日呂朱音と怪奇な日常

こむらさき

一の幕

「もしかして、これが怪異ってやつなの?雪白ゆきあきくん倒せないの?」


「…物の怪もののけを裁くには…そいつの形と因果と名前を定めないといけない」


「うーん名前なら…えーっと殺人おばけとかじゃだめ?」


「…危機感がないな君は」


「ええー?」


「名は存在を縛り、ことわりに沿わせることが出来るもの。適当に考えた名前より、古からなるべく大勢のヒトに使われている名の方が…効果がある」


「えー!適当って!ひどい!」


「…朱音あやね暴れるな」


  色々なことが一気にありすぎてまだ混乱をしているけれど、私は今大変な状況だということだけはわかってる。

 急に殺人事件が起きて、クラスで少し浮いている近寄りがたいミステリアスな美少年に話しかけられたかと思ったら、今は妖怪?物の怪?に襲われてるなんて誰に言っても信じてもらえないだろうなってことも。

 でも、これは夢じゃないみたい。目の前で起こっていることをちょっとだけ他人事のように感じてるのは現実逃避みたいなものなのかもしれない。

 なんでこんなことになったんだっけ…あれはえーと…。

 雪白くんに抱きかかえられながら、私はちょっと前のことを思い出していた。



※※※



 私は、基本的にクラスではひとりぼっちだった。

 クラスで浮いている人は私だけではない。でも、彼は特別だから私とはちがう。

 ミステリアスだからとか近寄りがたい雰囲気だからという理由で浮いている美少年とは違って、私が浮いている理由は…軽いイジメというほどでもなく、なんとなくみんなから距離を置かれているという感じが近いと思う。


 今までならこの赤っぽい髪の毛の色が原因で浮いたり、いじめられたりしたんだけど、校則がゆるいこの学校ではそんなことでは浮かないみたい。だからこの学校を受験したんだけど…。


 私が、この教室で浮いている理由は、よくあるものだった。

 仲良くしている友達に悪いうわさがある。ただそれだけの理由。

 教室の人なんてどうでもいい。私にとって、あの子は特別で、あの子かクラスメイトかを選べと言うなら私はあの子を選ぶだけの話だもん。だから、私は浮いていることも特に気に病むことなんてしないで学校に通っていた。


朱音あやね、おはよ」


 家を出てすぐ私に話しかけてきたすらっとした長身の少女は夕乃ゆの阿隅あすみ。私にとって特別な友達。 幼稚園の男の子に髪の毛の色が変だといじめられて泣いていた私に「夕日の色みたいで綺麗だね」って言ってくれたのがきっかけでそこからずっと仲良しでいる。

 真っ白な肌に映える結構の良い真っ赤な唇はまるで口紅を塗っているみたいだけど彼女はメイクなんてしていないんだからうらやましい。

 肩の辺りで切りそろえられた艶のある真っ黒な髪は、私の赤っぽい癖っ毛と真逆で小さな頃からずっと憧れていた。


阿隅あすみ


 私が駆け寄ると、阿隅はキリッとした切れ長の目をすっと細めて色っぽく微笑んだ。この笑い方をされると幼馴染で同性だというのにちょっとドキドキしてしまうのだから、年頃の男の子だけじゃなくて、年上の男の人もすぐに骨抜きにされてしまうだろうなーって納得をする。


「昨日のドラマ見た?」


「あの不良の人がたくさんでるやつ?」


 私達は家の前から教室の扉の前までなんてことない会話をしながら並んで歩く。そして、お互いの教室へと入っていく。


 彼女には、悪い噂がある。阿隅が援助交際をしているとか、男を誑かしていて陰では援助交際で稼いだお金で贅沢をしているなんて嫉妬したなにも知らない人が適当にばらまいた嘘の噂。

