探偵ロックンロール

廣野紘志

第1話 ロックスター消失

 沸きあがる歓声。集まるスポットライト。

 ステージに立つその男に、会場にいる万人が注目していた。

 白塗りの上に赤と黒で幾何学模様を描くメイク。明らかに鬘とわかる、ピンク色のロングヘア。それとミスマッチなモッズスーツ姿。そんな奇妙な風貌の男は、ギターを一度掻き鳴らしてから、場内の観客たちに叫んだ。

「ストップモーションズは、ここでいったん活動を終える! だけど、俺たちのロックンロールは、決して終わらない!」

 ハリのあるよく響く声をマイクに乗せて、男は精一杯の叫びをあげた。決して多いとは言えない観客たちは、それでもそれを感じさせない喝采を彼に返す。そこに、ダカダン、とドラムが合いの手を入れた。

「いいか! ロックンロールは、ただのジャンルじゃねぇ! 大声で叫ぶことでも、うるせぇだけの音楽のことでもねぇ! それは存在だ。意志だ。俺の中にも、お前らの心の中にも、ロックンロールは確かに存在する!」

 男の叫ぶ言葉は、ともすれば陳腐に思えてしまうかもしれないものだ。だが、その場にいた人間たち全員が、その台詞を身に染みて実感することができた。それは、何よりも男の声に、歌に、そして彼らが奏でる曲に、説得力があったからなのだろう。

「ロックンロールが存在する限り、お前らはいつでも夢で俺に逢えるんだ。だから、寂しいことなんてひとつもない。それを証明するため、俺はいまからお前らにロックンロールの魔法を見せる。だから――括目しろ!」

 その言葉に合わせ、ギタリストは己のストラトキャスターを構える。ベーシストは拳を突き上げ、ドラマーはシンバルを鳴らした。

「ラストナンバー! 『I’ll see you in my dreams』!」

 半ば怒声にも聞こえる絶叫と共に、鋭いギターリフが始まった。



******



 新宿駅東口の改札を出て階段を上がると、予想通り街には人がごった返していた。

 新宿駅での待ち合わせというのは面倒で、改札前でも駅前でもアルタ前でも、とにかく人が多くて目的の相手を発見するのに時間がかかる。

 もう少し足を伸ばして紀伊国屋本店前でも指定すればよかった、と後悔しながら、俺は地方から初めて東京に出てきた人間のように辺りをきょろきょろと見回した。

 ゼロ年代の邦楽ロックで音楽に目覚め、横浜の工業地帯から東京へと出てきて早数年。どうも出不精なもので、東京の街に慣れる日は遠そうだ。

 八月ももう終わりかけだ。かの名曲の如く「真夏のピークが去った」と天気予報士がテレビで告げるような、そんな暑さの緩んだ気候。ビルに囲まれたこの東京でも、少しは過ごしやすくなってきたといえるだろうか。

 待ち合わせの相手はまだ到着していないらしい。スマホを確認してから、俺は目を閉じ、音楽プレイヤーの電源を入れた。流れてくるのは、リアム・ギャラガーの「ウォール・オブ・グラス」。先日、取材のついでに潜り込むことができたサマー・ソニックでのステージを思い起こす。

 ロックスターは、あの日から変わらず歌い続けている。かさついて、軽やかで、それでもどこか艶やかな、得体の知れぬ魅力をもつ歌声。シンプルなサウンドと絡みあうそれは、まさにロックンロールかくあるべし、だ。

 曲がりなりにも俺はギタリストである。頑張らないとな、と、いやがおうにも奮起させられるようだった。


 それから数分もしないうちに、目的の相手は待ち合わせ場所に現れた。

 黒縁眼鏡をかけた長身痩躯と、サングラスを掛けた黒いジャケットの妙な二人連れの男たち。この二人のうち、どちらがミュージシャンで、どちらがマネージャーだと思うかを道行く人に訊ねれば、十中八九間違った答えが返ってくるだろう。

「メッシー、早いね」

 どことなく不名誉な響きが気に入らないあだ名で呼んできた黒縁眼鏡が、阿佐川正之あさがわまさゆき。俺――飯島英人いいじまひでとの所属するバンド、アンプリファイド・スクリームのボーカル&ギターで、作詞作曲も担当するフロントマンだ。

「やっぱり、車でもよかったんじゃないか?」

 阿佐川にそう話しかけるのは、我らがバンドのマネージャー、七見省吾ななみしょうご。浜田省吾と同じ名前です、がキャッチコピーの、見た目とぶっきらぼうな喋りによらず愉快なスタッフである。

「そうかもしれません。でも、ちょっと新宿の街を歩いてみたかったんです」

 バンドマンらしく高円寺に居を構える阿佐川からしたら、新宿は近い場所のはずだ。俺は雑司ヶ谷在住なので、割と気軽に訪れるのだが。

「アサは気分屋ですからねぇ。ま、いいんじゃないですか」

 俺はそう付け加えた。アサ、とは阿佐川の通称だ。ファンからは、アサくんとかアサさんと呼ばれることが多い。イイジマがメシジマになりメッシーまで進化した俺の通称よりは、少しは様になる呼ばれ方だと思う。

