白銀の翼 *


 ──邪竜、それは人に災いを齎す竜。

 身の内に許すものかと響く声に従い、彼らは翼を、顎を、四肢を動かす。


 ああ、そうとも。

 許してなるものか、生かしておくものか。


「人も竜士も聖竜も。

 ──全て、滅ぼし尽くそう」


 聖竜の中の最強、そのうちの一つ。

 銀色の翼を捥ぐ為に、茜色は飛んでいる。




 ***



「……シャーナ、何か来た」

「聖域破りとは良い度胸ね」



 普段の穏やかな気候が一変し、風が吹き荒れ、空気が汚れ始めるのを感じながら、若葉色の髪を一つ結びにしたシャーナは、ヴァンの背中に乗った。

 その背には滅多に付けない鞍がある。

 鐙に足を掛け、息を合わせてヴァンとシャーナは空へと舞い上がって行く。


 

 それを庭から見送ったルドーがさて、と娘たちの方を振り返った。

 邪竜退治専用の黒い大剣を担いだ父を前に、人型の娘たちは小首を傾げて言う。


「パパ、リリたちやることある?」

「ころすのー?」


「やる事があるかどうかは実際に、空へ上がってみないと分からないんじゃないか?

 確かに、ニールとヴァンは強いけど、だからって此処で休んでいる気もないだろう」


 うん、と双子は元気良く返事をしてから駆け出した。

 地面を蹴って飛び上がると同時、光が弾けて姉妹は竜の姿へ戻る。



 飛び去っていく双子を見上げながら、ルドーは土埃に顔を顰めつつ言った。


「まあ、俺は歩くしかないんだけどさ」




 ***



 茜空に翔ける翼を、エルフィは見上げた。


 夕焼け空を形にしたようなその色は、禍々しい瘴気に包まれて歪んでいる。

 赤い瞳が上空から睨み付けてくるのを、ニールが唸り声を上げて牽制した。

 こちらに邪竜が降りて来ないようにしてくれているのだ。


 三年前のあの夜以来、エルフィは邪竜と遭遇したことは無い。


 ただの人間であるエルフィはいつも、皆に留守を任される。

 聖域から出る頻度が少なく、邪竜が立ち入ることを許されない土地で生活していたからこそ、脅威を感じることは無かった。


 むしろ、今日初めてまともに対峙したと言って良い。

 強く向けられる殺意と、明確に敵対者として存在する、竜の気配に。

 

 呆然とそれを見上げていたエルフィは、やや遅れて身の回りの異変に気付いた。

 邪竜が現れたことで、森の中が薄気味悪いほどの静けさに包まれているのだ。


 空気も重たく感じる、その感覚は間違っていない。


 木の上から黒い塊が降ってきた、足元を見れば、首の折れた鳩の死体が転がっている。

 それだけじゃない、幾つもの小動物の死体が辺りを埋め尽くしている。



「森が……」


 エルフィは、異様な辺りの光景を見渡して呟いた。

 見慣れた森が、禍々しい黒の瘴気に満ちて行く。

 邪竜が纏うものと同じそれは、草木を枯らし、大地を腐らせて足場を不安定にする。

 母親が良く言っていた、あれだ。


 ──覚えておいて、邪竜は呪いともう一つ、撒くものがあるのよ。



「魔素だ、森から離れるぞ、きみが危ない」


 立ち尽くしていたエルフィは、ニールの声に我に返った。

 横を向けば、身を伏せた彼の姿がある、エルフィは戸惑って声を上げた。


「……ニール?」

「背中に乗るんだ、出来ればやりたくないが……落としてもちゃんと拾いに行く」


 エルフィは一瞬目を見開いて、上空で上がった唸り声を聞いて覚悟を決めた。

 ニールの背中に乗ること自体は慣れているが、問題は。


「掴まっていてくれ」


 ──立ち上がるだけでこれだけ揺れるのに、飛んだりなんてしたらどうなってしまうのだろう。

 エルフィは必死になってニールの背中にしがみつきながら、脳裏に過ったありとあらゆる不穏な予感を振り落とした。

 考えても仕方がない、エルフィはニールを信じるしかないのだ、己の得意分野である。


 しなやかな筋肉を覆う銀色の鱗、体の横に沿うように畳まれていた翼が広がった。

 

