05 Kitchen

 気付いたら既に太陽が空色のスクリーンの天辺までやって来て、そこからゆっくりと西側に傾いてしまっていた。

 時刻はランチタイムの終了間際でティータイムに近い時間帯、高級ブランドや有名企業のショッピングバッグを手にしている道行く人々は、全世界的なチェーン店のファストフードで手早く済ませたのか、それとも三ツ星のレストランで優雅なランチタイムでも過ごしたのか。

 この後は、砂糖以上の糖度を誇るとか言う季節のフルーツが乗ったタルトをお供に、オリジナルブレンドのコーヒーや紅茶を楽しむのだろうな~とか思いながら、藤次郎は今朝のおにぎりの残りを齧っていた。ちなみに、中身は昆布である。

 洋服に着物、アクセサリー類等のファッション系統の店舗と、電化製品やパソコン、その他の家具等の家電・インテリア系統の店舗の密集地帯の県境に位置する公園のベンチの一つに、藤次郎とテンペストが並んで座っていた。

 中央にある白い噴水は、奇数時間になるとパステルカラーのライトを伴った噴射パターンの切り替えが行われる。先ほど、イエローのライトが混ざった水がその切り替えを行ったので、現在の時刻は午後3時を過ぎたところだろう。通りでお腹が空く訳である。


「……結局、話に乗って来たのはアッキーだけか。乙女ママもIIアイアイも、神木サカキさえも返事がない。乙女ママは乗って来てくれると思ったが」

「本当に、お前に任せて大丈夫なのか」

「そんな事言っても、もう途中下車はできないぞ。そして今更だが、指名手配された事は素直に謝ろう。ゴメンね。まさかこんなにも襲撃を受けるなんて、思っていなかった」


 そう、このベンチに落ち着くまでに、佐竹と愉快なチンピラどもを含めれば四回も懸賞金目当ての連中に襲撃を受けてしまったのである。Bar Bestから出た後に下町で二回、噴水公園の西側にある巨大な家電量販店の裏で一回と押し寄せて来たのだが、正当防衛と言う事で重傷にならない程度にボコボコにしてからお帰り頂いた。その襲撃の相手をするのに時間がかかってしまい、ランチタイムも終了してしまったこの時間にやっとおにぎりにあり付けたのである。

 食糧にと持って来たおにぎりを三つほど平らげ、自動販売機で購入したほうじ茶で流し込んだ藤次郎の隣で、テンペストも足元の地熱からエネルギーを取り入れて充電に入っていた。彼曰く、ノアのドームに映る人工的な太陽光ではチャージまで時間がかかるのであまり取り入れたくはないらしい。純粋な太陽光が恋しいと、無機物な目を嵌め込んだ無表情でそう言った。


「藤次郎。先ほどのような奴ら、奴らは、お嬢様の脱出の障害になるのか」

「さっきの三組はともかく、佐竹は一筋縄じゃ行かないかもしれねぇ。あいつ、顔はゴリラだが頭はチンパンジー並みに回る奴だ……それに、何故か俺の事を目の敵にしやがるし」


 理由は解らないがいちいち突っかかって来るゴリラの邪魔が入らない内に、メロウを脱出させるのが賢明だろう。アッキーに依頼した商品の入荷と、脱出のための足掛かりになる搬入トラックの運転手との連絡が取れ次第、実行に移さなければならない。

 頭の中であれやこれやを整理しながら、残りのほうじ茶を飲み干そうとしてペットボトルを傾けたら、ゴクゴクと咽喉を鳴らしているタイミングで隣のテンペストがど突いて来た。ほうじ茶が気管に入り込んで盛大に噎せ込んだが、テンペストの手は止まらず藤次郎の脇腹に攻撃し続けていた。


