多分、僕はとっくに気付いていた。

解釈ときわけみこ〉などというふざけた存在にでもなく、その経緯についてでもなく、至極簡単な話。

 三日月タタリという存在が、人間ではないのだということに。

 だから、キボウが僕に猶予を与えるために口を噤んでいる間、僕は完全に絶句したままでありながら、激しい得心を覚えていた。

 ただ、それでもなおわからないことがある。

 タタリさんは、なぜ消えてしまったのか。

 僕が得心ののち、その疑問をありありと表情に浮かべると、キボウが爆笑した。

「君、君、君。それだよ。それが、君という人間が、〈解釈ときわけみこ〉なんてものよりもよーっぽど異常な存在だって、まだ気付かない?」

 なにを言っているのかわからない。僕はただのBLを愛好する健全な男子高校生であるし、もちろん〈解釈ときわけみこ〉に感染しているわけでもない。

「私が偽造身分カバーまでこさえてもらって土師市にきた理由はなんだと思う?」

「――タタリさんを始末するため……?」

「アホか。三日月タタリは〈解釈ときわけみこ〉のアバターとして最良。私みたいな失敗作が太刀打ちできるような相手じゃないんだなあ。私はね、単に私のためにここに――この高校の君が在籍するクラスに潜入したんだよ」

 欠伸と溜め息の中間のようなものを吐き出し、キボウは肩までで切り揃えられた黒髪を掻き毟る。

「三日月タタリの形成に成功したあとも、私の検査は絶え間なく続いた。そのおかげで、私は完全に吹っ切れた。まともに話せるし、動ける状態にまで回復した。いや、ぶっ壊れたのかな? まあ、どっちでもいいや」

 自然にキボウのひと欠片の光明すら残っていない目を覗き込んでしまう。絶望を常とし、それを動力に変えてしまう、あまりにむごい自律方法を確立させた。それは確かに、彼女が完全にぶっ壊れたというのと同義だ。

「ただまあ、生意気な自我のある小娘を解釈人の対処に動員するのはちょっと考えものだというのと、まだまだ検査したいという思惑があって。結局三日月タタリが陣頭指揮を執って、解釈人を土師市に封じ込めるように話を進め、自らもその渦中に身を投じた。私はなんにもやらずに、ただ検査を続けられていた。やられることやられた頃には、私は媒介者にはなり得ないことが判明していて、野に放っても大丈夫だと話が進んでた。ただ、私がやられたことが世に出ると非常にまずい。それ以前に、私はもう、真っ当な生活を送れるような状態じゃないのも明らかだった。そこで私の監視と保護のために名乗りを上げたのが、特定大規模テロ等特別対策室。解釈人の対応にも一枚噛んでいて、〈解釈ときわけみこ〉についての情報も握ってる。私にやったことにも無関係のはずはないんだけどね。ただ変な話、そこの居心地はよかったから、その中で形式上の身分と、実際の仕事も与えられて、軟禁には近いけど割と好きなようにやらせてもらってる。具体的には、土師市外で自然発生した解釈人の対処。その情報の端緒を得るために有用と判断されたあるインターネット上のアカウントがあって、ある時そのアカウントから、私個人にダイレクトメッセージが送られてきた」

 どこかで身に覚えのある出来事に、僕は悪寒を感じ始めた。

「私に感染した〈解釈ときわけみこ〉を取り除く根治療薬がある――最初は取り合わなかったけど、添付された画像を見て考えが変わった。私は上に出まかせを並べて嘆願して、ここにやってきた。画像に写っていた人物――立待月夜に会うために」

 僕が表情を変えると、キボウはまたその顔を指差して笑う。自虐――自嘲――困惑――やり場のない怒りをぶつけるように。

「〈解釈ときわけみこ〉が情報の中に生じたバグなら、君は、現実に生じたバグだよ。いい? 解釈の余地が全くないということが、どれだけ異常であるか。あらゆる事象、表現、概念にですら、解釈の余地は必ず生じ得る。ところがだ! 君のその表情には、一切の解釈の余地がないときてる。最も原始的かつ曖昧な解釈である表情の読み取り――君はその極致へと至っているんだよ。ヒトの持つコミュニケーション能力を嘲笑うかのような、完全な特異点だ」