 「ま、歌舞伎町っつっても昼だしな。たまにはいいだろ」

 七見はそう言うとサングラスを掛け直す。殊更日差しが強いわけでもないので、もちろんファッションの一貫だ。どっちがロックバンドのメンバーなのか、と俺ですら思ってしまう。

 今日、俺たちが新宿に赴いたのは、デビュー前からお世話になっているとあるライブハウスを訪れるためだった。「フィクション」というけったいな名前を持つそのライブハウスは、1980年代から営業を続けている老舗で、数々のミュージシャンを輩出してきた。その末席を汚すのが俺たち、アンプリファイド・スクリームであり、チケットノルマに喘ぐアマチュア時代から、どうにか武道館公演を決行できるようになった現在まで、フィクションとは長い付き合いなのである。

 そんなライブハウスの店長を交え、バンド史を振り返る対談、というていで、今日は雑誌取材をフィクションにて受ける予定、というわけだ。

 長い付き合いといえど、フィクションではここしばらくライブを行っていなかった。割と規模の大きいライブツアーが続き、ライブハウスを会場にするとしてもフィクションのような小さい場所だと難しい、という状態が続いていたのである。以前はライブツアーの始まりは必ずフィクション、と決めていたのだが、大人の事情、というやつだ。


 夜の猥雑なイメージが強い新宿歌舞伎町も、昼間に訪れてみるとどことなく呆けた感じがする。客引きも夜ほど多くなく、周囲を行き交う人々もなんとなくけだるさを残している。コマ劇場が閉館し、観光地としての再開発を謳われたこの街は、歓楽街の色を残しながらも、少しずつ変わり始めているようだ。

 スピッツやエレファントカシマシを輩出した新宿JAMだって、今年2017年いっぱいで閉店する。ライブハウスの経営も厳しい時代、旧き良き時代のライブハウスたるフィクションも、いつかはなくなってしまう日が来るのかもしれない、と思う。

 俺が神妙にそんなことを考えながら歩いていると、七見がふいに口を開いた。

「ところで二人とも、フィクションに纏わる都市伝説って聞いたことあるか?」

「都市伝説?」

 俺が聞き返すと、七見は頷いた。

「某誌の編集に聞いたんだけど。十年前、フィクションでライブをしていたバンドマンが、アンコールの前に突然消えたっていう話」

 そんな話があったとは知らなかった。俺は少し興味を惹かれて、七見に訊き返す。

「普通に、ステージが嫌になって逃げたとか、そういうことじゃないんですか?」

「まあ、そう考えるよな。だが、どうも違うらしいんだ。ライブハウスの入り口に繋がる受け付けも、関係者の使う裏口も、どっちもスタッフが見ていたはずなのに、そいつはそのどちらも使わずに消えたんだそうだよ」

 どこまで本当かわからないけどな、と七見は付け加えたが、俺はがぜんその話に興味が湧いてきた。

 何を隠そう、この俺――飯島英人は、自分で言うのも恥ずかしいが、業界屈指の推理小説マニアである。

 某大ミス研部員であった母親に叩きこまれ、幼少期から児童向けのシャーロック・ホームズや少年探偵団を読まされた。海外古典を通りつつ、中学で日本の新本格ミステリに目覚め、あとは想像の通り。

 密室、アリバイ、暗号、クローズド・サークル。あらゆるミステリ的要素が、ロックと同じくらい愛おしくてたまらない。部屋にはCDやレコードと同じくらい蔵書が積み重なっているし、各ミステリ誌も愛読し、連載を持ったこともあるくらいだ。ただ、推理能力には致命的に欠けていて、ミステリを読んでいてまともに答えに辿り着けたためしがほとんどない。

 そんな俺の心中を察してか、阿佐川は面白そうに頷く。

「メッシー、随分その話が気になるみたいだね」

「事実だとしたら気になるだろ。ライブハウスからの消失トリックだ」

「丁度いいじゃん。今日、店長に訊いてみれば」

 それもそうだ。取材もそれなりに楽しみだったのだが、目的が一つ増えてしまった。


 雑居ビルの階段を下ると、フィクションの入り口のドアが見えた。ドアとその周囲の壁にはフライヤーやステッカーがずらりと貼られており、その中には探そうと思えば錚々たる大御所の名前もある。まだ営業時間には少し早いが、ドアは施錠されていないようだ。七見がドアを開けると、受付前のロビーで集団が歓談していた。

「樋山さん、お待たせしました。椎木さんも、本日はよろしくお願いします」

 取材陣の中央にいた人物に七見が頭を下げると、その相手であるライブハウス『フィクション』の店長――樋山亘ひやまわたるは笑顔で頷いた。

「どうもどうも、お久しぶりです。阿佐川くんと飯島くんも、ご無沙汰してるね」

「ええ、ここしばらくお会いしていませんでしたね。久々にフィクションに来れて嬉しいです」

 阿佐川がそつなく返す。

 樋山の黒いTシャツには、フィクションを拠点に活動し、最近めきめき頭角を現している若手メロコアバンドのロゴが白字で描かれていた。そんなバンドTシャツとダメージジーンズ、といういでたちはライブハウスの店長らしいといえるかもしれないが、齢五十を過ぎて若干薄くなってきた頭髪と、下がり眉に垂れた目尻という顔つきは、喋り方とあいまって、会社ののんびりしたおじさん上司、といった風情がある。樋山の愛される所以だ。