「ねぇテン君?! 何すんの、俺に文句でもあんの!」

「藤次郎、あちらだ」

「っげほ……ん、何だよ、あちらって」

「あの女、日神豊の第一秘書、杉原スギハラ美寧子ミネコだ」

「っ!?」




05 Kitchen




 どうやら、肩を叩いて呼び止めるのと同じ意味で脇腹をど突いたらしい……力加減がよく解らなかったと言い訳は、一応聞いておいてやろう。未だに噎せ返る藤次郎がテンペストの視線の先を見やると、彼らがいる噴水公園の斜め向かいにあるコーヒーショップへ、1人の若い女性が入って行った。

 背が低く小柄であるが、白いストライプが入ったスーツをパリっと着込んでローヒールのパンプスを軽快に鳴らして機敏に歩くその様は、仕事のできるやり手の女性をイメージさせる。否、ただのイメージだけではなく実際には優秀な秘書だろう。でなければ、一つの地域を国家のような大都市にまで成長させた日神の側近とも言うべく第一秘書に席に、まだ若い彼女が座る事はできないのだから。


「彼女は、創造主夫妻への連絡係として、愛神家に出入りしていた」

「“事情”を知っている連中の1人か。テン、お前の目にズーム機能とかは……」

「搭載されている」

「よし、やれ」


 彼女が入って行ったコーヒーショップは、店舗の7割がガラス張りとなっているのが幸いした。人工的な鉱物でできたテンペストの瞳がズーム機能を作動させると、レジカウンターでドリンクを注文する美寧子の姿をはっきり捉え、喫煙席近くの奥まった席に向かう彼女の背中を追った。


「季節限定、キャラメルマカダミアナッツクリームラテ・メイプルハニーソーストッピングを購入。端末を取り出し、何やら操作している……駄目だ」

「どうした?」

「彼女の前の席に、客が座った。姿が隠れた」

「透視機能と集音機能は?」

「搭載されていない」

「他に何か気付いて点はあるか?」

「手にした端末は、就業用ではないと思われる。日神の系列企業では全て、自社のエンブレムの入った、指定の機種が使用されている。杉原美寧子が手にしていたのは、個人が所有している、他社製の物と思われる」

「了解。店に入って彼女に近付くのはリスクが高すぎるか。少しでも日神側の情報が手に入れば、もうちょっと脱出の安全性を確保できるんだが……」

「……」


 依然としてテンペストには美寧子の姿が映らない。彼女の前には4人組のマダムたちが座り、ショッピングの戦利品を見せ合いながらかなりの音量を出していると思われる口を忙しなく動かしながらお喋りに精を出していて、もう1時間は席を立つ気配がないのだ。

 マダムの1人がスマートフォンに映した柴犬の動画ははっきりと見えるが、見たいのはそれじゃない。後ろ足だけで20mを完走した柴犬の動画は、犬好きの感覚から見れば可愛らしいがテンペストにはどうでも良いのである。

 藤次郎は美寧子から日神側の情報を探ろうとしたらしく、少し苦々しい表情で残りのほうじ茶を飲み干した。

 この時、テンペストのAIが微かに動いて人間で言う思案と疑問が浮かび上がった……竜宮藤次郎と言う人間は、兵器に関する情報は欲しくはないのか?と。

 メロウの声を鍵として発動する電気機器の無効化兵器は、この時代の驚異になると同時に各国の軍事組織が咽喉から手が出るほど欲しい技術だ。僅かな情報が国家を相手取って立ち回れるほどの質量を持つし、実際にその兵器の情報を取引材料としてメロウの亡命に漕ぎ付けている。

 だけど、テンペストの隣に座る男は自身の仕事――メロウをノアから逃がす事しか考えていなかった。


「藤次郎」

「何だ?」

「お前は、兵器の情報が欲しくない、のか?」

「いらない」

「そうか」


 そんなモン、料理の材料にもならねぇし~と呟いた藤次郎は、空になったほうじ茶のペットボトルを近くのゴミ箱に投げ入れたが、縁に当たって入らなかったので結局それを拾って普通にゴミ箱に捨てた。

