刺激的な主人公 直人side②



 午前九時。玄関のチャイムが鳴る。

 こんな時間に一体誰だ。

 俺の家にはセールスと宗教の勧誘しか来ない。近所付き合いなど、一切していないのだから。


 仕方なく玄関に向かい、引戸を閉めたまま磨りガラスに映るシルエットを眺める。

 体つきから、どうやら訪問者は女性らしい。念のために、引戸越しに声を掛ける。


「誰だ」

「おはようございます。スーパーKAISEIです。昨日は大変失礼致しました。お詫びに伺いました」


 スーパーKAISEI? 昨日のお詫び?

 例の生卵の女か? だとしたら、俺に危害は加えないだろう。

 鍵を外し引戸を開けると、彼女が緊張した面持ちで立っていた。手にはスーパーの袋が握られている。


「只野様、昨日は大変失礼致しました。お怪我はありませんか?」

「ない」


 気まずい沈黙が流れる。もう話すことはない。

 ……だが、待てよ。彼女は俺のイメージする小説の主人公だ。

 恋愛小説のためにも、俺は彼女と付き合わなければならない。

 ―桃色のアドバイス……。


【ナチュラルな言葉】


 そうだ、ナチュラルだ。


「ナチュラル」


 自信満々に口にしたのに、彼女はノーリアクション。


「ぇ? ……あのこれ、良かったら召し上がって下さい」


 生卵の女が大量に卵を持ってきた。卵が好きすぎて自宅で鶏でも飼っているのか。

 彼女が無類の卵好きだということはよくわかった。小説の参考までに彼女の恋愛感や男の好みが知りたい。


「君の好みは」

「SMですね。小さい方が好き」


 SM? 小さい方がいいのか? 人は見かけによらぬもの。初対面でSMはまずいだろう。いくら刺激的な恋の虜とはいえ、過激過ぎる。

 大体俺はノーマルだ。それにサイズは至って普通だ。他人と比較したことはないが若干勝っている気もする。彼女の要望には応えられない。


「鞭や蠟燭を好むのか」


 彼女が一瞬ギョッとし、何故か蠟燭のように直立不動で固まっている。

「昨日のことは深くお詫び申し上げます。鞭とか……暴力は勘弁して下さい」


 暴力? 俺が女に暴力?

 振るうわけがないだろう。今まで一度も人を殴ったことはない。人を殴ると自分の手が痛むからだ。


【ストレートに告白すれば】


 桃色のアドバイスだ。どんな反応をするか試してみるか。


「ずっと気になっていた」


 彼女が目をぱちくりしている。


「ずっと好きだった」


 彼女の手から、卵の入ったビニール袋が落下する。グシャリと足元で卵の割れる音がした。はずみでビニール袋が破れ、中からダラリと卵が垂れる。

 なんということだ。たった二言で彼女のハートを射止めたというのか?


「……すみません。すみません」


 彼女は熟れたトマトのように頰を真っ赤に染め、落下した卵を見て取り乱している。

 恋愛カウンセラー、桃色。奴は恋愛のスペシャリストかもしれない。


「今のセリフ、どう感じた?」

「えっ?」


 彼女は跪き、垂れた卵をティッシュで拭き取る。割れた卵でベトベトになった指先。俺ならば触れたくない。


「嬉しいと思ったのか?」

「……只野様のことはよく存じていないので」

「嬉しくないのに、卵を落としたのか?」

「ドキッとして……。故意ではありません。玄関を汚してすみません」


 ドキッとした?

