだ先は長い。藤次郎とテンペストの身体が悲鳴を上げるのが早いか、それとも日神側が彼らを徹底的に制圧する方が早いか。

 少しの休憩で息を整えた藤次郎は21階へと向かうため、此処より反対側へと向かった。21階から40階までは、今までの位置の反対側に非常階段が設置されているのだ。しかし、20階の中央ホールに出ると妙に沈黙が流れていた。

 この階も、下と同じくカジノフロアであるはずなのに、賑やかな声がなければ華やかな空気が微塵も感じられない。既に一般のゲストは避難した後なのか、それとも……藤次郎に嫌な予感がしたと同時に、何とか生き残っていたテンペストの集音機能が、集まって来る足音を察知した。その数、10、20、30、それ以上――揃いの靴ではなく、スニーカーやブーツやらバラバラの履物の音が、武器の音と共にこちらに集まって来ていたのだ。どう見ても日神セキュリティ等に勤める守護者なんて柄ではない。荒くれ者としか言えない者たちは皆、このエンターテイメントを盛り上げるために引き入れられた賞金稼ぎだった。


「総勢、68名。先日撃退、した者も含まれている」

「何で裏稼業のチンピラご一行様たちがこんなところにいる? 場違いだぞ」

「それはお前もだろ、竜宮。俺たちは、お前の首にかかった賞金が欲しいんだよ!」

「死体でも金は払ってくれるってよ」

「俺の懸賞金ってまだ続いていたの?!」

「と言う訳で、死んでくれ」

「断る!!」


 拳銃にナイフに鈍器、鎖、ついでにボーガンや日本刀、青竜刀まで出て来た。

 死んでくれと言われて、ハイソウデスカと素直に死ぬなんて冗談じゃない。凶器を持った連中に寄って集ってボコボコにされた、が死因なんてまっぴらゴメンだ。

 大振りの得物を手にした奴らが向かって来るのを目にした藤次郎は、警棒に手をかけたが彼の手を制してテンペストが前に出る。右手首から生えている小銃でゴム弾をばら撒き、我が身を盾にして後衛から飛んで来る実弾から藤次郎を守ったのだ。既にボロボロの応急処置を受けたこのボディは、更にボロボロになっても特に問題ないと。そんな事を言っているような行動をとったテンペストは、背後に隠されていた藤次郎に蹴り飛ばされた。


「何を、する」

「俺の盾になるとか、慣れない事してんじゃねぇぞ! テン、お前は先に行け! やるんだろ、覚悟決めたんだろ……! メロウがこの先、本当に笑っていられるようにするためには、お前が何としても生き残れ!」

「……承知、した」

「アンドロイドが逃げるぞ!!」

「お前ら、追って来るな!」


 物理的に硬い尻を叩いて(と言うか蹴飛ばして)テンペストを先行させ、追って来る連中には小さな筒状の何かをご馳走してやる。

 藤次郎が色の濃いサングラスで目を覆ったのと、筒状の何かが床に落ちたのは同時だった。全てを真っ白に染める閃光と共に眼球を串刺しにされたような痛みが襲って来たのだ。


「目があぁぁぁ!!」

「何だ、バルスか!?」

「違う、閃光弾だ!!」

「待て、竜宮ぁ!!」


 最大出力に設定した閃光弾の光は、サングラスをして目を瞑っていた藤次郎の視界も微かにチカチカさせた。この分では、監視カメラ越しでも頭痛・吐き気等の影響が少々出てしまったかもしれないが今は他人に気付かっている場合ではない。

 軒並み目をやられ、悶絶しながらのた打ち回っているチンピラどもを踏んで乗り越えて走る藤次郎だったが、何人かは無事だった。最初からサングラスをかけていたり、怪我なのかファッションなのかは不明だが眼帯を着けている者もいたのだ。

 大分数は削れたが、思った以上の数が残ってしまっている……テンペストに追い付くのは諦め、藤次郎は警棒を握った。無事だった内の1人、スキンヘッドのサングラスがバールのような物で殴りかかって来たので警棒で受け流し、バランスを崩したところで蹴り飛ばして転倒させる。そして逃げる。