「樋山さんは元気そうですね。西島さんもまだいらっしゃるんでしたっけ。木下さんも別のバンドのライブでお見かけしたような。南城さんは、まだこちらに? 昔、アンスクのブッキングでお世話になった思い出があるんですよね」

「あら、残念。南城くんは、何年も前に辞めてしまいましてねぇ。結婚を期に転職したようですよ。西島くんや木下さんは、現役です」

「そうだったんですか。時間の経つのは早いなぁ」

 七見と樋山はそんなやり取りをしていた。いつもながら、七見の記憶力には舌を巻く。そんな中に、音楽雑誌『スクイーズ』の編集者である椎木豊しいきゆたかも如才なく割り込んでいく。

「弊誌のバックナンバーのライブハウス特集号に、フィクションのスタッフの皆さんの写真が載っている号があったので、持ってきました。話のタネになるかと思ったのですが」

 そう言って、取り出した雑誌を開いてみせる。

 店名のロゴが目立つ看板の前で、スタッフたちが集合して写真に写っていた。樋山と七見は「おお」と感嘆の声をあげる。

「西島くん、今と全然変わらないなぁ。木下さんは、この頃金髪だったんだねぇ。緑川くんなんか、スキンヘッドだったんだよね」

「緑川さん、目立ちすぎでしょう。今はどんな感じなんですか?」

「反動なのか、肩まで髪を伸ばしてるよ。極端な男でねぇ」

「はは、それはすごい。あと、南城さんも目立ちますね」

「当時はうちで一番背が高かったからね。今は岩下くんがいるけれど」

 樋山と七見の思い出話を、椎木は興味深そうに聞いていた。取材には直接関係のない話のようにも思えるが、単純に彼の知的好奇心が刺激されているのだろう。

 椎木は俺たちとはデビュー時からの付き合いで、仕事上の関係とはいえ、ある程度気心の知れた仲と言っていいだろう。樋山とは正反対に鋭い雰囲気を持つ人で、四角いフレームの眼鏡を掛けているところといい、理路整然とした話し方といい、新進気鋭の学者に見えないこともない。

 気を利かせたのか、椎木はこちらにも話しかけてくる。

「お二人とも、今日はご足労頂きありがとうございます。ちょうど、樋山さんとアンスクの話をしていたんですよ」

 椎木は手慣れた様子で俺たちのバンドのあだ名を呼んだ。

「椎木さん、僕が迷ってることとかズバッと言い当ててきますからね。曲のことも、また根掘り葉掘り訊かれてしまうんでしょうね」

 椎木を立てるように阿佐川が言うと、椎木は真面目くさった表情で「ええ、言いたいことは沢山ありますが」と返す。

「今回は、フィクションとアンスクの歴史を振り返る、という名目のインタビューですからね。新曲が出たら、おいおいそちらのインタビューで、くまなく訊かせていただきます」

 ひえー、と思わず声に出た。『スクイーズ』鬼の椎木、恐るべし、である。

 雑談もほどほどに、『スクイーズ』誌の取材がスタートした。老舗ライブハウスとして、充分すぎるほどにフォトジェニックなフィクションを背景に、阿佐川と俺の写真を何枚か。撮影が終わってからはインタビューで、こってりとバンド史を結成当初から今まで話した。

 まだ学生だった頃、もちろんチケットのノルマは達成できないので、メンバーのアルバイト代を掻き集めてライブ出演料に充てていた時代。生活費をギリギリに削ってライブをこなしている俺たちを見かねた樋山が、よく夕飯を奢ってくれたこと。デビューしてから少し、バンドの方向性について珍しく俺と阿佐川が対立していて、ここフィクションでギスギスしたライブをしてしまったとき、客にそんなものを見せるんじゃないと樋山が一喝してくれたこと。エピソードを挙げていけばキリがない。話しているうちに、懐かしさと、ここまできてしまったんだな、という実感が胸に湧き上がった。


 インタビューがひと段落つき、休憩に入る。俺はここぞとばかりに樋山に声を掛けた。

「七見さんから聞いたんですけど、ここのステージで人が消えたって噂、本当なんですか?」

「ああ、その話ね」

 弛んだ顎を触りながら、樋山は頷いた。気が付くと、奥で取材スタッフと話をしていたはずの椎木も戻ってきて、「僕も聞いたことあります」などと答えている。ぬかりない人だ。

「昔の話だし、『スクイーズ』の記事にはならないようなマイナーなバンドの話だけれどね」

 そう前置きをしつつも、樋山は件の都市伝説を事実だと肯定した。

 俺はにわかに興奮を覚え、思わず前のめりになって訊ねた。

「どういう流れなのか、詳しく聞かせてもらってもいいですか?」

 七見に窘められないかとも思ったが、彼は撮影スタッフと何かを話し込んでいるようだ。こんなときはフロントマンにお伺いを立てよう、と隣の阿佐川を見ると、腕を組んで神妙な表情をしていた。ヤバいときは、彼が「メッシー、やめとけ」と態度に出してくれるだろう、と俺は高を括る。それに、俺と同じくらい椎木も気になっているようだ。