 阿隅が否定しないから、私も大きな声で否定できなくて、噂はずっと広まったままだ。


「人は信じたいものしか信じないから、いくら本当のことを言ったとしても無駄なんだよ」


 去年のクリスマス前後くらいに、阿隅が少し悲しそうに笑いながらそう言ってくれたのをい覚えてる。

 それから、阿隅は病気をしてしばらく学校を休んでいたんだけど、春になってからまた学校に来はじめて、こうして毎日一緒に登校している。

 春からは別々のクラスになっちゃったけどお昼休みには毎日私の教室に来て、私の席で一緒にお弁当を食べて過ごしているので寂しくない。

 もうすぐ冬休みだし、三学期なんてすぐに終わる。そしたら次はまた阿隅と同じクラスになれるかもって前向きになれるしね。




 いつも通り阿隅と一緒に学校から帰った翌朝のことだった。

 今朝は阿隅が家の前にいなかった。連絡もないのは珍しいなって思いながら学校に来たらなんだか教室の前がざわざわしてる。

 阿隅のクラスの入り口に張り巡らされている黄色と黒のテープはきになったけど、とりあえず携帯端末を確認したくてざわついている人混みをかきわけるようにして教室に入った。

 

 いつも、よそよそしくも挨拶をしてくれる数人すら私に気が付かないくらい何かの噂に熱中しているみたい。

 私もそんなに人に好かれているわけではないし自分から話しかける気分ではないなーって感じなので、クラスのあちこちで数人で固まって話される噂に聞き耳を立ててみる。


「ねぇアレ本当?なにかのドッキリとかじゃないの?」

「でも先生たちもバタバタしてたよ?」

「前本さんアレ直接見て吐いたらしいよ…」


 物騒なワードが並んでいることを整理してやっと、黄色と黒のテープの意味を理解する。


 ガラリと音がして、顔を真っ青にした先生が「体育館に行くように」とだけ告げて、また出ていった。

 一瞬静かになった教室は、先生が出ていったあともザワザワしててなんだか私も胸騒ぎが止まらない。


「話してても仕方ないだろ。とりあえず体育館に移動しよう」


 凛とした声が響いて、教室中の視線が一人に集まる。

 胸辺りにまで伸ばされた絹糸のような黒髪を一つにまとめているミステリアスな彼、月城つきしろ雪白ゆきあき《ゆきあき》くんは、いつものように涼しい顔をしながら立ち上がると教室の扉を静かに閉めた。

 彼の言葉を聞いてやっと動き出したクラスメイトたちの一番うしろについていくようにして私も体育館へ向かう。 


 緊急の集会と言われ呼ばれた体育館では、先生たちも顔を真っ青にしてコソコソ話しながら並んでいるし、みんなもソワソワするのかざわざわとし続けている。

 そんな中で、校長先生がやけに頻繁に汗を拭きながら何が起きたのかを言葉を選びながら話をしていた。


 秋雨 あきさめ春斗はるとくん。それが今回、阿隅のクラスの真ん中で死んでいた生徒の名前だった。


 聞き覚えがあるなーと思ったけど、多分阿隅の中学時代の元カレだった気がする。

 ただでさえ変な噂があるんだから、これ以上阿隅に悪い噂が立たないといいなー。さすがにそれはないかな…と嫌な予感を振り払うように校長先生の話に耳を傾ける。


 死に方までは校長先生も話さなかったけど、朝一に登校してきた不幸な阿隅のクラスメイトからの目撃談はとっくに全学年に広まってしまっているようで、特に話す友達がいない私まで秋雨くんが体を縄のようなもので縛られ内臓をぶちまけて死んでいたという凄惨な殺され方をしたことは知っていた。


 どう考えても事件だということで、すぐに警察が来るらしい。マスコミなんかも来るかもしれないので余計なことは話さずにいることと釘を刺されて、私たちはホームルームの後すぐ帰宅ということになった。