 後ろから投げ付けられる柄の悪い怒声を聞き流しながら、我武者羅に脚を動かして非常階段を目指す藤次郎だったが、怪我のせいか歳のせいか直ぐに息が荒くなってしまう。

 それでも速度を緩める事はしなかったのだが、強制的に脚を止められてしまった。藤次郎の前方に並ぶ白い大理石の柱が、ドミノ倒しの如くバタバタと崩れ倒れ始めてしまったのだ。毛足の長い絨毯の上に折り重なった柱が藤次郎の行く手を阻み、目前まで迫っていた非常階段への入り口も塞いでしまったのである。

 犯人は……柱の向こうから出て来た、あの大きな人影だ。


「また会ったな、竜宮ぁ!」

「っ! ゴリラ!」

「ゴリラじゃねーよ!! 佐竹だ!」

「お前まだ俺に付きまとうのか? 邪魔だ、どけ」

「どかねぇよ」

「佐竹さん、加勢しますぜ!」

「みんなで賞金山分けだ!」

「黙れ! てめぇら手ぇ出すんじゃねぇぞ!!」

「何だよ、俺にかかった賞金でバナナでも買うつもりか?」

「いーや、バカンスに行くつもりだ。乙女ママとな」

「ママ、と?」


 藤次郎に追い付いたチンピラどもに釘を刺した佐竹は、両手に嵌めたメリケンサックを親指で撫でながら指を鳴らす。

 先日見た物とは違い、太いスパイクがいくつも生えている殺傷能力が高そうなメリケンサックだ。まさか、あれと腕力でこの柱を殴り倒したと言うのか。もしそうだとしたら、本当にゴリラではないか。

 佐竹はゴリラな見た目だがチンパンジー並みに頭が回る。藤次郎だけを標的に絞り邪魔が入らないようにするため、テンペストが先に上階へ向かったのを確認した後に非常階段への道を塞いだのだ。


「藤次郎、最期に一つ聞かせてもらおう」

「何を? お前のヘソクリを脱出させた時の証拠一覧の保管場所は教えねぇぞ」

「それも知りたいが、今聞きたいのは……乙女ママの事だ」

「はあ」

「お前、乙女ママとどう言う関係だ……!? どんなにおねだりしても、絶対に下の名前で呼んでくれないママが、何でお前だけは「藤次郎」って呼んでいるんだよ!? しかも、時々“ちゃん”付けになるし……! 俺だって、名前は無理でもママのセクシーな声で「佐竹ちゃん♡」って呼んでもらいたいのに!! どんなに口説いても乗ってくれない、いけずなママがお前の話になると凄く嬉しそうに微笑むんだよ。本当にお前とママはどんな関係だ!! もし、もしイイ仲とか言ってみろ。お前の事、何度殺しても殺し足りねぇ!!」

「ママの旦那の元部下だったんだよ」

「へ?」

「ママの旦那の元部下だったんだよ」


 大切な事なので二回言いました。


「……え、ええ、え? ママって、結婚してたの?」

「正確に言えば未亡人。俺は前職で、ママの亡くなった旦那の部下をやっていたって関係だ」

「そうか、ママって未亡人だったのか……だから、あんなにもとんでもない色香を。喪服姿を見たいぜ」

「泡月はコスプレとかやってねぇぞ。で、昔から可愛がってもらっていたってだけだよ」

「いや、でも、ママが結婚していても俺のママへの愛は変わらねぇ。喪服の未亡人、サイコー」

「話聞いてる?」

「でも羨ま……許せねぇ! ママに可愛がってもらうなんて!!」

「あ、聞いてた」

「俺と乙女ママの恋路のためにも、死ねや竜宮ぁぁぁ!!」

「死にたくねぇからどけやゴリラぁぁぁ!!」


 男の嫉妬は見苦しいと言うが、色恋沙汰を孕んだ嫉妬はもっと見苦しい。

 雄叫びを上げながら両者共にぶつかり合おうとする藤次郎と佐竹、背景に効果音を付けるとするならば“うおぉぉぉぉ!!”だろう。そんな彼らの姿は、監視カメラによってノアじゅうのお茶の間等にライブ中継されたのだった。