 自分がどんな表情をしているのか、僕にはわからない。だが目の前の相手には、それは必ず伝わる。そこに含まれた感情も全てそのままに。解釈の余地を与えずに。

「明確に解釈の余地が存在しないという状態が発生するのなら、〈解釈ときわけみこ〉は活動を停止せざるを得ない。解釈の余地が存在することで動いているからね。で、私が君の顔を見た結果は、解釈の余地は存在しないとはっきり理解できた――だけだった。何度か君の表情を窺っても、私の中の〈解釈ときわけみこ〉はそのままだった。そして、一箇月前のあの日」

 キボウは光のない目を輝かせた。

「君がAB本を読んでいたのを見て、思わず声をかけた。勘違いしないでほしいんだけど、私が腐女子でABが自カプなのは、本当に素なの。人格はカバーのままだったけど、君と話したことは間違いなく私の言葉だったし、君と解釈違いだったのも本当。ただ、話していくうちに、君が私にとっての根治療薬にはならないとはっきりわかった。君が明らかな解釈違いをその表情に浮かべ、限界が近づいていくのを見ても、私から〈解釈ときわけみこ〉は消えなかった。なら、もっと、もっとと君の臨界点まで解釈違いを起こさせても、結局駄目だった。殴られて、はいおしまい」

 僕が謝罪するより早く、「悪かったよ」とキボウが謝った。

「私の解釈が及ぼす危険性は自分でもよくわかってる。解釈を媒体に構成されたネットワークを伝染して、同一の敷衍された解釈を全て吹き飛ばしてしまう。解釈人当人を解釈すれば、その人間が敷衍した解釈もなかったことになる。解釈という余剰リソースを利用している妖怪が取り憑いているがゆえに起こる感染爆発。そうでなくとも、私が解釈違いを相手に叩きつければなにが起こるかわかったもんじゃない。君を解釈違いに陥らせたのは――はっきり言ってイラついたからなんだけど、軽率が過ぎたよ。上に知られたらただじゃすまないから、黙っといてくれると嬉しいなあ」

 頼むのでも媚びるのでもなく、まるで関心がない口調でそう嘯く。今更どんな処遇を受けようと、大した問題ではないと悟って――絶望し切っている。それでも――真摯さこそ皆無だが――一応は僕に謝ってくれているのは伝わった。

「ただ、私が君の表情に解釈の余地がないと理解できたということは、〈解釈ときわけみこ〉は君の前では死に絶えるということで間違いない。私は多分、生体直結――身体の、魂の底から〈解釈ときわけみこ〉に汚染されているデバイスなんだと思う。私が生きている限り、私の中の妖怪も死なない――だから自我があるのかなーなんて、ここで気付いたりもしたよ。でも、意識を完全に乗っ取られているような――そう、自分の解釈の余地を全て〈解釈ときわけみこ〉に明け渡してしまっている相手なら、君の顔を見ただけで快癒しちゃうんじゃないかな。心当たりあるんじゃない?」

 呪いを受けたと僕の許にやってきた岩井さんとのやり取りを思い出す。岩井さんは突然、意味のわからないことをタタリさんと話し始めた。あれは〈解釈ときわけみこ〉に感染したことによって意識を乗っ取られたのだと、あの時の二人の会話を思い出してみると今なら理解できる。タタリさんはあの時、まず僕の顔を伏せた。そして僕が顔を上げると、岩井さんは元に戻り、呪いも解けていた。そのあとで岩井さんの呪いをかけた当人に会いにいった時も、同じことが起きたのだ。

 タタリさんはあのことを口外してはならないと、僕に頼んできた。キボウに対して曖昧に頷きつつ、口は開かない。

「回り道をしてきたけど、さすがにもうわかったでしょ? 生体ではなく、アーカイブ化された人格を骨組みにした、解釈の余地が存在するという領域において認識に実体として介入することができる存在。そんなモンが君の顔を見たら――どうなるか」

