第6話:いえ、綺羅は十分に可愛いですよ


 事件とはいつだって想定外の出来事だ。


「最悪だ、最悪だ、最悪だ」

 

 綺羅は自分の部屋のベッドにダイブして、布団にくるまっていた。

 弘樹一緒の傘に入って帰ってきた所をまさか母親に見つかるなんて。

 人生でこれほどの恥ずかしい事は今までなかった。

 

「い~や~」

 

 耳の先まで真っ赤にさせて綺羅はうなだれる。

 こんな事なら、ずぶ濡れで家に帰ってきた方がまだマシだったに違いない

 

「はぁ、もうやだ。消えてしまいたい。ママにからかわれる」


 変な誤解されてしまったのは誤算だった。


「絶対に面白がってからかってくるに違いないわ」

 

 あの母の事である、黙って放っておくなどしてくれるはずもなく。


「私と先輩が、付き合ってるとか。付き合う、恋人同士……? あ、ありえない、ありえない、ありえないっ!? 違うから、そーいうんじゃないからぁ!?」

 

 脳内によぎった考えを振り切るように綺羅は叫ぶ。

 がっくしと落ち込みながら、彼女は顔を赤らめ続ける。

 

「だ、ダメだ、私……壊れそう。変な方向に考えちゃダメなのに」


 下手に意識しまくって自爆気味だった。

 どうにも調子が上がらないのは彼のせいである。


「落ち着け、落ち着きなさい」


 動揺しまくっている自分を何とか落ち着かせようとする。

 大きく「ふぅ」と深呼吸してようやく落ち着きを取り戻す。

 

「くしゅんっ……寒い」

 

 そして、雨の中を歩いて身体が冷えてる事に気付く。

 春とはいえ、まだ気温もそんなに温かくない。

 雨の中を歩いて帰れば必然的に体温も下がっている。

  

「はぁ。もう面倒くさいから考えるのはやめた。ココアでも飲もうっと」

 

 綺羅はココアを飲むためにリビングに向かう事にした。

 先ほどの件もあり、母親の七海に会うのは恥ずかしい。

 しかし、肌寒い身体を温めたい欲望には勝てない。


「ママの話は適当に流しておけばいいか。……それができるかどうか微妙だけど」


 あの母に勝てるとは思えない。

 気持ちを切り替えて、リビングの扉を開けたら予想外の光景が待っていた。

 

「ママ、ココアでも作って……って、なんでここにヒロ先輩が!?」

 

 弘樹が綺羅の家のリビングのソファーに座り、コーヒーを飲んでいた。

 まさかの展開に唖然とするしかない。

 

「な、なんでこんな展開に?」


 どうやら七海が綺羅に無断で先輩を家にあげてしまったらしい。


――空気読めない人だなぁ!? もうっ、ホントに最悪だわ。


 しかも、綺羅の秘密を簡単に暴露するというおまけ付き。

 ……嫌な奴、決定だった。

 綺羅はすぐさま彼を家から追い出そうとする。

 

「もう帰るの、弘樹君?」

「はい、お邪魔しました」

「これからも綺羅の事をよろしくお願いするわ」

「ママ、余計な事言わないで。私はお願いしないから。ふんっ」

 

 弘樹と仲良くなんてしない。

 そう簡単に彼へ気を許したりしない。

 

「ごめんね、弘樹君。ちょっと生意気な子だけど悪い子じゃないの。綺羅も、もっと可愛げってものを見せないと男の子に嫌われちゃうわよ」

 

 そう言われた弘樹が綺羅に向けて言ったのは、

 

「――いえ、綺羅は十分に可愛いですよ」

 

 思いもよらないカミングアウト。

 

「は、はぁ? な、何言っちゃってるの!?」

 

 綺羅が動揺するのも無理はない、人生で初の異性からの褒め言葉だ。

 

――わ、私が可愛い? バカじゃないの?


 完全に想定外の発言に綺羅はパニックになる。


――何言っちゃってるの、この先輩!?


 パニックに陥り、冷静さを失う自分にいら立つ。 


「さっさと帰れ~!」

 

 綺羅は無理やり彼の背中を押して、必死に彼を家から追い出したのだった。

 

「うぅ……」


 弘樹がいなくなったリビングで疲れ切った子猫が一匹。 

 顔を真っ赤にさせながら俯き加減でソファーに寝そべる。


「あ、あぁ……もうっ、最悪だぁ」


 彼に言われた一言に赤くなる自分が嫌だ。

 たった一言に心が揺れ動いた自分が嫌だ。


「……あぅあぅ」


 何よりも、可愛いと言われてすごく嬉しかった自分がもっと嫌だ。

 そんな悩みを抱く綺羅に七海は笑顔を浮かべて言う。

 

「くすっ。男の子に可愛いって言われたら、綺羅でも照れるのねぇ」

「う、うるさいなぁ」

「弘樹君。綺羅といい関係になれそうじゃない?」

「ならなくていいし。変な事言わないでよ、もうっ」

 

 今日と言う日を綺羅にとってはさっさと忘れてしまいたい。

 思い出すのも、恥ずかしすぎる一日だから……。

 

「……はい、ココア。できたわよ」

「ありがと……」

「拗ねてないで早く飲みなさい。外、寒かったでしょ」

 

 身体を起こして、綺羅は母の淹れてくれたココアのカップに口づける。


「あ、熱っ!?」

「こら、猫舌なのに慌てすぎ。まだ動揺してるの?」

「……もうやだぁ」

 

