旦那は竜で嫁、竜士

みなしろゆう

はじまり*


 ──彼女はエルフィという名を持つが、

 誰もその名を呼ぶ者はいない。


 両親は幼い頃、屋敷に押し入った盗賊によって殺された。


 今の彼女は小さな村の貧しい農家の娘。

 お屋敷に住み親から愛されて、何不自由なく暮らせていた頃は過去なのだ。


 実の両親はエルフィに色んな事を教えた。

 質の良い教育のもと心を育み、エルフィは期待に良く応える娘だった。

 遺伝的に体が弱くて、よく寝込む子どもでもあったのだけど。

 母と父は、いつだって優しくて穏やかだったと記憶している。


 けれど生まれてから過ごした幸せな数年間は、血塗れになって幕を閉じた。

 だから、全部過去なのだ。


 両親を亡くして呆然とするエルフィを、屋敷から引きずり出した人は、今の義父であり父方の遠い親戚だった。


「ああ、厄介だ……厄介だけど、この血を絶やすわけにもいかないだろう」


 義父はそう言ってエルフィを引きずって歩いて行く。

 遠去かる両親の死体が、此方をずっと見続けて。

 それが、忘れられないでいる。



 義両親に娘として引き取られてから、エルフィは自分が厄介者であると直ぐに気付いて、ずっと大人しくしていた。

 誰も優しくなかったから、目立たないように生きることを覚えた。

 逆らわず刺激せず、視界に入らないように。なのに悪意の方から寄ってくる。

 


 義母に本を取り上げられた時、守り続けた亡き母との、一日一冊必ず本を読むという約束は果たせなくなった。


 村の大人が書くことの出来ない文字を書くから生意気だと罵られる。

 父から教えてもらった読み書きなのに、二度とペンを握らせてもらえなかった。

 敬語を使って話すから、媚び売りと囁かる。

 憧れていた母親の真似はどうやら、村の大人たちにとっては癪に触るものらしかった。


 病弱な体は金を無駄に使わせるものとして罵倒される。

 だったら放って置いてくれれば良いのに、村人は死なせるわけにはいかないからとエルフィを生かす。


 村の子どもたちは皆、養子であることを馬鹿にしはやし立て、悪辣な嫌がらせを受けていつしかエルフィの居場所は馬小屋しかなくなった。

 日常的な悪意と暴力に晒され続けるなか、抵抗も反抗も出来ないエルフィは、毎日どうしたら良いのか考え続けて、結局。


 ──全部どうでもよく、なったのだ。



「エルフィ様、貴女は七賢者の選定により我が国の王子、ロイズ様の妻となることが約束されました」


「ご両親とこの村には、多大なる謝礼をご用意させていただきます」


 それはエルフィが十五歳になった頃。

 村の誰もが呼ばない名を呼んだ、王家の使者はそう言った。


 両親は喜んで、義理の娘を売り渡す。


 「やっと厄介払いが出来た、王家に嫁ぐならそう易々と死ぬことはあるまい」


 「呪われでもしたら、たまったものじゃないのだから」


 村人たちの囁きが聞こえる、王家の使者は顔を布で隠していて、表情は見えない。


 何の目的でエルフィを王家に連れて行くのか、村人が度々口にしていた、死なせるわけにはいかない、とはどういう意味なのか。


「どうでも、いいな」

 