 彼の言葉が本音か建て前かは解らない……しかし、外観からスキャンした体温や脈拍、心音には特に異変が見られないので嘘を吐いている訳ではないだろう。『逃がし屋』としてメロウ・愛神と言う依頼人をしっかりとノアから脱出させる事に尽力するのであれば、もっと言えばメロウに危害を加えずに彼女の安全が保障されれば、この男が何を腹に抱えていようがテンペストには関係ないのである。


「今日はもう、弾正姉妹のところに引っ込んだ方が良いかもしれねぇな。ゴリラの群れに襲われるのはゴメンだ」

「私も、本日の消費分のエネルギーはチャージできた。あの姉妹の傍にいる、お嬢様が心配だ」

「よし、帰ろう」

「帰ろう」


 と言う訳で、メロウが待つCafé de Araignéeに帰る事にした。この場合、お邪魔して匿ってもらっている立場なので帰ると言うのはちょっとおかしい表現かもしれないけれど。

 しかし、気軽に「帰る」と行ってもそう簡単に直帰する事もできない。ノアのあちこちらに設置されている監視カメラの視界に入らないように注意を払い、交通整理や巡回業務に精を出している警備の目を掻い潜りながら、ついでに懸賞金目当ての輩にも注意を払わなければならないのである。

 結局、監視カメラの迂回ルートを通って酷く遠回りをしてしまったため、藤次郎とテンペストがCafé de Araignéeに戻って来た時は、ドームのスクリーンが黄昏色に変化しかけている頃であった。


「お嬢様、ただいま戻りました。顔色・良好。体温・平熱。脈拍・正常。ご無事で安心しました」

『お帰りなさいテンペスト、藤次郎さん』

「どうだ、あいつらにセクハラはされなかったか?」

『いいえ。早弓さんも早薙さんもとても良くして下さいました』

「やあ藤次郎、そちらの収穫はどうかね? ちなみにこっちは、少し前まではデマの拡散で黄金隊が爆釣だったけど、勘付かれてみたいで釣られなくなっちゃった」

「大方、片桐さんに気付かれたんだろう。情報工作、どうもありがとう」

「どういたしまして」

「早薙はどうした?」

「買い物だよ。今日の夕飯は、オムライスに決まったからね~……と言う事で藤次郎、よろしく」

「はぁ?」


 メロウと共に蜘蛛の観察に精を出していた早弓が、サムズアップと共に藤次郎にそう告げた。そして、タイミング良く両手にエコバッグを持った早薙が帰って来ると、そのエコバッグを藤次郎に押し付けて姉と同じ笑顔でサムズアップをしたのだ。

 今日の夕飯はオムライス……つまり、藤次郎に作れと言っているのである、このエコバッグの中の食材で。鶏モモ肉が入っているから、きちんとチキンライスも作れと言う事か。


「何で俺が?!」

「匿ってやっているんだから、労働力ぐらい提供しなよ」

「そうだよ。メロウちゃんもオムライスが良いって言っていたんだぞ」

「っ!」

「藤次郎の料理が悪くないってのは、よく聞く話だからね~」

「この機会に、その腕前を拝んでおこうかと思って~」

「……拒否権は?」

「「ない」」

「……」


 全く同じの良い笑顔でそう言われ、反論する気力も失せてしまった。まあ、オムライスを作って寝床を確保できるのならば安い労働力の出費である。

 カフェの厨房を使わせてもらおう。梟のキャラクターが刺繍されたエコバッグを手にしてそちらへ向かった藤次郎からは、「しょうがねぇな」と言う呟きと共に溜め息が漏れたのだった。


「卵はふわとろのタンポポオムタイプが良いな」

「ケチャップで梟描いてね」

「ケチャップぐらい自分でやれ!!」


 と言う訳で、本日の夕飯は藤次郎によるオムラスになりました。

 エコバッグの中から出て来た食材は、鶏モモ肉に玉ネギ、冷凍食品のミックスベジタブルに卵Lサイズ十個入り、そしてケチャップ。残っているケチャップも使い切ってくれと、三分の一ほど残っているケチャップを冷蔵庫から取り出した早薙は、梟のワンポイントが付いたエプロンと共にそれを藤次郎に手渡した。

