第37話 第三十五章

 レクシアが射るのは魔法の矢だ。魔力さえ尽きなければ数に限りはない。

 大義名分なら敵、お前達にある。

 容赦は要らない。

 私の不機嫌に、私の寂寞に付き合ってもらう。

 森を出た平原まで押し戻していた。

 あえて森で戦おうとはしなかった。それが彼らの戦術だろう。

「『千の矢』」。

 一本の矢が千に増える。不公平ではない。これが魔法都市のやり方だ。

 白く光る矢が兵の魔装と戦う。食い込み氷を砕き肉に刺さる。

 レベル差とは残酷なものだ。

 平原を吹き渡る風は涼しい。炎の中に居たからだろう。

 イートスが唸り声を上げる。

「不満か? イートス。全て私の獲物だ」

 まるで――魔法都市の者のように。私は魔法都市と戦う。

「この力で戦いたかったな」

 喰い足りないのか、イートスが突進する。

「待て、包囲は最も嫌っただろう」

 バランスも取れない。

 左手にしがみつき何度か跳ねた。

 全力でなければ振り落とされる。

「待て、落ち着け、イートス」

「オアアアアアアアアアッ、ウアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ」

 イートスの雄叫びが耳を破りそうに響く。

 地面が揺れた。地を踏んだのだろう。

 揺れる肩にしがみつき、顔を上げた。

 目を疑う。

 戦いは一瞬で終わっていた。

 兵たちは氷柱のように動かない。

「何だ……これは」

 行使された魔法を読み解く。

「『咆哮』と、『地縛』……」

 巨人族が使うものだ。

 イートスの実力も上がったのだろう。

 数百の敵が一度に。

 肩から飛び降りる。

 動かない数人に止めを刺した。

 残りも動きそうにない。

「残りは片づけます!」

 高く声が響いた。

 エルフの捕虜、フィーナだ。走って来たのか? 『転送』を使えるのか?

「何の積りだ?」

 告げてはいないが、フィーナの残党は皆殺しにしている。

 イートスの意識の欠片から聞いた。

 恩義に感じることなど何一つないというのに。

 洗脳が行き届いたか。

 誰でもいいから恩義に感じた者に全てを捨てて尽くす。

 むしろ虐待したものに尽くす。

 捕虜で何度か経験はある。

 そうなのか?

「恩義は頂きました。我は独りに戻るのみ。そうして生きて来た以上、悔いはない」

 イートス。一人を変えてしまったぞ。

 また独りに戻ると言う。いいのか?

 今さらか。

 もう我らも二人ではない。

 一人と一人。最後だ。

 すっ、とイートスに向けて剣を伸ばす。

 朝の光が草原を白く染める。

 狂乱の夜は終わった。満足か? イートス。

「ようやく、朝か」

 魔物の声ではなかった。

「剣が、鈍るわ。魔物が人を真似るな」

「真似てはいない。殺し合うのならば付き合おう。授業再開だ。今の俺は十分の一の力だ。同等以下だろう」

 灰になりイートスが崩れていく。

 草原に散っていく。

「何だ。はははははははははははっ……ここでは無理だったか。お前の勝ちだ。レクシア」

 自嘲の声に続いてイートスが巨体を横たえる。

「あえてここまで来たのだろう? イートス?」

 自死など許さん。

 教えてくれ。

 もっと。

 いつまでも。

「有利な場所を選べと常に言っただろう? 何故だ? 答えろ」

 最悪の場所を選んだ。

 何故だ。

 負けようとしたのか?