***




 日神が企画したエンターテイメントは、ノアを楽しむ者たちを覆いに湧かせ、熱狂させた。

 特にギャンブルに参加したものたちの熱は尋常ではなく、自分が賭けた方を応援して時には汚い野次を飛ばし、モニターの向こうで誰かが倒れると歓声が起きる。バベルの内部で行われている一連の出来事は、大雑把な台本の筋書が与えられている本当のエンターテイメントだと思い込んでいる者は大多数だろう。だから、藤次郎とテンペストを指差して、捕まった後は公開処刑とか言って下品な笑い声を立てる事ができるのだ……巨大なスクリーンに彼らの様子が放映されている『泡月』で、脂ぎったオヤジが愉快そうに笑っている。

 横にいる女の子は、隠せない嫌悪感を必死に隠しながら表面上だけはニコニコしていたが、せめてもの嫌がらせにと水割りの焼酎を一滴だけにしてやった。それを受け取って飲んだオヤジは、「やっぱり君の作る水割りは美味いな」と言った。ザマーミロ。


「藤次郎さん、大丈夫なのかしら?」

「ねぇ、ママ」

「どうかしら……あの子、昔っから猪突猛進の無鉄砲なんだから」

「ママ~、ママは、賭けないの?」

「あら、随分酔っているのね。まだ夕方よ」

「良いの、良いの。ノアは、楽しんだ者が勝ちなんだから。それより、ママはあれに賭けた? 私はね、やっぱり日神さんの方に賭けたよ。どうやっても勝てないでしょ、あいつら」


 通常の価格の1.8倍のワインを何本も開けてどんどん流し込んだ細身の男は、乙女ママに入れ込んで定期的に店にやって来る男の1人だ。なみなみと注いだワイングラスを片手に、彼女がいるカウンターまでやって来るとモニターに映る藤次郎とテンペストを嘲笑うように指差した。

 ライブ中継されている映像では、藤次郎が警備員の1人に背後からしがみ付かれて取り押さえられそうになっているところだ。柔道の寝技で捕まってしまうその寸前、思いっ切り頭を上げて警備員の顎に後頭部で頭突きをかまし、そのまま抜け出して全速力で逃げて先に行くテンペストに追い付いた。

 乙女ママは小さく安堵の溜息を吐き、彼女の隣に控えていたお店の女の子たちもお客に聞こえない声量で「良かった」と言い合ったが、警備員側――日神側に賭けていたお客たちは、必死に上階を目指す男とアンドロイドの2人にブーイングを飛ばした。


「くっそ、さっさと捕まれーー! どうせ日神サマには勝てないんだよーったくもう。結構な額を賭けたんだ、勝ってもらわないと困るんだよ」

「……私も、賭けようかしら」

「ママ乗り気になった? 勝ったらもっとボトル入れてあげるよ~」

「あら、じゃあ貴方のボトルは諦めないと」


 細身の客が一気に飲み干してカウンターに叩き付けたワイングラスの中に、日神関連のカジノで使用されているチップを入れた。私は、あの2人に賭ける……妖艶な紅の唇から、凛とした美しい声が零れた。


「あれ、ママってギャンブル初心者? 可愛いね~大穴狙い。こう言うのはね、着実に稼げる方法を……」

「もし、この賭けに負けたら、勝った方の言う事を何でも聞いて差し上げるわ」

「っ、それって本当?!」

「ええ、本当よ。貴方だけはないわ、私が負けたらこのお店にいる方の全員の言う事聞いてあげる」

「ママ!」

「ママ、そんな事言っちゃ駄目よ!」

「乙女ママ! 女に二言はないよな?」

「勿論。お食事だって、旅行だって、一晩一緒に過ごすのだって、何でも好きにして」


 情事の誘いのような色っぽい声で紡がれたその言葉に、『泡月』の男たちは歓喜の悲鳴を上げ、ギャンブルに興味を持っていなかった者まで賭けに参加し始めたのだ。勿論、賭けるのは乙女ママとは逆の日神側。金が増えて、その上高嶺の花である乙女ママまで手に入るなんて一石二鳥とは正にこの事だと思っただろう。