 熱いココアを息を吹きかけて冷ましながら飲む。

 ようやく冷めたココアに口をつけると、

 

「弘樹君、良い子じゃない」

「そうでもない。下心に満ちた、ただの変態」

「男の子とあんな風に楽しそうにお話してるのは初めてだもの。いい関係なのね」

「違うもん……」

「いつも一緒にお昼ご飯も食べてるんでしょ? ママ、知らなかったなぁ」

「ぐ、偶然が続いてるだけ。うるさい教室で食べたくないから、屋上に行くといつもいるの。別にそう約束してるわけじゃないわ」

 

 クラスメイトのうるさい声が響く教室は苦手なのだ。

 だから、いつも逃げるように屋上に行くと、弘樹がいつもいる。

 それだけの関係でしかない、それだけの関係で終わるはずなのだ。

 ……これから先も、何もなければ。

 

「綺羅みたいな素直じゃない子を良く分かってくれる。それだけで私はずいぶんと安心できるけど。お友達も少ない綺羅には良い付き合いをしてくれる人が必要なの。ホントに恋人になっちゃえば? お母さんは歓迎してあげる」

「私とヒロ先輩が恋人になる? ありえない。そんなこと、絶対にないから」

 

 そんな風に関係が発展するなんて到底思えない。

 

「……もう良いから黙って」

「娘の成長を喜んでるの。綺羅も女の子してるんだなぁって」

「意味分からないし。ごちそうさま。もう部屋に戻るから」

 

 ココアを飲み終えた綺羅は空になったカップをテーブルに置いた。

 身体は温まったけども、心はまだ落ち着かない。


「全部、ヒロ先輩のせいだ。うわぁ、もうっ」

 

 やり場のない悶々とした複雑な気持ち。

 発散することもできず、綺羅は自分の部屋に戻るのだった。




 しばらくは布団に寝転がって、無駄な時間を過ごしていると、


「あれ、電話?」


 携帯に電話がかかってきていた。

 

「……ん? 誰だろう?」

 

 携帯電話なんて綺羅にとっては電子書籍などの本を読むツールでしかない。

 電話本来の機能なんて滅多に使わない。

 時々、使っても家族相手で、自分からかけることもほとんどしない。

 

「……有希?」

 

 電話をかけてきた天津有希(あまつ ゆき)は綺羅の数少ない友達。

 高校が違うので、中学卒業以来、会っていないかった。

 

『あっ、キラ。私だよ。元気してる?』


 開口一番、明るい馴染みの声に「久しぶりだね、有希」とどこか安堵する。


「いきなり電話してきてびっくりした」

『あははっ。いいじゃない、電話くらいするよ。友達なんだし』

「……うん」

『どう? 学校には慣れた?』

 

 いつも通りの元気のいい声が電話の向こうから聞こえてくる。

 彼女は基本的に誰とも心を通じ合わせない。

 ただひとりだけ、有希は違った。

 中学時代から、人懐っこい性格の彼女は綺羅の心にもグイッと入り込んでいる。

 

「学校は慣れたかな。楽しくはないけど。有希はどう?」

『んー、ギリギリかなぁ。進学校って大変だよ。授業も難しいからついていけそうか心配。留年しそうな気がするのが怖い。素直にキラと同じ学校にしておけばよかったなぁ』

 

 有希は成績がよかったために、有数の進学校に入学したのだ。

 全寮制の高校のために、卒業後はもう会う事もないと思っていた。

 

「有希から、また電話してくるとは思わなかったわ」

『えー? 何それ? そこまで薄情者じゃないよ、私。キラは友達だから高校違っても、連絡くらいするってば。ひどいなぁ」

「……そういうもの?」

『ていうか、そっちからしてくれてもいいし。あれ? もしかして、卒業したらそこで関係が終わりみたいな? キラらしいけど、ちょっとひどい』

 

 電話越しに呆れた声で怒られてしまった。

 有希は綺羅の理解者であり、よく性格を熟知している。

 

『キラは友達作るの下手だもの。今の学校じゃ友達いないでしょ? ちゃんと友達を作るようにしなさい。キラと会う事は中々難しいかもしれなくても私達は友達だから。それだけは忘れないで。相談くらい、いつでものるからね?』

「……言いたい放題だなぁ」

『事実でしょ? それに私の相談に乗ってもらうかもしれないし。ほら、同じ学校の子じゃ言えない事もあるじゃない。これからも、仲良くしようよ』

 

 そんな有希の気づかいが嬉しいと思う。

 綺羅が思ってるほどに、友達と言う関係は悪くないのかもしれない。

 

『彼氏とかできたら絶対に教えてね? キラの好きになる人に興味があるの』

「……ないない。私に彼氏なんてできない」

『分からないよ? 世界は広いもの。キラを好きになる人も、キラが好きになる相手もいるはず。恋に悩むキラが見てみたいなぁ』

「こ、恋? 恋なんて私がするはずないってば……」

『可能性を自分から潰さないの。探してみなきゃ分からないよ?』

「そうかなぁ」

『運命の人は必ずいるもの。人生ってそういう風にできてるんだよ、キラ』

 

 有希の発言に綺羅は思わず、さっきの弘樹の言葉を思い出してしまった。

 彼の呟いた『綺羅は十分に可愛いですよ』というたった一言。 

 なのに、思い出すだけで顔が赤くなる。


「……私、どうしたんだろう。今日はいつもと違いすぎて壊れそう」


 今日の綺羅はどこか変で、そんな自分に戸惑っていた。

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