 イートス。【死に損ない】。伊達の名ではなかった筈だ。

「答えるまで死ぬのは許さん。手加減など……」

「言わなくても分かる事はあるだろう」

 もう、身体の大半は崩れて風に飛んでいた。

「言え。最後に言いたい事は無いのか!」

「愛しい。それだけだ。レクシア」

――風がイートスを吹き払った後で、レクシアは地を這うように魔晶を探していた。

「心臓はここだ。この辺りに無ければおかしい」

 蘇生してやる。高等魔法の極限に答えはある。

 魔晶からの復活。

 青く透き通った魔晶を見つけたのは、手が血と泥に塗れてからだった。

 どれだけ時間がかかったのかは関係ない。覚えていない。

 輝く青だったことに感謝した。

 人間だった。

 涙が溢れた。

「イートスは人間だった!」

 魔物などでは無かった。

「そうだ! そうだろう! イートスは魔物ではない!」

 ぎらつく太陽に叫んだ。

 青を突き付けた。

 透明に青く光る。これが証拠だ。

「最後に私を喰おうとした。何が悪い? あれがイートスだ。私を味わい尽くそうとして何が悪い!」

 剥がれた爪が痛んだがそんなことはどうでもいい。

 イートスは最後まで人間だった。

 人間らしかった。最後こそ。

 魔物に支配されてさぞ苦しかったろう。

 恥辱を感じただろう。

 立ち尽くして、青く輝く魔晶を見た。

「魔法。それ以外に届く方法は無い」

 いいだろう。私という媒体を使え。私は狂う。魔法に没入する。

「生涯に唯一人。私が剣に成ろうと思った人が居た」

 鳥の声。活気づく森。吹き渡る風。

「私はまだ処女だぞ」

 笑って青い魔晶に言った。聞こえなくてもいい。

「世界一の魔法使いになる。エルフの耳には届いているだろう。ルフィア」

『あなたが二人目なら喜ばしいわ』

「余裕めいた口など二度と聞かせん。女王。私が女王だ」

『それでこそ魔法使いよ。ところで、もう貴女の身柄は隠さなければならないの。悪いけど手足に成って貰える? 女王様』

「どうしろと」

 今日もまた空は崩れそうだ。暗雲がせわしなく動く。

 遠くで雷が鳴った。

「私の私兵に。こんなこと誰にも頼んだことはないのよ」

 この上もない美しい姿が朝の光で輝いて見える。

 ルフィアは稀代の女王だろう。

「私は兵だ。一介の兵だ。殺す為にここに居る。雇え。支払いは?」

「月に金貨千枚。不足かしら」

「バカげたことを。多すぎる。野盗退治ごときの対価には思えん」

「それと身辺警護。必要なら《上級工作員》の排除もいいかしら」

 帝国に反逆せよと。そうか。上級工作員は魔法を使う。

「いつ、」

 重く熱い青の魔晶を掲げた。

「私にこれがイートスに戻せる」

「修行次第ね。レベルは8だけど、まだ間が埋まっていないの。急に上げたせいね」

「レベル9ならば?」

「私に解けないものを解けるのならどうぞ」

 ルフィアが微笑んだ。だが瞳は「達した者」の狂気を宿していた。

 そうか。これが女王か。

 指先一つで世界を動かせる者か。

 私はまだ地を這っているだけだ。

「帝国の中心にある、あらゆる不思議を消すもの。それを魔法だけで作れ。これだけよ」

 そんなものが?

 白銀の塔。どこかで聞いた事はある。

 人を寄せ付けもしない。

 近づけば全てが消え去る。

「もし、作れれば魔法は世界から消える」

 無理な話だ。

「考えてはおくが手を動かす方が向いている。傭兵と思えばいいか」

「そうよ。早速名前は消させて貰うわよ。悪いけれど、一部の記憶もね」

「イートスに関わるものなら許さない」

 荒い声に成っていた。

 ふふ、と女王が笑った。

「まさか。貴女の希望を消してどうするの?」

「ただの、片恋だ」

 顔から火が出そうだが、女王には言える。

「期待しているわよ。戦姫」


「よく路地裏に逃げ込んだな。死に場所を選んだか」

 魔法都市の街区、それも中央にレクシアは居た。

 剣を突き付けた男は、隙もたっぷりに腰に手を回そうとする。

「どこから来た。手違いならばこの場で払う。剣を、外してくれ」

「残念。上級工作員にかける言葉は何もない。覚悟の上で来たのだろう?」

 一突きに喉を破る。

「稼がないと稀覯本も買えない。お互い、任務。恨みようがなかろう?」

 あと金貨一万枚。禁呪の詰まった本を買うまでは粛々と動くしかない。

 青い魔石はルフィアの自宅にある。

 イートス。

 もう少しだけ待って欲しい。

 次のターゲットに向けて、私は路地を駆け抜けた。

 まず、帝国の上級工作員を消す。

 私の提案だ。

 探せば幾らでもいる。

 敗残兵にして最悪の裏切者は足音を消して石の街路を歩く。

 火が点いたような欲望はあれから変わらない。強まるばかりだ。

 イートス。欲しいぞ。

 あの熱い舌が。狂気が。

「酷い想いを残したな。イートス」

 溜息は一つ。

 切り替える。

 次のターゲットは簡単にはいかない。

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