 他、『家庭用』とステッカーが貼られた冷蔵庫の中身なら自由に使っても良いらしい。大きめの業務用冷蔵庫は、カフェで提供するメニューの食材が入っているので触るなとの事。と言っても、『家庭用』の中には中途半場に残った野菜しか入っていなかった。


「さて、どうするか……フライパンでチキンライス炒めたら、洗い物が出て面倒なんだよな」


 律儀に梟のエプロンを着込んだ藤次郎は、後片付けもどうせ自分がやる事になるだろうと予想し失礼にならない程度で手抜きをする事に決めた。

 ミックスベジタブルを流水に浸して解凍している間に、玉ネギを細かく切って鶏モモ肉は一口サイズに。少し前まで、料理を趣味として取り組み始めた当初は、玉ネギが目に染みて悶絶していたが今では慣れたものである。鶏モモ肉と玉ネギの下ごしらえを終えてミックスベジタブルを確認してみると、程よく解凍できていたのでこれでチキンライスの準備は完了だ。

 オムライスだけでは寂しいのでもう一品作ろう。『家庭用』の冷蔵庫からキャベツやシメジ、その他中途半端に残っている野菜を取り出してザク切りにし、水と固形のコンソメと共にスープ鍋に放り込んでグツグツ煮る。これだけで、野菜が柔らかくなったらコンソメスープの完成である。

 オムライスの工程に戻ろう。フライパンを熱して油を敷き、鶏モモ肉を投入。両面が焼き上がったタイミングで塩を振り、玉ネギとミックスベジタブルをフライパンの中で合流させる。コンロを弱火にして焦がさないように具材炒めて、野菜に火が通ったら塩と胡椒で軽く味を付けておく。そして、炊飯器の中のご飯を大きめのボウルに移したらフライパンの中身をご飯に混ぜ込み、ケチャップを加えて全体が均一に馴染むまでしゃもじ片手にひたすら混ぜるのだ。


「ネットのレシピ投稿って便利だよな、手抜きしても美味く作れるって証明してくれるんだから」

「藤次郎」

「どうした、テン? 今は取り込み中だ」

「お嬢様が、料理を手伝いたいとおっしゃっている」

「手伝い?」

『はい』


 邪魔にならないように髪をアップに上げて、白いレースと薄桃色のリボンがふんだんに使われた随分と可愛らしいガーリーなエプロンを身に着けたメロウが、テンペストに促されて厨房にやって来た。

 そのエプロン、絶対に弾正姉妹の趣味だろ……いや、メイド服を嬉々として渡して来るよりマシか。


『お手伝いする事はありませんか?』

「手伝い、ねぇ……あーじゃあ、卵をボウルに割ってもらえないか? 二個割ってくれ」

『はい』


 母親にお手伝いを頼まれた幼児が、目をキラキラさせて張り切っている。一生懸命首を縦に振るメロウの姿がその光景と重なって見えた。

 手にした端末をテンペストに預けて手を洗ったメロウは、ステンレス製の小振りなボウルとその隣に置かれた卵Lサイズ十個パックと向き合った。卵の割り方と言えば、机等の平面に叩き付けてヒビを入れてからそのヒビに指をかけて割る……と言うのが、一般的である。藤次郎も、ほぼ条件反射のようにその手順で卵を割る。

 当然メロウもそうすると思って、具材とご飯とケチャップを混ぜ合わせる作業に取り組んでいたのだが、「パカっ」ではなく「グシャ!」と言う音がしたので慌てて振り返ってみると、粉々になった卵と茫然としたメロウがそこにいた。卵はかろうじてボウルの中に着地をしていたが、黄身は割れてぐしゃぐしゃで白身は調理台に飛び散り白い殻の破片が大量に混入している。茫然とした表情のメロウがハっと我に返り、卵をもう一個手にしてもう一度トライしようとしていたのだが……調理台の角に卵を叩き付けてできた深いヒビに指をかけるのではなく、両の掌で卵を押し割ろうとしている場面で堪らずストップをかけた。