 阿隅はそういえばなにをしてるだろうと体育館を見回していると、ブルブルと携帯用の小型タブレットがブレザーのポケットの中で震えた。

 列を外れて廊下の端っこでこっそり通話に応答ボタンを押すと阿隅の声が聞こえてきた。

 学校に休む連絡を入れようとして事件があったのを知ったようで私に連絡をしてくれたと聞いて、私は阿隅がこのゴタゴタに巻き込まれていないことにホッとした。


「なんか…大変だね」


「ありがとう。そうやって心配してくれる朱音あやねがいるから大丈夫」


 そういってもらえるだけで、クラスで少し孤立気味でも阿隅と友達でいられてよかったと思える。

 すごい事件があって落ち込んでいた気持ちも少し薄れた気がして、少しだけ軽い足取りで教室に戻る。

 でも、そこで耳に入ったのは阿隅の名前だった。一気に最悪な気分になる。


「ねぇ!やめようよそういう根も葉もないことで阿隅の名前を出すの!学校にこれなくなったらどうするの?」


 最悪な気分になりすぎて思わず大声でそう言った私に一斉にクラスのみんなからの注目が集まる。

 いい機会だと思って思ってることをぶちまけようと息を深く吸ったところで急に肩を掴まれて私はそのまま廊下へと連れ出された。


「もう!邪魔しな…月城つきしろくん?」


 文句を言ってやろうと勢いよく振り向いたところにいたのは月城つきしろくんがいつもどおりキリッとした落ち着いた表情で佇んでいる。


 濡れた鴉みたいに艶々して真っ黒な長い髪は一つに纏められて肩から前に無造作に垂らされていて、動くとサラサラと音を立てて揺れる。

 月城くんの現実離れをした綺麗さを至近距離で味わった衝撃と、オシャレな雑貨屋さんなんかで焚かれていそうなお香っぽい香りで怒っていた気持ちが妙に落ち着いてふわふわした気持ちになってしまう。


 他人に関心がないほうの私ですら月城くんのことは一年生の頃から「近寄りがたい絶世の美少年」として知っているし、家の事情で髪を切らないということも誰から聞いたのかわからないけど何故か知っているくらいの有名人…。

 

日呂ひろさんさ、夕乃阿隅さんの知り合い?」


「え?あ!あ、うん」


 わーやっぱり綺麗な顔だなーなにこのお肌…真っ白だし毛穴も目立たない…ひげとか生えるのかな…。

 キッチリと校則通りに品が良く着こなされているブレザーとYシャツの一つだけ開けられたボタンから覗いている紫のツヤツしてる綺麗な不思議な形をした石も、お家の事情で身に着けているものなのかななんて、失礼にも彼を凝視して考えていたところに、急に阿隅の名前を出されて驚いてしまった。

 

「ちょっと心配なことがあって夕乃さんに会ってみたいんだけど、都合付けられるかな」


「心配なこと?」


「確信が持てるまで詳しくは言えない。僕のことを信じてほしい」


 怪訝な顔を浮かべた私の手を自然に取りながら、月城くんは私の目を見つめてそう言った。

 透き通るように綺麗な灰色の瞳と、綺麗すぎる顔に圧倒されて、つい頷いてしまうと月城くんは薄い唇の両端を微かに持ち上げて微笑む。


 今日は阿隅のお見舞いに行こうと思ってたしちょうどいいかな。

 でも、よく考えたら阿隅の家にいくのって久しぶりだなぁ。いつから行ってないのかな。もう1年近く行ってない気がする。


「じゃあ、つ…月城くん…?今から行くけどついてくる?」


「ありがとう日呂さん」


 美しさに圧倒されたのと、初めて話すこともあって少し挙動不審になる私に、握ったままの手を胸元へ持ち上げてぎゅっと力を込めながら月城くんは微笑んで頷いてお礼を言ってくれた。