 しかし、乙女ママは負ける気なんて更々ない。藤次郎は、彼女の最も古い記憶に残る猪突猛進で無鉄砲な可愛い藤次郎ちゃんは、やる時はやる男なのだから。それをちょっとだけ応援してあげるだけだ。

 モニターの向こうに展開されるエンターテイメントは、佐竹の登場により藤次郎とゴリラの直接対決へ主軸が置かれる事になる。佐竹も日神側の人間だと字幕が流れ、彼の圧倒的なゴリラ的腕力で藤次郎を追い詰めるその様子が中継されると、再び日神側へと賭ける人間が増えてオッズが変動した。

 もしこれで藤次郎とテンペストたちが勝ち、つまり無事に目的を果たして脱出する事ができたならば、彼らに賭けた者は最初の掛け金の二十倍近い金額を手にしてしまう。可能性は限りなく細く微かに見えるが、本当に当たってしまったら大穴の万馬券どころではない。なけなしの金を注ぎ込んで一発逆転を狙う者や、ほんの少額を賭けて当たったらラッキーと感じる者、様々な思惑が渦巻くノアの内部は混沌とした熱気に溢れていた。


「凄いね藤次郎ちゃん。いろいろ無茶な注文された時は、何をしでかすかと思ったけど……まさか、日神に直接喧嘩売っちゃうなんて。ビックリしたな、ゾーリャ」


 Bar Bestの開店前、アッキーは遅い昼食を取りにちょっと治安の悪い食堂へやって来ていた。店の真ん中に設置されている4Dテレビでは、藤次郎が佐竹の拳を回避し、その拳が壁にめり込んで穴を開けた場面が中継されている。

 自分の店もあんな風にならなくて良かったと思いながら、焼き鮭を解して白米の上に乗せ、隣の彼女へと話しかけた。アッキーの隣に座る彼女――ホッキョクキツネの真っ白な耳と尻尾が生える、女性型の自動人形はアッキーの声に小さく頷いた。ゾーリャと名付けられた彼女は、Bar Bestでウエイトレスをしている狐娘の自動人形の中でも一、二を争うお気に入りだ。


「アッキー、お前は賭けないのか? 賑やかなのは好きだろ」

「ん~……ギャンブルは好きな訳じゃないんだよな。賭け事をする男は嫌いだよな、ゾーリャ」

「相変わらず可愛い顔しているね、ゾーリャちゃんは」

「そりゃどうも。今度店に来てよ、サービスするよ。娘を褒められて嬉しい父親はいないからな~……じゃ、俺も賭けてみようかな。何事も社会体験が必要だ。あの2人組に」


 全財産。

 アッキーがそう呟くと、彼を賭けに誘った男が冗談かと茶化したが、いつもヘラヘラと軽薄な印象しかないアッキーの目がいつもとは違うのを察して瞠目した。冗談ではない?一攫千金を狙ったのか?

 男の怒涛の質問に対しては通常運転の人畜無害を装う笑顔で、人を食ったような適当な返事しかせず、それでも全財産を藤次郎たちに賭けると言う発言の撤回はしなかった。あの2人を知っているのかと言う疑問に関してだけは、その仮面を取り去って、酷く嫌悪感を抱いた声でこう言ったのだった。


「おじさんはね、日神の敵の味方なんだよ。なあ、ゾーリャ……帰りに、お前の好きな蕎麦ボーロを買って帰ろうか」


 そう言って、ゾーリャの頭を撫でたアッキーは、スマートフォン片手に自身の全財産を賭ける手続きをしながら昼食を再開した。

 4Dテレビの向こうでは、相変わらず藤次郎が佐竹相手に頑張っていた。対決が膠着化し始め中々決着が付かず、本人たちの苦労も息切れも知らないギャラリーは流れがグダグダだと怒声を上げ始める。

