第9話「エピローグ―混乱は赤と緑―」
悲鳴が飛び交う混乱の境地。
その地面にはいつ踏まれたのか、すでにこと切れている子供の亡骸が道路の端に横たわっている。
「どけっ!」
人を押し、どうにか自分だけでも助かろうとする醜い大人の姿。
「ままぁぁぁあああ!!」
どうしたらいいのかわからず、ただただ何叫ぶ子供の姿。
「終わりだ。終わりなんだ」
神に祈る宗教信者や諦めた者たちの姿。
さまざまな人々がそれぞれ思い思いの行動を起こす。するとそれは混乱という形となって現れ、牙をむくのだ。
その日、防衛都市東京の第3防壁が陥落した。
第3防壁の内部には工場区画が密集しており、そこには住み込みで働く者達も多く生活している。
そう言った者達にとって招かれざる侵略者たちは突如防壁を軽々と乗り越えてやってきた。
最初に防壁の上に現れたのは巨大なバルグであり、その種類を知っている者が居ればすぐに戦車級を想像しただろう。しかしながらその実態は兵士級の変異種であり、その異常なるジャンプ力によって直接壁を乗り越えたのだ。
その姿を直接見た者は少なかったが、その直後に開門した西門から次々と現れるバルグ達。
そのすべてが兵士級であった事から瞬く間に広がり、様々なところで被害を起こしていった。
もちろん駐屯していた軍は総力を挙げて戦闘を開始した。
最初は第3防壁内の各駐屯地。そして第2、第1防壁内の軍が次々と到着し、戦闘を開始。その数は減っていった。
しかしながら変異種。この事態の元凶であるバルグに関しては討伐するのに時間を要した。
理由を言うのであればとにかく素早い。
並大抵の攻撃は躱され、肉体も大きい事から着弾した弾もあまり効果を見せない。
最終的に麻痺弾を多用することにより動きを鈍らせたところを戦車の榴弾で仕留めたのだ。
しかしながらその時には遅きに失していた。
第3防壁内に散らばったバルグをすべて殲滅することは事実上不可能であり、今もなお流入してきている西門を閉門することは難しい。それらを加味して政府は第3防壁を放棄、第2防壁内まで撤退することを宣言した。
今まで第3防壁内で生活していた人々の総数は1000万人にも上り、その面積も膨大なものである。中には山だったり湖だったりするものも存在するからである。
そのような場所から第2防壁内へ住民を退避させることは非常に難しく、大きな混乱が生じた。
非難が完了したと政府が発表するまでの10日間。その最後にカウントされた避難民は総数203万5486人。残りの800万人は固く閉ざされた門の外で生活することを余儀なくされたのだ。
まだ避難民が居るのにも関わらず政府が門を閉じた理由。それは単純明快な事だった。
『食料がない』
ただ、これに尽きた。
もちろんジオフロントたる地下都市には核燃料で稼働している人口太陽が設置されており、食料の生産も行われている。その他、工場での食糧生産も行われているのだが、それは膨大な面積を誇った第3防壁内も同じである。
いままでの食料の生産のおよそ6割を支えていた第3防壁内。それを失った代償はとてつもなく大きかった。
閉ざされた門の前には連日声を上げる難民たち。それを襲うバルグ達。
そのような地獄絵図を第2防壁に詰める兵士たちは目の当たりにした。
もちろん防壁を登ろうとするモノには攻撃をする。それが人であろうとバルグであろうと、命令には書かれていない。全て、なのだ。
そんな場所だ。中には精神を病む者も当然のことながら多く、提出された辞表は過去最高の数に上ったそうだ。
そんな中、当然開門させるような動きも内部で起こった。しかしながら政府はそれを予想し、すでに各門は溶接され、防衛課の者達によって警護されるという厳重な状態に置かれていては手も出すことが出来ない。
もちろんそれを越えて行おうとした者も居たが、当然のことながら銃殺されるという結果に変わっている。ここはすでに過去の日本ではないのだ。
門の周りには人が集まる。
という事はバルグも集まるのが答えだろう。
それを徐々に理解したのか。それとも門の中に入る事をあきらめたのか。それともバルグに貪られる事でいやいや解散したのかは不明だが、人々はいなくなり始めた。
そんな者達を遠くから双眼鏡で覗く者が複数。
「ようやく解散しだしたようだな」
深くフードを被り、都市迷彩柄のポンチョのようなものを着ている男が呟く。
「ええ、頑張った甲斐があったというものだわ」
その男の言葉に同意するように声を上げたのは女性のものだろうか。
「政府には頼れない。そのことを理解させるのには骨が折れた」
男の漏らすため息とも言える言葉には疲労という成分が多分に含まれていることだろう。フードによって表情は見えないが、疲れたような口調で丸わかりである。
「あら、あんたノリノリでやってたように見えたけど?」
そんな男をからかうように呟く女。その肩が微かに擦れていることからも笑っていることが理解出来る。
「うるせぇ。それしか方法がなかったんだからしょうがないだろ」
女の頭を軽くはたくと男は立ち上がった。
今まで寝そべっていたのはすでに人のいなくなったビルの屋上であり、地上20階という高層建築物の上だった。
「あら、もう見物はやめるの?」
同じように立ち上がった女は男に問いかける。
「必要な情報は取れた。報告しに行く」
そう言うと男は足早に屋上から出て行く。
一人残された女は短くため息を吐きながらそんな男を見送っていた。
「それにしてもひと月でここまで変わるモノなのかしら」
そういいつつ向ける視線の先にはすでに崩れた建物や、未だに炎上を続けている建物が見えている。その中には当然のように人間の姿も。そしてそれらを狙うバルグの姿もある。
そんな街の姿はさながら世紀末と言えるかもしれないと女は思う。
「バルグが門を開けた、ねぇ」
西門が破られた1月前。その情報は防衛都市に住むすべての人々が耳を疑うような内容だった。
「確かに知性は高いけど、それは上位個体なんだけどね」
小さく呟かれる言葉には各所に棘が見える。その事からも女がその情報を疑っていることは明らかだ。
「まぁ、ありえなくはないんだけどね。あの変異種は高い知性を持っていたし、兵士級の統率も取れてた。さながら上位個体と言えるのかもしれない。だから可能性はあるわね」
そう言いつつも思いだすのは数日前に見てきた門の稼働施設。
その内部はバルグ達によって蹂躙された形跡が残されていたが
「あれはどう見ても、ねぇ」
そう呟きながら女も屋上を後にするのだった。
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