 なにもしてないのに一気に疲れた気がする。あんな綺麗な顔を間近で見てたらなんか緊張したし。


「あ、あと、雪白ゆきあき《ゆきあき》でいいよ」


 手を放してスタスタと歩き始めた月城くんは何か思い出したかのようにそれだけいうとまた歩き出した。


「え?」


「僕も、日呂さんのこと朱音あやねって呼ぶから。じゃ、行こう」


 特になんの理由も話されないまま、雪白ゆきあきくんは了解は取ったしとでも言わんばかりにどんどん先へ歩いていく。

 私は混乱しながら雪白ゆきあきくんの背中を小走りになって追いかけた。


※※※


 雪白ゆきあきくんは考え事をしてるのか、難しい顔をしていたこともあって特に会話らしい会話もなく、私たちは阿隅の家であるアパートの一室の前に到着した。

 何かを探すように辺りを見回していた雪白ゆきあきくんは、私の視線に気が付くと、気にしないでチャイムを押せと言わんばかりに手の甲でシッシと私にジェスチャーを送る。


 さっきから思ってたけど、ミステリアスで王子様みたいだと思ってたけど、そうでもないみたい。ちょっと王子様っぽくしてくれるときはあるけど…。

 ミステリアスで王子様みたいな態度は演技なんだろうか…とつい無駄なことを考えてしまう。


 チャイムの音が響き、近付いてくる足音が微かに聞こえる。

 ドアから出てきたのは阿隅のお母さんだった。以前は久しぶりにあったおばさんは私の顔を見てとても驚いているようだった。


「お久しぶりです、おばさん。

 阿隅って今部屋にいますか?」


「あ…朱音あやねちゃん…え?阿隅に会いに?

 …今なんて?」


「阿隅になにかあったんですか?」


 最初はわけがわからないといったような顔をしていたおばさんの顔が徐々に険しくなっていく。

 なにか機嫌を損ねるようなことをしてしまったんだろうか…と心配になり、「ただ今日病欠してる阿隅さんのお見舞いに来ただけです」と伝えようとしたが、言葉の途中でおばさんの剣幕に遮られた。


「冗談のつもりならやめてちょうだい!二度と顔を見せないで」


 おばさんはそう怒鳴ると怒っているのか泣いているのかわからないような顔でドアを思い切り締めた。

 バァンという大きな音が響きわたり、私は呆然と立ちつくす。


「ごめんね雪白ゆきあきくん。阿隅に会えそうもないよ」


「こうなるのは予想出来てたし、謝らなくていいよ。

 とりあえず、落ち着いて話せるところにでも移動しようか」


 ショックを受けている私とは対照的に冷静な雪白ゆきあきくんに連れられて駅前の少しオシャレでリッチな喫茶店に向かう。カフェというよりも喫茶店。

 ミステリアスな美少年と、そのあとをトボトボと項垂れてついていく平凡な女子高生の私というちぐはぐな組み合わせのせいか、やけに視線を感じる気がして、さっきのおばさんに怒鳴られたショックも相まって余計顔をあげられなくなる。