「もしかして……卵、割った事ないのか?」

「っ! ………!」

「いや、割った事ないだろう」

「……」

「白状しろ」

「……」


 メロウの背後に、「図星」と言う巨大な言葉がはっきりとした明朝体で出現したような気がしたが、彼女が目線を逸らした後にぶんぶんと首を横に振った。

 いくら箱入りのお嬢様でも卵ぐらい割った事があると言いたいのだろうが、ラーメンも知らない箱入りが卵だけ割った事があるなんて話、ある訳ないだろう。問い質してみると、顔を真っ赤に染めて居心地が悪そうに小さくこくりと頷き、そのままテンペストの後ろに隠れてしまったのだ。

 この様子では、卵を割った事もなければキッチンに立った事もないのかもしれない。


『ごめんなさい。テレビで卵を割る場面は観た事がありますが、料理をした事がありません』

「やっぱりか! 良いか、卵はな、角じゃなくて平面でヒビを入れるんだ。そして、ヒビに指をかけて……こうだ」


 メロウが角にぶつけて、今にも崩壊しそうになっている卵をゆっくりとボウルに割り入れると、丸々とした橙色の黄身が割れないで落ちて来て、その手際の良さを彼女は興味深そうに見詰め小さく拍手をした。

 まさか卵を一個割っただけで拍手をされるとは思っていなかったが、こんな風に憧憬のような眼差しを向けられたら悪い気はしない。

 テンペストの後ろにいるメロウを手招きすると、別のボウルを用意して三個目の卵を手渡した。


「ほら、平面でコンコンって叩いてヒビを入れて」

「……っ」

「で、ヒビに両手の親指をかけて……」

「っ!」

「おめでとうございます、お嬢様」


 丁寧にレクチャーしてゆっくりと取り組めば、見事に一発で上手に卵を割る事ができたのである。成功した事が随分と嬉しかったらしい、ボウルを手に取ったメロウは何度も角度を変えながら中の卵を愛おしそうに眺めていた。

 そんな彼女の行動に、まだ藤次郎の中に芽生えていないはずの父性愛だか母性愛のような感情が込み上げて来てしまった……まだ、まだギリギリ20代だし、子供もいないはずなのに。それに彼女はもう16歳だ。時々、一挙一動が無邪気で幼いと言っても父性愛を感じるような歳の差でもないのである。

 んな馬鹿な、と思いながらさっさとオムとライスを合体させて完成させてしまおうと、藤次郎は冷蔵庫から牛乳とバターを取り出した。


『ごめんなさい。失敗してしまって』

「卵の事か? 殻を取り除けば食えるから大丈夫だろ」

『藤次郎さんにばかりご馳走になっていて、申し訳なくなりまして』

「それで、お手伝いか。無理してできない事をやろうとするな、知らなかったら教えてやるから」

『はい』

「でもまあ、未知の世界に飛び込もうとする好奇心と勇気は凄いな」

「……」

「そもそも、『逃がし屋』に頼って此処まで乗り込んで来たんだから、度胸が据わっているよ」


 具材とケチャップを混ぜ合わせたチキンライスをラグビーボール型にして皿に盛って準備は完了。バターをたっぷり溶かしたフライパンに少量の牛乳を混ぜた卵を流し入れると、甘く香ばしい匂いが立ち込めた。半熟になるように強火で一気に加熱してかき混ぜて素早くオムレツを作り、チキンライスの上に乗せてオムレツを切り開くと……良い具合に火が通ったトロトロの卵が顔を出して赤いチキンライスを覆い尽くしたのだ。後はケチャップで梟でも蜘蛛でもハートマークでも描けば、弾正姉妹のリクエストであるタンポポオムライスの完成である。