 彼女が抵抗することはない。

 自分の意思など、とうの昔に死んでいる。


 生きているとは、とても言えなかった。



 ***




 選定に従ってエルフィは王国の王子、ロイズの妻となる。


 ロイズ王子は人を傷つけたり暴力を振るうことに快感を覚えるひとだった。


「死体でもいいんだけど、やっぱり生きてる人間がいい、侍女を殺してみたこともあるけれど、君みたいな良い人形はなかなかいない」


 ロイズ王子は恍惚と囁いて笑う。


 触る手は無遠慮で、何度も刺され、切られ、嬲られる。

 体は生傷に塗れ、それでも彼女は抵抗しない。


「教えてよ、どうして君はこんなにも、僕の心を掴んで離さないんだ」


 どうでもいい。

 自分のことなど、どうでもいい。


 彼女は、

 生きているとは、とても言えなかった。



 ***



 その夜、目を覚ましたのは、息苦しさと熱さが理由だった。

 窓の外に、大きな満月が見える。


 寝台の上から、エルフィは起き上がった。

 死なないように加減されて切り刻まれた体は一応、侍女たちに手当はされているが。

 けれど傷は傷だし、痛みは痛みだ。


 震える体を抱きしめていると、背後から何かが弾けるような音が聞こえてくる。

 鼻につく焦臭さと、増していく息苦しさ。


 振り向けば部屋の隅が、燃えていた。

 炎はどんどん大きくなって、身の回りが、王城が燃えているのだとエルフィは気付く。


 頬を熱い風が掠め、城が倒壊していく音が近付いてくる、揺れを感じる。

 誰の声も聞こえて来ない、城にいるものは皆、炎に焼かれてしまったのだろうか。


 状況を認識した上で、動かなかった。

 動けなかったのではなく動かなかった。


 逃げることも叫ぶこともせず、焦りもなく、事実として広がっていく炎の海を眺める。

 災厄も痛みも、あるがままに。


 死が迫っていることを理解しながら、恐怖を感じる事は無かった。

 元よりそんな自由は許されていない。


 脳裏に思い起こされる朧げな両親の顔も、まともに目を合わせてくれなかった義両親の顔も、彼女に生きようとは思わせなかった。


 ──それに、生き延びたからって。


 燃え広がる炎を前に、エルフィは瞳を閉じて、何もかもを諦める。

 死を受け入れたというよりは、迫る死から逃げる理由を何一つ思い付かなかったのだ。


 閉ざされた視界の向こうで、崩れる音。

 炎が逃げ道を無くしていく。

 肌を焦がされながらも彼女は微動だにせず、ただ瞳を閉じて待つ、終わりの時を。


 そんな、彼女の耳に。


 「どうして君は、諦める」


 聞こえた声は、まるで隣にいるかのようであって、だけれど遠くから聞こえた。

 白い光が、エルフィの体を包み込む。



 光に炎が弾かれ、彼女は自分の意志とは関係なく体が動くのを感じた。


 自分の体が操られているということを理解する暇もなく、窓の外へと飛び降りる。


 燃える王城を背後に、傷だらけの少女が白い光に包まれ、ふわりふわりと舞っていく。



 「……なに?」



 着地と同時に裸足で土を踏み、炎の熱が遠去かった辺りで、エルフィは瞳を開いた。

 自分が城の外にいるなんて信じられない。


 振り返ると王城が黒煙に包まれ、焼け落ちていく様が見えた。

 あの中にずっといた、どれくらいの期間だったか分からなくなるくらい、ずっと。


 痛ぶられて死んでいないだけのまま、飼われ続けて一生出られないものだと思っていたのに、エルフィを捕らえていた物全てが跡形もなく燃え尽きていく。


 ぼんやりと炎を眺めていたエルフィの意識を、響き渡った轟音が引き戻した。


 鼓膜を揺らすその音が、獣の咆哮だと気づいて、エルフィは上を見上げる。

 見上げた先にあるのは夜空と月、青白く照らされた地表から、彼女は漆黒の影を見た。


 炎を突き抜いて、影は大きな翼で夜空へと舞い上がる。

 影の正体は巨大な獣だ、あれをなんと呼ぶか、エルフィは知っている。


 あれは、竜だ。


 黒い竜が、王城の上を飛んでいた。


 幼い頃に母親から、繰り返し聞かされた話を思い出す。


 ──人々を殺める、災厄の獣。

 災いと痛みを撒き散らす、呪いの苗床。