 だが、もう一つ知っていて欲しい。頑張っているのは藤次郎とテンペストだけではない、弾正姉妹も秘密裏に動いていたのだ。


『早薙、もうちょっと右……そこから、斜め24度右に……そこ! そこがベストポジション』

「はいよ」


 早薙の耳に着いたイヤホンからは、Café de Araignéeで待機している早弓の声が聞こえる。彼女の指示に従って立ち位置を微調整した彼女がいるのは、バベルの周囲に聳え立つ高層ビルの最上階だった。

 意外にも、ノアには100階建てを超える建物がない。最も高い建物であるカジノタワー・バベルでも全長88階建てだ、その理由はやはり都市の全体を覆うドームの存在があるのだろう。あまりにも高層な建物だと、ドームの裏側に映る偽物の空に触れてしまうのだ……この都市の空は、高いのか低いのかよく解らない。

 でも、絶対に本物の空よりは低く、自由なんてない空だ。本物の空ならば、もっと自由に生きて飛んで行けるはずだから。


『未だに悔しいな。バベルのネットワークが内部で独立されたものでなきゃ、私だって援護射撃できたのに!』

「まあまあ、早弓の代わりに私がしっかりと働く……よっ」


 早薙は背中のケースの中から愛銃であるSV-98を取り出して丁寧に組み立てると、照準を頭上にあるドームへと向けた。照準器を覗き込めば、ムカつくぐらいの快晴が広がっていて雲一つない青が目に痛いぐらいだった……その空へ向けて引き金を引けば、発射されたそれは偽物の空に撃ち込まれる。600mもの遠方からの狙撃を得意とする早薙でも、一歩間違えれば狙ったポイントへ狙撃できないほどの距離だったが上手く行った。偽物の空も案外高いらしい。

 彼女たちは藤次郎たちへの協力として、ノアを覆うドームへ特殊な弾丸を撃ち込んでいる。全部で六発。弾道の誤差やビル風による抵抗を計算して正確なポイントを割り出し、そこから狙って位置へと撃ち込むのだが、既に四発を成功させているのは流石一流の狙撃手と言う事だろう。残り二発、なるべく早くやってくれと藤次郎は言ってくれたので急がなければならない。藤次郎のためではない、姉妹が可愛がるメロウのためだ。

 ビルの近くに駐車している愛車のHONDAシャドウで、また別のビルに向かわなければならない。SV-98を解体して収納するため、傍らに置いたケースに手をかけようとした早薙だったが、そのケースに銃弾が撃ち込まれて穴が開いた。敵襲だ。


「お前が、小五月蠅いネズミか」

『早薙?! 今の発砲音?』

「失礼な、梟と蜘蛛だよ」


 嗚呼、浮羽はこちらに回されたのか……ちょっと、派手に動きすぎたかもしれない。サイレンサーを装着したデザートイーグルにモッズコート、その中から覗く犬用の口輪は肋骨を負傷した時以来だった。

 あの時の恐怖は残ってなんかいない、早薙の中に残っているのはこいつに与えられた怪我で休業せざるを得なかった際の借りと文句しかないのだ。


「久し振りだな、浮羽。傷物にした女の事は覚えているか?」

「狩った獲物の顔を覚える犬はいない」

「そうだろうな。でも、狩られた方はしっかり覚えているんだよ!!」


 瞬時に弾丸を入れ替えてSV-98の引き金を引いたが、人間離れした俊敏な動きによって回避されてしまい、反撃された。屋上に設置されている貯水タンクの陰に転がる事によって命中には至らなかった早薙だったが、重量のあるスナイパーライフルでは機動力の高い浮羽を相手にするには随分と相性が悪い。

 それでも、必死で抵抗しなければ以前の二の舞になるだろう……もしかしたら、今度は肋骨だけでは済まないかもしれない。


『ヤバいね、まさか私たちが浮羽とエンカウントしちゃうなんて』

「本当に、とんでもない賭けに乗っちゃったな。報酬の上乗せ頼むよ、藤次郎!」


 どうせ、あいつにとって居場所の特定は造作もない事だ。ならば、コソコソ隠れずに真正面から相手をしてやろう。

 日神の犬っころ。




***




 佐竹の野郎は、ゴリラな見た目だがチンパンジー並みに頭が回る奴だと評したが、若干撤回しよう……やっぱりこいつはゴリラだった。

 メリケンサックを装着しただけの拳で壁に穴を開け、藤次郎が避けた拳が倒れた大理石の柱に命中すると再び破壊され破片が飛ぶ。それを利用して、非常階段の入口を塞ぐ柱を破壊してもらおうと誘導してみたら、勘付かれて逆に追い詰められたのでただ脳筋ではない事は認めなければならない。