 霧のように瘴気が濃くなりつつある森は、一目見ただけで此処にいてはいけないと分かる。


 エルフィの存在を目で確認してから、ニールは地面を抉り飛ばすようにして飛んだ。


 視界の中を一瞬で森の緑が流れていき、夕空が一気に近付いてくる。


「…………っ!!」


 声を上げる余裕すらなく、エルフィはニールの体にしがみついた。

 さっきまで一緒に歩いていた森が、今遥か下の方にある。


 普通なら吹き飛んでいてもおかしくないが、エルフィの体は何とかニールの背中に残っていた。


 ニールが羽ばたくたびに空が近付く。

 エルフィは頬が裂けそうなくらい鋭い風に、目を瞑りたくなるのを必死に堪える。


 夕空を切り裂いて羽ばたく銀翼は、茜色の邪竜とすれ違う。

 赤色の瞳が、白銀の聖竜を追いかけ──すれ違いざま。


 ニールの尾から閃光が放たれた。


 空が真っ白に染まり、放たれた熱が空気を押し退け邪竜の顔面にぶち当たる。

 遅れて聞こえた、鼓膜を割らんばかりの破裂音、直撃を受けて焼かれた邪竜が、煙に呑まれて落ちていく。


 巻き起こった爆風を追い風にして、ニールはエルフィを背にその場から離脱した。



 ***



「あっ、ニールが仕掛けた」

「……あれ煽ってるでしょ、性格悪いな」


 若葉色の髪を風に揺らす彼女と、彼女を背に乗せた聖竜が、邪竜へと向かって飛びながら会話をする。


 邪竜はニールの攻撃を受け、体勢を崩して落ちて行った。

 が、森に墜落する直前に立て直し、振り向き威嚇の咆哮をあげる。

 既にニールは空高くへと飛翔し、追いつけない距離にいる。


 シャーナはニールを見上げて言った。

 正確にはその背中を見て、だ。


「エルフィが乗ってる、契約したのかしら」

「まだあの娘の気配は人間だよ。

 ニールはまた屁理屈を並べて、契約から逃げると僕は踏んでるけど」


「じゃあ単純に身体能力だけで掴まってるってこと? よく振り落とされないなぁ」

「……ニールは飛ぶの上手いんでしょ。

 出来の良い変わり者って昔、シャーナが言ったんだよ」


 ヴァンが少し拗ねたように言うので、シャーナは若葉色の横顔を伺いながら言う。


「あんたも最近飛ぶの上手よ。大丈夫だって、元気出しなさい」

「良いから行くよ……あれ以上魔素を撒かせたら森が死んじゃう」


 そう言って羽ばたくヴァンの背で、シャーナはおっと、と体勢を直す。

 ヴァンと飛ぶ度に地面に落とされていた頃のことを思い出した、もう大昔の話だ。


 

 ***



「邪竜発見、リリ隊長がいっちばーん!」

「じゃあミミはにばーん!」


 笑いながらついて来る妹を背後に、リリは勢い良く邪竜の鼻面に突っ込んだ。

 ニールに食らった攻撃が効いているのか、邪竜は唸り声を上げて飛びながら逃げる。

 次いで飛んできたミミに背中からどつかれて一気に高度が落ちた。


 リリが顎を開いて、邪竜の首に噛み付く。

 子竜といえど聖竜の牙、邪竜の絶叫が迸る、姉に負けじとミミも尻尾に噛み付いた。


「あぐあぐあぐ、お前を落としてから細かいことは考える!!」

「あぐー!!」


 太陽色の鱗が夕焼けを反射して煌めき、邪竜は纏わりつく双子を勢いに任せて振り払った、そして次に来たのは。


『────────ッ!!!!!』


「うるっさいの、もう!!」


 リリが文句を言いながら風圧に押されて後ろに吹っ飛んでいった。

 ミミが大慌てでそれを追いかける。


「ばーか、覚えてろぉーッ」




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