「でも――」

「そうだろうねえ。そもそもの骨組みが強いから、そう易々とは壊れない。ただ、君の顔を見る度に、その存在を動かす歯車に異物が詰まっていくようなもんじゃないかな。歯車は回り続ける。回り続けなければ存在できないからね。異物が詰まろうが、強引に回るだろう。でも、それが重なり、増え続ければ、やがては歯車のほうがイカレる。イカレたままでも回り続けはするだろう。そしてそれが続けば、歯車は砕け散り、骨組みから土台から全部お釈迦になるのは当然の帰結だよ」

「僕が」

 タタリさんを。

「殺した――」

 キボウは、握り拳で容赦なく僕の顔面を殴りつけた。

「イラつく顔すんな。図に乗んな。思い上がんな。三日月タタリが、そんなことも理解できない間抜けだとでも思うのか」

 絶望を浮かべ続けるその顔には、怒りがよく映える。

 僕に必要なのは、加害者意識でもなければ、被害者意識でもない。

 解釈だ。解釈をしろ。それを止めてしまって泣き寝入りするのは簡単だ。誰にでもできる。同時に、解釈もまた誰にでもできる。

 難易の問題ではない。どちらを選ぶか。気付けるかどうか。

 あるじゃないか。タタリさんの言葉に、動きに、由来に、その想いに――解釈の余地は。

 疲れ切った笑みを浮かべ、キボウは「どっこいしょ」と口に出して立ち上がる。

「多分というか間違いなく、私もはめられた一人だよ。自分の中のこれをどうにかしたいと思ってここにきてみれば、そいつは確かに特異点ではあったけど、私には効かなかった。おまけにAB好きかと素で喜んでみればクソみたいな低解像度の解釈を喋り出すし、私がイラついて解釈違いを突きつけるためにご丁寧にお膳立てされてたようなもんだった。いや、実際にいるんだよ。お膳立てした奴が」

 自分が黒幕だと最初から自称していた人間が、一人いる。

「コールサイン――ジョン・ドゥ。三日月タタリが自らの協力者として提示した正体不明の存在。最初は〈解釈ときわけみこ〉のサブアバターが存在するのかと疑ってみたものの、そんな形跡は発見できなかった。ところが、そいつは最初から目の前にいたんだ。解釈人の端緒の捕捉に有用だと重用していたアカウントから私個人にきたダイレクトメッセージの最初の一文がこれ」

 キボウは自分のスマートフォンを取り出して素早く操作し、ディスプレイを僕に向けた。

 ――そちらのコールサインはジョン・ドゥでしたね。

 文面が読めない速度で画面をスクロールさせ、最後に添付された画像を表示させる。

 そこに写っていたのは、なんとも苦々しげな僕の顔であった。

「君に関して以外で、画像からわかったこと。これは恐らく自宅での撮影。そして撮影に、無理矢理ではあるが了解を得ている。つまり君が体面上親しくせざるを得ない関係。となると年長の親類――と、これを受け取った時はまだそこまでしか絞り込めなかった。ただ、君がさっき話した『妖怪』という言葉を伝えたという人間。それで、確定した」

 キボウは僕の顔を見て、卑屈に表情を歪める。

「話すまでもない――か。じゃあ最後にこれだけ」

 僕に丸めた背中を向け、キボウはひとりごちるように話す。

「三日月タタリという存在は、私にとって解釈違いそのものだった。けど、別に消えてほしいと願っていたわけじゃない。だから、君がもし彼女の真意を解釈できたとしても、私に伝える必要はないよ。だって、それ絶対、解釈違いだからさ」

 スカートに白くこびりついた埃を景気よくはたくと、一本支柱が入ったようにすらりと姿勢を整え、スクールカースト上位の女子というカバーを自分に敷衍する。

 振り返った彼女の目はきらきらと光っていた。

「じゃあ、デートならまた付き合うよ」

 明るい笑顔を見せて、鹿村キボウではない彼女は、軽快に階段を下りていった。

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