 そして、隣のコンロで煮込んでいたコンソメスープもそろそろ出来上がるだろう。ザグ切りにした中途半端な野菜たちは柔らかく煮込まれ、スープにはそれらの甘味も滲み出ていたがちょっと味が薄かったので醤油を入れてみる。コンソメと醤油が上手い具合に手を組んで良い仕事をしてくれた。

 我ながら、今日の夕飯は上出来ではないかと内心自画自賛してしまうほどの完成度である。


「メロウ、好きなだけかけろ」

「……」


 新品のケチャップを受け取って小さく頷いたメロウの表情に、微かな影が滲み出ていたのは……直ぐ隣で再び卵を半熟にする作業に戻った藤次郎は、気付いていなかった。




***




 光を落して闇色に切り替えられたドームの空に、連日のように花火が上がる。遊園地のパレードのクライマックスを締めくくる花火の乱舞は、昨夜とは少し違うバリエーションで打ち上げられた。上は火薬の彩りで、下はネオンの光りで満たされたドームと言う名のキャンバスには“静寂”と言う色が描かれた事はない……眠らない賑やかな都市はそれはそれは楽しいだろう。

 だけど、連日連夜その賑わいを目にしてしまったら、やっぱりちょっと疲れるのだ。だからテレビのチャンネルを変えようと、藤次郎は作業の片手間にリモコンを手に取った。

 遊園地のパレードのLIVE中継を放送しているノアのローカルテレビのチャンネルは、この都市内で何が起きているかをリアルタイムで把握できて重宝しているのだが、やはり毎日のように観るものではない。そのままチャンネルをザッピングしてみるが、特に目ぼしい番組もないので公共放送のお固いニュース番組をBGM代わりにして作業に戻る。

 弾正姉妹が一枚の毛布と共に藤次郎に宛がった部屋は、26インチのテレビが置かれた従業員の休憩室だった。驚く事に、このカフェには姉妹以外の従業員が何名か在籍しているのだ。しかも、早弓に負けず劣らずの蜘蛛好きらしく、「類は友を呼ぶ」とは正にこの事である……ちょっと違うか。

 ロッカーが設置された休憩室のフローリングの床に細やかな部品を広げて、藤次郎は愛銃の手入れをしていた。

 しっくりと掌に収まるSAKURAとの付き合いは長い。彼の相棒が登場せずに穏便に仕事が終了するのが理想であるが、いざと言う時のために手入れは欠かさずいつでも引き金を引けるようにしている。一発目には威嚇用の空砲を、残りの四発にはゴム弾を装填してグリップの状態を確認すれば手入れは終わりだ。ついでに、補充用の弾丸の数を確認しておこうとしたところで、休憩室のドアが控え目にノックされた。


「……はい?」

「……」

「返事がないって事は、メロウか?」


 その問いかけに返すように、コンコンと二回ドアがノックされた。藤次郎がドアを開けると、そこにいたのは確かにメロウであった。隣にテンペストがおらず、1人だけでこの夜中に藤次郎を訪ねて来たようである。

 ちなみに、弾正姉妹はセミダブルベッドを彼女へ明け渡していた……何だ、この差は。


「テンはいないのか?」

『はい。お手洗いに行くと言って出て来ました』

「夜中に、若い女の子が男の部屋を訪ねるもんじゃねぇぞ。こんな……あー、オッサンでもさ」

「……」

「……何か、“言いたい”事があるのか?」

『ごめんなさい』

「っ!」


 ペンタブレットで書き出されたメロウの“言葉”は、少し揺れた字でサイズも小さかった。

 何の前振りもなく謝罪の言葉を絞り出したメロウだったが、タブレットの画面に次々と綴られるそれに藤次郎は言葉を失い、そして理解した。メロウが内に秘めていた、燻りを。


『私の声が、両親の造り出した兵器を起動させる鍵と知って、私は決して声を出さないと決めました。私が声を出せば世界中が大混乱に陥る。全てが日神の思い通りになってしまうと思ったからです』