 何の策もなしにゴリラと真正面から物理的にやりあっても、ただの人間は太刀打ちできるはずはない。しかも、藤次郎はただでさえ負傷しているのだ。


「安心しろ竜宮! ママが悲しんだら、俺がそっと抱き締めてやるからよぉ!」

「お前が抱き締めたらママの背骨が折れるだろうがこのゴリラが!!」


 が、策を練っている暇もない……こっちは、一刻も早く最上階へと向かわなければならないのだ。真正面から突っ込んで来た藤次郎に、佐竹の拳が突き刺さった。しかも、縫合手術をして1日も経っていない腹部へとスパイクが盛りだくさんのメリケンサックが埋め込まれ、彼の腹からはメキメキメキ!と言う、破壊音が聞こえて来たのだ。

 硬いナニかを砕く手応えがあった、これで賞金も乙女ママも自分のものだと佐竹は思っただろう……だが、一瞬の油断が判断を鈍らせる。殴られた藤次郎は、その場で必死に足を着けて踏ん張ったために吹っ飛ぶ事はなく、懐から抜いたSAKURAの銃口を佐竹の眉間に向けていたのだ。

 頭部への攻撃の気配に、頭を守ろうと佐竹の腕は反射的にそちらをガードしてしまう。頭では解っていたのに、藤次郎のSAKURAの一発目は必ず威嚇用の空砲が装填されていると言う事を知っていたはずなのに、弾丸が飛び出て来ない発砲音が一瞬の隙を作り出したのだ。空砲を発射したばかりの9mm口径が佐竹の左胸に押し付けて引き金に指をかけると、四発の連続した発砲音が響き、佐竹の身体がその場にズルズルと倒れ込んだのだ。


「が、はっ……お、ま、え……! この後に及んで、空砲、使いやがって……!」

「はぁ、は……ゴム弾でも、近距離射撃されりゃぁ防弾チョッキでも痛いだろ。心臓の真上にやられたら、尚更だ……はっ」


 佐竹の拳に突き刺さった藤次郎の服の下から、たくさんのヒビが走って中央にはぽっかりと穴が開いたタブレット端末が落ちて来て粉々になってしまった。タブレット端末を急所に仕込んでおけば、下手な防弾チョッキよりも己の身体を守ってくれると言う事実を覚えておかなくてはならない……また、メロウに助けられてしまった。

 悶絶する佐竹は置いて行き、奴がやられた事により怖気付いて逃げ出したチンピラどもは放って置こう。どうにかして、非常階段以外の最上階へ向かうルートを確保しなくてはならない。

 息を徐々に整えながら一発の空砲と四発のゴム弾をSAKURAに装填した藤次郎だったが、背後に近付く足尾へ再び銃を向けた。


「……随分ボロボロだな、竜宮」

「片桐、さん」


 遂に、片桐が率いる黄金隊が本格参戦して来たのだ。SAKURAの銃口を向けられる片桐に、藤次郎に5.56mm小銃を向けて取り囲む隊員たち。

 今の状況で、彼らを相手にして逃げ果せる可能性は限りなく低いし、そもそも藤次郎の身体が持つかどうかも解らない。上手く彼らから逃げ出せても、まだまだ60階以上階段を登らなければならないのだ。


「こんな時でも、SAKURAの一発目は威嚇用の空砲を装填するんだな」

「こいつの一発目は威嚇じゃない、一発目の空砲は……俺の理性だ」

「……」


 五発しか撃つ事のできない9mm口径の小さなリボルバーに、片桐は懐かしそうな眼差しを向けた。

 片桐だけではなく、この場の黄金隊の隊員たちも藤次郎の最初の一発は空砲だと解っているので、彼が空砲を撃って次のゴム弾が弾かれる前に取り押さえればこちらの勝ち。1人でこれだけの人数を相手にする気力なんて残っていないはずだ。