 樋山はあっさりと承諾し、事件の概要を紹介してくれた。


 七見の説明通り、それは十年前――2007年頃の話だ。

 ここフィクションを、とあるバンドが根城として活動していた。名前を、「ストップモーションズ」という。

 レッド・ツェッペリンやディープ・パープル、ブラック・サバスといった70年代のハードロックがベースとなっている、今時珍しいストレートで骨太なロックバンドで、音楽性こそ硬派なのに、メンバーはモッズスーツを身に纏い、鬘を被り、キッスのように白塗りのメイクをして舞台に立っていたのだという。

 化粧をするバンド、といっても色々だ。有名どころで言うならスリップノット。日本ではいわゆるヴィジュアル系において枚挙に暇がないし、素顔を隠すバンド、と考えるならば、当時はビート・クルセイダーズがまだ活動していた頃だ。最も、あれは当初会社員の副業だったから顔を隠していたわけで、舞台上でも仮装と設定を貫く、という点では、現在だとマン・ウィズ・ア・ミッションのほうが近いのかもしれない。

 設定、と述べた通り、ストップモーションズはメンバーの正体が一切不明であるという点で、珍妙な――といったら失礼だが――ロックバンドだった。メンバーのネーミングもまた不可思議で、ボーカルがシロ、ギターがポチ、ベースがタマ、ドラムがミケと名乗っていたらしい。ペットかよ、とツッコまざるをえない。

 そんな奇妙奇天烈なロックバンドのボーカルはまた強烈な変人らしく、ライブ前にはアサヒ・スーパードライを呷り、ステージ上では縦横無尽に走り回りでんぐり返しにバック転、客席に飛び込んでは観客と肩を組み、時には殴り合いをし、とにかくやりたい放題の男だったという。彼、シロは自らをロックスターと名乗り、自分たちのロックンロールでいずれは世界を変えると言い張っていたらしい。

 ロックスターって。ドーピング・パンダかよ。

 思わずまたツッコミを入れてしまうが、そういう青臭さというか、ビッグマウス的なバンドマンは嫌いではなかった。大人しく謙虚で、界隈では頭脳派で通っているうちのフロントマンも、インディーズの頃は野心でギラギラしていたものだ。同じバンドマンとしては、大言壮語を吐いて未来を語るような人間に魅力を感じてしまう。オアシスだって、「俺はロックンロール・スター」と歌ったではないか。

 そう。舞台から消失したのは、そんなロックスターである。

 件のライブがあったのは、とある夏のことだ。その夜のライブで、ストップモーションズは解散を宣言した。インディーズレーベルへの在籍が決まりようやくバンドが走り出した頃で、突然の発表に観客はどよめいたという。

 そんなライブのラストナンバー、「I'll see you in my dreams」という曲が終わり、とめどない歓声が溢れる中、メンバーは舞台から捌けていった。アンコールを求める拍手は鳴り止まず、しばらくして、シロ以外の三人のメンバーが舞台に戻ってくるも、シロは出てこなかった。メンバーやスタッフが楽屋に探しに行くも、そこにはシロの姿はなかった。

 不思議と、他のメンバーたちに動揺はなかったという。ポチは「あいつなら、何か一つでかいことをしでかすだろうと思った」と言い、観客たちにロックスターの消失を告げた。今夜、彼は本当の伝説になったのだ、と。

 解散という名目があってハイになっていたのもあるだろうが、観客たちは驚嘆し、それから口々にボーカルの名を叫んだ。――シロ! あんたこそが、本物のロックスターだ!

 その一夜は、まさしく伝説といえる存在になった。ストップモーションズというバンドはそこで活動を終えたものの、フィクションに通う音楽好きの間では、ロックスターの消失という神話がまことしやかに語られていた。だがそれも少しの間のことで、ウェブサイトでは真偽不明の都市伝説扱いをされるようになり、時間が経つにつれ、ストップモーションズについての話題は薄れていった。著名な音楽雑誌に載ったわけでもない、地元で少し人気なだけのバンドだ。残酷にも思えるが、俺たちがいるのはそういう世界なのだ。

 I'll see you in my dreams――夢で逢いましょう。すべては夢だったかのようだ。

 かくして、消失事件は謎を残したまま、現在に至る。


 樋山の語ったあらましを聞いて、椎木が真っ先に反応した。

「普通に、楽屋から脱走したんじゃないですか? 怖気づいて逃げ出したようにしか思えませんけれど。集団心理で周りが盛り上がりすぎただけに聞こえますね」

 彼らしい一刀両断だ。樋山はそれに答えた。

「このライブハウスの出口は二か所。椎木さんや阿佐川さんたちがいらした正面の出口と、裏口の二種類です。正面を出るときには受付を通りますし、当日は裏口前にもバンドの対応を任せていたスタッフがいました。あの日は古参のスタッフが多くて、裏口は西島が、受付は木下が対応していたんですよ。あの二人が、シロと思しき人物が出ていくところは一切見なかった、と証言しています」