 あんなセリフでドキッとしたのか? 女を口説き落とすなんて意外と簡単なのかもしれない。

 ならば、ここからはアドリブだ。あらゆる角度から彼女を観察したい。


「俺と寝ろ」


 パンッと頰を叩かれ、鼓膜がビリビリと振動している。


 これは小説の筋書きだ。

 男のセリフをイメージしたまで。主人公はテクニシャンなのだから。

 早とちりな彼女の手には、生卵がベッタリついている。その手で殴られた俺の頰には、タラリと白身が垂れている。

 最悪だ……上手くいっていたのに。

 アドリブを入れた途端、この様だ。


「只野様、申し訳ありませんでした。失礼します」

「君、君……。今のはアドリブだ」


 失敗してしまった。しかしスムーズにことが運ぶと、俺の小説は三章で完結してしまう。

 こんなアクシデントも恋愛小説にはアリだな。まずは彼女を引き留めないと。


「実は君に頼みがある」

「私に頼み?」

「俺と付き合ってみないか」

「は?」


 今度は大丈夫だ。同じアドリブでも、きっと上手くいくはず。

 この俺が頼んでいるのだ。断るはずはない。


「申し訳ありません。仕事があるので失礼します」


 彼女は俺に背を向けスタスタと遠ざかる。


『ずっと好きだった』そのセリフには反応したのに、『俺と付き合ってみないか』には無反応。


 一体どこが気にいらないのか、俺には皆目見当もつかない。

 ただわかっていることは、生卵の女は無類の卵好きということ。

 鶏みたいな女がどうすれば刺激的な恋の虜になれるのか、さっぱりわからない。


 玄関を片付け、割れてない卵を冷蔵庫に入れ、座敷に戻りプロットを作成する。

 プロローグはどう書けばいい。戦国時代ならば合戦の場面から書くのも悪くはないが、恋愛小説で主人公をいきなり殺すわけにはいかない。それではサスペンスになってしまう。


「困ったものだ」


 ヒリヒリと痛む頰に触れる。『俺と寝ろ』と言って殴られた。これは生真面目で尚且つしらふの女にはNG。

 だが酔えば女も開放的になる。一夜限りの恋を楽しむのは、男だけではない。寧ろ生真面目な人間ほど酔えば羽目を外すものだ。


 そうだ、主人公が酒を飲めばいいんだ。


 プロローグはホテルでの情事。だがイメージが摑めない。酒を飲んだだけで、果たして女は男に抱かれたいと思うのだろうか。どうすれば恋愛小説のプロローグになるんだよ。


 俺はパソコンに視線を向ける。

 そうだ、桃色だ。彼女なら俺に良きアドバイスをくれるはず。

【桃色恋愛カウンセラー】を開く。

 迷わず、お気に入り登録をした。これからもアドバイスを乞うためだ。

【群青色です。彼女に『俺と付き合ってみないか』と申し込み、相手にされませんでした。何故無反応なのかわからない。】


 入力したものの、待てど暮らせど返信はない。

 注意書きをよく見ると【当サイト、相談は二十四時間入力可能ですが、即時回答ではありません。】とある。


 なんだ、早朝は運が良かっただけか。即時回答でないのなら期待はできないな。

 桃色は神的存在ではなく、明らかに副業のようだ。

 桃色の本職は心理カウンセラーに違いない。だから勤務時間外に、無償で悩める者達の相談に乗っているのだ。桃色は人間的にも素晴らしい逸材。ゆっくり回答を待つしかない。

 このまま書けない恋愛小説に時間を費やすよりも、好きな歴史小説を書いた方が効率的だ。


 カリカリと万年筆を動かし、一心不乱に戦国の世を書き綴る。

 気がつけば、いつの間にか周辺は薄暗くなっていた。部屋の照明をつけ、時計に目を向ける。

 織田信長に没頭していたため、昼食を食べていなかった。


「もう夕飯時か。弁当でも買いに行くか」


 徐に立ち上がり、下駄を履き徒歩数分のスーパーKAISEIに向かった。

 店内に入ると、今朝謝罪に訪れた彼女が陳列棚に卵のパックを並べていた。


 どれだけ卵が好きなんだ。やはり前世は鶏に違いない。卵を見ただけで、殴られた頰が連鎖反応を起こしピリピリ痛む。

 午後六時半を過ぎると、KAISEIの弁当や惣菜は半額になる。まだ時間があるため、俺はぐるぐると店内を歩き時間を潰した。