「そうだ。現にお前は、悲鳴すらも上げなかった」

『でも、本当にそう思うなら咽喉を潰せば良い。声を出せなくすれば良いのに』

「……」

『私、できなかった。初めて1人でキッチンに立って、包丁を持って来たんです。それで咽喉を潰そうとしました。声が出なくなれば良い、私の声が出なくなるだけで最悪の未来が回避できるなら、手元が狂って死んでも構わないって。そう思って首に包丁を突き立てようとしました』

「……」

『でも、できなかったんです。怖かったから。覚悟したはずなのに、できなかった。怖くてふるえて、包丁を落しました。テンペストが私を見付けて包丁を折って、安心したんです、ほっとしたんです。私、強くなんかない。勇気もない。ただおくびょうなだけです。私の声が出なくなれば、こんな事にはなっていなかった。藤次郎さんには頼らなかった、早弓さんと早薙さんにも他の人たちにもたよらなかった。とうじろうさんが料理を作ってくれて、さゆみさんとさなぎさんがやさしくしてくれると、どうしようもなく申し訳なくなるんです。テンペストにもめいわくをかけてばかりだから。私があの時、包丁でのどを潰していたらひのかみは兵器をはつどうさせようとは思わなかった。私の声は出なくなった方が』


 途中で筆跡が荒々しくなって、漢字を書く暇もなくところどころが幼く崩れたひらがなになった“早口”は、メロウの感情の昂ぶりを表していた。「私の声は出なくなった方が良かった」……そう、言いかけたその時、藤次郎の手によって腕を掴まれて言葉を書けなくなってしまった。

 頬も目も真っ赤にして、今にも泣きそうな彼女の顔に浮き上がっている感情は罪悪感だ。

 彼女は、幼さを残る16歳の少女は自分を犠牲にできなかった過去を、つい数日前の自分を責めていた。どんな事が起きても声を出さないと決意する強さはあっても、自分の咽喉を潰す強さはなかったのだ。


「……普通は無理だろ。全世界の人間のために、咽喉を潰せって言われて「ハイ、ソーデスカ」って笑顔で返事できる訳ねぇだろう。しかも、死んでも良いなんて……!」

「……」

「俺は、嫌だぜ。名前も声も知らない、何十億といる誰かのために犠牲に……生贄になれって言われたら、死ぬ気で抵抗する。どうせ、どうせ犠牲なるなら、そうだな……お前みたいに、最後の希望として俺を頼って来てくれる奴のため、ぐらいじゃないと声も生命も捧げられねぇよ」

「……っ」

「大人ができない事を、子供が無理してやるもんじゃねぇ! 自己犠牲の精神なんぞいらねぇ。今はこのメトロポリスから脱出する事だけを考えていろ。少なくとも、テンは……お前が、咽喉を潰さなくて良かったと思っているはずだ。大切な奴を、悲しませちゃあいけない。あと……謝るな。こういう時は、俺や弾正姉妹や、テンペストに「ありがとう」って言え。人間ってのはな、感謝の言葉一つで頑張れるほど現金なんだよ。アンドロイドはどうか解らねぇけどな」

「……」


 藤次郎に掴まれた腕から他人の体温が伝わり、彼の声が耳から入って来て脳に響いてメロウの鼻の奥がツンと痛んだ。そして、丸い大きな双眸から小さな雫が一粒ポロリと零れると、堪え切れずに次々と涙があふれて来たのである。

 片手で顔を隠して涙と鼻水を止めようとするメロウの頭をポンポンと優しく叩いてやれば、彼女は泣いた。小さく鼻を啜って、寝間着替わりのスウェットの袖で涙を拭いながら、嗚咽の声さえも出さず藤次郎に見守られながら静かに……泣いた。






 To Be Continued……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る