「なるほど。楽屋から脱走しようにも、出口が塞がれていたら意味がない、ですか」

「密室みたいなものですね」

 椎木の言葉に重ねるように、思わずそう口に出してしまう。ばつが悪く感じて隣の阿佐川を見やると、彼はニコニコ笑っていた。

「そうなると、件のロックスターはライブハウスからは出ていないことになります。彼には楽屋に一人だった時間があるんですね?」

「はい。他のメンバーに、先に舞台に出ていてくれ、俺はしかるべき準備をする、と告げ、三人をアンコールに戻らせたようですよ。そこから五分ほど、一人の時間がありますね」

 椎木は指で眼鏡の弦を押し上げると、次のアイデアを述べる。

「出ていないなら、その一人の時間を用いてライブハウスの中に隠れていたんじゃないでしょうか。ライブの後、スタッフの目を盗んで裏口から脱出した、と」

「それも難しいですね。実は不審に思って、クローズまで西島に裏口を見ていてもらったんです。が、そちらも成果はありませんでした」

 となると、本当にシロがライブハウスを出られる余地はなかった、ということか。たまらず口を挟む。

「ストップモーションズのメンバーは化粧をしていたんでしょう? すっぴんを見たことがある人は、どれほどいたんでしょうか。見たことがないのなら、素顔の彼が出て行ってもスタッフは気付かないのでは……」

「それがですね、シロはとても大柄かつ痩せ型で、非常に特徴的な体格をしていたんですよ。180をゆうに超えるくらい身長があってね。そんな人が出て行こうものなら、おや、と思うはずです。西島と木下に訊いてみましたけれど、そんな大きな人はいなかった、と言っていました」

 そうきたか。西島と木下の証言を信じるならば、ここで手詰まりだ。

「そのスタッフの証言は信じるに足るものである、と考えていいんですね?」

 椎木の質問に、樋山は首肯した。

「はい。当時から今まで、二人ともうちのスタメンですから。それに、彼らのいずれかが手引きしたと考えるには、バンドメンバーとの関わりが薄い。西島も木下も、仕事で接するバンドメンバーと私的に交友を持つタイプじゃありませんでした。僕なんかはよく呑んだりしますけれどね」

 バンドマンのトラブルというと浮上するのが金と女の話だが、そのどちらもストップモーションズは問題としていなかった。淡泊と言っていいほどライブ外でのファンとの交友も薄く、またどこかの女に手を出した、という話もない清廉潔白なバンドだったという。――余談として、うちのバンドもそれに近いが、何故かトラブルは尽きない。昨日も俺とドラムの植中がラインで言い争いになり、電話で三時間かけて口論し、最後は何故かナンバーガールの札幌でのラストライブの映像を同時再生しながら二人して号泣するという訳のわからない事態を発生させてしまった。あのバンドは喧嘩がぶっ飛ぶくらいかっこいいから、仕方がないのだが。

「出口が塞がれてるんじゃなぁ……」

 椎木は、珍しく参ったような表情をして、頭を掻いた。俺もそろそろ手詰まりだ。このライブハウスが中村青司の設計で、思わぬところに隠し部屋が存在する、などの妄想しか思い浮かばない。

 ビートルズよろしく、ヘルプ! といった視線を横の阿佐川に向けてみる。アンプリファイド・スクリームのブレインよ、俺を助けてくれ。

 阿佐川はいつもの癖で、左手で喉を軽くつまんでいる。何か考え事をしているときの仕草だ。

「うーん」

 考えるようにそう呻いてから、阿佐川は喋り出した。

「その話の前提をすべて正しいと受け取るなら、まずバンドメンバーはグルでしょうね。樋山さん、そのライブの後、ストップモーションズのメンバーから『大事にしないでくれ』みたいなことを言われたりしませんでしたか?」

「そうそう、曲がりなりにもひと一人が消えているわけですから、心配はしていたんだけれど、『これはシロのロックンロールだから、不要な詮索や配慮は要らない』なんて言われてね。そもそも、我々はシロの本名も本職も知らなかったんですよ。そういった書類ごとのやりとりはリーダーであるタマとやっていたもので」

「でしょうね。素性を知られないギリギリのラインはそこでしょう。名前も知らない奴とバンドは組めない。バンド運営って、金銭的な負担も大きいですから。――逆に、他のメンバーに一任してしまえば、身元を一切隠すことも可能だ」

「……それ、ストップモーションズのメンバーは一丸となって、シロの身分を隠していたってこと?」

 俺の質問に、阿佐川は答える。

「俺の予想だと、そう。で、それを裏付けるためには、樋山さんに一つ質問をする必要がある」

 なんでしょう、と樋山が改まって背筋を伸ばした。

「樋山さん。このライブハウスで働いてた南城さん、あの人、身長が高くて大柄でしたよね? 180センチ以上あるんじゃないですか?」

 あっ、と樋山が声を上げた。

「そういうことか? いや、でも、そんな……まさか」

「南城さんが、どう関係してくるんだ?」

 事態が全く飲み込めない俺は、阿佐川に訊ねる。黒縁眼鏡の奥で、阿佐川の意志の強そうな吊り目が鋭く光った。

「俺の考えが事実なら、こうなる。ストップモーションズのボーカルのシロは、フィクションの店員の誰かと同一人物だ。そして、おそらくそれは南城さん」


 一瞬、何を言われているのかわからなかった。わかってからも、そんなことがあるのか、と動揺してしまう。

「つまり、素性を隠していたのは、ライブハウスの店員という本職を隠すため、ということですか?」

 俺と同様、椎木も驚いているようで、やや逸り気味に阿佐川に訊ねる。

「それもあるでしょうし、もちろん、本来の意図としては、ロックバンド・ストップモーションズのボーカルであるシロを演じ切るため、というのもあるでしょう。俺が言いたいのはそこなんです」