「いらっしゃいませ。お兄さん、お弁当が安いよ」


 半額シールを貼りながら、販売員が俺に声を掛ける。


「わかっているから、半額シールを待っていたのだ。それに俺はお兄さんではない。作家の只野だ」

「失礼しました。ごゆっくりどうぞ」

「俺は多忙を極めているんだ。ゆっくりしている暇はない」


 白いエプロン姿の販売員と揉めていると、後方から声がした。振り向くと私服姿の彼女が立っていた。


「……只野様? いらっしゃいませ。何か商品に問題でも?」


 販売員はあからさまに『助かった』という顔をし、俺の前からそそくさと逃げ去る。


「君か、そう言えば君の名前を聞いていなかったな」

「御園と申します」


 参考までに、もう一度彼女のリアクションを脳内にインプットしたい。


「ずっと気になっていた」


 このセリフに女性は心を揺さぶられるのだ。現に彼女も……。


「そうですか、幕の内弁当は当店でも人気商品なんですよ」


 いや、そうではない。


「ずっと好きだった」

「私も幕の内弁当は好きです。今夜は一人だから買って帰ろうかな。もしご希望ならレンジで温めましょうか?」


 同じセリフでは、どうやらときめかないようだ。


「問題ない」


 いや、問題ある。確か彼女は今『今夜は一人だから』と発言した。

 すなわち、いつも一人ではないということになる。


 小説の主人公は、独身で男性経験なし。すなわちバージンという設定だ。

 彼女の地味な風貌から独り身だと思っていたが、既婚者なのか?

 彼女が弁当にスッと左手を伸ばす。薬指をじっと観察するが、指輪はない。

 ということは男と同棲しているのか。


 俺の描いていた主人公のイメージが、ガラガラと音を立てて崩れる。

 彼女が……バージンでないと困るのだ。


「あの……何か?」


 そうか。恋人がいたから俺を相手にしなかったんだ。

 いやまて、それならば主人公の設定を変更すればいい。主人公は同棲している男がいながら、新たな恋に溺れていく。

 それでいこう。……その前に、もっと観察したい。

 酒を飲むと彼女はどう変化する? 彼女が乱れる様を見てみたい。


「君は酒をたしなむのか?」

「お酒ですか? 多少……。お酒の売り場ならあちらになりますが……ご案内しましょうか?」

「俺と今夜飲まないか」


 彼女は幕の内弁当を手にしたまま、こちらに視線を向けて驚いたようにパチパチと数回瞬きをし、無言で右手に持っていたカゴに弁当を入れた。

 これは俺の誘いを拒絶したという意味か?


 いや、そうではない。職場だから周囲の目を気にして、即答出来ないのだ。

 無言のまま、二人でレジに並ぶ。購入したのは同じ幕の内弁当だ。

 レジの店員が彼女に話し掛ける。


「まひるちゃんお疲れ様」

「お先に失礼します」


 下の名前はまひるというのか。御園まひる、悪くない。

 スーパーKAISEIを出ると、彼女は俺より距離をあけ後ろを歩く。男より数歩後ろを歩くなんて、今時珍しい奥ゆかしい女性だな。


 やはり小説の主人公は彼女しか考えられない。

 立ち止まると、彼女も立ち止まった。俺は振り返り、彼女に話を切り出す。


「君、彼と別れてくれないか?」

「彼? ……あの、只野様はスーパーのお客様です。ご迷惑をお掛けしたこと、只野様に手を上げたことは深くお詫び致しますが、お客様とプライベートでのお付き合いは出来ません」

「不祥事を詫びるというのなら、一度でいい、一緒に食事をしてくれ。それで全て水に流す」

「食事……ですか?」

「この幕の内弁当でも構わない」


 俺はスーパーの袋を持ち上げ、彼女に見せる。


「わかりました。食事をご一緒すれば許して下さるのですね」


 意外と簡単に彼女は俺との食事を承諾した。これは案外上手くいくかもしれない。

 彼女は男と同棲している。彼女の自宅に上がり込むことは不可能だ。スーパーから俺の家は近い。


 そうなると……俺の屋敷しかないな。

 これで彼女の生態を詳細に観察することができる。


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