 藤次郎は片桐の指示の動きを観察し、隊員たちは片桐の指示で一斉に動き出す……その場のほとんどの人間の意識が隊長へと集中したが、当の隊長がした動きと言うのはこちらに視線を向けている半球型の監視カメラに銃弾を撃ち込んで破壊する事だった。

 藤次郎も隊員たちも呆気に取られる中、銃をしまった片桐は一枚のカードを藤次郎の足元へ滑らせたのだ。


「?」

「そのカードを使えば、警備用のエレベーターが使用できる。直通ではないが、最上階まで行ける。外部から妨害される心配もない」

「片桐、さん……?」

「罠じゃない。エレベーターは西側の11ブロックにある……行け、竜宮。私たちは、お前らを発見できなかった事にする」

「っ!?」


 足元のカードを拾った藤次郎は、片桐へ深く頭を下げると直ぐに西側のエレベーターへ向かってしまった。

 侵入者を見逃しただけではなく最上階への手引きをしてしまったなんて、会社やオーナーに発覚してしまったら懲戒どころの話ではないな。一家路頭に迷ってしまったらどうしようと呟いた片桐だったが、その顔は不思議と晴れやかな物である事に隣の隊員を気付いてしまっていた。


「すいませんでした。みんなを巻き込んでしまって」

「いえ、俺たちの隊長は片桐さんです。俺たちは片桐さんに従います」

「……ありがとう」

「しかし片桐さん、何故奴を?」

「さあ、何故でしょうか……不思議と、彼にはチンパンジーを感じてしまったからでしょうか」

「……」

「……片桐さん、それってシンパシーの間違いじゃ」

「……ああ、シンパシーね。シンパシーを感じたんですよ、チンパンジーじゃなくて」




***




 パイプオルガンだ……美寧子に手錠を嵌められて、バベルの88階から続く屋上リポートへ連れて来られたメロウがそれを目にした時、そんな感想が頭に過った。かつて、家族で観に行ったクラシックコンサートで圧倒的な存在感を放っていたパイプオルガン。だけど、手鍵盤も脚鍵盤もない。

 ただ、パイプオルガンを連想させる長くキラキラした光を宿した金色の円柱が、屋上の全てを占拠するように展開されていたその景色は、人工的な太陽に照らされた円柱がキラキラと光の粒子を零して綺麗だと感じたが、規則的に並びながらドームの天井へと伸びるその光景は不気味にも見えた。

 きっと、あの円柱からはパイプオルガンのような音はしないだろう。だって、あれは……それらの正体に気付いたメロウを出迎えたのは、屋上の中心点で楽しそうに取り囲む円柱を眺めていた男――日神豊、その者だった。


「久し振りだね、メロウ・愛神。随分と大きくなって。最後に会ったのは君が幼い頃だったなぁ」

「……っ」

「おっと、舌を噛む気かい? 自分の声でこのゴルトが発動するくらいなら、自ら生命を絶とうと言うのか……強いお嬢さんだな」


 幼少期に可愛がってもらっていた、両親の知人と久し振りに会った。そんな再会でも演出するかのように両手を広げてメロウの前へとやって来た日神に、彼女は舌を出してそれを白い前歯で挟んでやった。声は渡さない、両親が造り出してしまった兵器――ゴルトは、絶対に発動させやしないと言う彼女の意志をそうやって告げたメロウだったが、日神は愉悦そうに微笑みながら彼女の頬を叩いたのだ。

 その衝撃で本当に舌を噛んでしまった、幸いにも血は出なかったがメロウの身体はコンクリートの上に投げ出されてしまい、叩かれた左頬は熱を持ち始めてじくじくと痛み出す。無理矢理にでも、メロウに声を出させるつもりだ。