 場の流れは、すっかり阿佐川が掴んでいた。樋山も椎木も俺も、その場に集まったスタッフたちも、息を飲んで彼の話を聞いている。

 観客の視線を一身に集める。まるで、ライブのようだ。

「先程まで三人が議論していた事件の過程からすると、シロはライブハウスの外に出ていない。かといって、後から出るために中に留まってもいない。となると、外に出なくてもいい人物であればいい。

 最初は客に紛れて出たのではとも考えましたが、そうしたら西島さんと木下さんが件の人物と思しき客を見つけていたでしょう。となると、やはりライブハウスのスタッフに紛れていたとしか思えません。しかし、この規模ですし、樋山さんの目の行き届いているところでライブハウスのスタッフに変装することは不可能でしょう。となると、元からスタッフだった人物がシロである、とするしかありません。

 演奏を終え、シロはメンバーとともに楽屋へ戻った。他のメンバーには先に舞台へ戻ってもらい、独りきりになった五分の間で衣装を脱ぎ、メイクを落として、自らの手荷物に片付けておく。あとは堂々とスタッフとして楽屋を出て、他のスタッフに紛れて仕事をすればいい。……シフトの管理、結構ゆるいんですよね? 『他のスタッフの代打で来た』と言えば、通用してしまうのでは?」

「……そう、かもしれません。最低限の人員に加えて、好きなときに好きなようにスタッフが居ついているハコでしたから」

「そうですか。なら、この推理はより真実に近付きますね」

 言われてみれば、そうだ。どんな荒唐無稽な結論であっても、可能性を絞って行けばそこにしか行きつかない。「不可能な物をすべて除外してしまえば、あとに残ったものが、たとえいかに不合理に見えても、それこそ真実に違いない」、である。

「ここまでが推理です。ここから先は俺の知識からくる想像ですけれど、当時のフィクションのスタッフで、180をゆうに超える長身というのは、南城さんしかいませんでした。それで、樋山さんに確認したんです。彼がシロの正体なのではないか、と思ったもので」

 感嘆の声をあげたのは、樋山だった。

「……確かに、背格好だけで言えば南城くんはシロと似通っていた。なまじ両者と付き合いがあるもので、その可能性にはついぞ思い至りませんでしたけれど……」

「シロが本名を明かさなければ、その南城さんという方と同一人物であるということは、樋山さんには知る由もなかったでしょうからね」

「本当ですよ。南城くんは確かに音楽を愛していて、自身でもバンドを組んでいると言っていましたけれど、そのバンドのことは僕に一切教えてくれなかった。そうか、ストップモーションズが……」

 そう言われてみればと、思いあたる節がどんどん出てくるようで、樋山は考え込んでしまった。

「シロ、という名前も、もしかしたら南城という苗字から取ったのかもしれませんね。ミナミ・シロと読めるから」

 椎木の指摘も、なるほどと合点がいくものだ。

 ミステリ好きとして、この都市伝説の真相が知りたいとは思ったが、こうやって答えを出されてしまうと、すっきりしたようで少し寂しくなってしまう。それにしても、これだけの情報で的確な答えを導き出せる阿佐川はすごいな、と思って彼を見やると、阿佐川は何か言いにくそうにしていた。言いたいことがあるなら言えよ、と目線を送る。

「……あの、すいません。余談かもしれないんですが、南城さん、ここを辞められた後はどんなお仕事をされているのか、ご存知ですか?」

 きょとんとした顔になりながらも、樋山は記憶を辿り答える。

「えーと、確か……建設会社に転職したって話は人伝に聞きましたね。なんでも、結婚するから安定した仕事に就きたい、とのことで。ライブハウス勤め、大変だからなぁ」

 樋山の言葉を聞くと、阿佐川は項垂れた。それは、デビューしたての頃に出た大型フェス、自分たちのライブの後の大物を目当てにしているのか、ライブ中に微動だにしない大勢の人々を前にしたステージの後を思い起こさせるような、そんな落ち込み方だった。

「シロ……南城さんは、『音楽を続けられなかった』人、なんですね」

 その言葉の真意を掴みかねて、俺は黙っていた。樋山も、椎木も、同様にしていた。

 阿佐川は何か考えながらも、ぽつぽつと喋り出す。

「俺は、これが言いたかったんです。ライブハウスのスタッフをしながらロックバンドをこなす。そんな二重生活を、南城さんはこなしていた。でも、ストップモーションズは解散に至った。樋山さんの話によると、メンバーに目立ったトラブルはなかった。しかも、インディーズレーベルに所属することが決まったところだった。それでも、バンドを辞めなくてはいけなかった。ライブハウススタッフのほうではなく、バンドのほうを。

