第二話「伸るか反るか」

 その後ろにはカバンを抱えた男性、システム手帳を見ながら耳打ちをする男性、両手を前に組み、やや早歩きの者たちが続く。


 受付嬢はスクッと立ち上がり、「社長、おかえりなさいませ」と腰を曲げた。


 社長と呼ばれた先頭を歩く男が立ち止まった。


「おや?」


 ポケットから両手を出し、受付前に立つ三人を値踏みするかのような目つきになる。


 受付の女性が「社長にご面会したいと、カタナシ・ブートレックのおかたが」と告げる。


「カタナギ・ビューティですっ」


 刀木かたなぎは顔だけ女性に向け、ささやいた。


「まさかまさかの、きみかぁ」


 バリトンの良く響く声で、男が近づいてきた。


「これはこれは、沖田社長さま。

 わたしのことをご存じとは、光栄ですなあ」


 刀木はなぜかむつみにちらりと自慢げな表情を向け、握手しようと手を差し出す。


 沖田ソウGソウジー株式会社代表取締役の沖田おきたそうは、右手を上げながら歩いてきた。


 刀木の前を素通りする。


「いやあ、しばらくじゃないか、生沼なまぬまくん」


 言いながら、ボーッと直立不動の則蔵のりぞうの手を、ガシッと掴んだ。


「元気そうでなによりだ。これは奇遇だなあっ」


「あ、ああ」


「なんだなんだ、忘れたとは言わせないぞ生沼くん。

 ぼくだよ、大学の研究室でよく一緒に議論した沖田だよ」


 沖田は相好を崩し、則蔵の肩を叩く。


「あ、確か、ず、図段田ずだんだ教授の研究室で、真核しんかく生物の情報伝達と遺伝子発現制御機構についての解析をしていたころかなあ」


「そうだよ、思い出してくれたかい。

 いやあ、あの時ぼくは研究室付き助手でさ。

 きみのような優秀な学生と議論をたたかわせるのが、なによりも楽しみだったんだよ。

 途中でオヤジの会社を継がなきゃならなくて、泣く泣く研究室から離れたんだけど。

 きみはどうなの。もう准教授くらいにはなったのかな」


「え、えーっと。

 ぼくは飼っていたツガイのセアカゴケグモが、こ、子どもをこさえて暮らし始めたから、四回生のときにかあちゃんから、おまえが責任を持って育てなさいって言われて退学めちゃったんだあ」


 むつみは「ええっ」と驚いて則蔵をふり仰いだ。


 蜘蛛の親子を飼育するために、大学を中退? 

 しかもセアカゴケグモって言えば、強烈な害虫じゃない!


「そうかあ、そいつは残念だったな。

 うん? ところで今日はどうしたの」


 そこで沖田は、手持無沙汰に立っている刀木とむつみに気付いた。


 ~~♡♡~~


 社長室は、はっきり言ってカタナギ・ビューティ本社の事務所よりもはるかに広かった。しかも調度品はすべて、舶来品の高貴なる光沢がまばゆい。


 むつみはお尻が吸い込まれそうな高級革ソファにもじもじしながら、おのぼりさんのように半開きの口で室内を見回している。 


 三人は沖田とともに、最上階の社長室へエレベーターに乗り込んで案内されていた。


 沖田が率いていた部下たちは、胡散うさん臭そうに三人に一瞥いちべつをくれて各自の持ち場に戻って行ったようだ。


 社長室にはシックなマホガニーの執務デスク、ロの字型に置かれたソファ、天井まで届く書棚がある。

 さまざまな専門書に、大きなトロフィーや盾が陳列している。

 取引先企業から贈呈されたと思われる。


 南向きの窓側には、背の高い観葉植物が太陽の光を浴びていた。


 長い脚を組んで座る沖田の前に、刀木、則蔵、そしてむつみが借りてきた猫のようにちんまりと腰を降ろしている。

 部屋の威圧感に、思わず首を縮めてしまう。


 コンコンとドアがノックされ、黒いタイトスカート・スーツの美しき女性がトレイにコーヒーカップを乗せて入室してきた。


「失礼いたします」


 カールしたブラウンのセミロングヘアが、ふわりとなびく。


 刀木は、横に片膝ついてコーヒーカップをテーブルに置く女性の匂いを嗅ぐ。

 鼻の穴がピクピクとイヤらしくうごめいていた。


「さあっ、熱いうちにどうぞ」


 右手でテーブルを指す沖田。


「い、いい香りなんだなあ。これはアラビカ種のキリマンジャロだ」


 はっ?