 草木を腐らせ、命を鈍らせ、世界を滅ぼす邪悪の化身。



 翼で夜風を裂き、雲をも消し飛ばす勢いで旋回する体。

 赤色の眼光が空を走り、獲物を探してぎらついている。

 顎を開けば炎を食む、その禍々しい姿は夜闇に映え、月を背負って君臨していた。


 ──人々はそれを「邪竜」と呼ぶ。

 忌み嫌い、遠去け、消え去れば良いと願いながら。




 立ち尽くしていたエルフィは、自分の意志とは関係なく歩みを再開した。


 己を導く白い光の正体は、エルフィにも分からない。

 今はそれより、身体中に走る痛みで意識が飛びそうだ。


 体は躊躇いなく、石を踏みながら歩く。

 どこに行こうとしているのだろう、わからない、足が勝手に動き続ける。

 耐える気力もなく、意識を手放した。




 気付いた時には森の奥深くで倒れていた。


 体中に受けた傷が開いて、血を滲ませている、無数のやけどが苦しめてくる。

 エルフィはやっと、自分が燃える王城から生き延びたらしいことを理解した。

 絶望するわけでも、怒りを覚えるわけでもなく、単純にそうなったことを理解した。


 ──生き延びたからといって、どうなるというのだろう。

 自分の体は限界だ、どちらにせよ此処で転がったまま死ぬ事に変わりはない。


 近くに小川でもあるんだろうか、水の流れる音がする。

 倒れたまま、エルフィはぼんやりと月を見上げていた。


 大きな月が、霞んでいく。

 心音が遠ざかる、音という音が遠のく。


 思考が途絶えて本当に、自分が持つ全てを手放す時が来る。

 死にたいと、思っていた訳ではないけれど、死ぬのも仕方ないのかなと思っている。

 

 子どもの頃みたいに望まれて愛されて。

 ──だけどその願いは贅沢なもの、みたいだから。


 「わたしって、何のために……」


 寝言みたいな声音で、エルフィは呟いた。

 全身の感覚が無くなっていって、いよいよというとき。


 最後に残った聴覚が、

 その「音」をはっきりと聞いた。


 風が切り裂かれるような、音。

 近付いてくるのだ、なにか大きなものが。

 

 エルフィを導いた白い光が、強く輝いて彼女の眠りそうな意識を起こす。

 全身の感覚が引き戻されていく、何だか温かくて心地が良い。


 とても懐かしい気配を近くに感じた。


 父親に頭を撫でられているみたいな。

 母親に語り掛けられているみたいな。


 失ったものの残滓が彼女を生き永らえさせ、生きた神秘に出会わせる。


 森に何かが降り立つ音がした。

 それは小さな音だったのに、感じる気配は気圧されるほどに強大だ。


 舞い降りた存在を見てみたくて、エルフィは目を開いた。

 はあ、と息を吐いて、見上げた先には。


 ──月が、落ちてきたんだろうか。


 銀色の竜が、エルフィを見下ろしていた。


 月光の如き銀の鱗と黒い瞳。

 広がる双翼と巨躯、血塗れの鉤爪。


 竜は顎に、邪竜の首を咥えている。

 輝きを失った赤い目、王城を燃やした邪竜の首が無惨な形でそこにあった。

 

 身の内から白い光を放っているかのような竜の姿を、エルフィは呆然と見上げ続ける。


 こんなに、美しいものが生きているなんて知らなかった。

 いつか聞いたお話が、頭の奥から呼び起こされる。


「エルフィ、お母さんの話をちゃんと、覚えておいてね」


 ──災厄を齎す邪竜を屠る、竜がいる。

 聖なる神秘を身に宿し、無限の命を繰り返す彼らは、誇りと知性を伴う万能である。


 人々の信仰と祈りが届く、天からの使い。

 「聖竜」と呼ばれる彼らは、この世の果てに向かい飛ぶものだ、永遠に、永遠に──。


 黒い瞳は宝石のよう、その輝きに魅せられて、エルフィは意識を失った。

 死ぬ為ではなく、安心したから、眠った。


 はじまりの日、はじまりの夜。

 「彼」との出会いが、エルフィの全てを変えて行く。

 

 不幸な性質の少女は初めて、自分を助けてくれる誰かに出会った。

 人ではない、聖竜という存在だけれど。


「命を諦めるというのなら、まずは。

 世界の優しさを知ると良い」

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