「あれ?朱音あやね、どうしたの?」


 聞きなれた声に、項垂れていた頭をピョコっと持ち上げて立ち止まった私は、辺りを見回した。

 先を歩いていた雪白ゆきあきくんは、服の裾を盛っている私が急に止まったせいで、つんのめったあと少し後ろによろける。

 彼に「ごめん…」と言ったあと、私は声の主を探すために辺りをキョロキョロと見回していると、こっちを向いて小さく手を振っている背の高い少女が目に入った。


「阿隅ー!心配してたよー」


 やっと見つけた阿隅は、可愛らしい白いマフラーと淡いピンクのコートに身を包みながらニコニコと微笑んでいる。


「こんなところでどうしたの?珍しいね」


「阿隅こそ!心配したんだよ」


 私が駆け寄っていくと、阿隅は驚いた顔をしてそう言いながら首をかしげる仕草をした。

 彼女は、病院に行った帰りになんだかすごく項垂れながら歩いている私を見かけたのでつい声を掛けてしまったんだと笑いながら話してくれた。

 元気そうでよかったと少しホッとしながら私はさっきの出来事を阿隅に話す。


「おばさん怒らせちゃったみたいで…。ごめんね」


「いいのいいの。最近機嫌悪いんだ。更年期かな。お母さんにはあとで私から話しておくよ」 


 風邪も大したことがないようで、いつも通りの笑顔を向けてくれる阿隅にほっとする。

 少し談笑して一息ついたところでコホンと咳払いが聞こえる。そうだ雪白ゆきあきくんがいたんだったと思い出して帰路につこうとする阿隅を引き留める。


「あ!あの、こっちクラスメイトの雪白ゆきあきくん。阿隅と話したいんだって」


「…初めまして。日呂さんのクラスメイトの月城雪白ゆきあきです。

 いくつか聞きたいことがあるのですがお話できませんか?」


 何かを警戒しているかのように私の後ろから一歩も動かないまま雪白ゆきあきくんは丁寧に自己紹介を始める。

 三人で喫茶店かーと呑気に思って阿隅を見た私は、三人で喫茶店に行くことはなさそうだと瞬時に悟ってしまった。


 なぜなら阿隅は、さっきまでの笑顔とは打って変わって、見たこともないくらい冷たい目で雪白ゆきあきくんのことを睨み付けていたからだった。


「きっとどうでもいいことだもん。興味もない。話さない」


 冷たく言い放って背を向ける阿隅の手を取って私はなにかを言おうとする。けれどうまく言葉が出てこない。

 きっと勘違いをしてるんだ。悪いうわさばかりをされて、今日だって学校では阿隅の名前がささやかれていた。

 私も今日ちゃんと話しただけだけど、でも、雪白ゆきあきくんは教室で噂話に加担するようなことは見たことがなかった。だからそんなことしないと思うって伝えたくて、阿隅に説明をしたかった。


「阿隅のことが噂になってて…それで雪白ゆきあきくんが力になりたいって…」


「私はそんなやつなんかの助けはいらない!朱音あやねが話してくれればそれでいいの。余計なことはしないで」


 やっとのことで絞り出した言葉も、感情的になった阿隅に遮られてしまう。

 勢いよく振りほどかれ行き場を失った手は、どうしていいかわからない私の気持ちと同じようにぶらんと力なく垂れた。

 私のことを涙ぐんで見つめる阿隅の誤解を解きたくてなにかいわなきゃと口を開こうとした瞬間グイっと手を引かれ体がよろめく。


「わかった。行くぞ朱音あやね


 よろけるのを受け止めるようにするっと雪白ゆきあきくんは、私の肩に手を回す。そのままぐるっと強制的に体を回れ右された私は、成すすべもなく阿隅に背を向けて雪白ゆきあきくんとその場を離れた。


 よくわからないけど、今はきっと何を言っても無駄だろうし、雪白ゆきあきくんが止めてくれてよかったな。

 それにしてもなんで阿隅はあんなに怒ったんだろう。いつもはどんな人にもあんな態度取らないのになー。

 小さいときに一回、私と仲良しだった男の子と大喧嘩したときくらいかな…。

 暗い気持ちを振り払いたくて懐かしい楽しい思い出を思い起こそうとする。

 そういえば、あの男の子いつの間にか会わなくなったけど元気かな…お守りだってかわいい木で出来た狐のキーホルダーをくれたっけ…。

 そんなことを考えているともう目的の喫茶店に着いた。

 店員さんに促されるまま店の奥へと足を進めていく。


 私がぼーっとしてる間に雪白ゆきあきくんが注文まで済ませてくれたのか、店員さんが私の目の前にかわいらしい葉っぱの模様が描かれたマグカップを置いた。


 辺り一面に広がるココアの甘い香りと可愛らしい食器、そして添えられたカラフルなマカロンというオシャレのフルコースを目の前にして、さっきのショックはすっかりやわらいだ私は思わず目を輝かせてしまう。