 なんでノリゾーさんがコーヒーを知ってるのよ。

 まさかの適当発言?


「さすが生沼くん。よくご存じだ」


 沖田は目を細める。


 事務所のインスタントコーヒーを美味しそうに飲んでいる則蔵が、香りだけで本格コーヒーの豆を言い当てるとは。


 むつみは則蔵のことが、ますます理解不能になってきていた。


「あのう、沖田社長さま」


 刀木はこのままいくと則蔵が社長になってしまいそうな雰囲気に、思い切って口を開いた。


 沖田は、おやどなたかな?

 と片眉を上げる。


「あ、いや、わたしはこういう者でございます」


 胸ポケットから名刺を取り出し、沖田に手渡した。


「ほう、同業でいらっしゃる」


「まあ、業界では御社の次あたりに、我が社は位置しておりますが」


「なるほど。刀木さんとおっしゃるのかな。

 では御社も上場を視野に入れておいでなわけですね」


「じょ、ジョージョー?」


 首を傾げる刀木の横で、コーヒーカップを傾ける則蔵が口をすぼめた。


「こ、こちらの会社の売り上げや総資産、貸借対照表などの有報ゆうほう(有価証券報告書)は、拝見してないからわかんないんだけど。

 名証めいしょう(名古屋証券取引所)ではなくて、東証とうしょう(東京証券取引所)へ上場するのかなあ。

 ああ、ジャスダックでもいいのか」


「うん、そうなんだよ、生沼くん。

 純資産や時価総額からいって東証二部の上場基準は充分クリアしているからね。

 おっと、これはインサイダー取引に引っかかってしまう内容だった。

 聴かなかったことにしてくれたまえ」


 快活に笑う沖田。


 ノリゾーさんって、理系出身なのになんで経済のことまで詳しいの? 

 それよりも社長って本当は相当頭悪いんじゃない? 

 あたしだって上場くらい知ってるのに。


 むつみは薫り高いコーヒーを口に含んだ。


「いやいや、そう、そうなんですなあ。

 我が社もそのジョージョーをしちゃおっかな、なあんて思ったりしてみたり」


「う、うちの規模では、どう逆立ちしたって、マザーズ(新興企業向けの株式市場)でも厳しいって。かあちゃんが言ってた」


 則蔵に話の腰を折られる刀木。

 話が進展しないことにまずいと思ったむつみは、コーヒーカップをテーブルに置いた。


「沖田社長さん!」


「うん?

 ああ、これは失礼。

 おやおや、こんなに素敵なレディがいらっしゃるのに、つい仕事の話に熱が入ってしまいましたね」


「まあっ、素敵なレディだなんて。

 いや、違う違う。

 あのう、実はあたしたちはそのお仕事の件でお願いがあって突然失礼しちゃったんです」


「ほう、それはそれは。

 えーっと、お嬢さんは」


「あ、はい。

 あたしはカタナギ・ビューティの財務部長をしております、蓮下れんげむつみと申します」


 えっ、いつから財務部長よ? 


 刀木は小声で訊く。


 いいから、社長は黙ってて。


 むつみは囁いたあと口元を引き締めた。


「レンゲさんか。

 まだかなりお若いのに財務部長とは、さすが当社と肩を並べられる御社だけのことはありますな」


 刀木は、なぜかテヘヘと頭をかいた。


「我が社では、近々ドイツのエーベルバッハ社が新たに開発した超マイクロ粉塵除去マスク改、を導入する予定なのです」


 むつみは書棚に飾られている、盾に彫り込んであるドイツ語をチラ見していた。

 第二外国語がドイツ語であるのが役に立った。


「エーベルバッハ社と言えば、業務用清掃機器のトップメーカーですな。

 当社でも何点か採用させていただいておりますが。

 はて、マスクを開発していたとは初耳ですねえ」

 

 しまった! 

 口から出まかせ言っちゃったのがバレるぅ!

 

 むつみは思わず斜め下に顔をそらした。


 つづく

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