「軽々しく、自殺なんて考えちゃあいけないよ。どんな哀しい理由があっても、どんな辛い境遇でも自分で生命を絶ってしまったらその時点で負け犬だ」

「……、……」

「私も昔、貧しさに耐えかねて自殺しようと思った事があったよ。これで楽になれると思ったら、死が救いになると勘違いしていたんだ。貧しいまま自殺したら、あいつは貧乏人だから自殺しか出来なかったと言われて後ろ指を差され、貧乏な身の上に産まれて可哀相にと憐みを注がれただろうな……死んでも尚、私は弱い存在のままだと認識され続けたはずだ」

「……っ」

「だから這い上がった。死ぬなら、貧乏から努力してメトロポリスの支配者にまで登り詰めた成功者として、死にたいと思ったからだ。だからこうして、このノアで最も高い場所で奴らを見下している……そしてこれからは、ノアの外の奴らも私の下で這い蹲る。電気を下さい、インターネットを下さいと、縋る奴らを鼻で笑う事ができる」

「……!?」

「だから、二度と私の前で自殺なんて考えるな。あの時の弱かった自分を思い出して、反吐が出る」


 メロウの髪を掴んで顔を持ち上げ、怒りで顔を歪ませた日神は彼女の身体を再びコンクリートの上に放り投げた。丈の短いワンピールから覗く膝は既に擦り切れて出血し、ノースリーブの剥き出しの肩も赤く腫れ始める。

 軽々しく自殺なんて考えてはいけない、日神の地雷を踏んでカミサマの機嫌を損ねてしまうから。


「さあ、早く可愛い声を出しておくれ。一言だけで良いんだ。君の一言で、このゴルトは全世界に全世界に金色の光を放射する。そうすれば、全世界の都市機能は消失しノアだけが“都市”になる。悲鳴でも構わないよ、なんなら嬌声だって良い……どんなに嫌がっても、鳴かせてみせよう」






 To Be Continued……



***




【登場人物】

その①

竜宮藤次郎

・逃げたい人も金も物品も脱出させる『逃がし屋』

・ギリギリ20代だが、老け顔のためにオッサン呼ばわりされる事が多々ある

・趣味と実益を兼ねて料理に手を出してみたら以外と上手く行って美味い物が作れるようになった。圧力釜の扱いに長けている

・ラーメンは味噌派

・愛車は数か月前に買い替えた中古のBMW(偽装ナンバー)

・愛銃はM360J(通称・SAKURA)

・某レシピ投稿サイトには会員登録済み

・ゴマ油ばら撒き逃走により、手に香ばしい匂いが残ってしまった

・診断:肋骨四本半骨折、右肺損傷、全治4か月

・新たな装備は背中の荷物だけ←NEW


その②

メロウ・愛神

・声を出してしまったら世界が終わる系女子、絶賛逃亡の身……のはず

・16歳の割には幼なく、ちょっと世間知らずなところがある箱入りのお嬢様

・声は出さないが顔に感情がよく出る。特に「美味しい」と言う感情は思いっ切り出て来る

・ラーメンを食べた事がないくらいには箱入り娘

・電撃の弾丸を発射できるデリンジャー型のスタンガンを所持

・清楚系のガーリーファッションが通常スタイル

・卵を割った事はなかったが、包丁を握った事はある……

・カップラーメンを初体験しました

・「さようなら」「ありがとう」

・下着等のアメニティまで姫系が揃っていて、正直引いた←NEW


その③

テンペスト

・自己学習人工知能搭載型自動人形、早い話が高スペックのAIのアンドロイド

・一にお嬢様、二にお嬢様、三四がお嬢様で五がお嬢様

・メロウを守るための武装とプログラムを施されているが、メロウを優先しすぎてどこかズレてる成長途中のへっぽこAIを搭載

・ボディのエネルギーはエコ設計

・何馬力あるのかは言えないが、少なくとも狸に間違われる某青いロボットよりは上

・音は重要です

・目に望遠機能は搭載されているが、透視機能はありません

・お嬢様のためならタイマーにもなります

・診断:両腕切断、顔面半壊、頭部パーツ破損、ボディの再起動不可

・顔の破損を隠すのは眼帯か包帯かで揉めた(外野が)←NEW


その他

・濃い

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る