 その理由を考えたとき、同じバンドマンとして、真っ先に思いついた理由が、将来のため、です。俺たちも元社会人で、会社を辞めてバンドに専念することにした。そのときにどれだけの逡巡があったか、言葉では表しきれません。南城さんは、恐らくですが、バンドとライブスタッフを並行させていく生活に限界を感じ、将来のあるほうを選んだ。それはもう、どうしようもない、仕方のないことなのだと思います」

 はっとさせられた。そうやって、人生の岐路に立ち、音楽を続けないことを選んだ人がどれほどこの世にはいるのだろう。夢が全て叶うわけではなく、むしろ叶わないことの方が多いということを、この業界にいれば嫌でも思い知ることになる。

 俺は昔、アンプリファイド・スクリームを辞めようと思ったことがある。まだ会社勤めをやっていた頃の話だ。メンバーにも、阿佐川にも話を通し、これを最後に辞めるというライブを終え、家に帰る途中の車内で、ボロボロに泣いてしまった。

 悔しくて。

 ここで終わらなくてはいけないことが悔しくて、悲しくて、どうしようもない感情が噴き上がって、俺は車を停めて阿佐川に電話をした。

 ――ごめん。やっぱり、バンドは辞められない。

 自分勝手な俺のことを、阿佐川は、メンバーは受け入れて、またバンドに迎えてくれた。そんな過去を思い出してしまって、阿佐川の言いたいことが痛いほどわかってしまった。

「ご結婚の話を聞いて、それを確信しました。南城さんは、そういう選択をされる方なんだ、と。自分や他人を犠牲にする可能性のある夢という選択肢を手放すだけの、強い覚悟がある方なのだと。……南城さん、音楽業界でお仕事をすることに、拘りがあったんじゃありませんか?」

「……あったでしょうね。ここで働きながらも、俺は本当はロックバンドで食って行きたい、といったことを言っていました。それがダメだからここで働いてるんだ、とも。だから、辞めたいと告げられたときは驚きました。……阿佐川くんの、言う通りですよ」

 阿佐川は、寂しそうに微笑んだ。

「俺の推論を聞いてくださって、ありがとうございます。……やっぱり、そうなんですね」

 フライヤーやステッカーで埋め尽くされ、落書きもちらほら見られるフィクションの壁。探せばきっとストップモーションズのものもあるのだろう、そこに刻まれた無数のバンドの名前を眺めながら、阿佐川は呟く。

「俺がバンドを始めるきっかけになった、とても尊敬しているミュージシャンがいます。以前その人が言っていました。『売れなかったらやめなければいけない音楽とは何だろう』って。売れるためでなく、音楽が好きだから、目的として音楽をやっているはずなのに、生きていくための手段にならざるをえないのは何故なんでしょう。そういう社会構造になっていて、そういう業界の仕組みになっているから、それはわかる。

 でも、やっぱり、寂しいじゃないですか。生きるために、音楽をやめなくてもいいようになって欲しいじゃないですか。音楽を続けたい人が、音楽を諦めなくていい世界が一番いい。俺はどうしても、そう思ってしまうんです。

 何故、シロはステージから姿を消そうとしたんでしょうか? 普通に解散を報告するだけではいけなかったのか? そこには理由があるはずです。

 ロックスターは、ロックスターとして消失したかった。周囲の人々に存在を極限まで刻み付けて、魔法のように消え去りたかった。南城さんとしてではなく、シロとして死にたかった。……俺には、そう思えてなりません。

 南城さんは、ロックを信じていたから、ロックスターとして消えたのだと、俺は信じています。

 だからこそ、南城さんが、もし音楽を続けられていたら――そんなことまで考えてしまうのは、俺だけなんでしょうか。誰も間違っていないからこそ、俺はどうしても、そういうifを考えてしまう」

 それはきっと、理想論だ。

 だけど、ロックバンドが理想論を放たずして、誰が叫ぶのか。

 大丈夫だオールライト、と歌うのが、俺たちの仕事じゃないのか。

「……僕も、そう思う。南城くんは、きっと音楽を続けたかったんだと思います。だって、彼ほど音楽を愛していた人は、そうそういない。それは、僕が証明できますよ。いくらでもね」

 そう言って、樋山も、阿佐川と同じく壁に刻まれた歴史に目をやる。

 生き抜いてきたバンドも、生き抜けなかったバンドも、全てのバンドがそれぞれに信念を抱え、音楽を愛し、ひたすらに走りぬいてきたはずだ。

 樋山の目に、涙が滲んだ。

「南城くんに、君たちの……アンプリファイド・スクリームの今のライブを、観て欲しいな」

 