「少しは元気になったみたいでよかった」


 私をじっと見ていた雪白ゆきあきくんに気が付いて慌ててお礼を言うと、雪白ゆきあきくんは口の端だけふっと持ち上げて笑い、「どうぞ」でもいいたげに手を差し出した。

 マグカップに口をつけほっと一息ついた私を見て、雪白ゆきあきくんが満足そうに目を細めるのが見える。

 

「…ごめん。いつもはあんなふうに怒ったりしないんだけど」


「目的は済ませたから気にしなくていい。これはお礼も兼ねているつもりだし」


 ホッと一息ついたところで、私のせいで二度も怒鳴られることに巻き込まれてしまった雪白ゆきあきくんを思い出して謝る。でも、雪白ゆきあきくんは何も気にしていないみたいで、怒ったり落胆するどころか、やわらかく微笑みながら目の前のティーカップにゆっくりと口をつけた。

 目を伏せると長いまつげが目の下に影を落とす。

 雪白ゆきあきくんは、紅茶で喉を潤すと口元を白いハンカチで拭ってまた話し出した。


「僕は怪異絡みの事件を調べるのが家業なんだ。妖怪や化物の起こす怪異を…ってさすがにここら辺は嘘っぽいか。…別に信じてくれなくてもいいけど」


「かっこいい!お家の事情で髪を伸ばしてるって言ってたけどそういうことだったんだ」


 雪白ゆきあきくんが言葉を話し終わる前に、つい口を挟んでしまってはっとした顔をして黙る。


「…ありがとう」


 怒られると思ったけど雪白ゆきあきくんはそれとは反対に、驚いて丸くした目を細めてにっこりと笑うと、呟くようにお礼を言った。

 そして、コホンと小さく咳払いをして、いつものような落ち着いた表情に戻るとそのまま話を続けた。

 阿隅が関係しているかもしれないことや、おばさんの様子が変だったことも怪異ってやつの仕業の可能性があると、私にもわかりやすく説明してくれた。


「出来るなら君にもう少し協力をして欲しい」


「よくわからないけど、いいよ。

 それで阿隅が、助かったり変な目に遭わなくなるのなら」


 即答した私を雪白ゆきあきくんは驚きの表情で見つめていた。変だと思われたかな。

 でも、阿隅の噂を少しでもなくせるなら怪しいことでも怖くない。それに、なんだか雪白ゆきあきくんがいるとどんなことだって大丈夫な気がしてくる。


「ありがとう。助かるよ」


 雪白ゆきあきくんが差し出してきた手は、すごく柔らかくてすべすべして、ほんのり冷たくてどきどきしながら握り返す。

 ぽーっとしている間に時間はどんどん過ぎて気がつくと家の前まで雪白ゆきあきくんに送ってもらっていた。


「じゃあ、明日の朝…そうだな、七時くらいに図書室で会おう」


 家に着いてからお母さんに学校のことを色々聞かれたりして、夢から覚めたみたいにふわふわしてた気持ちが消えてなくなる。

 事件のことも、雪白ゆきあきくんのことも、阿隅のことも言う気分に離れなくて、なんとなく誤魔化しながら「なんか大変みたい」と雑な会話を交わす。


 お風呂にも入り、ふかふかのベッドに横たわると携帯用の小型タブレットを確かめる。

 あんなことがあったからか、阿隅からはなんの連絡もなかった。

 私から連絡するのも気まずくて端末を枕の下に押し込んでから、天井を見上げる。


「阿隅…大丈夫かな」


 私の声に返事があるはずもなくて、誰にかけたかわからない言葉はそのまま真暗な空間に吸い込まれていく。

 きっと仲直り出来るよね…そんなことを考えながら私は明日に備えて目を閉じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る