 それから数日後。

 都内某所の運動公園で開催されたロックフェスへの出演を終えた俺たちアンプリファイド・スクリームは、ステージを降りて舞台袖へと戻ってきた。

 夕方に差し掛かる微妙な時間だ。小腹も空いたし、ケータリングで美味しいものでもつまもうか、と考えていると、俺たち四人の元に七見がやってきた。

「お前ら、椎木さん来てるぞ」

 七見の背後から、ひょっこりと椎木が顔を出す。

「お疲れ様です。今日のステージはかなりキレてましたね。阿佐川さん、あんなに暴れまわったの、久々じゃないですか?」

 椎木の指摘に、阿佐川が照れたように笑う。ベースの江本が、「アサ、お前、何照れてんねん」と小突いて、ツッコミを入れた。横で植中が笑っている。

「椎木さん、このフェスのことも書かれるんですか。いい記事にしてくださいよ。あと俺をカッコよく書いといてください」

 俺の戯言を、椎木は「まあ、考えておきましょう」と難なく受け流した。

「それより、伝えたいことがあって来たんです。南城さんが、樋山さんと一緒に今日のステージをご覧になっていましたよ。たまたま見かけて声をお掛けしたんです」

「えっ、あの南城さんが……?」

 驚いた。確かに樋山はライブを見て欲しいと言っていたが、本当に実現させるとは思わなかったのだ。

 自分で言うことではないが、今日のアンプリファイド・スクリームのステージは最高だった。自分のギタープレイへの手ごたえは勿論、四人の息がガッチリと噛み合って、呼吸まで一緒になるような、そんな一体感のあるステージだったのだ。

 そんな俺たちの姿を、音楽を辞めた南城さんに見せることは、ひょっとしたら傷つけることになるかもしれないと思った。だが、そういうものを超越する何かを、今日の俺たちなら見せられたのではないか、とも思う。

 それに、これは確信をもって言えるのだが――南城さんは、まだ音楽が好きだ。

 だから、大丈夫なんだ。

 きっと伝わる。

「良かった。今日見てもらえて。これで酷い演奏をしたところを見られちゃ、意味がないよな」

 安堵したように息を吐いた阿佐川に、俺は笑ってしまった。

「バカ。いつでもいい演奏をしなくちゃいけないだろ」

「まあ、そうなんだけどさ」


 椎木が去ると、ステージからは次のバンドの音楽が漏れ聞こえてきた。

 世の中には星の数ほどのロックバンドがある。それでも、それぞれがどんな奴でも、俺もやっぱりみんなに音楽を続けて欲しいと思う。

「アサ」

「何?」

 演奏に負けないよう、声を張り上げて名前を呼ぶと、阿佐川も負けじと返してきた。はっきりとした発声と独特な低い声は、いつ聴いても、同性である俺でさえ聞き惚れてしまう。

「フィクションの取材のとき言ってたやつ。やめなくていい音楽の話」

「ああ、あれね」

「あれの元ネタさ……」

 俺が続きを言う前に、阿佐川は恥ずかしそうに手で制してきた。

「言わないでくれ。世界で一番好きなバンドの、世界で一番好きなフロントマンなんだ。引用した俺が照れるじゃないか」

「ふーん。……ふーん」

 思わず笑みがこぼれてきた。頭脳派阿佐川の、ちょっとお茶目な一面である。ただ、気持ちはわかる。あの人は、俺たち四人の全員にとってカリスマなのだ。

ちなみに俺が世界で一番好きなフロントマンは、言うまでもなく向井秀徳だ。余談も余談である。

「感銘を受けた言葉で、一度どこかで使いたかった。……そうやって循環していくものだろ、音楽って」

「そうだな」

 太古の昔より、影響の樹系図が無限に根を広げながら、音楽の歴史は続いてきた。俺たちも、その端の端に身を置いている。その最中でも、途切れる枝があり、続いていく枝もある。運命がどこで分かれるかは、誰もわからない。

「メッシーさ」

 阿佐川が呼びかけてきた。「おう」と返す。ベースとドラムの重低音の中で、俺たちはやり取りを続ける。

「リアム・ギャラガー、観たんでしょ」

「サマソニでね」

「……なんだかんだで再結成してほしいよなぁ、オアシス」

「だよな」

「夢を、見せてほしいんだよな」

 ――夢で逢いましょう。

 夢でもいい。それを見せるのが、ロックンロールじゃないか。

 そう思えば、俺たちはまだやっていける気がする。

 ステージでは、俺たちよりもっと若いロックバンドが演奏を続けていた。間奏に差し掛かったのだろう、ギターはチョーキングを唸らせ、スタッカートの効いたフレーズでベースがそれを支え、キーボードはめちゃくちゃにグリッサンドを鳴らし、ドラムは気の利いたフィルインを軽やかに叩き上げている。そんな音の洪水の中を、ボーカルはハンドマイクで縦横無尽に駆け回る。彼の叫びに合わせて、ひしめく観客たちは歓声を返す。

 会場の心がひとつになる、夢のような光景。

 俺たちはこれが見たくて、ここにいる。

 だから俺たちは叫び続けよう。夢を見続けられなかった人々の分まで。

 そう決意して、バックステージを振り返る。ケータリングに集う同期のバンドがいて、芝生の上でシャボン玉を飛ばす女性シンガーソングライターがいて、その横で集まって何やら楽しげに話しているガールズバンドがいて、道行く大物バンドマンに握手を頼む新人バンドがいて。

 彼ら彼女らみな、夢を背負っているのだ。

 そう思うと心強くて、俺はニヤリと笑いながら、バックステージへ戻っていった。



   end.

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る